kjのバグ(不具合)により、IEで、投稿の写真が見られない現象が生ずる様です。IEで、写真が見られない場合は、Firefoxで、ご覧下さい。
日本スキー(skiing)発展歴史1からの続きです。
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_14/view/id/2445614?&sfl=membername&stx=jlemon
「以下、日本スキー(skiing)発展歴史2からの続きです。。。」と言う文までは、「日本スキー(skiing)発展歴史1」と重複しています。
以下3つは、比較的、最近、「伝統文化」掲示板に行った、同時代の、日本に関連する投稿です。参考に、ご覧下さい。
白州 次郎(shirasu jiro)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_14/view/id/2444583?&sfl=membername&stx=jlemon
竹久 夢二(takehisa yumeji)等1→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_14/view/id/2444000?&sfl=membername&stx=jlemon
竹久 夢二(takehisa yumeji)等2→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_14/view/id/2443999?&sfl=membername&stx=jlemon
また、気が向いたら、おまけで、以下の投稿も、参考に、ご覧下さい。
日本の若い女性向け名品kitchen knife→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_13/view/id/2439313?&sfl=membername&stx=jlemon
日本は、最盛期に比べて、ゴルフ場(golf course)の数は、かなり減って来てはいますが、依然として(2015年の統計によれば)、アメリカ、イギリスに次いで、世界で3番目に、 ゴルフ場(golf course)が、たくさんある国で(日本の、ゴルフ場(golf course)の数は、イギリスの85%位)、日本のゴルフ場(golf course)の数は、カナダ、オーストラリアを上回り、ドイツの約3.2倍、(経済成長が著しい)中国の5倍以上、イタリアの8倍以上、ロシア (Russia)の10倍以上、ブラジルの19倍以上あり、アジア・ロシア(Russia)・中東(Middle East)地域にある、全てのゴルフ場(golf course)の、約半分(約50%)が、日本にあります。もっとも、アメリカのゴルフ場(golf course)の数は、日本の6倍以上です(まあ、アメリカは、物質文明の化け物の様な物ですw
一方、スキー場の数に関しては、アメリカのスキー場の数は、おそらく、日本と、だいたい、同じ位で、日本は、アメリカと並び、世界で最も、スキー場が、 たくさんある国です。また、ゴルフ場(golf course)の数は、日本は、イギリスに負けますが(日本の、ゴルフ場(golf course)の数は、イギリスの85%位)、スキー場の数は、日本が、イギリスの、40倍以上となっている様ですw。
私は、スキー(skiing)は、子供の頃から、よくしていますが、ゴルフ(golf)は、興味がなく、ゴルフ(golf)はしません。ちなみに、私の両親は、ゴルフ(golf)を趣味としています。

日本山岳会(The Japanese Alpine Club):1905年に設立された、日本で最初の山岳会(wikiより)。
この本の序文は、著者以外に、稲田 昌植(inada masatane)(下の補足説明参照)を含む、二人が書いています。
稲田
昌植(inada masatane):当時の、全日本スキー(ski)連盟(Ski Association of
