大国主命の祖先であり出雲神族の真の祖神である出雲の大神とは、クナトノ大神(=熊野大神=道祖神=サエノカミ)だった。
「われわれは龍蛇族である」(富氏)

出雲資料館の大国主像(アメリカ先住民ぞっくり)
スサノオは朝鮮から蹉跌を求めて須佐の港に渡来し、出雲神族を敗り、婚姻により習合した。出雲王朝はかつては北九州から新潟までを領有していた。
クナトノ大神は岐(フナト)神、来名戸之(クナトノ)、祖神(サヘノカミ)などとも呼ばれ、57代にも渡って何人もいた。天照大神は富家の伝承にはいない。宮中のアマテラス祭祀は平安時代以降に成立した。
大国主命も固有名ではなく代名詞であり、17代続いた。神武天皇も一人ではない(?)。タテミナカタは天孫族に服従せず、越へ後退し、母方(越のヌナカワ姫)の勢力をバックに信州へ行き、第2出雲王朝を築いた。
タケミカヅチは富氏の伝承にはない。多氏一族が奉じた(=タテカシマノ命、那加国造祖)。鹿島神宮は社殿内陣の構造が出雲大社と似ていて、クナトノ大神も摂社にある。宮下文書では、タケミナカタはミカヅチとフツヌシの兄となっている。
藤原氏は富家伝承では帰化人。出雲大社社家の祖神だった天ノコヤネに続いてタケミカヅチを祖神とした。中臣氏は東国で鹿島神系と婚姻した。物部氏は、その祖ウマシマジが出雲神族のトミヤ姫を母とする親出雲族で、後に(崇神天皇前後)親天孫族に転向した。島根に侵略基地を置き、出雲へ侵攻した。
天皇家で、神武系と崇神系は血族的断絶はないが、内紛によって別の系統から天皇が出た。渡来した天ノヒボコ族は吉備に移り、スサノオ系のスサ族と同化し始め、天孫族はヒボコ族と政略結婚を進めた。
神武系の天皇家は武烈天皇で血統が絶え、大伴氏・物部氏・ヒボコ族らは中立に近い出雲神族から、古志方面の主張だった継体天皇を立てた。継体系は続く安閑→宣化で王朝が絶えた。
出雲族に戦いの歴史はなかった。天孫族は伊勢に攻め込み、王の伊勢津彦は建御名方富命が統治する信濃へ逃れた。天孫族の東国制覇はクナトノ神の先導によってなされた。
出雲族は北方から来た(BC2000年頃?)。ベーリング海を渡り、北海道、東北、出雲へ行った。



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