9月に平壌に到着した日本の「山縣有朋司令官」は、第一軍を鴨緑江に進めて
いよいよ中国の領土に入ろうとしていた。
その時に敵の将軍の「宋慶」はもちろんの事、中国の兵站を担当していた「袁世凱」はあせった。
日本軍がこれほどまで強いとは想像していなかったのだ。
ともかくこのままだと、近いうちに奉天が落とされる危険性があった。
袁世凱がそこで思いついたのは李氏朝鮮の「東学党」であった。
彼等は幾分かの兵器を 東学党 に渡していた。
そこで袁世凱は素晴らしい作戦を考え出した。
それは東学党の農民を利用し 南から攻めさせて、第一軍を平壌に後退させて
その後 清軍が南下して日本を叩くと言う作戦だった。
このときの袁世凱は冴えていた。
敵の将軍の「宋慶」はこれを聞くと「さすが!袁世凱!」と褒め称え
もし作戦が成功したら、彼を将軍の座に推薦する事を約束した。
だが南に行くには海では黄海で勝利を得た日本の連合艦隊がいたので危険すぎた。
しかし陸路も山縣率いる第一軍に閉ざされている。
実はその数ヶ月前に日本に雑に扱われていた「大院君」と「李