この投稿の動画は、全て、you tubeから借りて来た物です。
kjで、行った投稿を、きっかけとして発見した、今まで生きて来た中における、自分の女性関係における、何気ない(本能的な)行動・経験・体験が、親の教育や育った家庭環境によるものであった事や心理学によって裏付けされたと言うテーマの投稿です。
これに関しては、以下の投稿も参照して下さい。
私と弟1→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2694414?&sfl=membername&stx=jlemon
私と弟2/カラオケ(まとめ)等→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2694200?&sfl=membername&stx=jlemon
美女ホイホイ→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2692355?&sfl=membername&stx=jlemon
何気ない行動・経験が心理学で裏付けされた件→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2693475?&sfl=membername&stx=jlemon
基本的に、過去の私の投稿文の、寄せ集めと言った投稿です。
私は、前に、「伝統文化」掲示板の、韓国の方の、日本のyobai文化について、教えて下さい?と言った投稿のレスにおいて、「女性とsexをしたければ、女性に何かを求めては駄目です。あなた自身が、女性に求められるような(女性の需要を満たすような)、魅力的な男性になりましょうw」とコメントしました。
即ち、男性が女性の事を欲するのならば、自分の欲望に任せて、女性を追い求めるのではなく、(女性に対する男の武器(女性に対する男の魅力)と言うのは、男性によって、様々であると思いますが、何れにしても)、自分が、女性に対して、何を与える事が出来るのかと言う事を考えるべきであると言う事です。
ちなみに、女性に対して、何かを与えると言う事と、女性に媚びると言う事は、全く違います。過去のrelaxさんの投稿の、私のコメントに対する、relaxさんの返信において、relaxさんが、良い内容の事を、仰っていました。女性に対して、媚びると言う行為は、女性に対する、本当の優しさではなく、男性が、自分の欲望に任せて、女性を追い求める行為の一環に過ぎず、女性の為の行為ではなく、女性に対して媚びを売る男性自身の為の行為に過ぎない(女性に対して媚びを売る男性自身の我儘な行為である)と言う事です。
男性は、自分が女性を選ぶ(女性を愛する・女性を求める)立場にあると言う意識でいるよりも、自分は女性に選ばれる(女性に愛される・女性に求められる)立場にあると言う意識でいる方が、結果として、女性と仲良くなれる確率が高くなると思います。
そんな事言っても、自分は、容姿に自信がないし、かと言って、その他の、女性に対する男の武器(女性に対する男の魅力)がある訳でもないし、会話が得意である訳でもないし(高い話術を持っている訳でもないし)、知識もないと思われている男性がいらっしゃいましたら、女性に対して、話の聞き上手になり(女性の話の聞き役に徹し)、女性の、愚痴や悩みを、しっかりと共感しながら聴いてあげる。これだけでも、男性の女性に対する、大きな武器(大きな魅力)の一つとなります。
個人的に、日本で、男として生まれ
て(日本人の男として生まれて)、良かったと思う(幸せだと思う)、最も重要な理由に、性格も含めて、日本の女性(日本の女性達)が、世界で、一番、良い
(世界で、一番、素晴らしい)(あくまで、私の個人的な意見ですが。。。w)と言う事が挙げられます。生まれてから、今まで、生きて来て、女性達には、本当に、優しく、親切にして貰って来て、本当に、感謝しています。
日本の女性の特徴は、私の経験の範囲内における、一般的な傾向として(もちろん、全ての、女性に当てはまる訳ではない)、愛想・愛嬌がある、ファッション(服装)や、振る舞い等が、女性である事を意識している、好意を持っている(好きな)男性に対して、自分で(自ら)、積極的に、アプローチする(誘惑する)女性が、多い(ただし、そうではない女性もいる)、好きなった異性とのsexは、男性よりも積極的である、優しい、親切、根本的に、頭が良いと言った事が挙げられます。
私はB型のマイペースで、女性に拘束されるのは嫌いなタイプなのですが、その一方で、寂しがり屋の面もあってか(自分で言うのも何ですが、性格は完全に猫と言った感じですw)、中学校2年生の後半(14歳の時)に、初めて、女性と交際して以来、今まで、途中、大学生の時、1年間、アメリカに留学していた時を除いて、二か月以上、女性と交際しない期間が空いた事がありません(大学生の時、1年間、アメリカに留学していた時は、交際している女性はいませんでした。。。それは、それで、楽しかった)。ちなみに、私が、今まで、交際して来た女性は、全て、日本の女性です。
