kjのバグ(不具合)により、IEで、投稿の写真が見られない現象が生ずる様です。IEで、写真が見られない場合は、Firefoxで、ご覧下さい。
以下5つで、一つの投稿です。以下5つの投稿を、纏めて、ご覧下さい。
温泉旅館1→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/2551602?&sfl=membername&stx=jlemon
温泉旅館2(当該投稿)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/2551599?&sfl=membername&stx=jlemon
温泉旅館3→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/2551598?&sfl=membername&stx=jlemon
温泉旅館4→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/2551597?&sfl=membername&stx=jlemon
温泉旅館5→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/2551596?&sfl=membername&stx=jlemon
以下、「以下、温泉旅館1からの続きです」と言う文までは、前回の投稿と重複する文です。前回の投稿を、ご覧になられた方は、飛ばして下さい。
かなり前の事になりますが(kjに投稿する事を前提に写真を撮って来たが投稿する機会を失っていた物)、2年弱程前(2016年の2月の下旬)に、箱根(hakone)にある、環翠楼(kansuirou)と言う、歴史の古い温泉旅館に、彼女と宿泊して来た時の物です。
箱根(hakone)(東京圏の、南西端部に位置する)は、日光(nikko)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地です(箱根(hakone)は、日本有数の温泉地となっています)。今まで、箱根(hakone)には、何度も訪れています。
箱根(hakone)に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。
箱根(hakone)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_1/view/id/2477616?&sfl=membername&stx=jlemon
環翠楼(kansuirou)は、箱根(hakone)を代表する、歴史のある高級温泉旅館の一つとなっています。客室数は、22部屋と、比較的、客室数の少ない温泉旅館で、建物の規模の割には、客室数が少ない温泉旅館です。
環翠楼(kansuirou)は、個人的に、いつかは、一度、宿泊してみたいと思っていた温泉旅館で、この時、初めて、宿泊しました。
この時は、ゆっくり長い時間、温泉旅館(環翠楼(kansuirou))を味わう事を目的として、箱根(hakone)を訪れました。前述の通り、今まで、箱根(hakone)には、何度も訪れている為、箱根(hakone)を訪れたからと言って、必ず、いつも、箱根(hakone)を、色々と回ると言う訳ではなく、この様な(温泉旅館等に宿泊し、温泉旅館等の滞在を、ゆっくりと楽しむ事を主目的とした)、箱根(hakone)の訪れ方をする場合もあります。
箱根(hakone)areaには、多くの、温泉保養地がありますが、環翠楼(kansuirou)は、塔之沢(tounosawa)と言う温泉保養地にあります。
環翠楼(kansuirou)は、1614年に創業した、箱根(hakone)の塔之沢(tounosawa)areaにある温泉旅館で、箱根(hakone)を代表する、歴史のある高級温泉旅館の一つとなっています(ちなみに、現代においては、箱根(hakone)には、環翠楼(kansuirou)よりも、高級な、新しい、温泉旅館・温泉リゾート(resort)ホテルは、少なくありません(かなりあります))。
環翠楼(kansuirou)は、今まで、数多くの、政治家や、有名な文化人・小説家、宮家(miyake)(天皇の親族)等が、お気に入りの温泉旅館として、よく、宿泊して来た温泉旅館です。
以下、温泉旅館1からの続きです。
以下、参考に、しばらく、日本の女性に関する文化等の説明です。
16世紀当時の、ヨーロッパが、あまりに女性の地位が、低く、又、宗教(キリスト教)に縛られて、性(sex)に関して、あまりに保守的であったからかもしれませんが、16世紀の当時、日本は、ヨーロッパに比べて、相対的に、非常に、女性の地位が高く、又、性(sex)に関して、開放的であった様です。
