そして実際に封建社会の伝統を持ったヨーロッパと日本は順調に資本主義で移行, 産業革命と急速な生産力の発展を経験した. この過程で新しい生産構造に迎える政治社会構造が導入して近代市民社会が誕生するようになった. しかし奴隷社会で封建社会への発展さえ成すことができなかったあげく大部分の世界では自生的な資本主義発展が成り立つことができなかったしこれによりこれら地域は資本主義帝国の植民地に編入されてさまざまな形態に歪曲された社会発展を経験するようになったのだ. マルクスはこのような第3世界地域のアイデンティティに対してアジア的生産様式という概念を用意して説明して見ようと試みたがその原因を明らかに明かすことはできなかったことと見える. 実はマルクスの時代には第3世界のアイデンティティという概念さえ存在しなかったから問題意識もできなかったはずだ.
封建社会の伝統を経験することができなかった台湾と朝鮮もその他世界に属していたが人々地域は日本の統治でよって市民革命を成して近代資本主義社会に発展することができた. 日本の知識人たちはかつて 20世紀初盤朝鮮と日本社会の発展水準において大きな格差が存在することを認識して自ら朝鮮の文明開化を善導する産婆役目を自任して出た.
日本で韓国社会のアイデンティティを初めて主張したことはFukuda(福田徳三)で知られている. 彼はヨーロッパの経済学を日本に紹介した先駆け的なエコノミストとして, 19世紀末ヨーロッパに渡ってドイツのライプツィヒ大学とミュンヘン大学で留学こんにちはだった. 彼は帰国して 1904年 [大韓帝国の経済組職と経済単位] という論文を発表, 最初で朝鮮社会のアイデンティティ理論を主張した. この論文は近代的な経済史学の方法論で朝鮮の経済史を研究した最初の学術論文だ.
Fukudaは財貨の交換流通に即して経済が発展して行く段階を自足経済, 到付経済, 国民経済の 3 段階で区分した. 彼は自足経済を封建制度が出現する以前の酸っぱいことに, 到付経済は封建制度に対応する酸っぱいことに, そして国民経済は近代国家に対応する時期に見た. 彼の研究は 20世紀初朝鮮の社会経済状態が何らの到付経済の兆しが見えない自足経済の段階に属しているし, 封建制度が形成される以前の変態的な様態の水準にとどまっているというのだった.
が段階は日本の 9世紀末で 12世紀初にあたってヨーロッパと比べても 9世紀初で 12世紀初にあたるのだった. これは 20世紀初朝鮮の社会経済状態が日本とヨーロッパに比べて千年以上おくれているという結論であり, 近代国家の国民経済が形成されることができる不可欠の先行必須條件がすぐ封建制度なので朝鮮は資本主義どころか封建制度の段階にもなることができなかったというのだ.
が同じFukudaの理論をアイデンティティ理論, あるいは封建制欠如論と言う. すぐ隣合って交流した両国の経済が千年以上差があるという主張はたやすく納得しにくいことではあるが日本が長年の歳月の間外部世界とほとんど交流なしに発展して来たという事実を勘案して見れば不可能な事でもないようだ. とにかくFukudaの研究は当時の学問水準ではよほど独創的でフレッシュなのだった.
彼はこんなに停滞された朝鮮の経済家近代化を成すことは自らの力では不可能で外部の力が必要だと思った. 当時清はほとんどマングヘがであったので朝鮮に隣合っている外部の存在はすなわちロシアと日本なのに, ロシアの場合朝鮮と同じく経済が低級でその協力で発展の電気を得るということは期待しにくいから結局朝鮮の発展は日本の力によってだけ可能になる. すなわち, 自力に近代化することができない朝鮮が酔うことができる唯一な選択は日本に童話されるしかないというのだ.
そうだったら, 一社会が資本主義段階で発展するために必ず必要だと思われる封建制度と言う(のは)何か. 封建制度と言う(のは)一種の政治的社会的現象だ. それは人間の社会的地位と機能が土地の所有関係を中心に決まる制度として, このような秩序では個人の財産だけではなく社会的な地位や権力が個人の能力と関係なく世襲される. また封建社会の政治権力は封土という名前の領地を部下に分けてやることでできる忠誠と君臣関係によって維持される.