したがって、私は、基本的に、女性がいない生活と言うのは、あまり、想像が付きません(あまり、想像が出来ません)。ちなみに、私は昔から女性を好きになったらアクションを起こしてしまう性格+運の良さで、今まで、ずっと、自分が本当に好きになって交際したいなと思った女性に関して、実現しなかった恋はありませんw(まあ、見かたによっては、あまりにも侘びも寂もなく、つまらない人生とも言えるのかもしれませんがw)。
また、私は、今まで、交際していた女性が、私以外の男を好きになった事が原因で、交際していた女性と別れた、又は、交際していた女性に別れを告げられた事は、一度もありません。
実は、私の気が多い性格から、私の今までの、恋愛の結末のほとんどが、交際相手の女性にとっては、GO BANG‘Sの曲の、「BYE-BYE-BYE」の歌詞のような結末で終わらせてしまいました(本当に、ごめんなさい)。
GO BANG‘S -「BYE-BYE-BYE」(1991年)。私が中学生の頃、出た曲です。実は、私の気が多い性格から、私の今までの、恋愛の結末のほとんどが、交際相手の女性にとっては、この、GO BANG‘Sの曲の、「BYE-BYE-BYE」の歌詞のような結末で終わらせてしまいました(本当に、ごめんなさい)。
GO BANG‘S -「BYE-BYE-BYE」(1991年)の歌詞→
http://j-lyric.net/artist/a00e3e4/l00621c.html
以下の投稿も参照して下さい。
我儘な私→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2621281/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。
私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います。私の弟は、外資系の会社員で、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人。女の子は、一昨年、生まれたばかり)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。
私の父は、子供の教育に関しては面倒くさいので何も考えないと言った感じの、ある意味、子育てに関して自己中心的な面があった男性でしたが、父の、私と弟が、幼い頃・子供の頃の、子供(私と弟)に関する教育方針の中で、個人的に、例外的に、評価出来ると思う事の一つにw、以下の事があります。
それは、私と私の2歳年下の弟が、幼い頃・子供の頃、父の主導により、私の両親は、子供に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を買い与えると共に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を読み聞かせる主義であった事です。
父は(又は父の主導により)、私が幼い頃、私は、父(又は両親)に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を買い与えられました。それ等の、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)は、私に買い与えられた物ですが、父(又は両親)は、当然、それ等の、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)が、私の、お古として、弟が、読み聞かせられる・読む事も想定していました。
少し、大袈裟に言えば、私が幼い頃の当時、日本国内外の、名作と呼ばれていた、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)の、ほとんどは、家(実家)にあったと思います。また、アメリカ・ヨーロッパの(たぶん。。。具体的に、どの国の物であったのか、憶えていないと言うか、幼かったので意識していませんでした)、飛び出す絵本等も、家(実家)に、たくさんありました。
絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を、私に読み聞かせていたのは、母、及び、父で、弟に読み聞かせていたのは、母、父、弟よりも先に絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)の字が読めるようになってからの子供の頃の私です。私は、子供の頃、弟の為に、自分の絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)等の読み聞かせの音をカセットテープに録音したりもしていました。
絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)とは別に、父は、私が幼い頃、私に、古本屋(古本店)で、古本の、世界の童話・民話、シリーズ・全集等の、子供向けの、世界の童話・民話等の、シリーズ・全集ものを、まとめ買いし、何セットか、買って来ました。それ等の、シリーズ・全集ものも、私に買い与えられた物ですが、父は、当然、それ等の、シリーズ・全集ものが、私の、お古として、弟が、読み聞かせられる・読む事も想定していました。
その様な、シリーズ・全集ものの、全ての、お話を、親が子供に読み聞かせるのは、時間的に無理であった事から、私は、自分で字が読めるようになってからは、その様な、シリーズ・全集ものは、自分で、読みました(まあ、ほとんどの話は、忘れてしまっているのですがw)。
