
その中の夫余から発展した高句麗が南下しながら半島に勢力を拡大し、これに連動するように半島中部で北部の馬韓諸国を統合した百済、半島東南部では辰韓諸国を統合した新羅が成立し、3国が鼎立するに至った。三韓時代を代表する百済、新羅、高句麗の各国はそれぞれ種族の偏りはあれど国である。その後、半島東南部を根拠地とする三韓系の国家である新羅が、百済・高句麗などの扶余、濊貊系国家を打ち破って半島中南部を占拠し、半島北部と満州をつなぐ扶余系国家はなくなった。
統一新羅の時代に新羅は旧百済や高句麗の一部の領域を支配し、これを治めていたが、住民の旧国家への帰属意識は依然と残り、新羅が滅び後三国時代に入る。高句麗系住民が建国した渤海と対立したが、渤海の滅亡以後、新しく建国された高麗が帰順してきた一部の流民を受け入れた。こういったながれの中で、現在の民族意識の確立は13世紀頃とみられる。三国時代(新羅・高句麗・百済を指す)から民族集団としての歴史は受け継がれたとされるが、モンゴルに支配された13世紀に入り『三国史記』の編纂や民族の啓発や統合が活発となり、13世紀後半に、現在の民族としての自己独自性の熟成と遺伝子的な一致がほぼ完成されたとみられる。
朝セン民族の成立に影響した域外民族に漢族と満州族がある。朝セン半島では古来、中国からの渡来人により征服(箕氏朝セン)・植民され、「陳勝などの蜂起、天下の叛秦、燕・斉・趙の民が数万口で、朝センに逃避し渡来した。(魏志東夷伝)」「辰韓は馬韓の東において、その耆老の伝世では、古くの亡人が秦を避ける時、馬韓がその東界の地を彼らに割いたと自言していた。(同前)」とある。また衛氏朝センの滅亡後、漢四郡がおかれ、漢によって半島北部が直接支配に入ることで漢人の流入があり、後に土着化する。また、高麗時代初期に異民族が23万8000人余りも帰化した[9]。あるいは契丹が滅亡した後に、高麗に渡来した契丹人は100万に達するという記録もある。したがって、祖先が中国から渡来した帰化人が数多くいる。済州島にも耽羅民族が存在する。
南部においては、前方後円墳等のワ人との関連が指摘されている遺跡が今も残されている。東北部には、女真人など、ツングース民族の流入・渡来が相次いだ。

Y染色体・mtDNA
現在の朝セン民族が持つY染色体ハプログループの大まかな分類では、割合の多い順に、O2-M122(東アジア全域に多い)、O1b2-M176系統(琉球を含む日本列島及び朝セン半島に多い)、C2-M217(北アジアに多い)、である。最も多い O2-M122 系統は朝セン民族で約41%の割合で確認されており、中国人など東アジアで多く見られる。
次に多い O1b2-M176 系統は約31%の割合でそれに続く。サブクレード(細分岐)まで分類すると朝セン民族と、日本人(琉球民族を含む)には特徴的な違いがあり、朝セン民族では約22%:約9%の割合で確認されるものが、日本国内では約8%:約24%の割合で確認されており比率がほぼ逆転する。
三番目に多い C2-M217 系統は約14%の割合で確認されている。この系統は中央アジア及び北アジアのカザフ人、モンゴル人、ブリヤート人、エヴェンキ人、ニヴフ人、コリャーク人や北アメリカのナ・デネ語族などに多く、漢民族や京(ベトナム)民族など、東アジアでは広域にわたって約10%の割合で確認されている。日本列島では北海道・日高のアイヌ民族と九州の住民がそれに準じ、日本全国では3%〜6%ほどである。なお、C2-M217保有の朝セン民族男性のほとんど(84/89 = 94.4%)が東アジアに多いC-Z1338に属し、北アジアおよび北アメリカに多いC-L1373に属すものはC2-M217保有者の5.6%(5/89)に止まる。
その他に、少数ながらも朝セン民族男性はフィン人、リトアニア人、ヤクート人など、極北ユーラシアに多いN-M231(約4%)、台湾の先住民である高砂族やその他の東南アジア島嶼部に多いO1a-M119(約3%)、東アジア広域にわたり低頻度で見つかっているO1b-P31(xM95, M176)(約2%)、アメリカ大陸の先住民やインド、ヨーロッパなどに多いP-M45(約2%)、そして日本人固有のD1a2 (D-M64.1)系統(日本列島起源、日本では約35%存在)の保持が2%ほどの割合で確認されている。このD1a2 (D-M64.1) は、中国の正史「三国志」「後漢書」に登場する狗邪韓国や新羅時代に活躍した日本人の一部がそのまま帰化したものとみられる。その他の少数ハプログループについては、東アジア乃至北アジアが起源と考えられており、朝セン民族以外の民族でも同じ頻度以上で確認されているので、とりわけ朝セン民族を特徴づけるものと言い難い。
その他の遺伝子
カトリック医学大学のキム・ドンウック[要曖昧さ回避]教授と慶応大学の岡本真一郎教授がHLA(ヒト白血球型抗原)を分析した結果、日本人と比較すると遺伝的な同質性が低いという結果が出ている。大阪医科大学名誉教授松本秀雄は著書『日本人は何処から来たか―血液型遺伝子から解く』で、「朝セン鮮民族は強く漢民族などの影響(混血)を受けており、これは中国と朝センとの間の、相互移民や侵入などによって、北方少数民族や漢民族との混血の機会が多く、これが民族の形成に影響した」と述べている[13]。HLA遺伝子による調査で朝セン民族は満州族や中国東北部の漢民族と近い[14]。HLAハプロタイプは、満州や日本の日本海沿岸に特徴的なB44-DR13、B7-DR1がよく見られる。