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家族が仲が良過ぎて結婚出来ない女性前編からの続きです。
家族が仲が良過ぎて結婚出来ない女性前編は、以下です。
家族が仲が良過ぎて結婚出来ない女性前編(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2565482?&sfl=membername&stx=jlemon
家族が仲が良過ぎて結婚出来ない女性前編(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2565482?&sfl=membername&stx=jlemon
以下、おまけで、家族が仲が良過ぎて結婚出来ない女性に関連して、日本の、晩春(Late Spring)と言う映画について紹介します(過去に行った、晩春(Late Spring)に関する投稿に、新たな内容を付け加えた物です)。
以下、しばらく、参考に、原 節子(hara setsuko)について説明します。
原
節子(hara setsuko)(1920年生まれ)は、1930年代中期から1960年代初め頃にかけて活躍していた、日本の女優です(原
節子(hara setsuko)は、特に、1940年代後期から1950年代にかけて、日本を、代表する女優の一人として活躍しました)。原
節子(hara
setsuko)は、(それ以降、年老いて行く姿を、見せたくなかったのか)、理由は、よく分かりませが、1963年(40代の前半で)、女優を引退し、それ以降、表舞台(芸能界)からは、完全に姿を消しました。ちなみに、小津
安二郎(ozu yasujiro)(後で説明します)が亡くなったのは、1963年ですが、小津 安二郎(ozu yasujiro)の死と、原
節子(hara setsuko)の引退は、何等かの関係があるのか、無いのかは、謎となっています。原 節子(hara
setsuko)は、引退以降、近年(2015年に)、95歳で亡くなるまでの、多くの時期を、鎌倉(kamakura)(後で説明します)の、静かで、落ち着いた住宅地にある家で、ひっそりと暮らしていた様です(ちなみに、原
節子(hara
setsuko)は、維持費もかかるし、もう不要と考えたのか、1994年に、狛江(komae)市(東京都心部に近い、東京の西部郊外)の、かつての、主な自宅(主な自分の家)(敷地面積、約2,900平方m(約900坪))を、売却しています。もう一つ、ちなみに、原
節子(hara setsuko)は、生涯、独身でした)。
写真以下8枚(写真は、借り物)。原
節子(hara setsuko)。原 節子(hara
setsuko)は、美人ですが、(10代の頃は除いて)、女優としては、顔は、大きいと思いますw(一般的に、舞台(演劇)、俳優・女優は、顔が大きい方が良いと考えられていると思いますが、映画・TVドラマ、俳優・女優は、顔が小さい方が良いと考えられていると思います。ちなみに、原
節子(hara setsuko)は、(主に)映画女優です)。原 節子(hara
setsuko)は、身長は、165cmであった様ですが、現在の、身長165cmの、日本の女優は、もっと、顔が小さいと思います。
原
節子(hara
setsuko)は、少女の頃から(少女女優として活動を行っていた頃から)、1963年に、女優を引退するまで、100本以上の映画に出演しましたが(おそらく。。。)、(私は、原
節子(hara setsuko)が、出演した映画を、全て、見ている訳ではないので、間違っていたら、申し訳ありませんが)、原 節子(hara
setsuko)は、映画において、貧しい家の女性の役を演じる事が、少なかった一方で、上流階級・金持ちの家の女性の役を演じる事も、少なく、主に、中流階級(中産層)・大衆層の、女性の役を演じていた女優でした(個人的に、原
節子(hara setsuko)は、特に、後で、紹介する、「晩春(Late
Spring)」での、役柄の様な、保守的で、つましい(質素な)、インテリ(知識人)、中流階級(中産階級)の家の、女性を演じさせたら、一流の(一級の)、女優であったと思います)。




1936年頃。原
節子(hara setsuko)は、右側で、当時16歳。左側は、黒田 記代(kuroda
kiyo)(1916年生まれ。1930年代から1940年代初め頃にかけて、活躍していた、日本の女優。第二次世界大戦後は、活動が、地味となる)。ビキニ(bikini)水着に比べれば、肌の露出は、少ないですが(ちなみに、現代に繋がる、ビキニ(bikini)水着は、第二次世界大戦後に生まれた物です)、現代の、日本の女優が、若い時に、水着の写真や動画を、発表(公表)するのと、同じ様な物だと思います。日本の、大衆文化は、今も、昔も、変わっていませんねw(今も昔も、日本の、全ての女優が、若い時に、水着の写真を、発表(公表)する訳ではありませんが。。。)。