以下、「」内。今から400年以上前の、16世紀に、日本を訪れた、ポルトガル(Portugal)人の宣教師、Luís Fróis(1532年生まれ。1597年に亡くなる)が、当時の、日本の女性について、書いた文です。
「ヨーロッパでは未婚の(結婚していない)女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であり、又、その純潔が犯されない、貞潔さである。日本の女性は、処女の純潔を、少しも重んじない(少しも、大切にしない)。日本では、それを欠いても(女性が、処女を失っても)、名誉も失わなければ、結婚もできる」。
「ヨーロッパでは、娘や処女を、(家に)閉じこめておく事は、極めて(非常に)大事な事で、厳格に行われる。日本では、娘たちは、両親に断りもしないで(両親に、良いかどうか聞きもしないで・両親に、何も言わずに)、一日でも数日でも、一人で、好きな所へ出かける」(この、出かけると言う事は、おそらく、一人旅等の、通常の外出に加えて、交際している男性と会い、sexする事も、含まれると思います)。
「我々(ヨーロッパ)においては、女性が文字を書く事は、あまり普及していない。日本の貴婦人においては、もしその心得がなければ(女性が、文字を書く事が出来なければ)格が下がる物とされる」。
ちなみに、世界最古の(世界で、最も古い)、小説、世界最古の(世界で、最も古い)、近代式の、小説、世界最古の(世界で、最も古い)、心理小説(psychological
novel)とも言われる、源氏(genji)物語(上流階級の、恋愛等を描いた、長編の小説で、概ね、100万文字・22万文節、400字詰め原稿用紙で約2400枚に及ぶ、およそ500名近くの人物が登場し、70年余りの出来事が描かれた(wikiを参考にしました)、長編の小説)は、紫式部(murasaki
shikibu)(11世紀初め頃に活躍していた、日本の、富裕層の(下級の貴族出身の)、女性、小説家)によって、11世紀初めの、日本で、書かれました。
「ヨーロッパでは、財産は夫婦の間で共有である。日本では、妻と夫が、それぞれ、自分の分(それぞれ、自分の財産)を所有している。(日本では)、時には、妻が夫に、(お金を)高利で(高い利子を付けて)貸し付ける」。
「ヨーロッパでは、妻は夫の許可がなくては、家から外へ出る事が出来ない。日本の女性は夫に知らせず(夫に、何も言わないで)、好きな所に行く自由を持っている」(これは、おそらく、通常の外出に加えて、不倫(furin)(結婚しているのに夫以外の男性と交際する事)相手の、男性と会い、sexする事も、含まれると思いますw)。
「ヨーロッパでは、女性が葡萄酒(wine)を飲む事は非礼(礼儀がない事)とされる。日本では、女性の飲酒(お酒(アルコール
(alcoholic)飲料)を飲む事)が、非常に頻繁であり、(女性は)、祭礼(祭り)においては、たびたび(頻繁に)、酩酊(泥酔)するまで(非常に酒に酔うまで)、お酒(アルコール
(alcoholic)飲料)を飲む」。
「ヨーロッパでは、妻を離別する(離婚する)事は、最大の不名誉である。日本では、意のままに(自由に)、いつでも離別(離婚)する。(日本では)、妻は、その事(離婚)によって、名誉も失わないし、又、結婚もできる(再び、結婚も出来る)」。
「ヨーロッパでは、夫が妻を離別する(夫の意志・希望で離婚する)のが普通である。日本では、しばしば(頻繁に)妻が夫を離別する(妻の意志・希望で離婚する)」。
日本は、伝統的に(中世の頃から江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)までは)、国王(日本で言えば天皇)を中心とした中央集権国家ではなく、地方分権国家であり、また、日本も、伝統的に、儒教の影響はあったものの、韓国に比べると儒教の影響は少なく、形式上は、商人と職人が軽視される事はあっても、実質上は、商人と職人が軽視される事はありませんでした。
その事から、日本は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)には、国王(日本で言えば天皇)のいる首都以外の、都市も発展しました(首都以外の大都市も発展し、又、それぞれの地域の地方領主の城(castle)がある都市等を中心として多くの地方都市が誕生しました)。また、日本の各地域の地方領主は、それぞれ統治している地域の財政・経済の為、それぞれの地域の、特産物(地域特有の産物)の生産を奨励しました。また、前述の通り、日本は、実質上は、商人と職人が軽視される事はなかったので、近代化前の社会としては商業が発展し、商人等が富を蓄えて、近代化の前から、都市において、大衆が消費をするという文化が形成されました。