Japan)名誉会長。1890年生まれ、1968年に亡くなる。日本の、農業学者、政治家(貴族院議員)(1947年に貴族院が廃止されるまで。。。)、貴族(男爵)(第二次世界後間もなくまで。。。第二次世界大戦後、間もなく、貴族制度は、廃止。。。)。貴族(男爵)の家に生まれる。1912年、現在の北海道(hokkaido)大学の前身の大学に在学中、大学にスキー部(ski
club)を設立(日本初の、大学のスキー部(ski
club))。1920年、現在の東京外国語大学の前身の高等教育機関の教授となり、その後、東京農業大学の教授となる。1925年、全日本スキー(ski)連盟(Ski
Association of
Japan)の初代会長に就任。また、同年、貴族院議員に選出され、1947年5月に貴族院が廃止されるまで在任。第二次世界大戦後は、日本大学の教授となる。wikiを参考にしました。
以下、日本スキー(skiing)発展歴史2からの続きです。。。
この本においては、1931年から、この本が、発行された1936年までを、日本における、(近代)スキー(skiing)の飛躍時代としています。
日本では、スキージャンプ競技(Ski
jumping)の競技場は、(1920年代末以前にも造られていましたが)、1920年代末頃から、北海道(hokkaido)(日本の最北端の地方)を中心として、本格的な物が、次々と建てられました。日本は、(その近代スキー(skiing)の歴史からすれば)、スキージャンプ競技(Ski
jumping)のインフラ(infrastructure)に関しては、比較的、早い時期から、熱心に整備した様です。その為か、スキージャンプ競技(Ski
jumping)は、国際大会において、日本が、伝統的に、得意とする、スポーツ(sports)の一つとなっています。1972年に札幌(sapporo)(北海道(hokkaido)最大の都市)で開催された札幌(sapporo)冬季オリンピック(冬季Olympics)(下の補足説明参照)においては、スキージャンプ(Ski
jumping)70m級(現在のノーマルヒル(normal hill))では、笠谷 幸生(kasaya yukio)が1位、金野
昭次(konno akitsugu)が2位、青地 清二(aochi seiji)が3位と、日本人選手が表彰台を独占しました。
札幌(sapporo)冬季オリンピック(Olympics):1972年に、日本の札幌(sapporo)で、開催された、第11回の冬季オリンピック(冬季Olympics)。ヨーロッパの国々とアメリカ合衆国以外で行われた最初の冬季オリンピック(冬季Olympics)。韓国を含む35の国が参加。元々、1936年に開催された、ベルリン(Berlin)夏季Olympics(ドイツで、最初に開催された、夏季Olympics)に続いて、アジアで、最初の(且つ、ヨーロッパの国々とアメリカ合衆国以外で、初めての)、夏季Olympics(第12回、夏季Olympics)として、1940年に開催される予定であった、東京夏季Olympics(戦争の影響により中止)同様、札幌(sapporo)冬季オリンピック(Olympics)も、元々、1936年にドイツのガルミッシュ=パルテンキルヒェン(Garmisch-Partenkirchen)で行われた、第4回、冬季Olympicsに続いて、アジアで、最初の(また、ヨーロッパの国々とアメリカ合衆国以外で最初の、且つ、フランス、スイス、アメリカ、ドイツに次いで、世界で、5番目の)冬季オリンピック(冬季Olympics)として、1940年に開催される予定であったが、戦争の影響により中止された。

この本の写真から。。。第3回、冬季オリンピック(冬季Olympics)(アメリカ、Lake
Placid。17ヶ国が参加)の、日本代表スキー(skiing)選手一行。1932年。日本は、冬季オリンピック(冬季Olympics)は、第2回(1928年)(スイス、St.