その様な、幼い頃、親に読み聞かされていた、世界の童話・民話、シリーズ・全集等に収められていた、お話の中で、最も印象に残っている、お話の一つとして、「幸福な王子」があります。「幸福な王子」は、私が、そうした、世界の童話・民話、シリーズ・全集等の字を、弟よりも先に読めるようになってからは、私の2歳年下の弟に、何回も読み聞かせてもいました。
「幸福な王子」の、お話です。You tubeから借りて来た物。子供の頃、何回も読んだ、「幸福な王子」の、お話は、私と弟の人生の価値観に大きな影響を与えました(今でも、私と(おそらく)弟の人生の価値観に大きな影響を与え続けています)。
私は、自分の人生の生き方の、一般的なポリシー(方針)として、人に対して恩着せがましくしないという事があります。私はボランティアに積極的に参加するような性格ではありませんが、日常生活における人助けは好きですが、人間は、本来、人を助けたら気分が良くなる生き物で(私もそうです)、私にとって人を助ける事は完全に自己満足です。したがって、もちろん、助けた人から感謝の言葉を貰ったり、お礼をされれば嬉しいですが、私の中では、人助けをした時点において完結しており、助けた人や物を上げた人から感謝の言葉やお礼がなくても、私の中で、不快になったり、腹を立てたりする理由は何もありません。
上でリンクをつけた、「何気ない行動・経験が心理学で裏付けされた件」から抜粋して来た動画です。この話は、目から鱗と言うか、あまりに単純な事で、ズコッ(反応が、古っw)と言った感じで、ワロタw 女性が見ても、為になる動画であると思います。
上の「私にとって人を助ける事は完全に自己満足です。したがって、もちろん、助けた人から感謝の言葉を貰ったり、お礼をされれば嬉しいですが、私の中では、人助けをした時点において完結しており、助けた人や物を上げた人から感謝の言葉やお礼がなくても、私の中で、不快になったり、腹を立てたりする理由は何もありません」という言葉と矛盾するかもしれませんが、一方において、私は、人から何かをして貰って当たり前という感覚は、一生、持たないようにしようと思っています。
我が家の近所の私の実家は、元々、母方の祖父母の家で(ちなみに母は一人っ子です)、母方の祖父母が同居していたのですが(既に母方の祖父母とも亡くなり、現在は、実家は両親が引き継いで暮らしています)、母方の祖父は、健康過ぎて、医者いらずで医者嫌いで、かえって、その事があだとなり、癌の自覚症状が出るまで病院に行かず、病院に行って検査を受けた時には既に治療し治るには手遅れとなっており、70代の終わりで癌により亡くなりました。母方の祖父は、癌にさえならなければ(癌の原因はタバコでした)、又は、癌が早期に発見され治療が出来ていれば、90歳以上は生きたような気がします。
母方の祖父は、病院で癌が発見されてから、一回の、大きな手術を経て、1年も持たずに、私が高校生の時に70代の終わりで亡くなりました。母方の祖父の闘病生活は、とても、痛く・苦しい物であったようですが、母方の祖父は、一切、痛いとか、苦しいと言った事や愚痴や不満を、家族に言わずに、母方の祖父が出来得る限り、家族の前では、穏やかで、優しい、夫・父・祖父であり続けようとしました。母方の祖父は、病院の、医者や看護婦達にも、病状を伝える為の、痛いとか苦しいとかは言っていた様ですが、泣き言の痛いとか苦しいとか、愚痴や不満は、一切言わずに、その代わり、ひたすら、家族(妻(私の母方の祖母)、娘(私の母))に対して同様、感謝の言葉・お礼の言葉を述べていたそうです。
それは、おそらく、母方の祖父の、昔ながらの男の意地と言った物であったと思いますが、母方の祖母と、母は、それを、昔の男の家族に心配をかけない為の、優しさ・強さだと捉えて、賞賛していましたし、今でも、私の母は、そう捉えて、私の母方の祖父の事を賞賛しています。
実際になれるかどうか分かりませんが、私は、母方の祖父のような、強い男性になりたいと思っています。
上で、「生まれてから、今まで、生きて来て、女性達には、本当に、優しく、親切にして貰って来て、本当に、感謝しています。」と言う事に関して、私は、昔から、女性に対して(まあ、男性に対してもそうなのですが、特に女性に対して)、何かをして貰ったら、どんな些細な事でも、口癖のように、素直に、「ありがとう」と相手に伝わるように言って来たと言う事もあると思います。
この事は、意識している訳でもなく、昔から、自然と身についていました。
何故かと言うと、「ありがとう」と言う言葉は、母に対する父の口癖で、父は、母に対して、本当に、よく、「ありがとう」と、自然のように言っていた為です(おそらく、今も、そうであると思います)。
母は、父と結婚してから、アルバイトを含めて、仕事を、一切した事がない専業主婦なので、時間があるからと言うのもあると思いますが、会社員である、父の世話・面倒を見る事を、実に、甲斐甲斐しく行っていました(おそらく、今も、そうであると思います)。特に、父の出勤前と、父が会社から早目に帰宅した際に、そんな感じでした。ただし、母は、自由奔放な面が強い女性でありw、「自分がやりたいようにはやらしてもらうわよ」と言った感じでw、私の父は、私が子供の頃・若い頃は、典型的な、仕事人間・会社人間と言った感じで、平日は、週1日から3日位、仕事を終えた後、家に早く帰る日がありましたが、それ以外は、ほとんど深夜に帰宅していましたが 、母は、夫が仕事で帰宅が遅い日には、待たずに、さっさと寝てしまうタイプの妻でしたw
