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以下、参考の投稿・関連投稿。
モンブランのハーバリウム他→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/3151657?&sfl=membername&stx=nnemon2
「コロナ禍で自然がちょっと恋しい他」の補足他→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_1/view/id/3153189?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下の投稿の続きです。
母と彼女を連れた温泉小旅行前編→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/3163679?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、基本的に、2016年の1月に行った投稿から抜粋して来た物で、2015年の9月の下旬に、私が、近所の実家の私の母と、彼女(私の今の彼女。以下、彼女と書きます)を連れて(私と、私の母と、彼女の3人で)、湯河原(yugawara)の、伊藤屋(itouya)と言う歴史のある高級温泉旅館に宿泊して来た時の物です。ちなみに、この時の、少し前には、彼女と、彼女の母を連れて(私と、彼女と、彼女の母の3人で)、湯河原(yugawara)の、山翠楼(sansuirou)と言う高級classの温泉旅館に一泊して来ました(ちなみに、山翠楼(sansuirou)は、彼女と二人でも宿泊した事があります)。ちなみに、何れの形態の旅行(私と、私の母と、彼女の3人の宿泊を伴う旅行、及び、私と、彼女と、彼女の母の3人の宿泊を伴う旅行)も、とても珍しい物で、と言うか、今まで、それぞれ、その時(私の母と、彼女を連れて(私と、私の母と、彼女の3人で)、湯河原(yugawara)の伊藤屋(itouya)に宿泊した時と、彼女と、彼女の母を連れて(私と、彼女と、彼女の母の3人で)、湯河原(yugawara)の、山翠楼(sansuirou)に宿泊した時)、1回だけです。
ちなみに、彼女と彼女の母の仲は、決して上手く行っている訳ではないのですが、私と、彼女の母の仲は、特に悪くも何もありません(彼女の母の、私に対する、人当たりは、良いですと言うか、何故か、不思議と、気に入られてる感すらありますw)。
ちなみに、この、私が、近所の実家の私の母と、彼女を連れて(私と、私の母と、彼女の3人で)、湯河原(yugawara)の、伊藤屋(itouya)と言う歴史のある高級温泉旅館に宿泊して来た時の旅行も、私が、彼女と、彼女の母を連れて(私と、彼女と、彼女の母の3人で)、湯河原(yugawara)の、山翠楼(sansuirou)に宿泊した時の旅行も、旅館の宿泊費等、旅行の、お金は、全員分、私が、支払っています。
この時の、初日(以下、この日と書きます)は(ちなみに、この時は、自動車で、湯河原(yugawara)を訪れました)、温泉旅館に、早目に、チェックイン(check-in)し、温泉旅館で、のんびりとしただけと言った感じでした。
写真以下、この時、宿泊した温泉旅館。全員(私、彼女、私の母)、この温泉旅館に宿泊したのは、この時が、初めてでした。この温泉旅館は、1888年創業の温泉旅館で、この温泉旅館は、藤田屋(fujitaya)(1882年創業)と共に、湯河原(yugawara)を代表する、歴史のある
(現在も営業を続けている温泉旅館の中では。。)、高級温泉旅館となっています(ちなみに、湯河原(yugawara)には、歴史の、比較的、新しい温泉旅館で、この二つの温泉旅館よりも、高級な温泉旅館が、結構あります。。。)。この温泉旅館は、有名な詩人・作家で有る、島崎 藤村(shimazaki touson)(1872年生まれ。1943年に亡くなる)が、好んで、よく宿泊していた温泉旅館です。また、島崎 藤村(shimazaki touson)の他、黒田 清輝(kuroda seiki)(下の補足説明参照)、有島 武朗(arishima takeo)(1878年生まれ。1923年に亡くなる。日本の有名な、小説家)、初代、三遊亭 圓朝(sanyutei encyo)(下の補足説明参照)等も、この温泉旅館を、よく利用し、お気に入りの温泉旅館としていた様です。また、この温泉旅館は、古くから、多くの、(作家・画家等)文化人に愛されて来た、温泉旅館である他、古くから、少なからぬ、政府の高官や、良い家柄の人々の、お気に入りの温泉旅館となって来た様です。この温泉旅館は、藤田屋(fujitaya)同様、いつか(別に、今すぐでなくても良く、まあ、高齢者になった時にでも。。。)、宿泊してみたいと思っていた旅館ですが、この時、(自分の中で、想定していたよりも早く)、初めて宿泊して見ました。