写真は、借り物。戦争中の、日本の映画、「指導物語」(1941年)の場面より。。。原
節子(hara setsuko)は、写真中央。映画の監督は、熊谷 久虎(kumagai
hisatora)(1904年生まれ。1986年に亡くなる。1930年代から1950年代にかけて活動を行い、主として、1930年代から1940年代初め頃にかけて、活躍していた、日本の、映画監督)。以下、この映画の内容に関する説明は、基本的に、wikiから借りて来ました。映画の内容は、日本国有鉄道(1987年に、JRとして、基本的に、日本の地域別に、7つの鉄道会社に、分割、民営化される)の、年を取った、蒸気機関車(steam
locomotive)の、機関士(操縦者・運転士)と、日本の陸軍の、鉄道部門の、若い、蒸気機関車(steam
locomotive)の、機関士(操縦者・運転士)との、蒸気機関車(steam
locomotive)の、運転の指導を通じた、心の交流と、日本の陸軍の、鉄道部門の、若い、蒸気機関車(steam
locomotive)の、機関士(操縦者・運転士)の、蒸気機関車(steam
locomotive)の、機関士(操縦者・運転士)として、人間として、成長して行く姿を描いた映画です。戦争中の映画であり、戦意高揚を担っている面も、少なくないものの、基本的には、題名通り、あくまで、蒸気機関車(steam
locomotive)の、運転の指導を通じた、日本国有鉄道の、年を取った、蒸気機関車(steam
locomotive)の、機関士(操縦者・運転士)と、日本の、若い、軍人(兵隊)との、交流を描いた作品です。当時、21歳であった、原
節子(hara setsuko)は、この映画において、日本国有鉄道の、年を取った、蒸気機関車(steam
locomotive)の、機関士(操縦者・運転士)の、娘の一人(三人姉妹の、長女)の役を演じています。
「安城(anjo)家の舞踏會」(1947年の、日本の映画)は、第二次世界大戦後、没落して行く、日本の、貴族(伯爵)の家を描いた映画です(脚本は、Anton
Chekhovの、「桜の園(The Cherry Orchard )」を下地とした物です)。監督は、吉村 公三郎(yoshimura
kozaburo)(1911年生まれ。2000年に亡くなる。1930年代から活動を行い、1930年代の終わり頃から、1960年代頃にかけて、活躍していた、日本の映画監督)。「安城(anjo)家の舞踏會」は、原
節子(hara setsuko)が、珍しく、上流階級の女性を演じた、映画です(原
節子(harasetsuko)は、この映画において、没落して行く、日本の、貴族(伯爵)の家の娘の役を演じた)。
第二次世界大戦後、没落して行く、日本の、貴族(伯爵)の家を描いた、1947年の、日本の映画、「安城(anjo)家の舞踏會」の、最後の場面です。没落を悲観し、拳銃(pistol)による、自殺を試みる、貴族(伯爵)の家の当主(父)と、それを止めようとする、その娘(原 節子(harasetsuko)が演じている)の、場面です。
ちなみに、第二次世界大戦前の日本は、当時のヨーロッパと同様、階級社会により、大きな貧富の格差が存在しており、第二次世界大戦前の、日本の、農村の小作人(低所得者層(lower
class)の農民)や、都市の低賃金肉体労働者(都市における、低所得者層(lower class))等の、低所得者層(lower
class)の生活は、実に悲惨なものでした。
当時の、日本は、現在の、日本よりも、貧富の格差が激しい、階級社会であり、庶民(working class)・低所得者層(lower class)は、物質的には、現在とは、比較にならない位、貧しく暮らしていました。
第二次世界大戦後は、貧富の格差を縮小させる為の、様々な法政策により(その内の一つに、高い相続税率がある)、日本の上流階級・富裕層は、没落して行きました(以前の様に、贅沢な暮らしが出来なくなりました)。第二次世界大戦前の日本は、もちろん、現在の日本よりも貧しく、日本の庶民(working
class)・低所得者層(lower
class)の人々は、物質的には、現在とは、比較にならない位、貧しく暮らしていましたが、日本の少女向けの漫画に出てくる金持ちの様なw生活をする日本の金持ちは、現在よりも、むしろ、日本が、世界の資本主義工業国又は資本主義的な工業国の中で、最も農業国的で貧しく後進的なグループ(group)に属していた、第二次世界大戦前に、多く存在していました。
第二次世界大戦前の日本は、階級社会(昔は、貧しい人々は、本当に、貧しかったし、庶民の、食生活・物質的な生活も、現代に比べると、遥かに(ずっと)、貧しかった)、現代の日本は、大衆社会(庶民が、豊かで、又、貧困層でも、福祉制度等により、自動車を保有し、ある程度の水準の、生活が保障されている)と言う違いもありますが、富裕層・上流層の暮らしは、昔の方が、豪華であったような気がします(こうした、近代以前(第二次世界大戦前の、階級社会)と、現代(第二次世界大戦後の、大量生産・大量消費社会)の、時代の、大きな流れは、一般的に、日本のみならず、他の先進国(アメリカ、ヨーロッパ等)でも、当てはまると思います)。
