この投稿の、動画・曲は、全て、you tubeから借りて来た物です。IE、Google Chromeで、この投稿の写真が見られない場合は、FireFoxで、ご覧下さい。
東京都心部の西部の、静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、敷地面積100坪程(約330平方m)の、庭がある、一戸建て住宅です(ちなみに、我が家は、狭い土地に3階建ての(1階部分の半分くらいが駐車場の)、居住床面積30坪(約100平方m)程の庭がない、地価が高い、東京中心部(東京23区)の、典型的な、比較的、新しい、庶民向けの、一戸建て住宅です)。私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で、現在は、両親が、その家を引き継いでいます(ちなみに、私の母は、一人娘です)。元々は、私の母方の祖母の父(山梨(yamanashi)県(東京圏の西部に隣接する県)の、裕福な地主であった)が、東京に保有していた不動産の一つであった物で(私の母方の祖母の父が、私の母方の祖母が結婚した際に、私の母方の祖父母に与えた物。当時の中流階級の一戸建て住宅として、小さな方であったと思います)、元々の家の建物は、1920年代頃?に建てられた、日本伝統式の住宅の建物だった様ですが、現在の家の建物は、1960年代初め頃に、建替えられた物です(現在は、耐震補強もなされています)。
ちなみに、既に、母方の祖父母ともに亡くなっています。
私の、母方の祖母は、大人しくて、上品な性格であったのですが、私の母の活発な性格は、私の母方の祖母の姉(私の母の、私の母と同年代の、女性の、いとこの母。既に亡くなっています)に似ています。私の母は、幼い頃から、よく、近所の、私の母の、女性の、いとこの家に遊びに行っていました。ちなみに、逆に、私の母の、女性の、いとこは、性格は、上品で、おっとりとしていて、大人しい性格で、性格は、私の母方の祖母に似ています(ちなみに、私の母の、女性の、いとこも、幼い頃・子供の頃、私の母の家(我が家の近所の私の実家)に、よく、遊びに来ていた様です)。
私の母方の祖母は、(大学から東京に出てきたものの)、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった女性です。私の母方の祖母は、東京のA学院大学と言う、キリスト教系の大学(私の母方の祖母が、卒業した時は、その前身の高等教育機関でしたが)を卒業した後、東京のキリスト教の教会に就職したものの、間もなく、私の母方の祖父と結婚、祖父と結婚した後は、アルバイトを含めて、一切、仕事した事がない、専業主婦であり、人生において、ほとんど社会人と言うものを経験した事がないまま亡くなりました。私の母方の祖母は、生涯、窓際で、白馬の王子様が、自分を迎えに来るのを、待ち続ける、夢見る少女の様な面を持った女性でした。私の母方の祖母は、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しました。母方の祖父は、良き(良い)夫でしたが、母方の祖母にとって、母方の祖父は、白馬の王子様としては、物足りない男性であった様ですw
私の母方の祖母の姉は、子供の頃から、ずっと、大人しかった、私の母方の祖母を、リードし、守る存在であった様です。この、私の母方の祖母の姉と、私の母方の祖母の関係は、調度、私の母と、私の母方の祖母の姉の、一人だけの子供である、私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの関係に重なります。私の母と、私の母の、女性の、いとこは、お互いに、同年代で、一人っ子(一人娘)同士で、また、子供の頃から、ずっと家が、近所同士である事から、幼い頃から、二人共、高齢者の年齢になる、現在に至るまで、ずっと、親友同志と言った感じで、現在に至るまで、よく、二人で、一緒に、遊びに出掛けていますが、私の母と、私の母の、女性の、いとこが、一緒に、遊ぶ時は、いつも、私の母がリードして、私の母が、お姉さん的な役割を担っている様です。
私の母方の祖母の姉は、(私の母方の祖母と同様)東京のA学院大学を卒業した後、結婚するまで、東京で事務員として働いていました(おそらく、OLの先駆けの様な存在であったと思います)。私の母方の祖母は、前述の通り、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しましたが、その際に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の、「この人が、真面目で、性格が優しそうで、お前に良さそうだから、お前は、この人と結婚しなさい」と言った感じの事に、そのまま、素直に従って、私の母方の祖父と結婚した感じですが、私の母方の祖母の姉は、ミーハーな性格であり(私の母方の祖母の姉の、ミーハーな性格は、私の母が、よく受け継いでいますw)、(おそらく)多かった、見合い候補の相手から、自ら、相手を選び、京都大学(当時は、京都帝国大学)を卒業した、エリート銀行員と結婚しました。結婚した際には、私の母方の祖母と同様、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)から、東京の私の街にある、敷地面積100坪程(約330平方m)の、一戸建て住宅を与えられました。