黒田 清輝(kuroda seiki):1866年生まれ。1924年に亡くなる。1890年代から活躍した、日本の有名な近代画家(西洋画家)。日本の初期の近代画(西洋画)を代表する画家の一人。美術教育者としても活躍。また、下級貴族(子爵)でもあり、1920年には貴族院議員に就任している。
初代、三遊亭 圓朝(sanyutei encyo):1839年生まれ。1900年に亡くなる。日本の、とても有名な、落語(rakugo)家。落語(rakugo)は、日本の、伝統的な、話芸(verbal entertainment)の一つです。
この温泉旅館の、現在の建物は、1915年から1916年に建てられた棟と、1926年に建てられた棟からなる本館(honkan)の建物と、第二次世界大戦後に建てられた、新館(shinkan)の建物から成るようです。この温泉旅館は、客室数が、全部で、10室強の、小規模な、温泉旅館で、古くから、家族経営と言った感じの温泉旅館です。この温泉旅館は、高級温泉旅館ですが、この温泉旅館の経営者家族の方々も、従業員の人達も、皆、気取った感じではなく、家庭的な感じで、皆、とても感じが良く、家庭的なサービス(service)の温泉旅館と言った感じでした。この温泉旅館の、こうした、気取らない点が、逆に、古くから、多くの、作家や画家、少なからぬ、政府の高官や、良い家柄の人々に、(この温泉旅館が)、愛されて来た理由かもしれません。
以下、「母と彼女を連れた温泉小旅行前編」からの続きです。
写真以下12枚。この温泉旅館で、この時、私達が、宿泊した客室。この温泉旅館で、標準的な値段の(標準的な宿泊費の)、客室に宿泊しました(ちなみに、この温泉旅館には、良い家柄の人々等が、長期滞在する際に利用するような、とても立派な客室もあります)。この客室は、この温泉旅館の、本館(honkan)の、1926年に建てられた棟にある客室です(客室の内装等は、1926年当時から、ほとんど変わらないそうです)。この客室は、小さな部屋と、比較的、大きな部屋の、2部屋から成ります(寝る際は、私が、小さな部屋、彼女と、私の母が、比較的、大きな部屋の方に寝ました)。
写真以下2枚。客室に置いてあった、無料の、お菓子。湯河原(yugawara)名物の、お菓子、きび(kibi)餅。これは、この温泉旅館の隣にある、90年以上の歴史を有する、和菓子(日本伝統菓子)店の、この旅館、限定包装の、きび(kibi)餅です。きび(kibi)餅は、きび粉と白玉で作った餅にきな粉をかけた、素朴な、お菓子で、原料は、異なるかもしれませんが、山梨(yamanashi)県(東京圏の西部等に隣接する県)の、信玄(shigen)餅と言う、お菓子(詳しい説明は、省略します)と似た、お菓子です。
この温泉旅館の、男用の共同温泉風呂。私、一人で、貸切り状態の時に撮影。共同温泉風呂としては、小さいですが、客室数が、少ない温泉旅館なので、問題はありません。
写真以下6枚。この温泉旅館の、貸切り温泉風呂(下の補足説明参照)。二つあります。ちなみに、この時、貸切り温泉風呂は、私、一人、私と彼女、彼女と(私の)母の、組み合わせで入りました(彼女と(私の)母の、組み合わせが、一番、多くの回数、入浴していましたw)。
貸切り温泉風呂:貸し切り温泉風呂は、共同温泉風呂では無く、夫婦やcouple、家族だけで入れる温泉風呂で、通常は、小規模で(普通の家の家庭用風呂よりかは、大きいが、富裕層の家庭用風呂位)、入る時は、内側から鍵をかけたり、入浴中の表示を出したりして、他の人が、入って来ないようにします(鍵が、かかっていたり、入浴中の表示が、出ていると、利用中だと判断して、他の人が、入って来ない)。
写真以下13枚。この温泉旅館で食べた、この時の初日の夕食等。
写真以下12枚。この温泉旅館で食べた、この時の初日の夕食。この他、ご飯(rice)が出ます。ちなみに、この夕食時は、飲み物は、主に、日本酒を飲みました。湯河原(yugawara)の温泉旅館は、湯河原(yugawara)の周辺の漁港で、水揚げされた、新鮮な、魚介類(seafood)を使った
料理を、売り(自慢)としている、旅館が多いです。この温泉旅館の料理は、洗練された、高級な、日本料理と言うよりも、どちらかと言えば、庶民的・大衆的な温泉旅館や民宿の、素朴な、日本料理の、それぞれの料理の素材の質が、とても高い版と言った感じでした。
写真以下11枚は、全て、一人、一皿ずつ(写真は、一人分)です。
前菜。
写真右側は、食前酒の、柚子酒。
魚(ムツ)の、煮物。
サーモン(salmon)の、焼き物。
松茸(matsutake。香りの良い、高級な茸)の、土瓶蒸し(お吸い物)。
デザート(dessert)。