父は、母に何かをして貰った際に、どんな些細な事でも、口癖のように、素直に、優しい笑顔で、「ありがとう」と母に伝わるように言っていました(おそらく、今もそうであると思います)。
鶏が先か、卵が先かと言った感じで、母は、父に、優しい笑顔で、「ありがとう」と言って貰う事が、大好物のようで、父に、優しい笑顔で、「ありがとう」と言って貰う事が嬉しくて(父に、優しい笑顔で、「ありがとう」と言って貰いたくて)、上手い例えが思い浮かびませんが、小ツバメに対して餌を運ぶ親ツバメのように、また、花の周りと飛び回る蝶々のように、父の世話・面倒を見る事を、甲斐甲斐しく行っていました。
私の母は、無意識的・意識的に、「さすが!」とか「凄い!」とか「頼りになる!」とか、周囲の男性達を、おだてて、立てて、男性達に、助けて貰ったり、面倒な事を引き受けて貰ったり、優しくして貰うのが、(おそらく)若い頃から、とても上手で(とても得意で)、無意識的・意識的に、そうした事が、大好き(とても好き)な女性です。
私の母が年を取り、私が中年になってからの話ですが、前に、近所の実家に暮らす母は、私に、「男は、おだてれば何でもしてくれるのよ」と、ぶっちゃけ自分で本音を暴露していましたw
私の父も、もしかしたら子供が見ていない時に(母と二人きりの時に)、母に、さんざん、おだてられて来たのかもしれませんw
我が家の近所の私の実家の場合、元々、母方の祖父母の家で、母方の祖父母が同居していたのですが(既に母方の祖父母とも亡くなっている。今は両親の二人暮らし)、それは別の話として置いておいたら、私と弟が実家を出るまでは、母(父と結婚してからはずっと専業主婦)以外、会社員の父、私、私の2歳年下の弟の、全員、男であったのですが、母は、まあ何も考えないタイプの女性というのもありますがw、男連中を褒めて伸ばすタイプで、私は気分が良かったですし、父も弟も、そうであると思います。
私の実家は、別に裕福ではなく、普通の中流の家庭なのですが、私は、親(母)に、子供の頃、フォーマル、セミフォーマル、カジュアルの服の使い分けを、きちんと教育されて育った方であると思います。
フォーマルは、それこそ、行事の時や高級レストランに食事をしに行く際の服装であり、カジュアルは、普段着、セミフォーマルは、その中間の服装です。
私の父は、普通の会社員ですが(ちなみに、父は、今は、既に、半分定年退職状態となっています。また、私の母は、私の父と結婚してから、ずっと主婦です)、私の父は、私が、子供の頃、毎月一回(概ね1年間に12回)、父の給料日の直後の、土曜日等に、給料日祝いの夕食として、夕食を、家族(私の母、私、弟)を、ステーキ(beef steak)レストランや洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本人の口に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された、西洋料理)レストランに、ステーキ(beef steak)やハンバーグ(hamburger steak)を食べに連れて行きました(ちなみに、その際には、私の母方の祖父母は、家で、お留守番と言うか、行きませんでした。また、その際には、私も弟も、毎回、両親に、おもちゃ等を買って貰うのを楽しみにしていました)。その際には、母は、子供(私、及び、弟)には、基本的には、セミフォーマルの服を着せ、割と高級なステーキ(beef steak)レストランに行く場合には、フォーマルな服を着せました。
また、それとは別に、毎月一回(概ね1年間に12回)、父の給料日の直後あたりの日に、私の父と母は、(おそらく、ステーキ(beef steak)やハンバーグ(hamburger steak)を中心とした食事ではなく、大人向けの食事である)日本料理や西洋料理、中国料理の外食の夕食又は昼食を、(子供(私と弟)を、私の母方の祖父母と共に、家に、お留守番させて)、二人で食べに行ってました。その際には、母は、いつも、とてもお洒落をして(フォーマルな、お洒落な服を着て)、出掛けていました。また、それとは、また別に、私の父と母は、昔から(私が子供の頃から)、現在に至るまで、毎年、母の誕生日(又は、その付近の日)(父の誕生日は、昔から、それはしないw)と、結婚記念日(又は、その付近の日)に、高級な、日本料理や西洋料理、中国料理の外食を食べに出掛けており、その際にも、母は、昔から(私が、子供の頃から)、いつも、とてもお洒落をして(フォーマルな、お洒落な服を着て)、出掛けています(と言うか、今は、実家暮らしではないので、今の状況は、詳しく分かりませんが、おそらく、今も、そうです)。
