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これは、おまけで、私が子供の頃(小学生の頃)の写真です(前に、我が家の近所の実家を訪れた際に、出て来た、古い写真の中から、私が写っている物の一部を貰って来て、我が家に保管してある物の中から、一枚)。この写真は、一定期間経過後、削除するかもしれません。夏の休暇時期の写真で、とても日焼けしていますw 左側の帽子は、私の2歳年下の弟の帽子(私は兄弟姉妹は2歳年下の弟が一人います)、右側の帽子は、私の父の帽子で、写真は、私の母が撮影した写真です。服は、夏の休暇時期なので、とてもカジュアルな服装になっています(普段、小学校に通う時は、もう少し、お洒落をして行きましたw)。子供の頃(小学生の頃)は、夏の休暇時期は、この様な服で、飛び回っていました。
私は、高校時代(私の高校生活は)、爽やかな面も、あった事はあったのですが、素朴で、爽やかな青春と言うよりは、どちらかと言えば、(当時、当時の私と同じ位、程度の低かったw、友達達と共に)、club(nightclub)等で、よく、夜遊びしたり、(私は、普通の、男女共学の高校に通っていて、学校内の、女の子達とも、仲良くしていたのですが)、よく、他の高校に通う、女の子達等と、合コン(友人や知り合い等の紹介による、男女が、知り合う為の、居酒屋等での、飲み会や食事会。日本では、大学生等の学生位の年齢(18歳位)から20代位の年齢の若者の間で、盛んに行われている)したりして、また、ここでは書けないような事をしたりして(人を傷つけるような事ではありません)、どちらかと言えば、都会の、荒くれた(率直に言ってしまえば、爽やかと言うよりも、どちらかと言えば、猥雑で、堕落して、馬鹿っぽい(馬鹿のような))高校生活を送っていましたが(まあ、それは、それで、楽しかった)、私の弟は、私に比べれば、かなり真面目であったものの、若い頃、サーフィン(surfing)や、スケートボード(skateboarding)、スノーボード(snowboarding)を、よく、やっていて、そう言う面(運動と言った面)に関しては、私よりも活発でしたし、弟は、小学生の頃から大学生の頃にかけて、私の街の、空手(karate)(柔道(Judo)等と共に、日本を代表する、格闘技(martial
art)の一つ)教室に通っていて(特に、中学生から高校生の頃、熱心に通っていました)、私の弟は、初段だか、二段だか、三段だか、弟に確認してみないと分かりませんが、何れにしても、私の弟は、空手(karate)は、黒帯(black
belt)ですが、実は、子供の頃(小学生の頃)までは、弟よりも、私の方が、運動と言った面に関して、活発で、やんちゃでしたw
上の写真で見て分かる通り、私は、子供の頃(小学生の頃)は、少し、丸々としていました(少し、太っていました)。ただし、実は、(たぶん、小学生の頃の、女の子は、相対的に、それ程、深く考えないで、男の子に、バレンタインデー(Valentine‘s
Day)の、チョコレート(chocolate)を渡してしまう年頃と言うのもあって)、私が、人生の内で、バレンタインデー(Valentine‘s
Day)の、チョコレート(chocolate)(義理チョコレートではなく、私の為の(私向けの)、個別のチョコレート(chocolate))を、一番、たくさん貰っていたのは、小学校中学年から小学校高学年の頃でw、バレンタインデー(Valentine‘s
Day)の時期には、親に、冗談で、よく、チョコレート(chocolate)屋さん(チョコレート(chocolate)店)を開いた方が良いとか、チョコレート(chocolate)会社を経営出来るのではないか等と、からかわれていましたw
私は、チョコレート(chocolate)を含めた、お菓子全般は、好きなのですが、小学生の頃の、バレンタインデー(Valentine‘s
Day)時期は、チョコレート(chocolate)を貰い過ぎて、チョコレート(chocolate)を食べるのに飽きてしまい(チョコレート(chocolate)を食べ切れなくて)、チョコレート(chocolate)をくれた女の子達には、大変、申し訳なかったのですが、少しずつ味見をして、家族や男の友人達等に、(貰った)チョコレート(chocolate)をあげたりしていました。
ちなみに、私は、小学校の頃は、同じ小学校に通う、同じclassの女の子・同学年の女の子のような、同年代の、子供の女の子達には興味は示さず、当時、小学生の頃の私から見たら、十分に、大人に見える、女性、芸能人であった、中山
美穂(nakayama miho)と言う、女性、アイドル(idol)歌手が、好きでしたw
以下、参考の投稿(一部、you tube動画が消されてしまっていますが。。。)。
生まれて初めて好きになった女性芸能人(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2517631/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon
