乱に至るまで
・1508年に銅の買い付けで揉め、銅の過剰在庫を抱える対馬側と財政悪化でそんな大量に買えない朝鮮側とで緊張が高まっていた。
・15世紀末には釜山周辺に暮らす対馬人が3000人を越え、漁場の占拠、周辺の朝鮮人と結託して密貿易を行う、納税回避の為に恒居地に朝鮮人が逃げ込む。
・対馬人の勢力に手出しが出来ない政府を見て朝鮮水賊も活性化
16世紀ごろには釜山周辺が朝鮮政府の力が及ばない別の国と化している。事態の深刻さから朝鮮政府は強硬姿勢に転じるが、見慣れない相手を倭寇疑惑で斬り、その首を倭館の前に晒す。強引な徴税など滅茶苦茶をやった。
その結果、釜山周辺の居留民から強い反発を買い1510年に三浦の乱が起きる。
この戦争は話によると宗氏の支援が有ったとは言え、参加者は4万を越えたと聞く。朝鮮政府の徴税を逃れてきた朝鮮人が参加者の主力じゃなかろうか。