もっとも、私の母方の祖母の姉夫妻は、東京郊外(当時)の別の家に暮らし、私の街の家の方は、別宅の様な感じで使っていた様です。しかし、私の母方の祖母の姉の夫は、現在で言うDVの傾向があった等、性格上、問題があった男性で、その事が原因により(その事に耐え切れなくなった、私の母方の祖母の姉が、その事を、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)に相談した結果)、私の母方の祖母の姉は、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の仲介により離婚、幼い一人娘(私の母と、同年代の、私の女性の、いとこ)と共に、元々、結婚した際に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)から与えられた、私の街の、一戸建て住宅に暮らす様になりました(私の母方の祖母の姉は、既に亡くなり、現在、その一戸建て住宅は、私の母の、女性の、いとこ夫妻が、引き継いで暮らしています)。私の母方の祖母の姉は、離婚が成立すると共に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)のコネにより、デパートに就職。東京都心のN本橋のM越と言うデパートで働きながら、シングルマザーとして(女手一つで)、私の母の、女性の、いとこを育て上げました。ちなみに、色々とあって(その事に関しては、また機会があれば書きます)、私の母方の祖母の実家が、最後まで、東京に保有していた不動産である、東京中心部(東京23区内)にある、小さな土地は、私の母方の祖母の姉が貰い、私の母方の祖母の姉は、その土地にアパートを建て、アパート経営も行っていた為(現在、そのアパート経営も、私の母の、女性の、いとこ夫妻が、引き継いでいます)、その家賃収入もあり、私の母方の祖母の姉は、収入的には、ゆとりがあった様です。
ちなみに、私の祖母の姉の性格は、私の母が、よく受け継いでいます。ちなみに、私の母は、私の母から私の父にアプローチしての、バリバリの恋愛結婚ですw
私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ(私の母方の祖母の姉の娘)は、息子が一人と、娘が一人います。私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ(私の母方の祖母の姉の娘)の、息子(私の又従兄弟)は、私と同年代です。
私は、又従兄弟とは、小学生の頃までは、お互いの実家を、行き来して、一緒に、よく遊んでいましたが、二人共、地元の同じ公立の小学校を卒業した後、地元の同じ公立の中学に進学しましたが、中学以降は、チャラチャラした私と全く正反対の、真面目なガリ勉くんの又従兄弟とは、お互いに、一緒に遊ぶ友達も被らず、基本的に、一緒に遊ばなくなりました。又従兄弟は、優秀な公立の高校を卒業した後、東京の西部郊外の国立の大学を卒業し、会社員で、既に、結婚をし、子供がおり、隣の区に買った、一戸建て住宅で、自分の家族と共に暮らしています(又従兄弟(ルックスは、昔から眼鏡をかけ、ガリ勉くんに見えるものの、昔から爽やかな感じで悪くはないです)は、昔から、真面目で、堅実。高校時代に交際していた、女の子は一人だけで、同じ学校内の女の子。大学時代に交際する女性も、おそらく全て同じ大学内又は大学時代のサークル内で見つけ、チャラチャラした面は全くなく(学生時代・社会人の独身時代に、合コンも、ほとんどしていなかった(参加していなかった)のではないでしょうか)、社内結婚です(又従兄弟の、奥さんは、又従兄弟と同年代で、保守的で、おしとやかな感じで、まあまあ綺麗な方です)。又従兄弟は、会社員として、仕事は出来る様です)。ちなみに、どうでも良いですけど、私の2歳年下の弟(学生時代・若い頃サーフィン(surfing)ばかりしていましたw)も、既に、結婚をし、(まだ幼いですが)子供がいるのですが(東京の西部郊外(たまたまですが、私の、又従兄弟が卒業した大学と同じ市w)に買った、一戸建て住宅に、自分の家族と共に暮らしています)、私の弟の、奥さん(妻)は、私の弟よりも、かなり年下ですw
ユリアーナ・シャノー(Juliana Schano)-「もういちど教えてほしい」(1999年)。映画、「ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒(Gamera 3: The Revenge of Iris )」(1999年)の、主題歌(テーマ曲)。ユリアーナ・シャノー(Juliana Schano)は、当時、17歳から18歳。ちなみに、この動画の、ユリアーナ・シャノー(Juliana Schano)を老けさせたらと想像した顔は、我が家の近所の実家に同居していた(と言うか、前述の通り、実家は、元々、母方の祖父母の家です)、私の母方の祖母(既に亡くなっています)の老けてからの顔に(まあ、祖母なので、私は、祖母の老けてからの顔しか知らないのですが)、似ています。私の母方の祖母の老けてからの顔は、この動画の、ユリアーナ・シャノー(Juliana Schano)の顔を、もう少し、丸い、狸(raccoon dog)系の顔にして、老けさせたような顔をしていました。