前述の通り、毎月一回(概ね1年間に12回)、父の給料日の直後あたりの日に、私の父と母は、(おそらく、ステーキ(beef steak)やハンバーグ(hamburger steak)を中心とした食事ではなく、大人向けの食事である)日本料理や西洋料理、中国料理の外食の夕食又は昼食を、(子供(私と弟)を、私の母方の祖父母と共に、家に、お留守番させて)、二人で食べに行ってましたが、その際に、(父は、前述の通り、普段、母に何かをして貰った際に、どんな些細な事でも、口癖のように、素直に、優しい笑顔で、「ありがとう」と母に伝わるように言っていましたが(おそらく、今もそうであると思いますが))、父は、毎回、改めて、母に対して、感謝の気持ちを伝えていたと思います。ちなみに、両親は、その際、基本的に、毎回、父が母に対して買ってあげた花(ブーケ・花束)を家(私の実家)に持ち帰って来ました(この花のエピソードに関しては、私は、父のマメさに敵わないかもと思いますw)。また、おそらく、母は、そうした食事の際、毎回、父の事を褒めたり、おだてたりしていたと思います。
前述の通り、父は、普段、母に何かをして貰った際に、どんな些細な事でも、口癖のように、素直に、優しい笑顔で、「ありがとう」と母に伝わるように言っていましたが(今もそうであると思います)、さすがに、母が、父を含めて家族にご飯を作った時に、毎回、ありがとうとは言いませんでした。ちなみに、私は、昔から、交際している女の子・女性(もちろん、私の今の彼女を含む)又は親密な女の子・女性が、私と2人きりの時に、私の為に料理を作ってくれた場合、毎回、(少なくとも)美味しいと言う事に加えて、「ありがとう」と言っています(また、私は、前述の通り、昔から、女性に対して、何かをして貰ったら、どんな些細な事でも、素直に、「ありがとう」と相手に伝わるように言っています)。
私の母は、私が実家暮らしの、私が子供の頃・学生の頃・20代の半ば頃、私に対して、よく、「○○(私の名前の、最初の、二文字)は、いつも(又は、何を作っても)、美味しいねと言ってくれるので、料理のつくり甲斐がある」と言った感じの事を言っていました。
私は、お世辞でも何でもなく、母の作る料理が、美味しいから、美味しいと言っていただけです。
ちなみに、私は、昔から、交際している女の子・女性又は親密な女の子・女性が、私と2人きりの時に、私の為に料理を作ってくれた場合、私は、その料理が、美味しくても、普通でも、美味しくなくても、不味くても、私の為に、せっかく、手間をかけて料理を作ってくれたのだから、少なくとも、美味しいと言うようにしています。そして、もし、その料理が、美味しくなかったり、不味かったりした場合は、その女の子・女性の今後の為に、「もう少し、塩味を濃くした方が、より美味しくなると思うよ」とか、「もう、少し、薄味にした方が、より美味しくなるかも」とか、具体的なアドバイスを添えるようにしています。
ちなみに、私は、今まで、実生活において、私と2人きりの時に、私の為に料理を作ってくれた、交際している女の子・女性又は親密な女の子・女性の、料理、及び、料理の腕前に関して、その女の子・女性の前でも、その女の子・女性以外の誰に対しても、悪く言った事は、一度もありません。ちなみに、私の今の彼女の作る料理は、美味しいです。
以下、参考の投稿。
銀座のホステス→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2686292/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
私の母方の祖母の性格は、私の母とは対照的であり、大人しくて、上品な性格で、田舎の裕福な地主の家(第二次世界大戦後は、没落しましたが)に生まれた、私の母方の祖母は、大学から東京に出て来たものの、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった女性です(ちなみに、我が家の近所の私の実家は、元々、私の母方の祖母の父(田舎の、裕福な地主であった)が、東京に保有していた不動産の一つであった物で、私の母方の祖母の父が、私の母方の祖母が結婚した際に、私の母方の祖父母に与えた物です)。
私の母の、ミーハーで活発な性格は、近所に暮らしていた、私の母方の祖母の姉(既に亡くなっています)に似ています(私の母は、幼い頃から、よく、近所の私の母方の祖母の姉の家に、遊びに行っていた様です)。私の母方の祖母の姉と私の母方の祖母の関係は、絶えず動いていないと気が済まない活発な性格の私の母方の祖母の姉が、絶えず、(子供の頃から、病弱で、基本的に、外に出る事を好まず、ほとんど家で過ごしていた)私の母方の祖母を守る立場で、私の母方の祖母は、私の母方の祖母の姉に、絶えず、守られる立場でした(私の母方の祖母の姉は、子供の頃から、ずっと、大人しかった、私の母方の祖母を、リードし、守る存在であった様です)。
以下、参考の投稿。
ボブの絵画教室→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2610488/page/7?&sfl=membername&stx=jlemon
私の母が、自由奔放にやりたい放題に育ったのは、誰に対しても、めったに怒らない穏やかな紳士であった、私の母方の祖父と、(大学から東京に出てきたものの)、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった私の母方の祖母の間に、当時としては、割と年を取ってから生まれた、一人っ子(一人娘)であり、甘やかされて育てられたと言うのもあるかもしれません。