生まれて初めて好きになった女性芸能人(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2517631/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon
前述の通り、上の写真で見て分かる通り、私は、子供の頃(小学生の頃)は、少し、丸々としていましたが(少し、太っていましが)、私は、中学1年生の終わりから、中学校2年生の前半頃にかけて、身長が、急激に伸び、14歳の頃には、身長は、十分に、大人の身長(174cm位)になり、それからは、現在にまで至る、痩せの大食い体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)で安定しました。ちなみに、私の、痩せの大食い体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)は、私の母からの遺伝です(まあ、私も、私の母も、標準よりも、若干(ほんの、少しだけ)、多く食べる程度ですが。。。)。私の母も、昔から、比較的、たくさん食べるのに、痩せており、今でも(私の母は、もう高齢者の年齢ですが)、(年齢の割に)、比較的、たくさん、食べ物を食べますが、痩せています。
ちなみに、私の、身長は、176cmから177cm位で、私の父親(身長177cm)と同じ位で、背は、(私の父親に、追い付いたとは言えますが)、私の父親を追い抜かす事は、出来ませんでした(母も私の母の世代にしては割と背が高く163cm位なのに。。。(ちなみに、私の母は、一人っ子です)。高校の頃、不摂生(夜遊び)しなければ、もう少し背は伸びたかもしれませんw ちなみに、私には、兄弟姉妹は、2歳年下の、弟が、一人いますが、私の、弟は、背は、私よりも、少し、高く、178cmから179cm位ですが(体形は、痩せ形の体形です)、まあ、それでも、父よりも、若干、高い位で、明確に、私の父を追い越したと言える程ではないと思いますw)。ちなみに、、私は、身長に関して、私の弟や、私の父に、劣等感と言った物は、全くありませんw(自分は、自分(私は、私)なので。。。まあ、他人との比較てはなく、自分の個人的な問題として、身長は、少なくとも、180cm位、出来たら、183cm位、欲しかったですが。。。w)。
私の父は、身長は、177cmと、私の父親の世代にしては、背が高い方ですが、おそらく、私の、父方の祖父(身長は、170cm台の初め位(170cmから172cm位)で、当時の男性としては、比較的、高い方であった。ちなみに、私の、父方の祖母も、当時の女性としては、比較的、背が高い方でした)の影響であると思います(私の父の弟(私の、叔父)は、身長は、180cmの長身で、私には、男の、従兄弟は、一人しかいないのですが(私の父の姉(私の伯母)の、息子。ちなみに、私の父の弟(私の、叔父)には、男の子供はいない)、その、従兄は、身長は、180cm以上(183cmから185cm位)と、やはり長身です)。
ちなみに、私の父(身長177cm)、私の父の弟(私の、叔父)(身長180cm)、私の従兄(私の父の姉(私の伯母)の、息子。私には、男の、従兄弟は、一人しかいない)(身長183cmから185cm位)、私(身長176cmから177cm位)、私の弟(身長)178cmから179cm位)の、私の父、私、私の弟、(血の繋がっている)私の父方の男の親戚の、合計5人の平均身長は、179.2cm位です。ちなみに、私の家族の肌の色は、父(白)、母(白)、私の弟(白)、私だけ、(おそらく私の母方の祖父の隔世遺伝で)どちらかと言えば黒です(ちなみに、どうでも良い事ですが、家族全員、酒飲みで、酒には強いですw)。例えがイケメン俳優さんで申し訳ありませんがw、私の肌の色は、調度、竹野内
豊さんと同じ位の感じです(ちなみに、どうでも良い事ですがw、私よりも竹野内豊さんの方がまあまあ年上です)。
以下、参考の投稿。
祖父の手袋(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_39/view/id/2561761?&sfl=membername&stx=jlemon
祖父の手袋(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_39/view/id/2561761?&sfl=membername&stx=jlemon
幼い頃・子供の頃の、私と私の弟は、私の母にとって、マスコット・自慢のペット(愛玩動物)のような物でしたw
私も私の弟も、子供時代、ズル賢い子供で、母の前で、お行儀が良いペット(愛玩動物)を演じている限り、母に愛されて、母に甘やかされて、結果として、自分達の得になる(自分達が幸せになる)と言う事を、幼い頃から、本能的に分かっていると言う感じの子供でしたw
また、それに関連して、私も私の弟も、こうすれば、大人達に、可愛がられると言う事を、幼い頃から、本能的に分かっていると言った感じの子供で、(まるで、女性が小悪魔テクを無意識的・意識的に使うようにw)、そうした事を、無意識的・意識的に行っていました。
前述の通り、幼い頃・子供の頃の、私と私の弟は、私の母にとって、マスコット・自慢のペット(愛玩動物)のような物でw、お客さんが家に来た際は、多くの場合、母に、一回は、挨拶に出されました。
