[謎 邪馬台国と大和朝廷の関係は?]
1 解明されていること(個人的に)
・卑弥呼の邪馬台国は、北九州にあった。一方、近畿には纏向遺跡による崇神王朝が誕生していた。
・卑弥呼の後を継いだ台与(toyo)は、大分県(豊toyoの国)に遷都した。大分は、近畿勢力が関門海峡を通って半島の鉄資源を確保するための生命線であった。
・狗奴国は、熊本県にあった。
2 謎 台与(toyo)の正体は、なにか?
弥生時代末期には近畿の崇神王朝で鉄資源の確保に問題はなかった。このことから、台与(toyo)は、崇神王朝が北九州に進出して鉄資源輸送ルートである関門海峡防衛の要衝である大分を制圧したものと考えられる。これにより、台与(toyo)は邪馬台国の支配者として九州勢力が受け入れざるえなかったと考えられる。台与(toyo)は、日本書紀では神功皇后にあたるとも考えられる。しかし、神功皇后は崇神王朝に見捨てられた。ここから応神天皇が現れる。応神天皇は八幡(hata)神とされている。たくさんの旗(hata)がある軍隊ということは、たくさんの国が応神天皇についたということだろうか。中国地方から関東地方にいたる大勢力である崇神王朝に攻め込むためには、たくさんの国が連合しなければならないだろう。その国とは、邪馬台国、狗奴国、半島の国(加羅、夫余)などが候補としてはあるだろう。それと、神功皇后の九州遠征軍は中核としてあると思う。