私の母方の祖母は、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しましたが、その際に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の、「この人が、真面目で、性格が優しそうで、お前に良さそうだから、お前は、この人と結婚しなさい」と言った感じの事に、そのまま、素直に従って、私の母方の祖父と結婚した感じだったようです。
私の母方の祖母は、私の母方の祖父に対する、人として尊敬する気持ちはあったと思いますが、私の母方の祖父に対する、恋愛感情と言った物はなかった様な気がします。まあ、その点、私の母方の祖母の、心の奥の底と言うのは、私の母方の祖母と、とても、たくさん話をしていた(私の母方の祖母の話を、とても、たくさん聞いていた)私であっても、分かりません。
何れにしても、私の母方の祖父は、見合いで、私の母方の祖母と結婚したのですが、私の母方の祖父は、結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った、昔ながらの(保守的な)、紳士の美学・ポリシー(方針)と言った物を持った男性でした。
以下、参考の投稿
母方の祖父とカツカレーの思い出→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2616382/page/7?&sfl=membername&stx=jlemon
母方の祖母は、(幼い事・子供の頃は、それでも、ある程度、外で遊んでいたようですが)、子供の頃から、病弱で、基本的に、外に出る事を好まず、ほとんど家で過ごしていた女性であり、生涯、窓際で、白馬の王子様が、自分を迎えに来るのを、待ち続ける、夢見る少女の様な面を持った女性でした。
亡くなった、私の母方の祖母が、最も、好きであった、イラストレーターが、蕗谷虹児(fukiyakoji)です。
私の母方の祖母は、竹久 夢二(takehisa yumeji)等も好きでしたが、何よりも蕗谷 虹児(fukiya koji)の絵やイラスト(illustration)が好きだった様です。私の母方の祖母は、絵を描くのが好きでしたが、生涯、蕗谷 虹児(fukiya koji)の様な絵を、たくさん描いていました(絵と言っても、スケッチ(sketch)みたいな物ですが。。。)。蕗谷 虹児(fukiya koji)に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
蕗谷虹児(祖母が好きであった挿絵画家)後編→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2581912/page/11?&sfl=membername&stx=jlemon
私の母方の祖母は、私の母と共に、私の母方の祖父の、真面目な点・誠実な点・正直な点・誰に対しても、めったに怒らない性格が穏やかな紳士である点等を賞賛していましたが、以下の事柄が、見合いで結婚した、当時の、保守的な中流層から富裕層の女性の、一般的な傾向であったのか、それとも、私の母方の祖母と、私の母方の祖父の間だけの事であったのか、よく分かりませんが、私の母方の祖母は、私の母方の祖父に対して、私の母方の祖父の生涯、どこか遠慮していると言うか、(私の母方の祖父に)心の底から甘える事を憚ると言うか、私の母方の祖父に対して、どこか、よそよそしい雰囲気があり、私の母方の祖母は、私の母方の祖父と、じっくり話をする(私の母方の祖父に、じっくり話を聞いて貰う)と言う事は、あまりありませんでした。
私の母方の祖父母が生きていた時は、私の実家の財産の系統は、私の母方の祖父母(私の母の両親)の系統と、私の両親の系統に分かれ、それぞれ、管理権限は、別となっていました。
私の母方の祖父母の財産の管理権限は、生活費も含めて、私の母方の祖父が、全て管理を行い、母方の祖母は、母方の祖父の管理の下で、母方の祖父母の財産の中から生活費を使い、又、それとは別に、母方の祖父は、母方の祖母に対し、母方の祖母が、自分の物を買ったり・自分の楽しみの為に使ったりする金を、お小遣いとして渡す方式でした。私の母方の祖父は、自分自身に関する、出費に関しては、とても、つましかった一方で、母方の祖母が、自分の物を買ったり・自分の楽しみの為に使ったりする金である、お小遣いに関しては、私の母方の祖母が、そのお小遣いを使う使わないに関わらず、かなりの金額を渡していた様です。
私の母は、常々、半分、からかいを含めて、私の母方の祖母に対して、「おばあちゃん、おじいちゃんに、お小遣い、たくさん貰っているんだから、自分の欲しい物買ったり、自分の楽しみの為に、じゃんじゃん(どんどん)、お金を使えば、いいじゃん(使えばいいでしょう)」と言ったような事を言っていたのですが、母方の祖母は、もちろんキメる時の服(フォーマルな服)等は、ちゃんと持っていましたが、あまり、お金を使わずに(普段の服等も質素で、普段の服等にも、あまり、お金を使わずに)、つましく、日々の、生活を送っていました。もっとも、母方の祖母は、甘い物(お菓子等)が好きだったので、甘い物(お菓子等)は、自分の為に、よく(たくさん)買っていました。