ユリアーナ・シャノー(Juliana Schano)(1981年生まれ)は、1990年代の後期に活動していた、(あまり、父親、又は、母親が、西洋系と感じさせない外貌ですが)、おそらく、父親、又は、母親が、西洋系の、日本の、女性、歌手です(日本語の他、ドイツ語と英語が、話せる様です)。
ガメラ(Gamera)等について詳しくは、 以下の投稿を、参照して下さい。
適当に雑多なJ-pop(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/2572135?&sfl=membername&stx=jlemon
適当に雑多なJ-pop(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_2/view/id/2572135?&sfl=membername&stx=jlemon
前述の通り、私の母方の祖母は、女性の兄弟姉妹は、姉が一人います(私の母方の祖母の姉も、既に亡くなっています)。私の母方の祖母と、私の母方の祖母の姉は、自分の親族に対して、こう言う事も、何なんですが、美人姉妹でした。
私の母方の祖母の姉と私の母方の祖母は、私の母方の祖母の姉は、顔の輪郭が、狐(fox)系、私の母方の祖母は、顔の輪郭が、狸(raccoon dog)系と言う、顔の輪郭の違いはあったものの、似た系統の顔の、美人姉妹でした。
私の母方の祖母の姉と私の母方の祖母の関係は、私の母方の祖母の姉が、絶えず、私の母方の祖母を守る立場で、私の母方の祖母は、私の母方の祖母の姉に、絶えず、守られる立場でした。

参考の写真。写真は、借り物。内田 有紀(uchida yuki)(1975年生まれの、日本の女優)。私の母方の祖母の姉の顔は、調度、この写真の内田 有紀(uchida yuki)の顔を、顔の輪郭、そのままで、老けて、おばあさんのようにした顔でした。ただし、内田 有紀(uchida yuki)は、肌の色は、色黒の(だぶん。。。)、女性ですが、私の母方の祖母の姉は、私の母方の祖母と同様、肌の色は、色白(白)でした。
私の、母方の祖母は、身長は、160cm位と、祖母の世代の女性としては、比較的、高い方でしたが、私の母方の祖母の姉は、さらに背が高く、身長は、162cm位ありました。私の母方の祖母は、私は、太ってしまって、若い頃と、大分、変わってしまってからの、母方の祖母の姿しか知りませんが、体質の違いや、母方の祖母は、(幼い頃・子供の頃は、それでも、ある程度、外で遊んでいたようですが)、子供の頃から、病弱で、基本的に、外に出る事を好まず、ほとんど家で過ごしていた事と、実に対照的で、私の母方の祖母の姉は、絶えず動いていないと気が済まない性格と言った違いもあったのだと思いますが、(私の母方の祖母も、私の母方の祖母の姉も、食べ物を食べる量は、おそらく、ほとんど変わらなかったのにも関わらず)、私の母方の祖母の姉は、生涯、痩せ型の体質でした(生涯、痩せていました)。
私の母方の祖母は、率直に言って、性格に、怠け者で、ものぐさで、ぐうたらな面があった女性でw、私が記憶を遡れる限りから(私が、幼い頃・子供の頃から)、姿勢は、猫背気味で、歩く速度も、のんびりとして(よく言えば、ゆったりとして)、遅かったのですが、私の母方の祖母の姉は、生涯、姿勢の良さや、歩く姿の美しさ等に気をつけて、生涯、背筋が伸び(年齢の割に、非常に姿勢が良く)、歩く速度も速く、矍鑠とした、凛々しい人でした。私の母方の祖母の姉は、(私の母方の祖母と同じく)80歳代の前半(普通に女性が健康に生きたら生きる寿命より短い)で、突然に心筋梗塞で亡くなる直前まで、至って(とても)元気で、普通に生活をしていました。
私は、私の母方の祖母には、私が記憶に残る限り、一度も、叱られた事がなかったのですが、子供の頃、我が家及び我が家の近所の私の実家の近所の、私の母方の祖母の姉の家(私の母方の祖母の姉の、娘(私の母の、私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ)の家族の家。私と同年代の、私の又従兄弟の実家)に遊びに行った際に、挨拶の仕方等で、私の母方の祖母の姉には叱られた事がありますw 私の母方の祖母の姉は、自分の孫(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの子供)にも、他人の孫(まあ、他人の孫と言っても、私は、私の母方の祖母の姉の、妹の孫なのですが。。。)にも、分け隔てなく、叱るべき時は、叱ると言う、ポリシー(方針)を持った人であった様です。とは言っても、基本的には、(私の母方の祖母と同様に)性格は優しく、厳しさの中に優しさがあると言うよりも、優しさの中にも厳しさがあると言った人でした。また叱る際にも、感情的に叱るのではなく、理詰めで教え諭すような叱り方をする人で、愛情を持って叱る人でした。
