
資料 1

資料 2-1

資料 2-2

資料 2-3
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資料 1翻訳
操短さんがソールズベリ侯爵に
秘密第50号 9月 11日受付
閣下
韓国の鬱陵島の東海岸でちょっと落ちている島で北緯 37度 30分東京 131度に位する鬱陵島の地方官吏がその島地域住民たちが
日本人 移住者にあっている苛酷な行為に対して最近ソウルに不平を訴えて来ましたそれで 総税理士メックリボブラウンさんが
中央政府の要請を受けて釜山海関税理士を派遣してその地域事情を調査するようになりましたブラウンさんは丁寧で秘密裡に
私に税理士から受けた 報告書を伝達してくれました
その 報告書にはほとんど知られない限り島に対する何種類おもしろい事項があったしこの国の人里離れた地域が日本人たちに
搾取されている事情を説明していました私がその 報告書 写本をここに添付して閣下送って上げます
閣下の忠僕
署名操短 (J.N .jodan)
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84 資料 2-1 翻訳
税理士 署理 ラポルト総勢無事ブラウンに
秘密
釜山海関で 1899年 7月 6日
6月 22日付け書信に盛られた指示にしたがって私は鬱陵島地方管理人 背季周さんそして釜山事務室のギムロングワン (kim Long-won)さんと一緒に
韓国の蒸気船の 顯益号に乗って鬱陵島を訪問した件に対してご報告申し上げます
28日午後 4時に釜山を出発してその翌日朝 7時に初めて鬱陵島の最高峰を見ました
しかし 29日午後 1時になって海岸身近に到着しました
蒸気船が鬱陵島南側で近付いた時鬱陵島の姿は非常に美しくてずば抜けたしまた木が生い茂っていて青いその島の山岸は
本土の荒れてさびしい丘と著しく対照を成しました
その島の面積はベンゼニウス船長が大略的に測定したことによれば 25二乗マイルでその島の見掛けは何箇所の耕作地を除いて全面が
浜辺や海で突然湧いている 4.000フィート高さの第一高い山の頂上に至るまで鬱蒼に
生い茂ってあらゆる種類の大きい木木で覆い被せています
浜辺で 1マイルから 1.600尋もなってにょっきと湧いている絶壁のほとんど一番の下で何回鉛を下げたが心配 100尋にも
底が触れアンアッスムニだ
結論的に水がとても青くて清かったから実験のために病気を計って側面で下ったら 25フィート深みでも
明らかに病気を見られました
現在住民たちは大人子供 3.000人で家具 数は約 500号と言って一緒に集まって住まないで各人々の切迫な事情によって
全丘や浜辺に沿って散らばって暮しています
私はどこでも 30号家具以上が一緒に集まっていることが見られなかったです
1879年鬱陵島はさびしくて静かな島でしたその年の間一番目 移住民餌薬 70マイル離れている本土江原道で
渡って来ました開拓者たちはその島で育つ豊かな木材を活用して商売をしてお腹(船)を作る人々だったようです
その次に農民商人漁民たちでした
しかし漁民たちは 数が多くなかったが肉たちが豊かではなくて海がとても深くてダイバーたちが 海菜や 貝類を採取するのが
とても難しいです私が聞くことに毎年 2.000ピクル(piculs)以上の 海菜を相変らず輸出していました
居住民の 数はずっと増えています
これはこの島での生活がわりと易しくて税金がほとんどないとか全然なくて土質は肥えて欠かすことが全然必要ではないとか
使わなくても良いからです
移住民は上陸するやいなや島にある平たくて近付きやすい地を尋ねますそんな所を尋ねれば草むらや木にふえるおいてその地を
整理します火が自然に消えれば近くにある資材たちを利用して家を建てますできれば広い範囲で
黒く弾木の根たちをとり除いて地の表面をちょっと掻き出しますそして種を振り撤く準備をして毎年 2回すなわち
春には麦小麦秋にはじゃがいもと豆を収穫します
おいしい冷や水が豊かで小川が山すそあちこちで流れます