このような社会, 政治制度は中世ヨーロッパで盛んだったが, たとえばフランスでは 12世紀頃にその頂点に達した. ヨーロッパ以外にこれと類似の社会政治的制度が早く存在した他の地域は全世界で日本だけだ. 室町時代後期, すなわちオニンの私はで織田信長が出現した時期まで日本の封建制度は全盛期ヨーロッパ封建制度ととても似ていることと知られている.
以後江戸幕府時代に入って来るようになりながら日本の封建制度は大きい変化を経験した. 江戸時代の日本で見られる安定して高度に組職化された中央集権的な封建制度は地形上孤立した日本の独特の産物だ. ヨーロッパには地域によってこのような中央集権的封建制度が出現しなかったとか出現しても非常に短い期間中だけ尊属することができたが, これはお互いに国境を接していたヨーロッパは日本の場合よりもっと激しい競争をするしかなかったからだ. このような理由でヨーロッパの後期封建制度は素早く日本式統一封建制度の段階を経ってもっと中央集権的な民族国家で成長しなければならなかった. このように封建制度は人類歴史上全世界の二つの地域でばかり現われた非常に珍しい現象だ.
それならどうして日本とヨーロッパにだけ封建制度が生じたのか. 日本の学説によれば, 封建制度は異質的な社会政治的要素が特殊な形態にお互いに融合したことだと言う. すなわち封建制度が成り立つためには各地域ごとに土地と租税に関する力強くて発達された法令体系とこれを執行することができる政治組職が存在しなければならないし, これをより大きい範囲で統合することができる中央集権政府がなければならないというのだ.
が三種類要素の中一二種類でも不足とかとても強くなればその社会は原始的な不足社会段階を脱することができないとか王がすべての権力を持つ前提王朝の形態になってしまうのだ. 封建制度が稀だったことはこれ ¥"均衡状態¥"というのが易しくないからだ. 小さな地域を包括する発展した法と政治組職は中世ヨーロッパの場合ドイツの部族国家戦死団で始まったし日本は古代氏族制度でその祈願を尋ねることができる.
六朝時代の中国でも似ている形態の社会が発達して封建制度へのきっかけになったが結局成熟されることができずに消えてしまった. こんな場合はこれら地方権力と中央権力という二つの要素の間に適当な均衡が維持されなかったからだが, 中国は中央政府の力がとても強かった場合でまた他の国では部族国家の傾向が圧倒的に強くて中央政府が発展することができなかった事例も捜してみることができる. その結果ヨーロッパと日本を除いた地域では高麗大学氏族社会や不足社会の中一つ二つが剛性されるとか連合して周辺地域を征腹することで封建社会の段階なしに直ちに大規模の前提王朝で発展した.
それなら封建制度はどうして近代化に有利な条件を作ったのか. 世界の大部分の地域で現われた前提制度に比べれば封建制度の下では各経済主体たちの法律的な義務と権利が重視されていたし, これにより近代の法治主義という概念に適応することができる社会の発達が進行されたからだ. また封建領主は征服や領土の拡張よりは土地の所有と土地税の取り立てに専念したから, 領主の統治を受ける商人と業者は専制国家に属したよりもっと幅広い活動範囲を持つことができた.
このように自由な経済活動と先立って記述した法律関係の発達がお互いに相乗作用をして生産力を進めたしその結果近代的な形態の商業社会が胎動するようになったのだ. 封建社会で経済主導者に与えられた活動の自由は実用的な倫理観を育ててくれたし分権と自治という政治制度はリーダーに強い義務感と責任感を要求した. これにより活発で進取的な挑戦精神と企業家精神ができたが, これは近代ヨーロッパと日本の大きい特徴を成すのだ.
韓国(大韓帝国)において経済単位の発展は自発的なことであることはできなくて, 伝来的なことにならざるを得ない. 伝来的と言う(のは)どんな発展した経済組職を持つ他の文化に童話されるのだ. これは韓国の土地を開拓耕作して徐徐にこれを資本化することができるようにその価値を高める方法が分かる者ではなければならない. それなら韓国において多くの経済的設備を施して数千年の間交通をして来た結果得た了解と同情として韓人を使役するに慣れて, また韓人の土地を事実上事由にして徐徐に農業経営を試みたし, その上にその生産品である米と豆(台頭)に対して最大の顧客であるうちの日本人はこの使命をつくすことができる一番適当な者ではないか!