ちなみに、第2次世界大戦後、貴族、資本家、地主等の、日本の上流階級は、貴族制度の廃止、財閥の解体、地主や広い土地を持っている者に、従来よりも不利益となる制度改革等により、かなりの土地と財産を処分せざるを得なくなり、(以前の様に贅沢な暮らしが出来なくなり)、没落しました。このようにして、上流階級が、以前のように贅沢な暮らしが出来なくなった一方で、農村の小作人達は、東京・大阪・名古屋(nagoya)等の大都市や、地方都市に流入し、日本の都市化(urbanization)を引き起こすとともに、工場労働者や、サラリーマン(会社員)として、新しい都市庶民層を形成するようになりました。農村には、比較的、裕福な、自作農民が残った一方で、高度経済成長による大量生産・大量消費時代の到来により、都市庶民層の消費生活水準は、飛躍的に向上しました。このように、上流階級の没落と小作人の消滅、田舎の農民・都市庶民層の生活の向上の結果(また、第二次世界大戦後、第二次世界大戦前に比べて、大衆・庶民の、税金の負担が、軽減され、高所得者の、税金の負担が、とても、大きくなった事の影響も、大きいと思います)、日本は1970年代から1980年代には、西側先進国で、最も平等な国とまでいわれるようになりました。しかしながら、現在は、アメリカ型の競争社会になりつつ有り、再び、日本で貧富の格差が拡大しつつあります。
第二次世界大戦前の日本は、当時のヨーロッパと同様、階級社会により、大きな貧富の格差が存在しましたが(第二次世界大戦前の、日本の、農村の小作人や都市の低賃金肉体労働者等の低所得者層の生活は実に悲惨なものでした)、現在の日本は、アメリカ型の競争社会により、貧富の格差が、拡大しつつあります。イギリスやフランスは、現在でも、階級社会により、階級や学歴により、かなりの収入格差がありますが、第二次世界大戦後の、西ヨーロッパの国々は、手厚い福祉により、階級による収入格差による、生活水準格差を縮める努力をして来ており、そうした努力は、一定の成果を収めて来た様に思います。ちなみに、日本の、福祉は、アメリカと、西ヨーロッパの中間にあり、全般的に見て、アメリカよりは充実していますが、西ヨーロッパよりは、充実していません(個人の税金の負担も、アメリカよりは大きいが、ヨーロッパよりは、小さい)。
日本は、現在、お金持ちの、お金は、さらに増え、新しい(新興の)富裕層が増える、一方で、生活が苦しい、貧困層の人々が、増加していると言う問題があるものの、依然として、日本の国民の、大部分(富裕層・中流層(middle
class)・大衆層・庶民層((一般的な生活が苦しい、貧困層以外の)相対的な貧困層を含む。相対的な貧困層に含まれていても、(福祉・生活保護等も、含めて)、多くの人々は、一般的な生活が苦しいと言う程ではないと思います))は、世界的に見れば、かなり裕福な生活をしていると思います(もちろん、貧困の問題に関しては、経済政策・福祉政策等で、解決しなければならない問題であると思います)。
話が、脱線してしまいましたが、私は、原
節子(hara
setsuko)は、特に、ファン(fan)と言う訳でもなんでもないのですが(べつに、ファン(fan)と言う訳ではないのですが)、私は、個人的に、小津
安二郎(ozu yasujiro)(下の補足説明参照)の映画が好きで、原 節子(hara setsuko)は、小津 安二郎(ozu
yasujiro)の映画に、比較的、多く出演している事から、原 節子(hara
setsuko)は、映像を通じてw、比較的、馴染みのある女優です。
小津 安二郎(ozu yasujiro):1903年生まれ。1963年に亡くなる。1920年代後半から、1960年代初めに活躍。日本の世界的に有名な映画監督の一人。

写真は、借り物。小津 安二郎(ozu yasujiro)(日本の世界的に有名な映画監督の一人)。1933年。写真は、借り物。原 節子(hara setsuko)は、小津 安二郎(ozu yasujiro)の映画に、比較的、多く出演しています。
前述の通り、私は、個人的に、小津
安二郎(ozu yasujiro)の映画が好きなのですが、個人的に、小津 安二郎(ozu
yasujiro)の映画の中でも、一番、好きな映画は、地味な映画ですが(と言うか、そもそも、小津 安二郎(ozu yasujiro)は、黒澤
明(kurosawa
akira。1910年生まれ。1998年に亡くなる。日本の世界的に有名な映画監督の一人)等と異なり、人々の日常を舞台とした、地味な映画を特徴とする、映画監督です)、「晩春(Late
Spring)」(1949年)です。