写真以下4枚。この翌日(この時の、2日目。以下、この日と書きます)、この温泉旅館で食べた、この日の朝食。全て、一人、一皿ずつ(写真は、一人分)です。これと、あと、ご飯(rice)が、朝食の内容です。
鰤(魚)大根。朝食に、美味しい鰤(魚)大根が出ると、何だか、嬉しくなります。
この日も、前日(この時の初日)に、引き続き、天気は悪く、基本的に、雨でした。この日は、旅館を、チェックアウト(checkout)した後、そのまま、旅館の駐車場に、自動車を置かせて貰って、散歩がてら(散歩をしながら)、旅館から近い、湯河原(yugawara)町立美術館を訪れました。湯河原(yugawara)町立美術館は、湯河原(yugawara)町が運営する、公立の美術館です。湯河原(yugawara)町立美術館の、コレクション(collection)の中心は、湯河原(yugawara)に縁のある画家(主として、近代画家)の作品、及び、平松 礼二(hiramatsu reiji)の作品を中心とした、日本の近代画となっています。
写真以下10枚。湯河原(yugawara)町立美術館の庭園と建物。湯河原(yugawara)町立美術館の敷地と建物は、かつての、天野屋(anamoya)(下の補足説明参照〉の、敷地(庭園)の一部と、建物の一つを改装した物となっています。
天野屋(ananoya):かつて、湯河原(yugawara)に存在していた(既に、廃業した)、1877年創業の、温泉旅館。湯河原
(yugawara)を代表する、歴史のある高級旅館の一つであり、夏目 漱石(natsume souseki)(1867年生まれ、1916年に亡くなる。日本の有名な、小説家)、(韓国では、悪名が高い)伊藤 博文(ito hirobumi)(1841年生まれ。1909年に亡くなる。日本の有名な政治家)等、各界の、著名人が、お気に入りの温泉旅館としていた温泉旅館の様です。ちなみに、京都を代表する、(初期の)、近代、日本伝統画家、竹内 栖鳳(takeuchi seihou。1864年生まれ。1942年に亡くなる。日本の有名な、近代、日本伝統画家。1890年代から1930年代に活躍)は、天野屋(anamoya)を気に入り、天野屋(anamoya)の敷地内に、アトリエ(作品制作の作業場)を建てました。
写真以下4枚。湯河原(yugawara)町立美術館の建物。湯河原(yugawara)町立美術館の建物は、かつての、天野屋(ananoya)の建物の一つで、1958年に建てられた(確か。。。)、西洋式の建物を改装した物です。
湯河原(yugawara)町立美術館の、チケット(ticket)。
湯河原(yugawara)町立美術館と、この時、湯河原(yugawara)町立美術館で行われていた、展覧会(exhibition)に関しては、投稿のレス欄の投稿文の補足を、参照して下さい。
写真以下3枚。湯河原(yugawara)町立美術館の、コレクション(collection)の内、平松 礼二(hiramatsu reiji)の作品例。湯河原(yugawara)町立美術館の、パンフレット(leaflet)より。。。
この時、湯河原(yugawara)町立美術館で行われていた、青梅(oume)市立美術館の収蔵品(collection)の、展覧会(exhibition)の、チラシ(leaflet)。
湯河原(yugawara)町立美術館を訪れた後は、湯河原(yugawara)の市街地に移動し、湯河原(yugawara)の市街地の、公共駐車場に、
自動車を置き、お土産等の買い物をした後、前から、ちょっと気になっていた、蕎麦食堂で、この日の昼食を食べました(湯河原(yugawara)で、お気に入りの、蕎麦食堂が、やっていたら、そこで食べるはずでしたが、その蕎麦食堂(湯河原(yugawara)で、お気に入りの、蕎麦食堂)は、この日は、休みであった事から、前から、ちょっと気になっていて、利用した事がなかった、蕎麦食堂で、この日の昼食を食べました)。
この日昼食を食べた、湯河原(yugawara)の蕎麦食堂で、私が食べた物。カツ丼(豚カツ(tonkatsu)丼)と、蕎麦の、組み合わせメニュー(menu)。ちなみに、彼女と、私の母は、この時、この蕎麦食堂で、天丼(天麩羅丼)と、蕎麦の、組み合わせメニュー(menu)を食べました。この蕎麦食堂、蕎麦は、あまり、美味しくありませんでした(湯河原(yugawara)で、お気に入りの、蕎麦食堂の、蕎麦の方が、ずっと美味しいです)。蕎麦食堂ですが、むしろ、カツ丼(豚カツ(tonkatsu)丼)(写真、左側)の方が、美味しかったですw
