1919年フランスで行われた
パリ講和会議で日本は「人種差別撤廃」を盛り込んだ画期的な提案をしました。
このような提案をしたのは世界初のことで、日本が誇るべき提案です。
ところが当時世界各地に植民地を持っていたイギリスが猛反対、
オーストラリアや議長であるアメリカのウィルソ¥ン大統領も
最終的には首を縦に振らず、日本の提案は却下されました。
日本の人種差別撤廃条項案が却下されたことは、すぐに世界中に知れ渡り、
東南アジア、エジプト、インドなどでは次々と独立運動が起こりました。
アメリカでは黒人達による暴¥動が起こりました。
そもそも日本が世界の舞台で人種差別撤廃を訴えたのはなぜでしょう。
当時脱亜入欧を合言葉にアメリカに移住する日本人が増えていましたが、
アメリカ人はあまり快く思ってはいませんでした。
その感情はやがて「日本人排斥運動」という形になり、
カリフォルニアなどでは日本人は法律で土地所有を禁止されたりしました。
日露戦争と第一次世界大戦で戦勝国になった日本をしても
人種の壁は崩すことのできないものだったのです。
それがパリ講和会議の提案に繋がっていきます。
ところが、ウィルソ¥ン大統領が提唱する「世界国家平等」に同調し、
人種差別撤廃を訴える絶好のチャンスだと思っていたパリ講和会議で
日本の提案は無残にも却下されてしまいました。
それから26後、新たに設立された国際連合の第1章第一条に
ようやく日本がかつて提案した「人種差別撤廃」が盛り込まれました。
初めて世界にこの「人種差別撤廃」を提案したのは他でもない、
私達の国「日本」なのです。