以下2つの動画。「晩春(Late
Spring)」(1949年)。日本語が分かる方を除いて、何を言っているのか、分からなくて、申し訳ありません。この映画は、人々の心にも、人々の生活にも、第二次世界大戦の、傷跡が、残る、第二次世界大戦が終わって、間もない頃の(第二次世界大戦が終わってから4年後の)、1949年の、日本の映画(小津
安二郎(ozu
yasujiro)監督作品)です。映画の内容は、鎌倉(kamakura)(下で説明します。先に、鎌倉(kamakura)の説明を、ご覧になってから、映画を、ご覧になるのも、良いかと思います)に暮らす、保守的で、つましい(質素な)、大学の教授(理由は、分からないが(病気かな?)、妻は、既に亡くなっています)と、病気等により、当時としては、結婚が遅れた(27歳と言う設定)、その娘(原
節子(harasetsuko)が演じている)の、話(物語)です。
前半。
前述の通り、個人的に、小津
安二郎(ozu yasujiro)の映画の中でも、一番、好きな映画は、この、「晩春(Late
Spring)」なのですが、その理由の一つに、「晩春(Late Spring)」の登場人物達が、私の、身近な人々に重なると言うのがあります。
笠 智衆(ryu chishu)と言う、日本の俳優が演じる、保守的で、つましい(質素な)、大学の教授は、誰に対しても、めったに怒らない穏やかな紳士であった、亡くなった、私の母方の祖父に重なります。
私の母方の祖父に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。
母方の祖父の話(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2529434/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
母方の祖父の話(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2529434/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
原
節子(harasetsuko)が演じる、大学教授の娘は、亡くなった、私の母方の祖母に重なります。私の母方の祖母は、(大学から東京に出てきたものの)、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった女性です。私の母方の祖母は、東京のA学院大学と言う、キリスト教系の大学(私の母方の祖母が、卒業した時は、その前身の高等教育機関でしたが)を卒業した後、東京のキリスト教の教会に就職したものの、間もなく、私の母方の祖父と結婚、祖父と結婚した後は、アルバイトを含めて、一切、仕事した事がない、専業主婦であり、人生において、ほとんど社会人と言うものを経験した事がないまま亡くなりました。私の母方の祖母は、生涯、窓際で、白馬の王子様が、自分を迎えに来るのを、待ち続ける、夢見る少女の様な面を持った女性でした。私の母方の祖母は、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しました。母方の祖父は、良き(良い)夫でしたが、母方の祖母にとって、母方の祖父は、白馬の王子様としては、物足りない男性であった様ですw
原
節子(harasetsuko)が演じる、大学教授の娘の、元々、女学校(第二次世界大戦以前の日本における、女子(女性)向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学校と高校に当たる。第二次世界大戦以前の階級社会の日本において、主として、比較的裕福な、中流階級以上の家庭の娘(中流階級・中上流階級(upper-middle
class)・上流階級の、家庭の娘)が通った)の同級生(同学年・同じクラス)である、親友の女性(月丘 夢路(tsukioka
yumeji)と言う、日本の女優が演じています)は、我が家、及び、我が家の近所の実家の近所に暮らしていた、亡くなった、私の母方の祖母の姉の若い頃のイメージに重なります。私の母方の祖母の姉の性格は、私の母が、よく受け継いでいますw 私の母方の祖母の姉は、子供の頃から、ずっと、大人しかった、私の母方の祖母を、リードし、守る存在であった様です。この、私の母方の祖母の姉と、私の母方の祖母の関係は、調度、私の母と、私の母方の祖母の姉の、一人だけの子供である、私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの関係に重なります。私の母と、私の母の、女性の、いとこは、お互いに、同年代で、一人っ子(一人娘)同士で、また、子供の頃から、ずっと家が、近所同士である事から、幼い頃から、二人共、高齢者の年齢になる、現在に至るまで、ずっと、親友同志と言った感じで、現在に至るまで、よく、二人で、一緒に、遊びに出掛けていますが、私の母と、私の母の、女性の、いとこが、一緒に、遊ぶ時は、いつも、私の母がリードして、私の母が、お姉さん的な役割を担っている様です。