私は両親に甘やかされて自由奔放に育ちましたし、私の母も両親(私の母方の祖父母)に甘やかされて自由奔放に育ちましたが、(さすがに、私の母は、大人になってからは、私の母方の祖母の姉に叱られるような事はなくなったようですし、私の母方の祖母の姉は、年を取ってからは性格が丸くなったようですが(ちなみに、私が知っている、私の母方の祖母の姉は、性格が丸くなってからの、私の母方の祖母の姉です))、私の母は、相対的に、私の母方の祖母(私の母にとっては母)よりも、私の母方の祖母の姉(私の母にとっては伯母)に、はるかに(ずっと)、多く叱られたようでw、母は、(もう、母方の祖母の姉が亡くなってから、長い年月が経っているので、今は、あまり言いませんが)、かつては、常々、伯母(私の母方の祖母の姉)は、(本質的には)優しい人であるが、厳しい人であったと言っていましたw 私の母方の祖母の姉は、やはり、自分の子供(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ)も、他人の子供(私の母。まあ、他人の子供と言っても、私の母方の祖母の姉にとっては、妹の子供なのですが)も、分け隔てなく、叱るべき時は、叱ると言う、ポリシー(方針)を持った人であった様です。と言うか、大人しくて、お行儀が良い(性格は、私の母方の祖母に似た)、私の母方の祖母の姉の娘(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ)よりも、活発でチャラチャラした私の母の方が、私の母方の祖母の姉に、相対的に、はるかに(ずっと)、多く叱られていたようですw
以下、母方の祖母の姉の、娘(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ)の娘(私の、母方の、はとこ(又従妹))について書いた投稿です。
家族が仲が良過ぎて結婚出来ない女性前編(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2565482/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
家族が仲が良過ぎて結婚出来ない女性前編(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2565482/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
私の母方の祖母は、若い頃の写真を見ると、中々、綺麗で、(自分の親族に対して言うのもなんなのですが)美人なのですが、私は、太ってしまって、若い頃と、大分、変わってしまってからの、母方の祖母の姿しか知りませんw
私の母は、痩せの大食い(大食いと言っても、標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)で、私も、私の母からの遺伝で、痩せの大食い(やはり、大食いと言っても、標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)なのですが、私の母の、痩せの大食いの体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)は、私の母方の祖父、又は、私の母方の祖母の姉(やはり、生涯、痩せている体質であった)に似たのだと思います。ちなみに、私の母は、身長は、163cm位と、私の母の世代の女性にしては、比較的、高い方ですが、それは、母方の祖母(私の、母方の祖母は、身長は、160cm位と、祖母の世代の女性としては、比較的、高い方であった)からの遺伝であると思います(私の母方の祖父は、身長は、165cm位と小柄であった)。ちなみに、私の父の家系は、長身の家系です。
諏訪 根自子(suwa nejiko)(1920年生まれ。2012年に亡くなる)は、1930年代の初め頃から1950年代頃にかけて活躍していた、日本の、女性、violinistです。諏訪 根自子(suwa nejiko)は、1930年代の初めから1930年代の中期にかけて(諏訪 根自子(suwanejiko)が、10代の初めから10代の中頃にかけて)、(年齢の割に、とても高い実力があった事から)天才と呼ばれ、また、美人(美少女)であった事から、日本の、大衆の間で、現在で言う、女性、アイドル(idol)歌手的な、人気を博しました(おそらく。。。)。
写真以下2枚(写真は、借り物)。少女の頃の諏訪 根自子(suwa nejiko)。若い頃の、私の母方の祖母は、若い頃の写真を見る限り、目が大きく、鼻筋が通った(鼻が高い)美人で、若い頃の、私の母方の祖母は、そっくり(完全に似ている)と言う程ではありませんが、少女の頃の諏訪 根自子(suwa nejiko)に似ています。しかしながら、私は、太ってしまって、若い頃と、大分、変わってしまってからの、母方の祖母の姿しか知りませんw また、少女の頃の諏訪 根自子(suwa nejiko)も私の母方の祖母も、顔の輪郭は、どちらかと言えば狸(raccoon dog)系の顔の輪郭ですが、私の母の顔の輪郭は、狐(fox)系の顔の輪郭で、私の母の狐(fox)系の顔の輪郭は、(我が家及び我が家の近所の私の実家の)近所に暮らしていた、母方の祖母の姉と似ています。また、逆に、(我が家及び我が家の近所の私の実家の)近所に暮らしている、私の母と幼い頃から仲が良い、私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ(母方の祖母の姉の、娘)の、顔の輪郭は、どちらかと言えば狸(raccoon dog)系の顔の輪郭で、顔の輪郭は、私の母方の祖母に似ています。


ちなみに、私の母は、顔自体は、私の母方の祖父、私の母方の祖母、両方に似ているとも言えるし、私の母方の祖父、私の母方の祖母、どちらにも似ていないとも言える顔です。ちなみに、私は、顔は、母よりも、父に似ており、私の弟は、父と母、両方に似ているとも言えるし、父と母、どちらにも似ていないとも言える顔ですw