Moritz。25ヶ国が参加)から選手を送っています。第1回、冬季オリンピック(冬季Olympics)(1924年。フランス、Chamonix。16ヶ国が参加)にも、日本は、選手派遣を検討していましたが、関東大震災(1923年に、東京圏を襲った、巨大な地震。東京圏(特に東京や横浜の都心部)を中心に甚大な被害が出た)の被害が甚大なのを考慮して派遣を見送りました。ちなみに、前述の通り、1936年にドイツのガルミッシュ=パルテンキルヒェン(Garmisch-Partenkirchen)で行われた、第4回、冬季Olympics(日本を含む、28ヶ国が参加)に続く、第5回の冬季オリンピック(冬季Olympics)は、日本の札幌(sapporo)で開催される予定でしたが、戦争の影響により中止されました。
日本では、第2回、冬季オリンピック(冬季Olympics)(1928年))において、日本が初めて、冬季オリンピック(冬季Olympics)に参加した時から、第3回、冬季オリンピック(冬季Olympics)(1932年)位までの間、それまで、大学生、及び、金持ちの若い層にしか、多く行われていなかったスキー(skiing)が、大衆化の一歩を踏み出しました(なお、この本で言う、スキー(skiing)の大衆化とは、あくまで、スキー(skiing)が、日本の比較的裕福な層(中流階級以上の人々)の間で、多く行われる様になったと言う事で、スキー場(ski
resort)周辺の地域は別として、庶民層・低所得者層を含む、日本の、あらゆる層の人々が、娯楽として、一般的に、スキー(skiing)を楽しむ様になったと言う事ではないと思います(日本において、スキー(skiing)が、真に大衆化した(庶民層等を含む、日本の、あらゆる層の国民が、娯楽の一部として、スキー(skiing)を、普通に楽しむ様になった)のは、1960年代以降(特に、1970年代以降)の事だと思います)。1930年代当時の日本は、アジアで唯一の資本主義工業国であり、また、世界の工業大国の一つではありましたが、資本主義工業国又は、資本主義的な工業国の中では、最も農業国的で、貧しく、後進的なグループ(group)に属していましたし、現在の日本よりも、貧富の格差が、ずっと激しかったので、例えば、当時の、都市の低賃金肉体労働者が、休日に、娯楽として、スキー場(ski
resort)に、スキー(skiing)を楽しみに行っていたとは、到底、考えられません(と言うか、この様な、当時の、都市の低所得者層の人々は、まともな休暇が取れていたのかすら分かりません。。。。))。
この当時、日本では、新興スキー場(ski
resort)の開拓、既存スキー場(ski
resort)施設の改善が、次々と行われ、スキー(skiing)ヒュッテ(スキーヤー(skier)の宿泊、休憩等の為の山小屋(lodge))が、次々と建てられ、鉄道スキー(skiing)客(休日に、鉄道を利用して、スキー(skiing)に出かける人々)が、激増(急激に増加)しました。
鉄道省(当時、鉄道行政を管轄した国家行政機関。日本の国有鉄道(1987年に分割民営化)を運営)は、従来、鉄道旅客(鉄道を使って旅行をする人々)の動きが、四季の中で、最も不活発になる、冬の閑散時期を、鉄道スキー(skiing)客(鉄道を利用して、スキー(skiing)に出かけるスキーヤー(skier))で、埋め合わせれば、幸いと、スキー(skiing)の大衆化の傾向を見ると、すぐに、各、日本の雪が多い地域の、スキー場(ski
resort)の開発、宣伝に努めると共に、それぞれ、人気のあるスキー場(ski
resort)において、ヒュッテ(スキーヤー(skier)の宿泊、休憩等の為の山小屋)や、ホテルを経営し、早い所では、1920年代後期頃から、スキーヤー(skier)の為の、割引列車の運行を開始しました。この事から、鉄道を利用して、スキー(skiing)に出かける人々が、激増しました(急激に増加しました)。
この本においては、1930年代半ば当時の、スキー(skiing)客(鉄道を利用して、スキー(skiing)に出かける人々)の為の割引列車が設定されているスキー場(ski resort)として、日本国内の、42のスキー場(ski resort)が挙げられています。