この様な事は、大衆に対する初等教育の普及によって、当時としては、世界的にとても高かった、日本の識字率と共に、19世紀後期以降に、日本が近代化を行う際の基盤になった様な気がします。
以上の様な事から、日本においては、伝統的に、宮廷料理(超高級料理)と、庶民の料理以外の、高級料理・大衆高級料理と言ったような物も、発達し洗練されて来ました。また、日本は、伝統的に、各地域(各地方)の、食べ物や工芸品等の、産物・名品が、発達し洗練されて来ました。
個人的に、近代以降(19世紀後期以降)、日本が、西洋の文化を違和感なく取り入れて、自国の文化に組み入れてしまう事が出来たのは、日本は、近代化前の、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)において、既に文化的には、同時代のヨーロッパと同程度(場合によっては、それ以上に)洗練され、完成されていたからであると思います。極端に、表現すれば、日本の伝統的な文化と西洋の文化は、(少なくとも、表面的には)、異質な物であるのにも関わらず、近代化の前の、19世紀の半ばにおいて、日本は、既に、文化的には、当時の、ヨーロッパと同程度か、場合によっては、それ以上の水準にあった為、日本は、ヨーロッパの国が、他のヨーロッパの国の文化を取り入れるのと同様の感覚で、西洋の文化を取り入れる事が可能であったのだと思います。
また、日本が、西洋以外の国々の中で、早い時期に、近代化に成功した理由としては、近代化前の、19世紀中期において、(当時としては)基礎的な教育の普及により、女性を含めて、当時の、ヨーロッパに比べて、遥かに(ずっと)識字率が高かった事、近代化前の、19世紀中期において、当時の、近代化していない社会としては、商業が、とても発達しており、都市において、大衆が消費をすると言う、文化が出来ていたと言った事があると思います。
以下、「」内。Rutherford Alcock(1809年生まれ。1897年に亡くなる。イギリスの外交官。1859年に、日本に赴任)が、19世紀中期当時の、日本について書いた文です。
「すなわち、彼等の(日本人の)文明は高度の物質文明であり、全ての産業技術は、蒸気の力や機械の助けによらずに到達することが出来る限りの完成度を見せている」。
「全ての職人的技術においては、日本人は問題なしに、非常な優秀さに達している。(日本人は)、磁器・青銅製品・絹織り物・漆器・冶金一般や、意匠と仕上げの点で精巧な技術をみせている製品に関しては、ヨーロッパの最高の製品に匹敵するのみならず、それぞれの分野において、我々(ヨーロッパ人)が模倣したり、肩を並べる事が出来ないような品物を製造することが出来ると言う事をなんのためらいもなしに言える」。
以下「」内、1870年から1874年に日本に滞在した、William Elliot Griffis(1843年生まれ。1928年に亡くなる。アメリカ人の、牧師・東洋学者)が、1870年代当時の、日本の女性について書いた文です。
「日本の男性は、他のアジア諸国ほど、女性に横柄でなく、女性に対して、むしろ、鄭重である(扱い等が、心がこもっていて、礼儀正しく、手厚い)」。
「アジア的生活の研究者は、日本に来ると、他の国と比べて、日本の女性の地位に、大いに満足する。ここでは(日本では)、女性が、東洋の(アジアの)他の国で観察される地位よりも、ずっと尊敬と思いやりで待遇されているのがわかる。日本の女性は、より大きな自由を許されていて、そのため、より多くの尊厳と自信を持っている」。
「欧米諸国の女性と比べ、標準的に見て、日本の女性は美しい物への、あの優雅な趣味では、全く同等の資格があり、服装や個人の装身具においても、よく似合って見える。また、礼儀作法が女性らしく上品である事でも引けを取らない。美(美しさ)、秩序、整頓、家の飾りや管理、服装や礼儀の楽しみを、生まれながらにして愛する事では、一般に、(世界で?)、日本女性に、勝る女性はない」。
日本の文化は、過去と現在で、変化する一方で、ある程度、強い、連続性も有しています。日本においては、変わる物と、変わらない物が、自然と調和しながら、日本の個性を形成しています。日本の文化は、例外もありますが、基本的には、古い物の否定の上に、新しい文化が成り立つのではなく、古い伝統的な文化と先端的な文化が、同程度の洗練性と価値を持って(まあ、洗練されているかしないかと判断するのは、個人の主観の問題ですが。。。)、時には、調和しながら、自然と(違和感なく)、並列的に存在していると言う点に特徴があると思います。まあ、ヨーロッパとアメリカも似たような部分がありますが、日本の場合、そのような傾向が、より顕著なような気がします。
