“韓国人より韓国をもっと愛したし, 自分の祖国より韓国のために献身したビクトリア風のジェントルマンハルバート博士こちらに眠る.”
朝鮮を理解したアメリカ人教育者
アメリカバーモント株名門家出身ハルバートが朝鮮地に第一歩を踏み出したことは 1886年 7月 4日. 23歳の私だった. 高宗が洋学の大切さを悟って立てた最初の洋式教育機関である育英公院(育英公院) 英語教師資格だった. その学生の中には李完用も立ち込めていた. 今後ハルバートは死ぬまで教育者で, 宣教師で, 報道人で, 史家で, 外交自問官で一生を韓国に捧げた. また英文月刊誌 <ハングックフィボ(The Korean Repository)>わ <独立新聞(英語版)>, <韓国評論(The Korea Review)> などを発行して朝鮮を世界に知らせるのに力をつくした. そして朝鮮王朝社を記録した <大同紀年>科 <大韓帝国滅亡社(The Passing of Korea)>は彼に史家として名声も持って来てくれた.
彼はすごくアカデミックな人だった. 初めて韓国地を踏んでからわずか 3年ぶりに韓国最初の純ハングル教科書を著わして出刊した. 韓国に赴任するやいなや彼は学生たちが世界に無知なことを見て 1886年に世界地理教材である <士民筆紙(士民必知)>わ <初学誌だ(初学地誌)>を発行した. 特に <士民筆紙>は学生と知識層で旋風的な人気をあつめたが, 彼はこの本でハングルの優秀性に対して賛嘆している.
“悲しい. 朝鮮言文が中国字に比べて大きくヨギンするけれども人々はそれが分からなくてむしろ馬鹿にしたらどうして惜しいでしょういやリオ. それでこの本にはハングルとして世界各国の地図と多様な情報を記録する.”
彼は朝鮮の識者層たちが無視したハングルが漢字よりもずっと価値のある文字という事実を明らかに認識していた. 1892年に創刊された韓国最初の英文月刊韓国学研究だ <ハングックフィボ(The Korean Repository)>でハングルと言う(のは)論文を通じて世宗大王の創意性と愛民精神を紹介して, “ハングルは大衆言語の媒介体として英語よりずっと優秀だ”と言ってハングルの優秀性を高く評価した.
彼はとても意慾的に韓国を知らせる文等を筆を執って全世界に紹介するのに先に立った. <ハングックフィボ>を通じて韓国の歴史と風俗言語などに対する文を載せたし, 他の国際学術誌とアメリカの新聞雑誌などにもハングルが非常に科学的な文字という事実を知らせる文を載せた. 彼はまた 1901年からは <韓国評論(Korea Review)>上げる創刊して本格的な韓国学論文を載せた. こんな韓国学研究を通じてハルバートは韓国を深く理解することができた.
朝鮮のために涙を流した純粋な魂
ハルバートは帝国主義列強の侵奪と渦の中で弱小国の悲しみを一緒に経験しながら私たちと一緒に涙を流した. 彼は 1896年には生後 1年ぶりに息子を失う痛みにあったりした. 彼は自分の悲しみを私たちのアリラン曲調で共感して, アリラン楽譜と家事を英文に採録して全世界に知らせた. 明成皇后弑害事件の時はアンダーウッドなどとともに毎日夜高宗のそばを守った. ヘイグで万国平和会議が開かれるという事実を高宗に報告して韓国独立の正当性を世界に知らせるように勧告したこれもハルバートだった.