なお、第二次世界大戦前においては、日本では、自家用車(自家用自動車)は、通常、金持ち・富裕層の家庭でしか保有していなかった為(また、全ての、富裕層の家庭が、自家用車(自家用自動車)を保有している訳でもありませんでした)、自家用車(自家用自動車)による、スキー(ski)旅行(と言うか、自家用車(自家用自動車)による旅行)は、一般的ではありませんでした。当時、自家用車(自家用自動車)を保有している家は、多くの場合、専属の運転手(driver)を雇っていました。逆に言えば、当時の、日本においては、自家用車(自家用自動車)を保有していた家庭は、通常、専属の運転手(driver)を雇える程の、金のゆとりのある家庭であったと言う事です(若者・比較的若い層の一部は、専属の運転手(driver)を雇わないで、自家用車(自家用自動車)を保有していましたが、その場合は、たいてい、親(実家)が、専属の運転手(driver)を雇って、自家用車(自家用自動車)を保有している、金持ちでした)。
この本では、鉄道を利用した、当時の、スキー(ski)旅行の盛況ぶりを、以下の様に描写しています。「近頃では、スキー(skiing)客(鉄道を利用して、スキー(skiing)に出かける人々)専用の列車まで仕立てられ、人気のスキー場(ski
resort)においての年末年始等は、一列車毎から、おびただしい(ものすごい)量の、スキーヤー(skier)群が、吐き出される程の盛況ぶりを呈するに至った」。
また、この本では、「近年は、また、スキー場(ski
resort)のゲレンデ(ski slopes)におけるスキー(skiing)が、終に、大衆から飽きられ、backcountry
skiingへの傾向が段々と濃厚になるにつれ、スキー・トレール(ski
trail)の開拓が、だんだん目覚しい物となりつつある」とも書かれています。
この本では、当時の、日本のスキー・トレール(ski
trail)の例として、東京都心部の我が家から自動車で2時間半程の、長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の中南部の高原地帯(避暑地)にある、私の別荘(別荘とは、言っても、比較的裕福な人々が保有する様な、典型的な別荘ではなく、庶民的な中古の一戸建て住宅です)周辺のスキー・トレール(ski
trails)も、紹介しています(ちなみに、長野(nagano)県(日本の代表的な、スキー場(ski
resort)地帯の一つ)には、スキー場(ski resort)が多くありますが、私の別荘周辺も例外ではなく、スキー場(ski
resort)が多くあります)。ここでは、この本で紹介されている、私の別荘周辺のスキー・トレール(ski
trails)の中から、山浦温泉スキー・トレール(ski trail)を紹介しておきます(この、スキー・トレール(ski
trails)は、現在も存在しているのか、ちょっと分かりません。私は、backcountry skiingは、やらないので。。。)。
私の別荘周辺に関しては、この投稿を、参照して下さい→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_26/view/id/96904/page/4?&sfl=membername&stx=jlemon
山浦温泉スキー・トレール(ski
trail):距離は、霧ヶ峰(kirigamine)スキー場(ski
resort)バス(bus)の終点から、22km。途中、12kmの地点に、蓼山小屋(山小屋。lodge)があり、宿泊の施設がある。山浦温泉(現在の、蓼科(tateshina)温泉の事だと思います)には、親湯(shinyu)、瀧湯(takinoyu)、高原ホテル、ミユキ(miyuki)、小斉(kosai)の、宿泊施設がある。ここから、さらに、スキー(skiing)で、6km下れば、湯川(yugawa)に至り、バス(bus)により、鉄道の茅野(chino)駅に達す。
高原ホテルと、ミユキ(miyuki)は、現在も、存在(営業)しているのか、存在(営業)しているとしたら、現在の、どのホテル・旅館に当たるのかわかりませんが、親湯(shinyu)、瀧湯(takinoyu)(現在の滝の湯(takinoyu)。1923年創業。温泉旅館とリゾート(resort)ホテル両方の要素を持つ宿泊施設)、小斉(kosai)(現在の小斉(kosai)の湯)は、現在も、存在(営業)しています。ただし、小斉(kosai)(小斉(kosai)の湯)は、現在は、旅館としての営業は、行っておらず、温泉施設として営業をしています。