私は、大の、おばあちゃん子でした。
私が社会人となり忙しくなる前は(私が幼い頃・子供の頃から大学生の頃までは)、母方の祖母の、一番の話し相手は(私の母方の祖母と、一番、たくさん話していたのは)、大の、おばあちゃん子であった私でした。2番目の話し相手は(私の母方の祖母と、2番目に、たくさん話していたのは)、近所に暮らしていた私の母方の祖母の姉で(私の母方の祖母の姉は、生前、よく、近所の私の実家(元々、私の母方の祖父母の家)に遊びに来て、妹である、私の母方の祖母と話していました)、私の母は、私の母方の祖母の、3番目の話相手と言った感じでした。その他、時々からたまに、私の母方の祖母の、学生時代からの、女性の親友が、家(私の実家。元々、私の母方の祖父母の家)に遊びに来て、私の母方の祖母と話をしていました。
私の母方の祖母は、結婚してからアルバイトを含めて、一切の仕事をした事がない専業主婦でしたし、私の母も、結婚してからは、アルバイトを含めて、一切の仕事をした事がない専業主婦です。
私の母は、もちろん家事もあったのですが、私の母方の祖母の姉の性格を受け継ぎ、絶えず動いていないと気が済まない活発な性格で、自分がやりたい事で、忙しいと言った感じで、基本的に、じっくりと、私の母方の祖母の話相手をするような事は、あまりしませんでしたが、私が、社会人となり忙しくなって、以前のように、私の母方の祖母の話相手を出来なくなってからは、さすがに、気を遣って、前に比べれば、相対的に、よく、私の母方の祖母の話相手をするようになりました。
私は、実生活の会話においては、女性の、悩み等を、共感しながら、じっくり聞いてあげると言う事は心掛けており、話相手が女性の場合、そうした事は、ある程度自然に身について、出来ていると思いますが、その様な、私の女性の(と言うか人の)話の、聞き上手と言った事に関して、私は、母方の祖母と、たくさん話をした(母方の祖母の話を、たくさん聞いた)と言う事を通じて、培われた、その事が、大いなる土台となったと思います。
私の母方の祖母からは、人の心を思いやる、優しい心と言う物を学びました。そこにいてくれるだけで、存在していてくれるだけで、皆の(少なくとも私の)、癒しとなり、優しい気持ちになれた、おばあちゃんで、そこにいてくれるだけで、存在していてくれているだけで、ありがたく、いつでも、幸せな気持ちになる事が出来ました。
私は、学生時代(高校・大学時代)、ピアス等をして外見を派手に飾り立てていて、街を歩けば、ホストのスカウトの声が掛かったりしていたのですがw、母方の祖母は、そんな私の外見とは関係なく、ずっと、私の中身を見続けてくれていて、私の母方の祖母にとって、私は、いつまで経っても、ずっと、可愛い孫のままでした。
私が、実家で、母方の祖母の部屋を訪れると、母方の祖母は、いつでも、満面の、温かく、嬉しそうな、優しい笑顔で迎えてくれました。そして、母方の祖母は、私が、一度、祖母の部屋に遊びに訪れると、時間が許す限り(いや、時間が許さなくても)、いつまでも、私にいて欲しいと言った感じで、私が適当に時間を見て、「じゃあ、おばあちゃん、そろそろ行くね」と言わない限り、祖母の部屋から出て来れずw、私の母方の祖母の方からは、絶対に、そろそろ、遊びに行っておいでとか、そろそろ、勉強があるんじゃないか等と言って、私に、そろそろ行ってもいいよと配慮するような事は、絶対にありませんでしたw
前述の通り、母方の祖母は、甘い物(お菓子等)が好きだったので、甘い物(お菓子等)を、自分の為に、よく(たくさん)買っていたのですが、母方の祖母は、その様な、自分の為に買った、甘い物を、自分の部屋で、私と、一緒に食べる・私と、分けて食べるのが、大好きでした。私は、その様な経験を通じて、大切な人と、美味しい物を、一緒に・分け合って(シェアして)、美味しいねと言い合いながら・美味しいと言う気持ちを共有しながら、食べる事は、とても幸せで、楽しい気分になると言う事を、学んだ気がします。
私が、母方の祖母の部屋を訪れた際の、祖母の、満面の優しい笑顔は、今でも、鮮明に、私の心の中に残っています。その一方において、私が社会人になった後は、忙しく、私の母方の祖母が亡くなるまで、たまにしか、私の母方の祖母の、話し相手を出来なくなってしまったのが、今でも、私の大きな、悔い・心残りとなって、心の中にあります。
私の母は、男の子は女性を助ける力強く優しい男性に育てなければならないと言う保守的な教育方針があって、私も私の弟も、母に、男は涙を見せるものではない、男は簡単に泣くようでは、女性を守れない等と言った内容の事を言われて、育てられて来たと言う影響もあり、私も実際に、その通りであると思い、私は、少なくとも、中学生以降は、自分自身に関する事で、泣いた(涙を流した)事は、一度もありません。まあ、そんな私も、悲しい映画とか、悲しいドラマとかには弱く、割と、涙もろいと言うか、割と、すぐ涙が出て来てしまう方なのですが(まあ、涙が出ると言うだけで、泣くと言う程ではない)w
