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過去に行った80年代の音楽の思い出の投稿の総集編と言った感じの投稿です。
以下、80年代の音楽の思い出前編からの続きです。
80年代の音楽の思い出前編は、以下です。
80年代の音楽の思い出前編(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2636409?&sfl=membername&stx=jlemon
80年代の音楽の思い出前編(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2636409?&sfl=membername&stx=jlemon
東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。
私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います。私の弟は、外資系の会社員で、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人。女の子は、一昨年、生まれたばかり)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。
後述する通り、私の父は、子供の教育に関しては面倒くさいので何も考えないと言った感じの、ある意味、子育てに関して自己中心的な面があった男性でしたが、父の、私と弟が、幼い頃・子供の頃の、子供(私と弟)に関する教育方針の中で、個人的に、例外的に、評価出来ると思う事の一つにw、以下の事があります。
それは、私と私の2歳年下の弟が、幼い頃・子供の頃、父の主導により、私の両親は、子供に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を買い与えると共に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を読み聞かせる主義であった事です。
父は(又は父の主導により)、私が幼い頃、私は、父(又は両親)に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を買い与えられました。それ等の、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)は、私に買い与えられた物ですが、父(又は両親)は、当然、それ等の、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)が、私の、お古として、弟が、読み聞かせられる・読む事も想定していました。
少し、大袈裟に言えば、私が幼い頃の当時、日本国内外の、名作と呼ばれていた、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)の、ほとんどは、家(実家)にあったと思います。また、アメリカ・ヨーロッパの(たぶん。。。具体的に、どの国の物であったのか、憶えていないと言うか、幼かったので意識していませんでした)、飛び出す絵本等も、家(実家)に、たくさんありました。
絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を、私に読み聞かせていたのは、母、及び、父で、弟に読み聞かせていたのは、母、父、弟よりも先に絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)の字が読めるようになってからの子供の頃の私です。私は、子供の頃、弟の為に、自分の絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)等の読み聞かせの音をカセットテープに録音したりもしていました。
絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)とは別に、父は、私が幼い頃、私に、古本屋(古本店)で、古本の、世界の童話・民話、シリーズ・全集等の、子供向けの、世界の童話・民話等の、シリーズ・全集ものを、まとめ買いし、何セットか、買って来ました。それ等の、シリーズ・全集ものも、私に買い与えられた物ですが、父は、当然、それ等の、シリーズ・全集ものが、私の、お古として、弟が、読み聞かせられる・読む事も想定していました。
その様な、シリーズ・全集ものの、全ての、お話を、親が子供に読み聞かせるのは、時間的に無理であった事から、私は、自分で字が読めるようになってからは、その様な、シリーズ・全集ものは、自分で、読みました(まあ、ほとんどの話は、忘れてしまっているのですがw)。