前述の通り、私の母方の祖母の姉と私の母方の祖母の関係は、私の母方の祖母の姉が、絶えず、私の母方の祖母を守る立場で、私の母方の祖母は、私の母方の祖母の姉に、絶えず、守られる立場でした。
以下、この事に関する参考の投稿です。
家族が仲が良過ぎて結婚出来ない女性後編(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2565481/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
家族が仲が良過ぎて結婚出来ない女性後編(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2565481/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
sisterと言う関係後編(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2575386/page/1?&sfl=membername&stx=jlemon
sisterと言う関係後編(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2575386/page/1?&sfl=membername&stx=jlemon
私の母が、自由奔放にやりたい放題に育ったのは、誰に対しても、めったに怒らない穏やかな紳士であった、私の母方の祖父と、(大学から東京に出てきたものの)、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった私の母方の祖母の間に、当時としては、割と年を取ってから生まれた、一人っ子(一人娘)であり、甘やかされて育てられたと言うのもあるかもしれません。
また、母方の祖母は、(幼い事・子供の頃は、それでも、ある程度、外で遊んでいたようですが)、子供の頃から、病弱で、基本的に、外に出る事を好まず、ほとんど家で過ごしていた女性であり、生涯、窓際で、白馬の王子様が、自分を迎えに来るのを、待ち続ける、夢見る少女の様な面を持った女性でした。
私が社会人となり忙しくなる前は(私が幼い頃・子供の頃から大学生の頃までは)、そんな母方の祖母の、一番の話し相手は(私の母方の祖母と、一番、たくさん話していたのは)、大の、おばあちゃん子であった私でした。2番目の話し相手は(私の母方の祖母と、2番目に、たくさん話していたのは)、私の母方の祖母の姉で(私の母方の祖母の姉は、生前、よく、近所の私の実家(元々、私の母方の祖父母の家)に遊びに来て、妹である、私の母方の祖母と話していました)、私の母は、私の母方の祖母の、3番目の話相手と言った感じでした。その他、時々からたまに、私の母方の祖母の、学生時代からの、女性の親友が、家(私の実家。元々、私の母方の祖父母の家)に遊びに来て、私の母方の祖母と話をしていました。
私の母方の祖母は、結婚してからアルバイトを含めて、一切の仕事をした事がない専業主婦でしたし、私の母も、結婚してからは、アルバイトを含めて、一切の仕事をした事がない専業主婦です。
私の母は、もちろん家事もあったのですが、私の母方の祖母の姉の性格を受け継ぎ、絶えず動いていないと気が済まない活発な性格で、自分がやりたい事で、忙しいと言った感じで、基本的に、じっくりと、私の母方の祖母の話相手をするような事は、あまりしませんでしたが、私が、社会人となり忙しくなって、以前のように、私の母方の祖母の話相手を出来なくなってからは、さすがに、気を遣って、前に比べれば、相対的に、よく、私の母方の祖母の話相手をするようになりました。
私の母方の祖母は、第二次世界大戦が終わるまでは、東京での、学生時代・独身時代を含めて、ずっと、メイド(maid)がいる(メイド(maid)に身の回りの世話をして貰う)生活であったので、主婦とは言っても、私の母方の祖母が、生まれて初めて、本格的に家事をする様になったのは、第二次世界大戦後からであった様です。
この様な背景から、私の母方の祖母は、家の家事はしなければならないと言う気持ちはあるのですが、家の家事は、出来るだけ怠けたい・楽をしたいと言った感じの、性格に、怠け者で、ものぐさで、ぐうたらな面があった女性でしたw
もちろん、私の母方の祖母も家事を分担していましたが、家(私の実家。元々、私の母方の祖父母の家)の、私の母方の祖母の家事の分担率は、私の母と私の母方の祖母の年齢を考慮した適正な家事の分担率に比べて、低いと言った感じでした。
(もちろん、私の母が、子供の頃・学生時代・社会人になってから結婚して専業主婦になるまでは、私の母方の祖母は、それなりに(私の母方の祖母なりに)、主婦として・母として(私の母の母として)、一生懸命、家の家事をしていた様ですが)、そんな私の母方の祖母を助けるべく、私の母は、子供の頃から、率先して家事の手伝いを行い、気持ち的には家の家事を主導する位の気持ちで、家の家事を、よく手伝って来た(よく行って来た)様です。私の母の家事の手際の良さ(私の母の家事の手際の良さは、おそらく、私の母が、自己流で、編み出した物であると思います)は、その様な経験から生まれ、また、私の母は、自由奔放に育ったのですが、その背景には、子供の頃から、少なくとも気持ち的には家の家事を主導して来たと言う(上手く表現出来ないのですが)自信感と言った物もあったのかもしれません。
