妄想2です。
天津甕星(あまつみかぼし)
『古事記』には登場せず、『日本書紀』の葦原中国平定にのみ登場する。本文では、経津主神・武甕槌命は国津神をことごとく平定し、草木や石までも平らげたが、星の神の香香背男だけは服従しなかったので、倭文神建葉槌命(しとりがみたけはづちのみこと)を遣わし征服したとしている。第二の一書では天津神となっており、経津主神・武甕槌命が、まず高天原にいる天香香背男、別名を天津甕星という悪い神を誅してから葦原中国平定を行うと言っている。
素戔嗚(スサノオ)
スサノオ(スサノヲ、スサノオノミコト)は、日本神話に登場する神である。『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、たてはやすさのおのみこと)、須佐乃袁尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命などと表記する。神仏習合により、牛頭天王を本地とし、その垂迹とされることもあった。三貴子の末子に当たる。その与えられた役割は、太陽を神格化した天照大神、月を神格化した月夜見尊とは少々異なっているため、議論の的となっている。
旧約聖書 創世記1章16節 太陽・月・星
伊邪那岐は、天照大御神に高天原を、月読命に夜の国を、須佐之男命に海原をそれぞれ治めさせた。
天照大御神
月読命
須佐之男命
太陽
月
?
高天原
夜の国
海原
?=星?戔素嗚
並べ替え
戔素嗚
戔=戈戈
戈戈素嗚 (カカスオ)
素戔男=香香背男 (カガセオ)?
瀬織津姫
瀬織津姫(せおりつひめ)は、祓戸四神の一柱である。瀬織津媛・瀬織津比売。祓神かつ水神で、穢を川や海に流す役目を持つ。
『倭姫命世記』では八十禍津日神の別名とされ、伊勢神宮内宮の別宮の荒祭宮祭神は、瀬織津姫であることが記されている。平田篤胤はさらに大禍津日神・大屋毘古神とも同神とする。 天照大神の荒御魂とされることもある。
『日本書紀』同段第十の一書ではイザナギが大綾津日神を吹き出したとしている。これが穢れから生まれたとの記述はないが、大綾は大禍と同じ意味であり、大禍津日神と同一神格と考えられる。
イザナギとイザナミの間の子に大屋毘古神(おおやびこのかみ)がいるが、これは「大綾」から「あ」が取れて「大屋」になったものとされ、大綾津日神(大禍津日神)と同一神格とされる。スサノオの子で、大国主の神話においてオオナムジ(大国主)がその元に逃れてきた大屋毘古神は、本来は別の神と考えられるが、同一神とされることもある。
また、平田篤胤は、大禍津日神・八十禍津日神・大屋毘古神は祓戸神の一柱である瀬織津比売神と同神としている。
瀬織津姫
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瀬津織姫 (セツオリ)
セツオリ=シヅオリ?
倭文織(しづおり)と倭文布(しずり)
『倭文(しづ)』と言う古称は、『倭文織(しづおり)』と『倭文布(しづり)』から来ている。
楮(こうぞ)、麻、苧(からむし)などの繊維で出来ており、赤青の原色で染め 乱れ模様に織ったものの布である。
「倭」は 古代日本と言う意味、「文」は文布(あやぬの)の略語 アヤのある布の意味(アヤとは光彩、色彩、模様)。
『倭文』は『文布』とも書かれていた
天孫降臨以前の日本原住民達、即ち九州に住んでいた海人族は、中国に「倭族」と呼ばれ、彼等海人族が織った布は『倭文』と言われ、その布を織る専門の織工集団は『倭文部』で、彼等の住んでいた地方を『倭文郷』と称えられていた。
その首長は宿弥(すくね)で、大和朝廷の重臣要職である八色姓の一つである。
その氏族を祭る神社があり『倭文神社』と言い、伯者国一ノ宮(鳥取県)に存在する。
http://blog.goo.ne.jp/sakura-sakura_1966/e/0ba35952e35c989f723eac94ce8097e4
倭文神社(しとりじんじゃ、しずりじんじゃ)の祭神=武葉槌命、武羽槌雄命
天羽槌雄神、建葉槌命
天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ)は、日本神話の神で、『古語拾遺』に登場する。天羽雷命(あめのはづちのみこと)や、倭文神(しとりのかみ)、倭文神(しずのかみ)とも呼ばれる。
別名と同一視されるのは建葉槌命(たけはづちのみこと)で、こちらの方が有名かもしれない。建葉槌命は『日本書紀』に登場した倭文神で、経津主神・武甕槌命では服従しなかった星の神の香香背男(天津甕星)を征服した神とされる。
織物の神が、何故星の神を註する事が出来たのか、色々諸説ある内の説を挙げるとすると、
1つ目は、建葉槌命が武神だったとする説。建葉槌命の「建」は「武」、「葉」は「刃」と読み替えると武刃槌となり、まさに武神らしい名と受けとれるからといわれる。 この説の裏付けとして、武葉槌命を祀る大甕倭文神社(茨城県日立市)の『大甕倭文神宮縁起』からも武神であるむねを窺わせる内容が記されている。
2つ目は、織物の中に星を織り込んでしまって、星の神を織物の中に封印したとする説。これは、太陽が沈んでも空に星が残っている事を、どうにか出来ないものかと考えた上での苦肉の策だとされる。