私は、そもそも、子供の頃を含めて、号泣と言ったものは、ほとんどした事がないのですが(私の親(母)は、子供(私、及び、私の弟)が、子供の頃から高校生の頃、子供(私、及び、私の弟)の事を、物質的には、好き放題、甘やかせていた為、私と私の弟は、幼い頃・子供の頃から、自分が欲しい物の為に、駄々をこねると言った必要はありませんでしたw)、私は、大人になってから、と言うか中学生以降、号泣(しかも大号泣w)した事が、たった一度だけあります。
それが、母方の祖母の、お葬式の時です。私の、母方の祖母の、お葬式の時(私の母方の祖父は、既に亡くなっていました)、父は泣かず、母は、しくしく泣いて、私の2歳年下の弟も、しくしく泣いて、私だけ、号泣(しかも、恥ずかしげもなく、思わず、大号泣w)してしまいました。
前述の通り、私の母方の祖母は、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった女性であり、生涯、窓際で、白馬の王子様が、自分を迎えに来るのを、待ち続ける、夢見る少女の様な面を持った女性でした。
母方の祖父は、良き(良い)夫でしたが、母方の祖母にとって、母方の祖父は、白馬の王子様としては、物足りない男性であった様ですw
前述の通り、私が社会人になった後は、忙しく、私の母方の祖母が亡くなるまで、たまにしか、私の母方の祖母の、話し相手を出来なくなってしまったのが、今でも、私の大きな、悔い・心残りとなって、心の中にありますが、私が、母方の祖母にとって、少しでも、白馬の王子になれていたとしたら良かったなと思います。
私は、個人的に、小津 安二郎(ozu yasujiro)(日本の世界的に有名な映画監督の一人)の映画が好きなのですが、個人的に、小津 安二郎(ozu yasujiro)の映画の中でも、一番、好きな映画は、地味な映画ですが(と言うか、そもそも、小津 安二郎(ozu yasujiro)は、黒澤 明(kurosawa akira)(日本の世界的に有名な映画監督の一人)等と異なり、人々の日常を舞台とした、地味な映画を特徴とする、映画監督です)、「晩春(Late Spring)」(1949年)です。その理由の一つに、「晩春(Late Spring)」の登場人物達が、私の、身近な人々に重なると言うのがあります。笠 智衆(ryu chishu)と言う、日本の俳優が演じる、保守的で、つましい(質素な)、大学の教授は、誰に対しても、めったに怒らない穏やかな紳士であった、亡くなった、私の母方の祖父に重なります。原 節子(harasetsuko)と言う日本の女優が演じる、大学教授の娘は、亡くなった、私の母方の祖母に重なります。原 節子(harasetsuko)が演じる、大学教授の娘の、元々、女学校の同級生(同学年・同じクラス)である、親友の女性(月丘 夢路(tsukioka yumeji)と言う、日本の女優が演じています)は、我が家、及び、我が家の近所の実家の近所に暮らしていた、亡くなった、私の母方の祖母の姉の若い頃のイメージに重なります。
映画、「晩春(Late Spring)」の中で、好きな場面の一つです。動画は、6分程の動画です。結婚したくなく、いつまでも、父と一緒に暮らしたいと思っている、娘に対して、本当は、寂しくて、娘に嫁に行って欲しくないが、娘の幸せを思って、(自分の我儘を通すよりも、自分を抑えて、娘を幸せにした方が、結果として、自分が本当に幸福な気持ちで満たされる事を分かっている)父が、ど正論に、どストレートに、理詰めで、お見合い相手の男性と、結婚するように、お説教・説得する場面です。前述の通り、笠 智衆(ryu chishu)と言う、日本の俳優が演じる、保守的で、つましい(質素な)、大学の教授は、誰に対しても、めったに怒らない穏やかな紳士であった、亡くなった、私の母方の祖父に重なります。また、前述の通り、私は大のおばあちゃん子で、私が実家で母方の祖母の部屋に遊びに訪れると母方の祖母はいつも満面の笑みで私を迎えてくれて、その母方の祖母の笑顔が今でも鮮明に記憶に残っているのですが、その母方の祖母の満面の笑顔と、小津 安二郎(ozu yasujiro)の映画の中の原 節子(harasetsuko)の笑顔のイメージが重なります。
おそらく多くの女性が、子供の頃、自分が、お姫様になって、素敵な王子様が迎えに来て、幸せにして貰うと言った事を夢見た事があると思います。私は、せっかく、この世に、男と女として生まれたならば、少なくとも自分が好きになった女性の前では、(もちろん、いつもそう出来る訳ではありませんがw)、自分は、出来るだけ、素敵な王子様になって、相手には、お姫様になって(お姫様気分で)ハッピーな気分になって貰いたいと思っていますw そのような女性が幸せな気分になる事によって自分も幸せな気分になると言う気質(と言うのかな?上手い言葉が思い浮かばないけどw)は、もしかしたら、私が母系家族の中で育った(私の実家は元々私の母方の祖父母の家)と言う事も関係しているのかもしれませんw
以下、参考の投稿。
Samorost 3→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/2678041?&sfl=membername&stx=jlemon
男がいい女とエッチするのは目標ではなく結果2(以下の投稿)に続く→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2694881?&sfl=membername&stx=jlemon