私の母方の祖母の姉は、(私の母方の祖母と同様)東京のA学院大学を卒業した後、結婚するまで、東京で事務員として働いていました(おそらく、OLの先駆けの様な存在であったと思います)。私の母方の祖母は、前述の通り、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しましたが、その際に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の、「この人が、真面目で、性格が優しそうで、お前に良さそうだから、お前は、この人と結婚しなさい」と言った感じの事に、そのまま、素直に従って、私の母方の祖父と結婚した感じですが、私の母方の祖母の姉は、ミーハーな性格であり(私の母方の祖母の姉の、ミーハーな性格は、私の母が、よく受け継いでいますw)、(おそらく)多かった、見合い候補の相手から、自ら、相手を選び、京都大学(当時は、京都帝国大学)を卒業した、エリート銀行員と結婚しました。結婚した際には、私の母方の祖母と同様、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)から、東京の私の街にある、敷地面積100坪程(約330平方m)の、一戸建て住宅を与えられました。もっとも、私の母方の祖母の姉夫妻は、東京郊外(当時)の別の家に暮らし、私の街の家の方は、別宅の様な感じで使っていた様です。しかし、私の母方の祖母の姉の夫は、現在で言うDVの傾向があった等、性格上、問題があった男性で、その事が原因により(その事に耐え切れなくなった、私の母方の祖母の姉が、その事を、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)に相談した結果)、私の母方の祖母の姉は、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の仲介により離婚、幼い一人娘(私の母と、同年代の、私の女性の、いとこ)と共に、元々、結婚した際に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)から与えられた、私の街の、一戸建て住宅に暮らす様になりました(私の母方の祖母の姉は、既に亡くなり、現在、その一戸建て住宅は、私の母の、女性の、いとこ夫妻が、引き継いで暮らしています)。私の母方の祖母の姉は、離婚が成立すると共に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)のコネにより、デパートに就職。東京都心のN本橋のM越と言うデパートで働きながら、シングルマザーとして(女手一つで)、私の母の、女性の、いとこを育て上げました。ちなみに、色々とあって(その事に関しては、また機会があれば書きます)、私の母方の祖母の実家が、最後まで、東京に保有していた不動産である、東京中心部(東京23区内)にある、小さな土地は、私の母方の祖母の姉が貰い、私の母方の祖母の姉は、その土地にアパートを建て、アパート経営も行っていた為(現在、そのアパート経営も、私の母の、女性の、いとこ夫妻が、引き継いでいます)、その家賃収入もあり、私の母方の祖母の姉は、収入的には、ゆとりがあった様です。
ちなみに、私の祖母の姉の性格は、私の母が、よく受け継いでいます。私の母については、以下の投稿を、参照して下さい。ちなみに、私の母は、私の母から私の父にアプローチしての、バリバリの恋愛結婚ですw
私の母について前編(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2544087/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
私の母について後編(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2544084/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
私の母について前編(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2544087/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
私の母について後編(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2544084/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