ところで私が驚いたことは韓国の村でよく見る家畜たちが全然ないというのです
私が浜辺を歩く間に 犬 豚 馬 牛を 1匹も見られなかったし甚だしくはニワトリもとても珍しいようです
建造はこの島の唯一の産業です
船舶 建造に対する注文は春に江原道慶尚道全羅道済州島で受けます
新しい帆船は一般的に悪天候が始まる前に 11月に 建造を終わらせて航海する準備をします
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85 資料 2-2 翻訳
本土と交易は些細です時々帆船が 移住者を積んで到着するのに男たちと彼らの格好悪い所有物
いくばくもない 包の米と 蓮草と何種類反物を積んで来ます貨物が売れてお金を儲ければ 船は回向をするのに大概の場合 海菜で
たまに 板材も積んで行きます本土では重い木材に対する需要はほとんどないし木材販売の可能な市場が常に存在しているが
韓国帆船では運送が非常にヨリョウン関係で取り引きはほとんど成り立たないです
地が険しいから米は鬱陵島で育つことができないし韓国人たちはたいてい小麦麦じゃがいもを暮らします去年の収獲は
じゃがいも 20.000砲麦 20.000砲黄色い豆 10.000砲小麦 15.000包でした
樹令が非常に古くて背が高い松森が島の丘をきちきちに覆い被せているし一方では各種の貴重で堅い木材やっぱり
豊かに捜してみることができます
まさに韓国人たちが kiyakと言う木白樺韓国人たちが pak chaと呼ぶ木 kamtan(甘湯)と言う木です
甘湯木の皮は日本人たちが鳥(鳥)のわなを作るために使います
〓季周さんの助言によって蒸気船は先に鬱陵島の東地域に行ったがその所は私が聞くことに一番大きくなった規模の日本人居住地が
位した所でした
絶壁たちの中ほとんど隠されているおっとせい (seal point)棲息地を通って私たちは小さな潟を見ました
その入口の広くは約 100フィートで沿岸でちょっと落ちた距離(通り)を通るお腹たちは (船) 易しく見逃すことができます
谷に村が形成されていたが 40号の珍しい家と小屋があって日本人男 140人と女 23人が住んでいました
浜辺に 5尺の日本式帆船と 2尺の動力船が空いていたが高い波も触れない所にひいて上げられていました
1尺の小さな日本式帆船が海に浮かんでいたし豆 280砲を積んでいました
そのお腹は私たちが到着して 2時間後に発ったし私たちが聞くのに 2尺の大きい動力船が高い木材を積んで 6月 27日日本で
行ったと言います 7尺配意船員たちは約 60人でその地域でばかり日本人たちを 200人以上連れて来ました
無数に多くの堅い木材たちがもう船積みのために切られるとか切られてあちこちに置かれていました一方すべての引っ越し祝い
輸入物品を持っていたがその中に一番重要なことは米塩 瓷器 お酒ヤングポ木綿燈油マッチ傘でした
3尺の日本帆船すぐイェビスホ 号 , コイェイ 号, スルオイェイ 号がありました
がお腹たちはSakai税関で発給した 許可装を持っていたが輸入貨物をいっぱい積んだし日本で釜山行を許可受けたということを
明確に見せてくれています輸入物品は韓国人たちには現金でめったに売れないが大部分の場合豆麦わかめと
取り交わしました
日本人たちが決めておいた輸出品目の価値は次の通りです
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豆 .....1曲......5.13ブーゼルまたは 293.パウンド.....2...00 ドル ,セント.....4...0 シーリング , ペンス
麦...1曲.....5.13ブーゼルまたは 267.パウンド......2...00 ドル , セント.....4...0シーリング , ペンス
小麦......1曲..... 5.13ブーゼルまたは 30.7パウンド.....1...65 ドル , セント ....3...3シーリング , ペンス
じゃがいも...1ピクル...133パウンド ...........................0...30 ドル , セント. ...0...7 シーリング , ペンス
