はるか古代 高句麗の王 朱蒙 しゅもう には 兄 / 沸流・ふる 弟 / 温祚・おんそ の二人の子が ありました。
二人の兄弟は 大勢の部族を率いて 南下していく途中で 兄弟の部隊は ふたてに分かれた。兄 /沸流は 海に面した弥鄒忽 ミチュエル に 弟 / 温祚は 内陸の尉礼城 ウィレソ に それぞれ建国しました。弟 / 温祚の国は 次第に発展・繁栄していき 馬韓 ばかん のひとつ 伯済になり百済 くだら となった。
一方 衰退していくばかりの兄 /沸流の国は いつのまにか姿を消した‥‥』と書かれていますが日本列島に行き天皇家の祖になりました。日本の氏族の出自記録 「新撰姓氏録」という書物の序文に 次の記が見つかりました。
「真人は是 皇別の上氏なり この氏の筆頭は ”息長真人”で”誉田天皇” ほむだてんのう より出づ」と。この記述が 非常に重要なのです。 ”真人は是 皇別の上氏なり”とは 天皇の性は「真氏 しんし 」という意味です。
そして 真氏の筆頭は 息長真人おきながのまひと で 誉田天皇 ほむだてんのう より出た と書いてあるのです。この誉田天皇 ほむだてんのう とは 第15代/応神天皇 おうじんてんのう のことです。
沸流 フル の父親の名は 高句麗の王 「朱蒙 しゅもう 」でした。そして この朱蒙の父の名は 「解夫婁ヘブル 」という名前だったのです。「解夫婁ヘブル 」の「夫婁フル 」と 「沸流フル 」が 同じ読みの「フル」なので 大きな問題なのです。
そのなかでも とくに 「解夫婁ヘブル 」が 重要な注目点なのです。「聖書・祖先の系図」つまり 纏めると 次のようになります。『天皇家の本当の始祖は 高句麗の王 「朱蒙 しゅもう 」の息子である兄・沸流である。
そして その沸流が 第15代/応神天皇 おうじんてんのう である。 その沸流の祖父・解夫婁 ヘブル は ヘブライ人である。すると 天皇家の祖先は ヘブライ人である』
『日本書紀』によると、秦氏の先祖である弓月君は応神天皇の時に、百済から来朝し(四世紀とみられる)、百済百二十県の人を率いて日本に渡ろうとしているが新羅が妨害していると訴えた。そこで、天皇は新羅を牽制して彼らの渡来を助けた。

菅野よう子は弟 / 温祚・おんその百済王家の末裔だという。

ユダヤ人、たまたまではなく前から決められていたということ。