両親の結婚前の修羅場(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2557643?&sfl=membername&stx=jlemon
両親の結婚前の修羅場(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2557643?&sfl=membername&stx=jlemon
女性の主婦としての生き方(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2563886?&sfl=membername&stx=jlemon
女性の主婦としての生き方(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2563886?&sfl=membername&stx=jlemon
話が、長く脱線してしまいましたが、話は、再び、この映画の話に戻ります。この映画(「晩春(Late
Spring)」)は、鎌倉(kamakura)が舞台となっています。動画(映画)の、最初の場面に出て来る、鎌倉(kamakura)の電車駅の一つである、北(kita)鎌倉(kamakura)駅の風景は、この映画が公開された、70年近く前と、現在とで、ほとんど、変わっていません。この映画は、基本的に、鎌倉(kamakura)が舞台となっていますが、終わりの方で、父と娘は、京都(kyoto)に旅行をしに行きます。京都(kyoto)は、794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都で有った大都市で有り、日本の伝統文化の中心都市となっている都市です。非常に多くの文化財や歴史的建造物を有する、京都(kyoto)は、日本を代表する、観光都市となっています。
東京の南部近郊に位置する、鎌倉(kamakura)は、中世(1185年から1333年まで)に、日本の政治の中心地であった中都市(中規模程度の人口の都市)であり、中世以来の歴史を有する、寺や神社(shrine)が、数多くあります(ただし、鎌倉(kamakura)の寺や神社(shrine)の、現在の建物については、(極一部の例外を除き)中世よりも後の時代に、火事等の焼失により、再建された物であったり、時代に合わせて、建て替えられている物です)。その為、鎌倉(kamakura)は、東京近郊の主要な観光地の一つとなっています。また、鎌倉(kamakura)は、海に面しており、東京近郊の海沿いのリゾート(resort)地の湘南(syonan)の一部であると言う側面も有しています。
鎌倉(kamakura)は、(中世には、日本の政治の中心地でしたが)、15世紀半ば以降、衰退し、一時期、基本的に衰退した状態に有りましたが、19世紀頃から、徐々に観光地として発展し始め、また、19世紀後期以降、東京に近い、近代別荘地・保養地として発展し、再興しました(wikiを参考にしました)。鎌倉(kamakura)は、19世紀後期以降、作家や詩人等、多くの文学者が、好んで、居住し、若しくは、別荘を構えて来ました。また、鎌倉(kamakura)は、1920年代、1930年代頃から、横浜(東京圏南部の中心都市。東京圏で、東京中心部(東京23区)に次いで、第二の人口を有する都市)や東京に通勤する、大学教授や高学歴(大学卒)会社員等の、インテリ(知識人)中流層・中上流(upper-middle)層が暮らす、郊外住宅地として発展して行きました。鎌倉(kamakura)は、現在も、小説家や、画家、文系の大学教授等、文化人達に好まれ、鎌倉(kamakura)及びその周辺には、こうした人々が、多く暮らしているイメージが有ります。
鎌倉(kamakura)は、中心部の繁華街や、自動車の通行量の多い幹線道路沿いを除けば、基本的には、静かで落ち着いた住宅地となっています。私は、通常、鎌倉(kamakura)散歩が主目的の場合、(鎌倉(kamakura)は、道が狭くて、自動車を運転するのが疲れる等の理由により)、自動車ではなく、電車を使って行きます。
鎌倉(kamakura)に関しては、以下の2つの投稿も、参照して下さい。
鎌倉(kamakura)の古い家→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_14/view/id/2451288/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
石窯(ishigama)garden terrace→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_14/view/id/2451287/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
写真以下。前に、kjで、アップ(upload)した写真の、再利用(写真は、全て、私自身が撮影した物)。鎌倉(kamakura)の、風景例。