以下、参考の投稿。
東京国立博物館4→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_14/view/id/2516516?&sfl=membername&stx=jlemon
日本の温泉文化→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_14/view/id/2551936?&sfl=membername&stx=jlemon
現在の環翠楼(kansuirou)の建物は、基本的に、1884年に建てられた建物で、1919年に、増築された物です。
写真以下。環翠楼(kansuirou)の建物の内装例の続きです(環翠楼(kansuirou)の建物の内装例に関しては、「温泉旅館1」も、参照して下さい)。
この時、館内に、飾られていた、古い、雛(hina)人形。雛(hina)祭りは、女の子の、健康な成長と、幸福を願う、日本の、伝統的な祭りで、日本全国的な、祭りです。日本では、毎年、3月3日は、雛(hina)祭りと言われる、女の子の日(ちなみに、男の子の日は、5月5日)で、伝統的に、雛(hina)祭りの時期(3月3日及び、その前後)には、女の子のいる家庭では、一般的に、雛(hina)人形と言う、華やかな人形を飾ります。
写真以下3枚。この時、旅館の館内に展示・飾られていた、物の例。
雛(hina)人形。
写真以下2枚。羽子板(hagoita)。以下、羽子板(hagoita)及び、羽根突き(hanetsuki)に関しては、wiki等を参考にしました。羽子板(hagoita)は、羽根突き(hanetsuki)(下の補足説明参照)に使う道具です。羽子板(hagoita)は、日本で、伝統的に、正月(年末)に、魔除けの意味も込めて、女性に、贈られます(女性に、プレゼントされます)。羽子板(hagoita)は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)になると、正月(年末)に、裕福な商人の家や、侍(samurai)の家の、娘・女性等に贈るための、金箔、銀箔を施した高級品も現れ、幕府(当時の日本の中央政府)が華美な羽子板(hagoita)の販売を禁止したり、製造について制約を課すなどの干渉をする事もありました。
羽根突き(hanetsuki):日本で、伝統的に、主に、正月に、女性(主に子供の女性と若い女性)の間で、よく行われている、遊びで、バドミントン(badminton)を、優雅に(elegant に)した様な、遊び。日本で、8世紀から、上流階級の女性の間で行われていた女性の遊びが進化をした遊びで、14世紀から15世紀頃から行われている遊び。14世紀から16世紀においては、主に正月に、主に貴族の間で、男女対抗戦で行われ、勝った方が、酒を振舞ったとされる(この時代の、羽根突き(hanetsuki)は、女児(女の子)の、無病息災(病気等をせずに健康に育つ事)の願いが込められた、遊び・儀式でもあった)。江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)になると、主に、正月に、女性(主に子供の女性と若い女性)の間で、よく行われる、遊びとして、大衆・庶民の間にも広まった。また、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)には、侍(samurai)階級の家の間で、女の子の誕生を祝って、豪華な装飾を施した、羽子板(hagoita)を贈答する習慣が広まり、これが大衆・庶民にも伝わり、日本で、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)から、女児(女の子)のいる家庭に、縁起物の贈り物として、年末に、豪華な装飾を施した、羽子板(hagoita)が贈られるようになった。
これは、参考に。。。写真は借り物(写真の作者:
katorisi)。日本で、伝統的に、女の子が生まれた家庭に、贈られる、豪華な装飾が施された、飾り用の、羽子板(hagoita)。日本で伝統的に、女の子がいる家庭で、正月に家に飾られる。
以下、参考投稿。
日本の女性に関する文化に関する投稿→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_14/view/id/2507535?&sfl=membername&stx=jlemon