その様な、幼い頃、親に読み聞かされていた、世界の童話・民話、シリーズ・全集等に収められていた、お話の中で、最も印象に残っている、お話の一つとして、「幸福な王子」があります。「幸福な王子」は、私が、そうした、世界の童話・民話、シリーズ・全集等の字を、弟よりも先に読めるようになってからは、私の2歳年下の弟に、何回も読み聞かせてもいました。
「幸福な王子」の、お話です。You tubeから借りて来た物。子供の頃、何回も読んだ、「幸福な王子」の、お話は、私と弟の人生の価値観に大きな影響を与えました(今でも、私と(おそらく)弟の人生の価値観に大きな影響を与え続けています)。
私の母は、昔から(私が子供の頃から)、「母親である前に女」であるような女性ですw
私は、顔は、母よりも、父に似ており、私の弟は、父と母、両方に似ているとも言えるし、父と母、どちらにも似ていないとも言える顔です。
私と、私の母との関係は、私の母にとって、私は、昔から、自分の好みのタイプのルックス(外貌)の(私は、顔は、母よりも父に似ているのですが、私の父と母は、父の顔を見て、一目惚れした私の母が、父に対して、猛烈にアプローチ(誘惑)しての、バリバリの恋愛結婚ですw)、何でも、気楽に話せる、気の合う男友達と言った感じで、私の母は、昔から、自分の恋愛話でも何でも、自分の事は、何でも、バンバン私に話して来ていますw これに対して、私の母は、私の弟に対しては、昔から、態度を使い分けて来ていると言った感じで、弟に対しては、自分の話を、何でもすると言う訳ではなく(弟に対しては、自分の、女性である面を見せようとせず)、昔から、相対的に、母親の顔をしようとして来ている感じです。
私は個人的に少なからぬ女性経験はありますがw(済みません。私は昔は(若い頃は)、ワルでした)、前述の通り、母自身、何も考えていないと言うか、母自体がチャラチャラしている面があり、男の子は、ある程度、遊んだ方が良い・やんちゃした方が良い位に、思っていた節があり、又、変な話かもしれませんが、私の母は、私に関して、自分が惚れた男性との間に産んだ自分の息子(私)の女性関係・女性遍歴に関して、昔から、まんざらでもないと思って来た・誇りに思って来たような面もある感じもしますw
私の父は、私が子供の頃・若い頃は、典型的な、仕事人間・会社人間と言った感じで、土・日・祝日や休暇時期に、子供(私及び弟)を積極的に遊びに連れていったり・子供(私及び弟)と積極的に遊んだりして、子供(私及び弟)の思い出作りには、出来るだけ協力するが、子供(私及び弟)の教育に関しては、妻である私の母に全て任せて、自分は(私の父は)、子供(私及び弟)の教育に関して、一切、関与する事はなく、(父は、私及び私の弟が子供の頃は、子供(私及び弟)の事は好きで、一緒に遊ぶのは楽しいが)、子供の教育に関しては面倒くさいので何も考えないと言った感じの、ある意味、子育てに関して自己中心的な面があった男性でした。
父は、私が幼い頃・子供の頃、私と、よく遊んでくれましたが、父は、私の弟に関しては、長男である私と遊ぶので、子供と遊ぶのは飽きてしまったと言った感じもありましたw(前述の通り、私の父は、ある意味、子育てに関して自己中心的な面があった男性です)。これに対して、弟は、幼い頃・子供の頃は、甘えん坊で(今でも、私の弟は、性格に甘えん坊な面がある様な気がします)、私の母に、べったりと言った感じで、(弟が、幼い頃・子供の頃は)、私の母に、よく甘えており、母も、弟が、幼い頃・子供の頃、弟に対して、よく甘えさせて、相対的に、しっかりと母親をしていた感じですw
使い勝手の良い写真なので、私の多くの投稿で使い回してしまっていますがw、私が子供の頃(小学生の頃)の写真です(前に、我が家の近所の実家を訪れた際に、出て来た、古い写真の中から、私が写っている物の一部を貰って来て、我が家に保管してある物の中から、一枚)。夏の休暇時期の写真で、とても日焼けしていますw 左側の帽子は、私の2歳年下の弟の帽子(私は兄弟姉妹は2歳年下の弟が一人います)、右側の帽子は、私の父の帽子で、写真は、私の母が撮影した写真です。服は、夏の休暇時期なので、とてもカジュアルな服装になっています(普段、小学校に通う時は、もう少し、お洒落をして行きましたw)。子供の頃(小学生の頃)は、夏の休暇時期は、この様な服で、飛び回っていました。 ちなみに、私の家族の肌の色は、父(白)、母(白)、私の弟(白)、私だけ、(おそらく私の母方の祖父の隔世遺伝で)どちらかと言えば黒です(ちなみに、どうでも良い事ですが、家族全員、酒飲みで、酒には強いですw)。例えがイケメン俳優さんで申し訳ありませんがw、私の肌の色は、調度、竹野内 豊さんと同じ位の感じです(ちなみに、どうでも良い事ですがw、私よりも竹野内豊さんの方がまあまあ年上です)。
