ただいま私は掲示物に金ヒョンシック先生の雨のように音楽のように舞台映像が上って来ました.
(映像 22分 10秒から手始め)
作成者分がおっしゃるのを 88年舞台でもう首状態がたくさん壊れた状態なのでライブ代わりにアルバムに収録された歌を
リップシンクすることで取り替えたと言ったがユティユブで捜してみたら 88年度の雨のように音楽のようにライブ映像がここにありました.
個人的に美声だった活動創始期 (1978年‾1985年)よりはハスキーした声を誇った活動後半期 (1986年‾1989年の初め)の姿がずっと品位あったように見えて, 格好よいという気がします. ただ惜しい点があったら活動超にもお酒が好きだったがさまざまな状況たちが重なってお酒をもっとたくさん捜すようになって, ほとんど死ぬこと直前だった 89年‾90年にはお酒を飲まなければ歌を歌いにくいと親しいいくつかのジインブンドルに笑い話をなさるほどにお酒に対する依存度が高くなりながら声まで悪くなるようになったがむしろその時倒れる限りがいてもお酒をやめて, 今一度健康を取り戻して今の声を維持したら我が国に現存する最高のボーカリストにならなかっただろうかと言う気がします.
私の愛ネギョッエが収録された最後の 6集アルバムの販売量が 200万枚を記録しながら 91年大韓民国映像アルバム対象(現 ゴールデンディスク授賞式)でゴールデンディスク部門対象を受賞するようになったが当時にはもう先生が 故人になった後なので先生の御子息様とお母さんが大臣受賞をしました. 勿論, 私の年がその頃に生まれた年はいやなのでその映像はユティユブで編集されたことで見るようになったんですがその姿を見たらこの方が住んで直接受賞トロフィーを持って喜んだらオトヘッウルカする気がしますね.
事実上金ヒョンシック先生が生の終わりをどの位直感なさって録音した曲である愚痴という曲と(声は首がたくさん壊れた状態なので良くないがその中でプムオジョナオは生の苦痛と懐疑感がもっと目立つ感じです.)
最後のアルバムに収録された私の愛私のそばにという曲をあげます. 参照にこの歌はとけることがすべて完成にならないのでした. どうして録音が完了することがモッハヨッオッニャなら先生が録音をなさった途中世の中とお別れをなさるせいで死ぬこと直前まで完了しておいた録音本たちを持って難しくミキシングとマスタリングを経って出るようになったのです. 6集アルバム大部分の収録曲たちも似ているように製作されました.
当時録音をなさった最後の声です.
91年度大韓民国映像アルバム対象大賞受賞場面です.