私の母は、(まあ、私は、母の事を、スーパー主婦と呼んでいるのですがw)、私の母は、子供の頃から、運動神経が良い(私の母は、小学校・中学校・高校と体育の成績は常に良かった様です)と言うのが関係しているのかしていないのか分かりませんが、料理を含めて、一つ、一つの作業が丁寧な訳では決してないのですが、昔から(私が子供の頃から)、家事の手際が、非常に良く、家事をこなす、スピード(速度)が、非常に速いです。まあ、私の母の、(一つ、一つの作業が丁寧な訳ではないけれど)、家事の手際が、非常に良く、家事をこなす、スピード(速度)が、非常に速いと言うのは、私の母の、家事を出来るだけ短時間で済ませ、自分が自由になる時間、自分が遊べる時間を、少しでも、より多く確保したいと言う、欲望・気持ちが、昔から、そうさせて来たのかもしれません。
私の母は、(私の母から見れば)家事に関して不器用な私と私の弟に、家事を手伝わすと、かえって、足手纏いになって家事のスピードが遅くなるから手伝わしたくはないと言った感じで、私の母は、基本的に、日常的な家事は、私と、私の弟に、あまり手伝わせませんでした。
その代わり、家の中等の力仕事は、私と私の弟が、それぞれ、中学生以降は、わざと(故意)に用事を見つけてまで、出来る限り、私と私の弟に手伝わせるようになりました。そして、手伝わせた後は、ほぼ必ず、「さすがは、男、頼りになる!」とか「さすがは、男!」等と、やたらと「男」を強調して褒めましたw
私の母は、私の母なりに、保守的な考えに基づいて、男の子は、女性を助ける、力強く、優しい男性に育てなければならないと言う、保守的な教育方針があったのかもしれません。
以下、参考の投稿。
私の母について前編(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2544087/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon
私の母について後編(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2544084/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon
両親の結婚前の修羅場(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2557643/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
私の母について前編(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2544087/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon
私の母について後編(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2544084/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon
両親の結婚前の修羅場(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2557643/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
私の母方の祖父は、見合いで、私の母方の祖母と結婚したのですが、私の母方の祖父は、結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った、昔ながらの(保守的な)、紳士の美学・ポリシー(方針)と言った物を持った男性でした。ちなみに、私の父も、同様の、紳士の美学・ポリシー(方針)を持った男性ですが、性格が穏やかで、温和な紳士であると言う点においても、私の母方の祖父に共通していて、元々、面食いの私の母が、私の父に、一目惚れして、私の母から、私の父に、バリバリにアプローチして、私の母と私の父は、交際する事になったのですが(バリバリの恋愛結婚w)、私の母が、私の父に、自分の父(私の母方の祖父)の性格と共通する面を見出したのも、私の母が、私の父と結婚するまでに至った、大きな理由の一つなのかもしれません。ちなみに、私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ(私の母方の祖母の姉の娘)と、見合いで結婚した男性も、同様の(結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った)、紳士の美学・ポリシー(方針)を持った男性です。
一方において、私の母方の祖父は、妻(私の母方の祖母)を、よく旅行に連れて行ったりとか、よく外食に連れて行ったりとかの、夫としての甲斐性までは持ち合わせていませんでした(私の母方の祖父は、保守的で、堅実、真面目で、生活は、つましく、派手な生活をする事は、好みませんでしたが、私の母方の祖父のつましさは、基本的には、あらゆる面において、適用されると言った感じでした)。まあ、前述の通り、母方の祖母は、(幼い頃・子供の頃は、それでも、ある程度、外で遊んでいたようですが)、子供の頃から、病弱で、基本的に、外に出る事を好まず(外食に出る事すら、割と、面倒臭がると言った感じでした)、ほとんど家で過ごしていた女性である事から、それは、それで、大丈夫であったとも言えますが。。。(ちなみに、母方の祖母は、外に出る事は、好まなかったと言っても、私が子供の頃、孫(私と私の2歳年下の弟)を含めた、お出掛けに関しては、お出掛け自体と言うよりも、孫と出掛ける事を楽しんでいる感じでした)。