上の写真で見て分かる通り、私は、子供の頃(小学生の頃)は、少し、丸々としていました(少し、太っていました)。ただし、実は、(たぶん、小学生の頃の、女の子は、相対的に、それ程、深く考えないで、男の子に、バレンタインデー(Valentine‘s Day)の、チョコレート(chocolate)を渡してしまう年頃と言うのもあって)、私が、人生の内で、バレンタインデー(Valentine‘s Day)の、チョコレート(chocolate)(義理チョコレートではなく、私の為の(私向けの)、個別のチョコレート(chocolate))を、一番、たくさん貰っていたのは、小学校中学年から小学校高学年の頃でw、バレンタインデー(Valentine‘s Day)の時期には、親に、冗談で、よく、チョコレート(chocolate)屋さん(チョコレート(chocolate)店)を開いた方が良いとか、チョコレート(chocolate)会社を経営出来るのではないか等と、からかわれていましたw
私は、チョコレート(chocolate)を含めた、お菓子全般は、好きなのですが、小学生の頃の、バレンタインデー(Valentine‘s Day)時期は、チョコレート(chocolate)を貰い過ぎて、チョコレート(chocolate)を食べるのに飽きてしまい(チョコレート(chocolate)を食べ切れなくて)、チョコレート(chocolate)をくれた女の子達には、大変、申し訳なかったのですが、少しずつ味見をして、家族や男の友人達等に、(貰った)チョコレート(chocolate)をあげたりしていました。
ちなみに、私は、小学校の頃は、同じ小学校に通う、同じclassの女の子・同学年の女の子のような、同年代の、子供の女の子達には興味は示さず、当時、小学生の頃の私から見たら、十分に、大人に見える、女性、芸能人であった、中山 美穂(nakayama miho)と言う、女性、アイドル(idol)歌手が、好きでしたw 中山 美穂(nakayama miho)は、私が、生まれて、初めて好きになった、女性、芸能人の一人です。
高校生になると、身近な(自分の周囲の)女性達に夢中になり、女性、芸能人自体に、それ程、興味を持たなくなり、好みの女性のタイプも変化したので、だんだんと、中山 美穂(nakayama miho)のファン(fan)でなくなって行きましたが。。。
私は、小学校の頃は、同じ小学校に通う、同じclassの女の子・同学年の女の子のような、同年代の、子供の女の子達には興味は示さず、小学生の頃の私から見たら、十分に、大人に見える、女性、芸能人の事が好きになり、逆に、高校生になると、身近な(自分の周囲の)女性達に夢中になり、女性、芸能人自体に、それ程、興味を持たなくなり、基本的に、女性、芸能人の事なんて、どうでも、良くなりましたw
中山 美穂(nakayama miho)に関しては、80年代の音楽の思い出前編を、参照して下さい。
幼い頃・子供の頃の、私と私の弟は、私の母にとって、マスコット・自慢のペット(愛玩動物)のような物でしたw ぶっちゃけて言うと、私も弟も、幼い頃・子供の頃、大人達からの、可愛い・ハンサム・可愛くてハンサムと言った感じの、お世辞は言われ慣れていましたw
私も私の弟も、子供時代、ズル賢い子供で、母の前で、お行儀が良いペット(愛玩動物)を演じている限り、母に愛されて、母に甘やかされて、結果として、自分達の得になる(自分達が幸せになる)と言う事を、幼い頃から、本能的に分かっていると言う感じの子供でしたw
また、それに関連して、私も私の弟も、こうすれば、大人達に、可愛がられると言う事を、幼い頃から、本能的に分かっていると言った感じの子供で、(まるで、女性が小悪魔テクを無意識的・意識的に使うようにw)、そうした事を、無意識的・意識的に行っていました。
前述の通り、幼い頃・子供の頃の、私と私の弟は、私の母にとって、マスコット・自慢のペット(愛玩動物)のような物でw、お客さんが家に来た際は、多くの場合、母に、一回は、挨拶に出されました。
私も私の弟も、幼い頃・子供の頃、お客さんに挨拶する時、無意識的・意識的に、はにかんだりしていましたが、私も私の弟も、はにかんだ方が、大人に可愛いと思われ、可愛がられると言うのを、幼い頃から本能的に分かっていた為であると思いますw
お客さんに、一通り、顔見せを済ませた後は、私の母は、それぞれの部屋に戻って遊んでなさいと言った感じの事を言ったり、そのような流れに持って行ったりしたのですが、私も私の弟も、長時間、お客さんに愛想を使い続けるのも疲れるのでw、母が、そのような感じの事を言ったり、そのような流れに持って行った時は、私も私の弟も、喜んで、再び、自分たちの部屋に戻り、おもちゃやゲームで遊んでいました。
私の母は、子供(私と私の弟)に対して勉強しろと一切言わないタイプの親でしたw