海菜...1ピクル...133パウンド ...........................2...00 ドル, セント ......4...0 シーリング .ペンス
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釜山で購入すれば同じ物品を 半 以下価格で購入することができる
和歌だショタで (wakada shotaro )とアマノ−ゲンゾ (Amano-Gengro)という 2人の日本人は伐木に関する責任者みたいで管理の
許可を受けて仕事をして (私は総勢無事様にその事件の韓国語本を差し上げてこの 許可装がどんなに授与されたのかお知らせいたします)
木木を取って倒してベア八準備をします
大多数日本人たちは約 160マイル離れているOki島から来たし
何人の日本人たちは 7年 8年を鬱陵島で住んだと主張するが 1894年に鬱陵島に到着しました
北地域で私は 2個の日本人居住地を訪問したが一地域は 25人の日本人たちが占拠していたし
他の地域では 15人の日本人男たちと 1人の女が占拠していました
10尺の日本人漁船 ,1尺の日本帆船が 建造 の中にあったし鍛冶屋は活発に稼動されていました
私は二つの地域で日本と不法的な交易をしてあったというまったく同じな証拠を見つけました
2番目居住地にいる 16人の日本人居住民たちは 顯益号で見る時に山岸にあったし私が韓国人たちが日本人村や財産に
ふえるおいてその日本人たちを山で追い出すことを阻もうと思うことは非常に難しい事です
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86 資料 2-3 翻訳
このような事実を通じて私は韓国人たちがその島全域で日本人たちにあう乱暴行為 (rough trcatment)に対して韓国人たちが数多い
不平を訴えているということを言おうと思います
具体的な不平事項はいくつ村の代表たちが不平事項を具体的に盛った請願書を私に伝達したが
が 報告書に同封します
いくつかの小小寒不平の中に韓国人たちが強調している今年 4月に発生したちょっと深刻な 騷擾を例えることができます
日本人何人が韓国人女性 1人を暴行 (assault)gをして韓国人たちが集まっていくつかの賠償を要求しました
ところで日本人たちが暴力的に変わって鉄砲や刀で武装して追ったが男 1人に 負傷加えて
韓国人たちを彼らの村でもとの通りに追って送りました
が勝者たちを鎮めるために 〓季周 島監がないうちにその島の責任を引き受けた官吏が何本の木を切ることができる
許可装を仕方なく与えるようになりました私はその写本を韓国官吏と日本人たちに得ることができなかったです
農民や商人たちは税金をないしないですその管理は海で採取して島に持って来たすべての 海菜に対して 10%を取り立てて
船舶 建造に使われた木に対する税金で 建造になった 1尺に平均現金 10.000ウォンを取り立てます
物品売却を助ける仲介人と中間商人に与える 2%の仲介手数料を除いて日本人たちは税金を出さないです
まさしく何年前に管理が努力して伐木して間木材に対する補償を受けることに成功したようです
しかし彼らの現在威勢と形態を 考慮すれば (配意船員を計算しない 250人の居住民があります)
確信するのに彼らは税金を出さないことは勿論でどれも決して絞り出さないだろう
同時に役人たちや住民たちが専ら望む唯一の所望は有り難くない振りの客たちを
一日早く退出させることだということを私は確信します
また他の居住地では約 30人の日本人たちが居住していたし彼らは大部分伐木する事をしていました
その地域は鬱陵島の南側海岸に位していたが私が上陸を試みたが高い波によって上陸することができなかったです
私どもは 30日午後 5時にまた出発して 7月 1日午後 4時に釜山に無事に到着しました
別にけやきと白樺見本そして豆小麦麦見本を送って上げます
閣下の従僕 (署名) ラポルト