私も私の弟も、幼い頃・子供の頃、お客さんに挨拶する時、無意識的・意識的に、はにかんだりしていましたが、私も私の弟も、はにかんだ方が、大人に可愛いと思われ、可愛がられると言うのを、幼い頃から本能的に分かっていた為であると思いますw
お客さんに、一通り、顔見せを済ませた後は、私の母は、それぞれの部屋に戻って遊んでなさいと言った感じの事を言ったり、そのような流れに持って行ったりしたのですが、私も私の弟も、長時間、お客さんに愛想を使い続けるのも疲れるのでw、母が、そのような感じの事を言ったり、そのような流れに持って行った時は、私も私の弟も、喜んで、再び、自分たちの部屋に戻り、おもちゃやゲームで遊んでいました。
私の実家は、別に裕福ではなく、普通の中流の家庭なのですが、私は、親(母)に、子供の頃、フォーマル、セミフォーマル、カジュアルの服の使い分けを、きちんと教育されて育った方であると思います。
フォーマルは、それこそ、行事の時や高級レストランに食事をしに行く際の服装であり、カジュアルは、普段着、セミフォーマルは、その中間の服装です。
ちなみに、東京都心部の西部の、静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに、私の母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。ちなみに、既に、母方の祖父母ともに亡くなっています。
私の父は、普通の会社員ですが(ちなみに、父は、今は、既に、半分定年退職状態となっています。また、私の母は、私の父と結婚してから、ずっと主婦です)、私の父は、私が、子供の頃、毎月一回(概ね1年間に12回)、父の給料日の直後の、土曜日等に、給料日祝いの夕食として、夕食を、家族(私の母、私、弟)を、ステーキ(beef
steak)レストランや洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本人の口に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された、西洋料理)レストランに、ステーキ(beef
steak)やハンバーグ(hamburger
steak)を食べに連れて行きました(ちなみに、その際には、私の母方の祖父母は、家で、お留守番と言うか、行きませんでした。また、その際には、私も弟も、毎回、両親に、おもちゃ等を買って貰うのを楽しみにしていました)。その際には、母は、子供(私、及び、弟)には、基本的には、セミフォーマルの服を着せ、割と高級なステーキ(beef
steak)レストランに行く場合には、フォーマルな服を着せました。
また、それとは別に、毎月一回(概ね1年間に12回)、父の給料日の直後あたりの日に、私の父と母は、(おそらく、ステーキ(beef
steak)やハンバーグ(hamburger
steak)を中心とした食事ではなく、大人向けの食事である)日本料理や西洋料理、中国料理の外食の夕食又は昼食を、(子供(私と弟)を、私の母方の祖父母と共に、家に、お留守番させて)、二人で食べに行ってました。その際には、母は、いつも、とてもお洒落をして(フォーマルな、お洒落な服を着て)、出掛けていました。また、それとは、また別に、私の父と母は、昔から(私が子供の頃から)、現在に至るまで、毎年、母の誕生日(又は、その付近の日)(父の誕生日は、昔から、それはしないw)と、結婚記念日(又は、その付近の日)に、高級な、日本料理や西洋料理、中国料理の外食を食べに出掛けており、その際にも、母は、昔から(私が、子供の頃から)、いつも、とてもお洒落をして(フォーマルな、お洒落な服を着て)、出掛けています(と言うか、今は、実家暮らしではないので、今の状況は、詳しく分かりませんが、おそらく、今も、そうです)。
こうした、子供の頃の、親(母)からの教育の影響で、私は、フォーマル、セミフォーマル、カジュアル(普段着・普段のデート(date)の時に着る服も含む)の服の使い分けを行っています。
私は、自分自身の物に関する買い物については、堅実で、私は、もちろんキメる時の服(フォーマルな服)は、ちゃんと持っていて、キメる必要がある時はキメますが(お洒落をする必要がある時はお洒落をしますが)、私は、普段着(カジュアル服)には、基本的に、あまりお金はかけない主義です。したがって、私の、カジュアル服(普段着)は、ユニクロ(UNIQLO)等で買った服が大活躍していますw
私は、基本的に、服は、あくまで着る物であり(自分を引き立てる物であり)、服に着られる物ではない(服によって、自分が引き立てられる物ではない)と言う意識を持っています。
私の場合、子供の頃から、猫背のクセがあって、今でも家でリラックスして座っている時等に、つい少し猫背気味になってしまう事もあるのですが、(これをマセていると言うのかどうか分かりませんが)、歩く時に、背筋を伸ばしてスマートに(美しく)歩くと言う事に関しては、いつ頃から意識し始めたのか記憶が曖昧ですが、少なくとも高校1年生の時には、既に意識していました。