ましてその封建的教育は世界歴史で一番完全なこと中の一つに属して, 土地に対しては一番集中的な農業者です, 人間に対しては韓人に一番欠乏された勇ましい無事的精神の代表者である私たち日本民族は, 何らの封建的教育とこれを土台にする経済単位の発展を成すことができなかった韓国と韓国人に対して, その腐敗衰亡の極致に達した民族的特性を根底で消滅させて自分に同化させる自然的命運と義務を持つ有力優秀した文化の重大な使命に臨む者ではないか!
フクにこの論文を発表した当時はもうロシアと日本の戦争が既定事実で固まっていた時期だったから, どの位日本を美化して朝鮮に対する侵略を正当化しようとする目的性と意図があったことと見える. しかし彼が主張した基本的な事実は否認しにくい内容を記している.
以後Fukudaのアイデンティティ理論はフックゾングアム, 三谷, 四方泊主に日本の他の経済史学者たちに継勝発展して今日に至るようになった. これらはFukudaの思想を受け継いで朝鮮は発展しにくい停滞された社会だったと規定して, 朝鮮が近代化されたことは日本資本の栄養と血脈に義解書だったと喝破した. 四方泊は世界歴史を見れば資本主義の成り立つ方法はその第一が自分の社会の陣痛を通じて成すことで, 他の一つは偶然に外来資本主義の刺激に強要されてやむを得なく資本主義段階に進入することだが, 電子は西欧と日本の場合で韓国は後者の場合に属すると言った.
四方泊(四方博)の主張によれば韓国の資本主義化は日本の資本と日本人の技術能力によって他律的に成り立った. 開港当時朝鮮には何らの自生的な資本の蓄積もなかったし企業精神もなかったし, 資本主義の形成を希望する事情とそれを必至するようにする条件が皆欠けていたというのだ. 実は日本が開港以後活発な朝鮮進出を通じて資本主義秩序を伝えてくれたし合併以後にも近代的な産業と社会間接資本, 学校と各種施設を建設して朝鮮社会の近代化, 文明化を主導したことは否認することができない事実だ.
これに対して終戦後北朝鮮を中心にアイデンティティ理論を否定しようとする試みが始まった. 引き継いで南韓の学界でも同じ研究が成り立って徐徐に南北韓の主類理論で席を取るようになるのに, これがいわゆる ¥"自生的近代化理論¥", あるいは ¥"資本主義萌芽では¥"と呼ばれる理論だ. このような理論は気室 ¥"理論¥"と呼びにくい低劣したごりおし主張たちとして, 世界の学者たちから ¥"オレンジ畑で謝りを捜す無理な試み¥"と評価されながらあざ笑うことの対象になって来た.
資本主義萌芽論の先駆けは歴史学界だった. 北朝鮮では 1950年代末から催兵務, 金錫亨, 洪稀有などが朝鮮朝後期韓国で資本主義的関係や要素が自生的に現われていたことを強調し始めた. これはマックスのいわゆる歴史発展法則によって韓半島の歴史も原始共同体社会で奴隷祭祀回で, そして封建祭祀回で資本主義, 社会主義で各段階を通しながら発展して来たことを立証しようとする努力だった. しかし 1960年代後半から北朝鮮史学係では萌芽では研究が急速に消滅するようになるのに, これは北朝鮮で金日成による独裁体制が完備されて主体思想に即した歴史観がもたげながらマックス-レーニン主義自体を廃棄したからだ.
以後北朝鮮で中断した研究を南韓の学者たちがずっと引き継いで行きながら自生的近代化理論を発展させた. 南韓の資本主義萌芽論によれば, 17世紀から 18世紀に至って朝鮮社会でも農業手工業商業身分制の側面で大きい変化が現われるのに, これが自生的な近代化の芽(萌芽)であり日本の侵略は順調に成り立っていた近代化の芽を切ってしまって産業教育社会全般にわたって歪曲された社会構造を移植したというのだ.