蕎麦食堂で、昼食を食べた後は、この日は、天気が悪かったですし(基本的に、雨でした)、両親の、湘南(syonan)areaの、別荘に向かい、両親の、湘南(syonan)areaの、別荘で、のんびりと過ごしました(ちなみに、この時、父は、出張中でした)。両親は、東京都心部の我が家の近所の実家(元々、母方の祖父母の家。現在は、両親が引き継いで暮らしている)に暮らしているのですが、18年程前に、湘南(syonan)areaに、父が仕事を引退したら暮らす為の別荘(別荘とは言っても、典型的な別荘ではなく、普通の一戸建て住宅です)を、新築で、購入しました。父が、半分、定年退職状態になってからは(父は、会社員です)、両親は、基本的に、一週間の内の、半分を、東京都心部の我が家の近所の実家(元々、母方の祖父母の家。私の母にとっては、元々両親の家。ちなみに、母は、一人っ子です)、もう半分を、保養と気分転換に、湘南(syonan)areaの別荘で過ごしています。今の所、都会での生活が捨て難く(まあ、湘南(syonan)areaも、自動車生活圏で見れば、十分都会だと思いますが)、東京都心部の家(我が家の近所の私の実家)及び近所(私の街)に愛着がある(特に、母にとっては、生まれ育った家と街なので。。。)事等から、両親は、父が完全に定年退職しても、基本的に、一週間の内の半分を、東京都心部の家(我が家の近所の私の実家)、もう半分を、気分転換に、湘南syonan)areaの別荘で過ごすと言う生活は、続けるつもりだそうです。
東京近郊の、茅ヶ崎(chigasaki)、江ノ島(enoshima)(藤沢(fujisawa))、(以下は、三浦(miura)(半島)areaとして、湘南(syonan)には、含めない考え方もあるが、私は、湘南(syonan)に含めて考えている。このへんは、地元の人も、結構大雑把だと思う)、鎌倉(kamakura)、逗子(zushi)、葉山(hayama)、横須賀(yokosuka)(西海岸の一部)等から成る、湘南(syonan)(東京圏の南部を占める神奈川(kanagawa)県の南部に位置する)は、東京都心部方面から見て、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)である、大きな港町)の向こう側(反対側)に隣接するareaであり、東京areaに暮らす人々にとって、最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach resort)地となっています。湘南(syonan)は、海岸線で見ると30km位ある様な気がしますが、大磯(ooiso)、二宮(ninomiya)辺りまで含めると、(海岸線で見ると)50km近く有る様な気がします。
この時、両親の、湘南(syonan)areaの、別荘で、おやつとして食べた、ケーキ(cake)。個人的に、大船(ofuna)(下の補足説明参照)で、お気に入りの、ケーキ(cake)・パン・西洋菓子店のケーキ(cake)です。私の母が食べた、西洋梨のショートケーキ(日本式shortcake)、彼女が食べた、キャラメル(caramel)系のケーキ(cake)、私が食べた、モンブラン(Mont Blanc)。この、ケーキ(cake)・パン・西洋菓子店のケーキ(cake)は、美味しいです。
大船(ofuna):(電車の)鎌倉(kamakura)駅周辺と共に、鎌倉(kamakura)市の、2大繁華街となっている。ちなみに、大船(ofuna)は、個人的に、仕事の用事で、よく訪れます。
この日の夕食は、母は、予め、予定されていた、別荘周辺の(母の)友人達と、別荘周辺の、イタリア料理レストランで、夕食会(別荘周辺の、イタリア料理レストランで、友人達と食べました)、私達(私と彼女)は、(湘南(syonan)areaに近い)横浜郊外の、お気に入りの、焼肉食堂で、夕食を食べてから、東京都心部に帰りました。
写真以下。この焼肉食堂(湘南(syonan)areaに近い)横浜郊外の、お気に入りの、焼肉食堂)で食べた、この日の夕食。この時、この他、ご飯(rice)、サラダ(salad)、カクテキ(大根のキムチ)等を食べました。ご飯(rice)以外は、全て、二人で分けて食べました。ちなみに、私は、肉が好きです(彼女も、肉は、好きです)。ちなみに、ご飯(rice)の量は、私も彼女も、少なく食べました。
「私も、彼女も、ご飯(rice)食い(ご飯(rice)を、比較的、たくさん食べるタイプ)ではなく、おかず食い(おかずを、比較的、たくさん食べるタイプ)です。」
和牛(日本原産の高級牛肉)、盛り合わせ。サーロイン(sirloin)、ザブトン(肩ロース(肩loin)の芯の部分)、極上(非常に質が高い)カルビ(galbi)。
熟成、タン(牛の舌)。
和牛(日本原産の高級牛肉)、ロース(loin)。この時、この他、肉類は、和牛(日本原産の高級牛肉)、ロース(loin)と、和牛(日本原産の高級牛肉)、カルビ(galbi)を、一皿ずつ、追加で頼んで、食べました。
以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。