私は、さすがに裸の大将のような服を着ても格好良い男でいたいと言う訳でないですがw、どんなにシンプルな(質素な)服を着ていても、ユニクロ(UNIQLO)の服を着ていても、格好良い男でいたいと言う意識はあり(実際にそうであるかは関係なくw、あくまで、気持ちと言うか心掛けの問題w)、ユニクロ(UNIQLO)のダウンジャケット着て近所のスーパーに買い物に行く時も、背筋を伸ばして、颯爽と歩くようにはしていますw(家ではリラックスしてダラリとしている事も多いですがw)。
ちなみに、私の今の彼女は(私の今の彼女は、私よりも、ずっと(はるかに)年下です)、決して、派手な服を好む訳ではありませんが、カジュアル服(普段着)においても、私よりも、遥かに(ずっと)、お洒落に、拘りを持っていますが、それでも、不思議と、私と彼女、二人で歩いていても、二人の服の調和は取れています。
私が、子供の頃、私の母方の祖父は、家族(私の母方の祖母、私の両親、私、私の2歳年下の弟)を連れて、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する。箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地)の、金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)に宿泊しに行く事もあったのですが、その際には、私の母は、私と私の弟に、フォーマルな服を着せました。
ちなみに、私の母方の祖父は、普段の生活は、つましかったですが、何故か、家族を(私の母方の祖父にとっては、妻、娘夫婦、孫)を、金谷(kanaya)ホテルに連れて行く事に関しては、気前が良かったです。ちなみに、日光(nikko)は、私の母方の祖父の、お気に入りの場所でした。
ちなみに、今は、時代の流れとして、昔程、服の使い分けがなされていない事と、リゾート(resort)と言う事もあり、高級リゾート(resort)ホテルに宿泊、又は、高級リゾート(resort)ホテルを利用する際にも、カジュアルな服で(普段着で)と言う場合も、少なくありません。
以下で紹介する富士屋(fujiya)ホテルは、今年の(2018年の)4月から、2020年の7月まで、建物の耐震補強工事の為、基本的に閉館となります。以下の投稿文は、その事を、ご了承の上、ご覧下さい。
写真以下3枚。前に、kjに、アップ(upload)した写真の、再利用。かなり前になりますが、我が家の近所の実家で見付けた、(個人的に)興味深い本。富士屋(fujiya)ホテルが、かつて(1930年代から)、発行していた、外国人宿泊客向けの、英語で、日本文化等を紹介する本。富士屋(fujiya)ホテルは、箱根(hakone)を代表する、高級resortホテルの一つです。富士屋(fujiya)ホテルは、前身の温泉旅館時代も含めると(16世紀後半には、韓国では悪名が高い(悪い意味で有名な)、豊臣
秀吉(toyotomi
hideyoshi)も宿泊しました)、14世紀末からの(600年以上もの)歴史を有する(近代的なリゾート(resort)ホテルに変わってからの歴史は、1878年から)、箱根(hakone)を代表する高級リゾート(resort)ホテルです。



富士屋(fujiya)ホテルは、第2次世界大戦前には、日本国内のみならず、(日本以外の)東・東南アジア在住の欧米人富裕層の間でも、東洋有数のリゾート(resort)ホテルとして知られていました。富士屋(fujiya)ホテルには、今まで、孫文(Sun Yat-sen)(日本に2度、亡命し、亡命中は、日本の、実業家等から支援を受けて、裕福な暮らしをしていた)、チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)、ヘレン・ケラー(Helen Keller)、ジョン・レノン(John Lennon)・小野 洋子(ono yoko)夫妻等、世界的な著名人も訪れています。
私は、その時の事に関して、kjで、アップ(upload)していますが、私は、一昨年の、2月の終わりに、(我が家の近所の私の実家の)両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来ました。
私の2歳年下の弟(東京の西部郊外に暮らしています)は、既に、結婚して、子供がいて、今は、子育てに忙しいので、今の所、こう言う役割は、私と言う事で。。。
その前の年の12月の初めに、両親を連れて、箱根(hakone)の、萬翠楼
福住(bansuiro
fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊して来た時に(その時、両親と旅行したのは、とても久しぶりでした。その時の事も、kjで、アップ(upload)しています)、勢いで、両親に、今度、富士屋(fujiya)ホテルに連れて行くと言ってしまった事が、その時の、両親を連れた、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊に、繋がりましたw(ちなみに、それから、私は、両親を旅行に連れて行っていませんし、これから、やや、しばらくの間は、両親を連れて旅行に行くかどうかは、ちょっと分かりませんw)。