私の母方の祖母は、私の母と共に、私の母方の祖父の、真面目な点・誠実な点・正直な点・誰に対しても、めったに怒らない性格が穏やかな紳士である点等を賞賛していましたが、以下の事柄が、見合いで結婚した、当時の、保守的な中流層から富裕層の女性の、一般的な傾向であったのか、それとも、私の母方の祖母と、私の母方の祖父の間だけの事であったのか、よく分かりませんが、私の母方の祖母は、私の母方の祖父に対して、私の母方の祖父の生涯、どこか遠慮していると言うか、(私の母方の祖父に)心の底から甘える事を憚ると言うか、私の母方の祖父に対して、どこか、よそよそしい雰囲気があり、私の母方の祖母は、私の母方の祖父と、じっくり話をする(私の母方の祖父に、じっくり話を聞いて貰う)と言う事は、あまりありませんでした。
以下、参考の投稿。
母方の祖父の話(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2529434/page/4?&sfl=membername&stx=jlemon
母方の祖父の話(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2529434/page/4?&sfl=membername&stx=jlemon
私の母方の祖母は、私の母方の祖父に対する、人として尊敬する気持ちはあったと思いますが、私の母方の祖父に対する、恋愛感情と言った物はなかった様な気がします。まあ、その点、私の母方の祖母の、心の奥の底と言うのは、私の母方の祖母と、とても、たくさん話をしていた(私の母方の祖母の話を、とても、たくさん聞いていた)私であっても、分かりません。
前述の通り、私が社会人となり忙しくなる前は(私が幼い頃・子供の頃から大学生の頃までは)、母方の祖母の、一番の話し相手は(私の母方の祖母と、一番、たくさん話していたのは)、大の、おばあちゃん子であった私でした。
私は、話し(会話)が、決して上手な方ではないと思いますが、(まあ、私は出来た人間ではないので、気の利いたアドバイスは出来ないかもしれないですが)、女性と飲みながら、悩み・愚痴をしっかりと聞いて、女性に、出来るだけ共感してあげようとする事位ならば、どれだけでもと言った感じです。
私は、女性に対しては聞き上手だと思いますし、少なくとも聞き上手になろうと努力はしています。一方、私は、kjの「悩み相談」掲示板においては、「悩み相談」掲示板と言う掲示板の性質と共に、面と向かった会話ではない、掲示板における回答と言う限られた中での会話と言う性質も大きいのですが、「悩み相談」掲示板の投稿の回答においては、投稿者が男女関わらず、つい「アドバイスや解決方法で答える」と言う方向に行ってしまいますw(まあ、何れにしても、私は出来た人間ではないので、気の利いたアドバイスは、全く、出来ていませんが。。。本当に、自分で、情けないorz)。 まあ、これも男の考え方なのかもしれませんが、悩んでいるなら、その悩みを解決に導きたいと言う気持ちがあり、それはそれでいいのかなと思い、「悩み相談」掲示板の投稿の回答においては、投稿者が男女関わらず、そのスタイルは、変えるつもりはあまりありませんw
一方、実生活の会話においては、女性の、悩み等を、共感しながら、じっくり聞いてあげると言う事は心掛けており、話相手が女性の場合、そうした事は、ある程度自然に身について、出来ていると思います。
また、前述の通り、話し(会話)が、決して上手な方ではないと思いますが、私は、昔から、実際に話が面白いかどうかは置いておいて、実生活において、面白い話をして、人を笑わせるのが好きで、(これは、相手が、男女関係ない事ですが)、私は、笑いの波長の合う相手だと、相手を笑わすのが楽しいので饒舌になりますw
ちなみに、私の父方の祖母は、昔から頭の回転が速く、ユーモアがあり、話がとても面白いです。私の父方の祖母のその様な性格は、私の父の姉(私の伯母)が受け継ぎ、私の伯母は、やはり、私が子供の頃から、とてもユーモアがあり、話がとても面白いです(ちなみに、私の父は、そうでもありません)。私も、実際に話が面白いかどうかは置いておいて、実生活において、面白い話をして、人を笑わせるのが好きなのですが、私の性格の、その様な面は、私の父方の祖母の性格を受け継いでいると思います。
以下、参考の投稿。
私のルーツ(究極の保守主義者)(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/2570277?&sfl=membername&stx=jlemon
私のルーツ(究極の保守主義者)(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_11/view/id/2570277?&sfl=membername&stx=jlemon
前述の通り、私は、実生活の会話においては、女性の、悩み等を、共感しながら、じっくり聞いてあげると言う事は心掛けており、話相手が女性の場合、そうした事は、ある程度自然に身について、出来ていると思いますが、その様な、私の女性の(と言うか人の)話の、聞き上手と言った事に関して、私は、母方の祖母と、たくさん話をした(母方の祖母の話を、たくさん聞いた)と言う事を通じて、培われた、その事が、大いなる土台となったと思います。