私の母は、子供(私、及び、私の弟)が、子供の頃から高校生の頃、子供(私、及び、私の弟)の事を、物質的には、好き放題、甘やかせ、又、子供(私、及び、私の弟)の勉強に関しては、全くと言って良い程、関心がなかったのですが、母は、二人の息子を育て上げるにあたって、これだけはと言う教育方針がありました(もっとも、母にとっては、もしかしたら、それも意図的な教育方針と言うものではなく、母は、それについても、何も考えずに、無意識的・本能的に、そうしていたのかもしれません)。
私も、私の2歳年下の弟も、少し、大袈裟な言い方をすれば、保守的な考えに基づき、女性を、尊敬・尊重し、女性を大切にすると言う事に関しては、母に徹底的に教育されました。
私の母は、ミーハーで、面食いの(ハンサムな男性が好きな)、女性でした。また、私の母は、親バカでしたw 私の母は、自分の息子(私と、私の弟。特に私w)の事を、ハンサムと評価していました。
私の母が、私が思春期の頃に、私に、よく言っていた言葉(また、私の弟にも、私の弟が、思春期の頃に、時々、言っていた言葉)で、印象に残っている言葉で、たぶん内面や心掛け等に関して言っていたんだと思いますが、「美男子(又は、ハンサム。どちらか忘れた。まあ、両方言っていたと思います)は、女性(又は、女性達。たぶん両方言っていたと思います)の美男子に対する期待に応える義務がある」と言う言葉がありますw
また、私の母は、私と、私の弟が、思春期の頃に、私と私の弟に対して、「美男子(又は、ハンサム)に生まれたのは、たまたま運が良かっただけで、図に乗ってはいけない」だとか、「運が良く美男子(又は、ハンサム)に生まれたからには、相応の社会的な責任を負わなければならない」と言った感じの言葉も言っていましたw 笑ってしまうような言葉ですがw、母は、割と真面目な気持ちで息子達に言い聞かせているような感じでした。
以下、参考の投稿。
万引きの思い出/先生のエコ贔屓(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2625194/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
万引きの思い出/先生のエコ贔屓(日本語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2625194/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
インタビューとラブレター(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2623529/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
インタビューとラブレター(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_8/view/id/2623529/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
これは、調度、私が、子供の頃の物で、「Dragon Ball」(日本の、人気、漫画・TVアニメシリーズ(TV anime series)。漫画は、1984年から、アニメ(anime)は、1986年から)の、最初の、TVアニメシリーズ(TV anime series)(1986年から1989年に放映)の、エンディングテーマ曲(終わりに流れる曲)(1986年)です。「Dragon Ball」は、子供の頃、「Dragon Ball」の原作の漫画が連載されていた、週刊少年ジャンプ(Weekly Shonen Jump)(日本の、人気、少年(男性、小学生・中学生・高校生)向けの、週刊の、漫画雑誌の一つ)も、TVアニメシリーズ(TV anime series)も、夢中で、見ていました。
以下2つは、私が、中学生の頃、好きだったrock bandの例です。
Shark Islandは、アメリカの、 rock bandなのに、ヨーロッパ的な雰囲気がある所が、好きでした。ちなみに、私が、中学生・高校生の頃、とても好きであったバンドの一つにGuns N’ Rosesがあるのですが、Guns N’ Rosesの、ボーカリスト(lead vocalist)、W. Axl Roseは、Shark Islandのボーカリスト(lead vocalist)、Richard Blackの影響を受けています。
Shark Islandの曲の例。Shark Island- 「Paris Calling」(1989年)。
「IT BITES」は、イギリスのrock bandで、私が、中学生の頃、大好きであった(とても好きであった)、rock bandです。