富士屋(fujiya)ホテルがある、箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置します)は、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地です。ちなみに、箱根(hakone)は、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地であり、私の両親は、よく、箱根(hakone)に訪れていますし、私も、今まで、たくさん、箱根(hakone)に訪れています。
金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)は、私は、子供の頃、私の母方の祖父に連れられて、(私の母方の祖父母、両親、弟と共に)、3回、大人になってから1回の、合計4回、宿泊した事があります。私の両親は、金谷(kanaya)ホテルは、私が、子供の頃に、私の母方の祖父(私の母方の祖父母)に連れられて、子供と共に(私と、私の弟と共に)、3回、宿泊した事があります。
前述の通り、私の母方の祖父は、普段の生活は、つましかったですが、何故か、家族を(妻、娘夫婦、孫)を、金谷(kanaya)ホテルに連れて行く事に関しては、気前が良かったです。ちなみに、日光(nikko)は、私の母方の祖父の、お気に入りの場所でした。
私は、富士屋(fujiya)ホテルは、今まで、6回、宿泊しています。
(亡くなった)私の母方の祖父母は、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した事がありましたが、私の母は、その時まで、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した事がありませんでした。また、私の父は、その時まで、富士屋(fujiya)ホテルは、会社の研修で、一度、宿泊した事がありましたが、個人的な旅行で宿泊した訳ではないので、富士屋(fujiya)ホテルの雰囲気を、ゆっくりと味わう事は、全く、出来なかったそうです。その様な事から、その前の年の12月の初めに、両親を連れて、箱根(hakone)の、萬翠楼
福住(bansuiro
fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊して来た時に(その時、両親と旅行したのは、とても久しぶりでした)、弾みで(勢いで)、両親に、今度、富士屋(fujiya)ホテルに連れて行くと言ってしまった事が、その時の、両親を連れた、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊に繋がりましたw ちなみに、その時の、両親の、富士屋(fujiya)ホテルの印象が良かったらしく、両親は、その時から今まで、2回、夫婦で、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊している様です。
写真以下。前に、kjで、アップ(upload)した写真の再利用(全て、私自身が撮影した写真です)、富士屋(fujiya)ホテルの風景例。

富士屋(fujiya)ホテルの本館(honkan)の建物(1891年完成)。
尾長鶏の彫刻。尾長鶏は、日本の、鶏の品種の一つで、日本の天然記念物に指定されています。17世紀半ば頃、突然変異で生まれたと伝えられています。雄の、尾の羽が、極端に長くなるのが特徴です。鶏は、通常一年に一度羽が生え換わりますが、雄の尾長鶏は、尾の羽が生え換わらないため、尾が非常に長くなります。現存する、世界の鳥(鳥類)の中で、最も長い尾を持ち、12mと言う記録もあります。完全に観賞用の鶏です。説明は、wiki及び、国立科学博物館の説明文を参考にしました。

本館(honkan)(1891年完成)の、中央の階段(写真)の、手すりには、一本の木を、少しずつ湾曲させて作る、曲げ木の技法が、取り入れられています。湿度や、木質によって、微妙に変化する、天然の木を、長い時間、ずれないように、組み合わせるのは、高度な、技術を必要とされます(富士屋(fujiya)ホテルのパンフレット(booklet)の説明文より。。。)。

花御殿(hanagoten)。花御殿(hanagoten)は、1936年に建てられた建物で、主に客室として使われています。花御殿(hanagoten)は、富士屋(fujiya)ホテルのイメージ写真に、よく使われる建物です。
富士屋(fujiya)ホテルの、主食堂(main dining room)の建物。1930年に建てられた建物です。
レモンパイ(lemon pie)後編へ続く。。。
レモンパイ(lemon pie)後編は、以下です。
レモンパイ(lemon pie)後編(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/2566308?&sfl=membername&stx=jlemon
レモンパイ(lemon pie)後編(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/2566308?&sfl=membername&stx=jlemon