日本は、本来、森の国です。
日本の国土の約70%が森林(森)に覆われており、日本の国土に占める森林(森)の割合は、フィンランド(Finland)、スウェーデン(Sweden)と並び、先進工業国の中だけでなく、世界でも、最高水準に有ります(世界平均は、約30%)。国土に占める森林(森)の割合は、カナダでも、30%台半ば(日本の約半分の割合)位、アメリカ、ドイツ、イタリア、スイス、ニュージーランド、ノルウェーは、世界平均(約30%)程となっています。また、先進国の中でも、イギリスや、オーストラリアは、国土に占める森林(森)の割合が、非常に低い(世界平均を、はるかに下回る)国となっています。ちなみに、韓国の、国土に占める森林の割合は、日本と、一部の北欧諸国(フィンランド(Finland)とスウェーデン(Sweden))に次ぐ水準にあります。
この事から、日本は、建築は、伝統的には、木造の建築が主流となっています。
写真以下30枚(途中、日下部 鳴鶴(kusakabe meikaku)の写真を除く)。旅館の広間(hiroma)。奇跡の木材とも言われる1,000年以上のあいだ地中や水中に埋もれていた杉材等、とても高級な木材を使用して造られています(旅館の建物の他の部分同様、現在では入手することの出来ない又は入手する事が難しい木材、また、コスト(費用)・手間等の観点から、現在では、民間の(利益を追求する個人営業の・民間企業の)旅館・その他の宿泊施設等の建築では、実現出来ない又は実現する事が難しい、伝統的な木造建築の工法等により造られています)。規模の大きな宴会(party)、結婚式、茶会(茶道(sado)(日本の伝統的な茶の儀式(茶を振舞う行為)。男女の間で行われている)の集まり)・句会(日本の伝統的な詩の集まり。男女の間で行われている)・花会(華道(kado)・生け花(ikebana)(日本の伝統的な、芸術まで昇華した室内に花を飾る行為。伝統的に、主に女性の間で行われている)の集まり等の男女の文化的な趣味・社交的な集まり等に使われる部屋です。この時、彼女と旅館の館内を散歩していたら(ちなみに、私は、古い建物に興味があります)、偶々(偶然)、廊下で、すれ違った、旅館の、(おそらく)支配人の方に、挨拶をされて、話しかけられて、その方と会話をしながら、仲良くなり、旅館の広間(hiroma)を案内して貰いました。ちなみに、まあ、この旅館、この時、初めて宿泊したのですが、私は、古い建物に興味があると言いながら、割と、無頓着な(いい加減な)性格で、仲良くなった、(おそらく)支配人の方に案内されるまでは、この旅館に、この様な部屋がある事は、知りませんでした。
写真以下2枚。梁 啓超(Liang Qichao)が、墨で描いた、文字。梁 啓超(Liang Qichao)(1873年生まれ。1929年に亡くなる)は、中国の、有名な、知識人・学者・ジャーナリスト(journalist)・政治家です。梁 啓超(Liang Qichao)は、19世紀末から1910年代初めにかけて、日本に亡命していましたが、梁 啓超(Liang Qichao)は、おそらく、日本に亡命中に、環翠楼(kansuirou)を、お気に入りの温泉旅館として、よく宿泊していたのでしょう。
写真以下2枚。下から、広間(hiroma)に、料理等を運ぶ、リフト(荷物専用のエレベーター)です。
参考に、写真は借り物。日下部 鳴鶴(kusakabe meikaku)。日下部 鳴鶴(kusakabe meikaku)(1838年生まれ。1922年に亡くなる)は、日本の、有名な、書家(日本の伝統的な書道家(calligrapher))です。日下部 鳴鶴(kusakabe meikaku)は、明治(meiji)時代(1868年から1912年)の、日本の、三大、書家(日本の伝統的な書道家(calligrapher))の一人とも言われ、日本の、近代、書道(Japanese calligraphy)の確立者の一人と言われれています(wikiを参考にしました)。
向こうに、天井近くに飾ってある、文字は、日下部 鳴鶴(kusakabe meikaku)が、墨で描いた字です。日下部 鳴鶴(kusakabe meikaku)は、おそらく、環翠楼(kansuirou)を、お気に入りの温泉旅館として、よく宿泊していたのでしょう。
写真以下12枚。宿泊者の共用場所(宿泊者が、自由に寛げる場所)。
写真以下4枚。喫煙室(smoking room)。
写真以下2枚。この温泉旅館の、バー(bar)。旅館の、パンフレット(leaflet)より。。。
温泉旅館3へ続く。。。