瀧湯(takinoyu)(現在の滝の湯(takinoyu))に関しては、この投稿を、参照して下さい(この投稿に出ている、温泉宿泊施設が、瀧湯(takinoyu)(現在の滝の湯(takinoyu))です)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_24/view/id/62207/page/5?&sfl=membername&stx=jlemon
小斉(kosai)(現在の小斉(kosai)の湯)は、別荘周辺で、お気に入りの温泉施設の一つとなっています。
小斉(kosai)(現在の小斉(kosai)の湯)に関しては、この投稿を、参照して下さい(この投稿に出ている、温泉施設が、小斉(kosai)(現在の小斉(kosai)の湯))です)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_24/view/id/62146/page/6?&sfl=membername&stx=jlemon
親湯(shinyu)は、私の別荘周辺にありますが、個人的に、お気に入りの宿泊施設の一つとなっています(別荘滞在中、時々、気分転換に、別荘の有る長野(nagano)県や隣接する山梨(yamanashi)県の、旅館やリゾート(resort)ホテル、ペンション等に一泊程度宿泊しています)。親湯(shinyu)は、リゾート(resort)ホテルと温泉旅館の両方の要素を持つ宿泊施設で、昔の面影は、ほとんど残っていませんが、長い歴史を有している様です。かつて、親湯(shinyu)には、大規模な温泉プール(swimming
pool)が有って、古橋 廣之進(furuhashi
hironoshin。第二次世界大戦後間も無くの頃、1940年代後半に、次々と世界記録を樹立した、日本の、有名な水泳選手)が、親湯(shinyu)に滞在して水泳の練習をした事が有るそうです。
写真以下4枚。少し、古い写真ですが、前にkjで、アップ(upload)した写真の再利用。

親湯(shinyu)のパンフレット(leaflet)の写真から。。。かつての、親湯(shinyu)の温泉プール(swimming pool)の写真(現在は、温泉プール(swimming pool)は有りません)。温泉プール(swimming pool)で遊んでいる女性が、ビキニ(bikini)水着を着ている様にも見えるので、少なくても1950年代以降に撮影された写真かな。。。
親湯(shinyu)のロビー(lobby)の一部。
写真以下2枚。親湯(shinyu)の温泉風呂の例。

パンフレット(leaflet)から。。

私が撮影した写真。
参考に、日本の温泉文化に関して、この投稿を、参照して下さい→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2436824?&sfl=membername&stx=jlemon
写真以下2枚。少し、古い写真ですが、前にkjで、アップ(upload)した写真の再利用。湯川(yugawa)にある温泉施設のパンフレット(leaflet)。この温泉施設も、別荘周辺で、お気に入りの温泉施設の一つとなっています。
話が、少し逸れてしまいましたが、1930年代後半には、日本で、志賀(shiga)高原ホテル(1937年開業。長野(nagano)県)、赤倉(akakura)観光ホテル(1937年開業。新潟(niigata)県(日本の中部地方の北端に位置する県。日本の、主要な、スキーリゾート(ski resort)場地帯の一つ))と、世界的に見ても、第一級の、高級スキーリゾート(ski resort)ホテルが、開業しました。
志賀(shiga)高原ホテルは、もう営業されていませんが、赤倉(akakura)観光ホテルは、現在も営業しています(現在は、世界的に見て、第一級の、高級スキーリゾート(ski
resort)ホテルかどうかは分かりませんが、現在においても、依然として、日本の代表的な、高級スキーリゾート(ski
resort)ホテルの一つである事は、変わりはない様です。なお、ホテルの建物は、一度、建て直されています(1965年に火災により焼失し、1966年に、焼失前の建物(創業時からの建物)を模した形で、建て直された))。赤倉(akakura)観光ホテルは、ずっと先の事でいいですが(高齢者になってからで良い。その頃も、個人的に、スキー(skiing)をやっているか分からないですがw)、一度は、宿泊してみたいホテルです。
この本においては、当時(1930年代半ば)の、日本の、57のスキー場(ski