10代の頃、街中で、偶然、「IT BITES」の中心人物であるFrancis Dunnery(リードボーカル(lead vocals)とギター(guitar)担当)に出会った際に貰った、Francis Dunneryのサイン(autograph)。不意打ちで、出会った時に貰ったので、ノート(notebook)の切れ端に書いて貰いましたw
以下、4つ。「IT BITES」の曲の例。
「IT BITES」-「Kiss Like Judas」(1988年)。
「IT BITES」-「Sister Sarah」(1989年)
「IT BITES」-「Still Too Young to Remember」(1989年)。
「IT BITES」-「The Ice Melts into Water」(1989年)。生演奏。
HANOI ROCKSは、ヨーロッパと日本で、人気があったのですが、HANOI ROCKSが活躍していた1980年代前半当時は、私は、まだ幼い頃から子供の頃で、また、私は、小学校高学年で、聴く音楽に関して、親離れをし(親の影響下を脱し)、自分自身の(自分独自の)、音楽の趣味に目覚めるまでは、親(主に母親)の影響で、J-popやソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等を聴いていたのですが、HANOI ROCKSは、当時、親が興味がなかった事から、私は、HANOI ROCKSについて、知りませんでした。
この様に、私は、HANOI ROCKSが活躍していた時を、リアルタイムで味わった世代ではないのですが、私が、中学生・高校生の頃、とても好きであったバンドの一つにGuns N’ Rosesがあるのですが、Guns N’ Rosesが、HANOI ROCKSの影響を受けていた事等から、私は、HANOI ROCKSは、中学生の頃から、興味を持ち、CDを買って聴くようになり、中学生・高校生の頃(特に中学生の頃)、好きなバンドの一つでした。
以下5つ。HANOI ROCKSの曲の例。
HANOI ROCKS-「Café Avenue」(1982年)。
HANOI ROCKS-「Don"t You Ever Leave Me」(1981年)。
HANOI ROCKS-「Malibu Beach Nightmare」(1983年)。
HANOI ROCKS-「Ice Cream Summer」(1983年)
HANOI ROCKS-「Tragedy」(1981年)。
上の写真の詳細に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。
上の写真の詳細に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。
適当に雑多なJ-pop(日本語)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_3/view/id/2595722?&sfl=membername&stx=jlemon
適当に雑多なJ-pop(韓国語)→
http://www.kjclub.com/kr/board/exc_board_3/view/id/2595722?&sfl=membername&stx=jlemon
私は、小学校高学年で、聴く音楽に関して、親離れをし(親の影響下を脱し)、自分自身の(自分独自の)、音楽の趣味に目覚めるまでは、親(主に母親)の影響で、J-popやソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等を聴いていました。
そんな、親(母親)の影響で、よく聴いていた、J-pop・ソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等の一つに、Duran Duranがあります。ちなみに、Duran Duranのベーシスト(bassist)、John Taylorは、小学生の頃、思い出せる限り、男ながら、漫画・アニメの登場人物以外で、初めて格好良いと思った男の一人です。ちなみに、私は、別にホモではありませんw(と言うか、自分では、かなりの女好きの(女性が好きな)男だと思いますw)。
Duran Duran-「Notorious」(1986年)。
前述の通り、私は、小学校高学年で、聴く音楽に関して、親離れをし(親の影響下を脱し)、自分自身の(自分独自の)、音楽の趣味に目覚めるまでは、親(主に母親)の影響で、J-popやソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等を聴いていたのですが、小学校高学年の時、Bon Joviを、初めて聴いた際に、こんな音楽があるのかと衝撃を受け、以来、hard rock・ heavy metalの魅力に取りつかれ、中学生の頃、hard rock・ heavy metalを、とても、よく聴いていました(CDも、たくさん買いました(CDもたくさん、持っていました))。
