部下の数から推測すると
1595年の報告(哨探船は10人乗りと仮定、端数は四捨五入)
・李舜臣3789名(戦船26隻、亀船5隻、哨探船31隻)
戦船、亀船の平均乗員112名(戦船と亀船を同じ乗員と仮定)
・李億祺2596名(戦船24隻、哨探船24隻)
戦船の平均乗員98名
・李守一271名(戦船3隻、哨探船3隻)
戦船の平均乗員80名
・斐楔453名(戦船10隻、哨探船10隻)
戦船の平均乗員35名
文禄の役での日本水軍
・藤堂高虎 2000人(伊予粉河 2.0万石)
・九鬼嘉隆 1500人(志摩鳥羽 3.0万石)
・脇坂安治 1500人(淡路洲本 3.0万石)
・加藤嘉明 750人(淡路志知 1.5万石)
・菅平達長 250人(淡路岩屋 1.0万石)
・桑山一晴 1000人(紀伊和歌山 2.0万石)
・堀内氏善 850人(紀伊新宮 2.7万石)
・杉若氏宗 650人(紀伊田辺 1.9万石)
動員数から見ると小型、中型船が主力か?
朝鮮水軍の軍船の大きさは小型から小振りな大型ぐらい、他の提督と比べ李舜臣の配下の軍船の大きさが際立って大きく見える。動員数から推測すると小型、中型船が主力と思われる日本水軍相手なら、地の利を活かし各個撃破に努めれば接舷切込みでも優位に戦えただろう。
お互いの水軍の規模から水上戦で戦争全体の趨勢を決める戦いが出来たかと言うとかなり疑問が出る。