これらは日本がなしも朝鮮で自ら資本主義の芽が伸びるが産業革命が発生したことを確信した. そしてこれらは私たちが自ら近代化を始めた基点がどこなのかを捜すために 18世紀後半, 19世紀中葉, 開港期, 甲午改革期で分けて捜索作業を始めたが何の成果をおさめることができなかった. そうして 1990年代になるとこの四種類の中 18世紀後半基点論は廃棄した後 1860年代お正月, 開港説, 甲午改革期説で区分して捜索作業を続いた.
1860年は高宗が即位して大院君の統治が始まった日だ. したがって 1860年代基点説はこの時に至って帝国主義侵略が本格化されて, これに対立して反侵略, 反帝国主義運動が始まって朝鮮の民族主体形成が始まったという点を重視する. 1876年開港説は開港をきっかけで私たちの社会が世界金元の市場体制に属することで不可避に資本主義で履行するようになったことを強調する視覚だ. この理論は韓国中世社会の内在的発展の成果として近代の基点を設定するのではなく外勢の侵略という他律的きっかけを近代の基点にしているという弱点を抱いている. すなわちこれが事実だと言っても民族の精気を立てて反日策動の根拠を用意するために作られた萌芽論の目的には当たらなくなるのだ. 甲午改革既設は 1894年甲午改革以後に初めて近代的な制度と思想が本格的に導入し始めたし, 中世的国家が近代的な国家体制で切り替えることができる土台が用意されたという点を重視している.
まだまでも続いているこの金元の萌芽理論と基点捜索作業は韓国歴史学者たちの水準を端的に現わしてくれる実に情けない事件に違いない. 実際にこんな萌芽というのがあったら確かに民族的自負心を持つに値する良いことだが, これらは ¥"あらなければならないし必ずあるでしょう¥"は信念の下結果を先に設定しておいてそこに歴史を通して合わせようと努力しているのだ. こんな人々を果して学者だと呼ぶことができるゴッインジさえ疑わしい.
このように情けなくて虚無孟浪した理論が韓国ではいつのまにか正論で席を取ってまだ一線学校で教育されているし日本の侵略性を責める根拠に利用されている. それでもこれらとしては捨てることができない理論であることが, もしこれが失敗するようになれば 3.1運動と上海臨時政府, 抗日独立運動の伝統を受け継ぐ ¥"民族の精気¥"が致命的な傷つくからなことだ. 答もないことのように見えるが, とにかく 4ジソンダヒョングで今は 3ジソンダヒョングで減った萌芽捜索作業に成果があるのを願ってやまない.
最近シン・ヨンハガングマンギルなど現代韓国の官辺学者たちは自生的近代化理論の延長線上で, 日帝殖民支配政策の基本が民族資本家の成長を阻んで民族資本の蓄積を沮止するのにあったと主張している. ガングマンギルによればたとえば土地政策の場合, 日製の土地調査事業は門戸開放以後成長して来ていた自作農上層部をとり除いて農民の大部分を零細小作人で作る一方親日地主圏を強化させるための目的に実施されたことで, その結果 20世紀前半期韓国では農業史蹟に資本主義的営農が発達しなければならない時期だったが日本の殖民統治でそれが阻止されてむしろ地主制が強化されたというのだ.
ここで ¥"資本主義的営農が発達しなければならない時期¥"というところで私たちは言うことを失うようになる. そんな式なら 1910年代は (自ら発展した場合) 重化学工業が発達するべきな時期とか, 先端宇宙産業が発達しなければならない時期だったが日本によって阻止されたと言ってはいけない理由がないだろう. 彼は果して土地台帳みたいなこと一つ整備されていなかったし登記制度とか裁判という概念さえ疎かった当時朝鮮社会が, 日本によって成った体制整備と土地調査事業みたいな成果なしもどこかで自生的な農業資本家が出現して小農たちの土地を買い入れて大規模の資本主義的営農ができたはずだと信じるというのか.
とにかくこのような ¥"内在的近代化論¥"は日本の韓国史研究者たちにはもう影響力を失っているだけではなく海外でもアメリカのパルレとコミンスは勿論でエカートとメックナマだとなど大部分の権威ある韓国学者たちにあざ笑うことを買っている. 国内でも最近になって眼病職, イ・ヨンフン, 戦傷人いくつかの良心ある学者たちがこのような通して合わせる式研究に対して問題を申し立てているが, 相変らず韓国の教壇と学界では主類理論で男児愛されているのだ.