resort)の略史(簡単な歴史)が書かれています(即ち、1930年代半ば当時、日本には、既に、少なくとも、57のスキー場(ski
resort)があったと言う事です)。内訳は、北海道(hokkaido)(日本の最北端の地方。日本を代表する、スキー場(ski resort)地帯の一つ)5、日本の東北地方(日本の主要なスキー場(ski resort)地帯の一つ)6(北海道(hokkaido)と東北地方の、スキー場(ski
resort)開発が、本格化したのは、第二次世界大戦後の事だと思います)、関東(kanto)地方(東京圏)(北部に、スキー(skiing)に適した山が多い)9、新潟(niigata)県・長野(nagano)県(日本最大のスキー場(ski
resort)地帯)23、その他が、14となっています。
ちなみに、前述の通り、現在の、日本は、アメリカと並び、世界で最も、スキー場が、たくさんある国であり、日本には、非常に多くの、スキー場(ski
resort)がありますが、北海道(hokkaido)(日本の最北端の地方)は、日本有数の、スキー場(ski
resort)地帯であり、日本を代表するスキー場(ski
resort)地帯の一つとなっています(北海道(hokkaido)は、日本の中部地方(長野(nagano)県と新潟(niigata)県が、含まれる)と並んで、日本を代表する、スキー場(ski resort)地帯であると言えます)。北海道(hokkaido)は、スキー場(ski
resort)の数こそ、日本の中部地方(日本最大の、スキー場(ski
resort)地帯)に、かなり負けますが(おそらく。。。)、雪質を含めた、スキー場(ski
resort)の、平均的な(全体平均の)質は、逆に、中部地方に、かなり勝っていると思います(北海道(hokkaido)の、スキー場(ski
resort)の、雪の質は、おそらく、世界でも、最上級であると思います)。
この本の序文を見ても、1930年代当時において、スキー(skiing)は、日本で、かなり広まっていた様です。
以下、「」内、この本の序文の要旨を、私なりに、まとめた物です。
「日本の近代スキー(skiing)は(原始的なスキー(ski)的用具は、古くから、ヨーロッパにも、日本にも、韓国にも、存在していた)、北欧の先進国に比べれば、まだ、半分の歴史しか持たないが、既に、大きく発達し、世界の強豪諸国と、比肩しうる地位に達している。(近代)スキー(skiing)は、既に、(日本)全国的に普及し、通信、交通、軍事、教育、娯楽、登山等、多方面で、取り入れられている。(日本で)、(近代)スキー(skiing)が、発達し、向上するにつれて、(日本では)、これに関する著書等は、相当多数にのぼっている。正確に比較したことはないが、あるいは、他のスポーツ(sports)よりも、はるかに多いと思われる(ほぼ、序文の原文のまま。。)。ただし、スキー(ski)技術に関する指導書、ガイドブック(guide
book)等は、多数に登っているのにも関わらず、日本のスキー(skiing)に関する、歴史的な文献や、発達史と言うべき物は、少なく、日本における、(近代)スキー(skiing)を、歴史的に回顧し、展望する文献については、未だに、見るに足るべき物が、一つも出版されていない現状にある(この本が、書かれ、出版されるに至った動機(経緯)。。。)。」
ちなみに、この本の後ろの方には、この本を出版した出版会社が、当時、出版していた、この本と同種の本の紹介があり、「東京付近のハイキング(hiking)」、「キャンピング(camping)の指導」と言った本が並んでおり、現在の日本において、一般大衆の間で身近な娯楽は、当時、日本の比較的裕福な層(中流階級以上の人々(中流階級・中上流階級(upper-middle
class)・上流階級))の間では、既に、かなり広まっていた様です。
第二次世界大戦後は、まず、日本の比較的裕福な層が、再び、スキー(skiing)を楽しみ始め、また、経済復興及び、急速な経済成長に伴い、1960年代頃から徐々に、また、1970年代頃から、本格的に、庶民層等を含む、日本の、あらゆる層の国民が、娯楽の一部として、スキー(skiing)を楽しむ様になりました(日本におけるスキー(skiing)の、真の大衆化)。
以下、参考投稿。
日本の自然の魅力→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_26/view/id/96914/page/4?&sfl=membername&stx=jlemon