私が、実家で、母方の祖母の部屋を訪れると、母方の祖母は、いつでも、満面の、温かく、嬉しそうな、優しい笑顔で迎えてくれました。そして、母方の祖母は、私が、一度、祖母の部屋に遊びに訪れると、時間が許す限り(いや、時間が許さなくても)、いつまでも、私にいて欲しいと言った感じで、私が適当に時間を見て、「じゃあ、おばあちゃん、そろそろ行くね」と言わない限り、祖母の部屋から出て来れずw、私の母方の祖母の方からは、絶対に、そろそろ、遊びに行っておいでとか、そろそろ、勉強があるんじゃないか等と言って、私に、そろそろ行ってもいいよと配慮するような事は、絶対にありませんでしたw
私の母方の祖母からは、人の心を思いやる、優しい心と言う物を学びました。そこにいてくれるだけで、存在していてくれるだけで、皆の(少なくとも私の)、癒しとなり、優しい気持ちになれた、おばあちゃん。そこにいてくれるだけで、存在していてくれているだけで、ありがたく、いつでも、幸せな気持ちになる事が出来ました。
私が、母方の祖母の部屋を訪れた際の、祖母の、満面の優しい笑顔は、今でも、鮮明に、私の心の中に残っています。その一方において、私が社会人になった後は、忙しく、私の母方の祖母が亡くなるまで、たまにしか、私の母方の祖母の、話し相手を出来なくなってしまったのが、今でも、私の大きな、悔い・心残りとなって、心の中にあります。
前述の通り、私の母は、男の子は女性を助ける力強く優しい男性に育てなければならないと言う保守的な教育方針があって、私も私の弟も、母に、男は涙を見せるものではない、男は簡単に泣くようでは、女性を守れない等と言った内容の事を言われて、育てられて来たと言う影響もあり、私も実際に、その通りであると思い、私は、少なくとも、中学生以降は、自分自身に関する事で、泣いた(涙を流した)事は、一度もありません。まあ、そんな私も、悲しい映画とか、悲しいドラマとかには弱く、割と、涙もろいと言うか、割と、すぐ涙が出て来てしまう方なのですが(まあ、涙が出ると言うだけで、泣くと言う程ではない)w
私は、そもそも、子供の頃を含めて、号泣と言ったものは、ほとんどした事がないのですが(私の親(母)は、子供(私、及び、私の弟)が、子供の頃から高校生の頃、子供(私、及び、私の弟)の事を、物質的には、好き放題、甘やかせていた為、私と私の弟は、幼い頃・子供の頃から、自分が欲しい物の為に、駄々をこねると言った必要はありませんでしたw)、私は、大人になってから、と言うか中学生以降、号泣(しかも大号泣w)した事が、たった一度だけあります。
それが、母方の祖母の、お葬式の時です。私の、母方の祖母の、お葬式の時(私の母方の祖父は、既に亡くなっていました)、父は泣かず、母は、しくしく泣いて、私の2歳年下の弟も、しくしく泣いて、私だけ、号泣(しかも、恥ずかしげもなく、思わず、大号泣w)してしまいました。
前述の通り、私の母方の祖母は、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった女性であり、生涯、窓際で、白馬の王子様が、自分を迎えに来るのを、待ち続ける、夢見る少女の様な面を持った女性でした。
母方の祖父は、良き(良い)夫でしたが、母方の祖母にとって、母方の祖父は、白馬の王子様としては、物足りない男性であった様ですw
前述の通り、私が社会人になった後は、忙しく、私の母方の祖母が亡くなるまで、たまにしか、私の母方の祖母の、話し相手を出来なくなってしまったのが、今でも、私の大きな、悔い・心残りとなって、心の中にありますが、私が、母方の祖母にとって、少しでも、白馬の王子になれていたとしたら良かったなと思います。
私の母方の祖母について、及び、私の母方の祖母に対する、私の思い等は、これだけでは書ききれない事から、また、まとめて、改めて、投稿しようと思っています。
実は、私の母方の祖母の、お葬式の時、私が、ただの号泣ではなく、大号泣したのは、理由があったのですが、それについては、また、改めて、私の母方の祖母に関する投稿を書く際に、書きたいと思います。
亡くなった、私の母方の祖母が、最も、好きであった、イラストレーターが、「蕗谷虹児(祖母が好きであった挿絵画家)後編」で紹介する、蕗谷虹児(fukiyakoji)です。
私の母方の祖母は、竹久
夢二(takehisa yumeji)等も好きでしたが、何よりも蕗谷 虹児(fukiya
koji)の絵やイラスト(illustration)が好きだった様です。私の母方の祖母は、絵を描くのが好きでしたが、生涯、蕗谷
虹児(fukiya koji)の様な絵を、たくさん描いていました(絵と言っても、スケッチ(sketch)みたいな物ですが。。。)。
蕗谷虹児(祖母が好きであった挿絵画家)後編へ続く。。。
蕗谷虹児(祖母が好きであった挿絵画家)後編は、以下です。
蕗谷虹児(祖母が好きであった挿絵画家)後編(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2581912?&sfl=membername&stx=jlemon
蕗谷虹児(祖母が好きであった挿絵画家)後編(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2581912?&sfl=membername&stx=jlemon