他にも、香香背男側にいた建葉槌命を懐柔し味方に付け、内側から崩壊させた。などの説もある。
七夕(たなばた)
天帝の娘である織女は、機を織るのが仕事です。しかし仕事ばかりする織女を心配した天帝は、娘を天の川の向かい岸にいる牽牛と引き合わせました。すると二人は恋に夢中になって仕事を全くしなくなってしまいました。それをみた天帝は怒り、二人を天の川の両岸に引き離してしまいました。
二人の様子を哀れに思った天帝は、一年に一度、7月7日の夜にだけ会うことを許しました。牽牛=牛頭天王=素盞嗚
織姫=棚機姫命(たなばたひめ)
天香香背男と瀬織津姫
かがせお
せおりつひめ
経津主神・武甕槌命でも服従させられなかった香香背男を征服した織物の神、
建葉槌命ってもしかしたら瀬織津姫=棚機姫命=織姫で、
香香背男は昔の恋人に説得されたって事だったりして。
菊理媛神
菊理媛神(くくりひめのかみ)は、日本の神。加賀の白山や全国の白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神とされる。
日本神話においては、『古事記』や『日本書紀』本文には登場せず、『日本書紀』の一書に一度だけ出てくるのみである。
神産みでイザナミに逢いに黄泉を訪問したイザナギは、イザナミの変わり果てた姿を見て逃げ出した。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、そこでイザナミと口論になる。そこに泉守道者が現れ、イザナミの言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言い、菊理媛神が何かを言うと、イザナギはそれを褒め、帰って行った、とある。菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない。この説話から、菊理媛神はイザナギとイザナミを仲直しさせたとして、縁結びの神とされている。また、死者(イザナミ)と生者(イザナギ)の間を取り持ったことからシャーマン(巫女)の女神ではないかとも言われている。ケガレを払う神格ともされる。狗奴国
3世紀の倭国で邪馬台国の尽きるところである奴国の南に位置する。その名称からも、元は奴国の分国ではないかという説があるが、単に「クの国」(「奴」は「の」という意味に過ぎない)という説もある。
男王卑弥弓呼(一般的には「ひみここ」と読むが「ひこみこ」(彦御子)とする説がある)がおり、官を狗古智卑狗(一般的には「くこちひこ」と読むが「きくちひこ」(菊池彦)「かわちひこ」(河内彦)とする説がある)と言った。邪馬台国の女王卑弥呼と卑弥弓呼は「素より和せず」戦闘状態にあったが、この戦いの最中に卑弥呼が死去したという。
白山=つくも山=土蜘蛛山
弓呼=狗古=菊
菊理媛=弓呼理媛=狗古理媛
市杵嶋姫(イチキシマヒメ)
市=一+巾
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巾杵嶋一
ハバキシマヒトツ
市杵嶋姫=アラハバキ、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)
目一箇 (まひとつ)
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一箇目 (ひとつま=人妻)
アメンホテプ4世
父はアメンホテプ3世、母は正妃ティイといわれる。
後に改名してアクエンアテン(Akhenaten、イクナートンとも)と名乗る。彼の行った改革は、アマルナ改革として有名である。ツタンカーメン
ツタンカーメン(Tutankhamun、Tutenkh-、-amen、-amonとも、紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃、)は、古代エジプト第18王朝のファラオ(在位:紀元前1333年頃 - 紀元前1324年頃)。より厳密な表記ではトゥト・アンク・アメン(Tut-ankh-amen)という。この王名を「ツタンカーメン」と呼び、世界に広げたのは日本人によるもの。
イクナートン=クナト
トゥト・アンク・アモン=ツチクモ
ちょっとこじつけ過ぎかも・・・
前スレの修正
八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を
やくもたつ
いずも
やえがきつ
まごみ
にやえがき
つくる
このやえが
きを
右から縦に読んでみる
突付き難き峨へ、桃が見える家を。
国栖へ五百の木、八重山に通請。
この=× その=○
やくもたつ
いずも
やえがきつ
まごみ
にやえがき
つくる
そのやえが
きを
五百の木=五百木国=己百支國=イホキ国=五百支国=伯伎国=ハハキ国
突付き難き峨へ、桃が見える家を。
国栖経イホキ国、八居夜間に(う)つそ。
おまけ
↓目が恐い
↓何これw
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