ちなみに、Bon Joviは、世界的に人気が出る前に、日本で、むしろアメリカ国内よりも(たぶん)、人気があったのですが(日本の若い女性達にアイドル的な人気を博していた)、そんな、日本で、若い女性達に、アイドル的な人気を博していた頃の、Bon Joviは、当時、私は知らなくて(その当時は、まだ、私は、親の影響下で、J-popやソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等を聴いていた)、私が、Bon Joviを知ったのは、Bon Joviが世界的に人気が出てからです(Bon Joviの3作目のアルバム、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」(1986年)が、世界的に、ヒットしてからです)。
私が、小学校高学年の頃、生まれて初めて、自分の意志で、且つ、自分の、お小遣いで買ったCDは、Bon Joviの3作目のアルバム、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」(1986年)です。ちなみに、当時、私は、異性に目覚めている部分はありましたが、まだ、性欲には目覚めていなかったのですが、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」の、日本版のジャケット(と言うか、日本版のジャケットが、元々のジャケットで、アメリカ国内版のジャケットは、元々のジャケットが、過激過ぎる等と言った理由で、差し替えられた物であるようです)が、恥ずかしいと言う認識はあり、それを誤魔化す為等の理由で、EUROPEのアルバム、「The Final Countdown」(1986年)も、その時、一緒に買ったのは内緒ですw(と言うか、別に内緒ではありませんw ちなみに、「The Final Countdown」も、いいアルバムでした)。
小学校高学年から中学校2年生頃、家で、Bon JoviのCDをかけながら、鏡に自分を映して、Bon Joviのボーカリスト、Jon Bon Joviの歌真似をして、一人で、Bon Joviごっこをしていたのは、赤面の(恥ずかしい)思い出ですw しかしながら、この小学校高学年から中学校2年生頃の赤面の(恥ずかしい)行為(Bon Joviごっこ)が、後に、意外な所で、役に立ち、若い頃(大学生の頃)、北米(アメリカ・カナダ)の、カラオケ(karaoke)バー・カラオケ(karaoke)パブに客として訪れ、店のステージで、Bon Joviを歌った際に、店内の客達に、大うけしましたw
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Bon Jovi-「You Give Love a Bad Name」(1986年)。私が、小学校高学年の時、生まれて初めて買ったCD、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」(1986年)の収録曲です。
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Bon Jovi-「I"ll Be There for You」(1988年)
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Bon Jovi-「Living in Sin」(1988年)。
前述の通り、私は、小学校高学年の時、Bon Joviを、初めて聴いた際に、こんな音楽があるのかと衝撃を受け、以来、hard rock・ heavy metalの魅力に取りつかれ、中学生の頃、hard rock・ heavy metalを、とても、よく聴いていましたが(CDも、たくさん買いました(CDもたくさん、持っていました))、Skid RowとL.A. Gunsは、私が中学生の頃、とても好きであった、bandです。L.A. Gunsに関しては、中学から高校の初めにかけて好きでした(当時、Guns N" Rosesも好きでしたが、L.A. Gunsの方が、より好きでした)。
Skid Row-「I Remember You」(1989年)。
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L.A. Guns-「The Ballad of Jayne」(1989年)。ちなみに、L.A. Gunsの、ボーカリスト(vocalist)、Phil Lewisの、奥さん(妻)は、日本の、一般人の(たぶん。。。)、女性です。