がん治療をめぐって医療技術の進展がめざましい。遺伝性疾患で研究が進み、将来はがん治療にも応用できるとの期待がある。その最前線に迫った。
安らかな表情とは、とても言えなかった。高校生の子ども2人と妻を残し、この世を去らなければいけない無念と、闘病生活の末の苦しみが深く刻み込まれていた。
昨年10月末、1歳年下の弟が旅立った。最後の眠りについた際の表情が、今も脳裏から離れない。享年44。胃がんの発見から2年、壮絶な闘病生活を送る間、弟は常に「自分は死なない。絶対にがんに勝つ」と言い続けた。繰り返し宣告された余命は次第に短くなり、昨夏は越せないとの見方だったが、精神力で死ぬことに必死に抵抗しているように見えた。それでも延びた寿命は数カ月だった。
自分自身で「生き続ける方法」を調べ、胃がん治療の研究で最先端と言われる病院へ転院したり、新しい抗がん剤を積極的に試したりした。肝臓が弱り、最後は腎臓が不全となった。これが直接の死因だった。手術、抗がん剤、放射線が3大治療となっている現在のがん医療の限界を痛感した。
日本人の2人に1人がかかり、3人に1人が死亡するとも言われるがん。だが、医学の進歩によって、早期発見、早期治療をすれば完治する可能性が高まったのは確かだ。実際に筆者も10年前に腎臓がんが見つかったが、摘出手術を受けた後、再発はない。
国立がん研究センターの統計によると、2006年から08年の間にがんと診断された人の5年生存率は62.1%で、前回調査(03~05年)の58.6%よりも改善されている。
厚生労働省の統計によると、それでも1981年以降、日本人の死因1位は常にがんが占めている。がんによる死亡者数も毎年増加しており、16年には37万2986人が命を奪われた。早期発見であれば治る可能性はあるが、問題は、あちこちに転移した後の治療が難しいことだ。
しぶとく、油断のならないがん。はがゆさから色々と調べたら、まだ研究段階にあるものの、技術の急速な進歩によって、大きな期待が寄せられている次世代治療技術があることを知った。
遺伝子治療、そしてゲノム(全遺伝情報)編集だ。
遺伝性疾患なら、病気の原因となっている遺伝子の異常を根本から治療してしまおうという治療法だ。血液の病気である血友病などで研究が進んでおり、がんの治療にも期待がもたれている。まさに神の領域とも言える治療技術が昨今、大きな関心を集めているのだ。
遺伝子治療では、人工的に作られた正常な遺伝子を体内に入れて、これが異常遺伝子の代わりとして働く。一方でゲノム編集は、自分のDNAの欠陥部分をスポット的に修復するというイメージだ。
特にゲノム編集は12年、米国のジェニファー・ダウドナ博士とフランスのエマニュエル・シャルパンティエ博士が発表した「クリスパー・キャス9(ナイン)」と呼ばれる新技術を機に研究が急速に広まった。キャス9は、欠陥部分を標的として、自動的にハサミを入れて切断する機能がある酵素だ。この時、正しい場所でハサミを入れないと、正常なDNAを切断する「オフターゲット」が起こり、大問題となる。
昨年のノーベル医学生理学賞の候補にもなった両博士の新技術では、切断したい標的へ自動的にガイドしてくれるRNAを使い、ハサミを正しい場所へ簡単に誘導できるようになった。これで研究が一気に活発化した。
「RNAはDNAの配列を認識し、DNAにくっつく能力を持っている。ハサミを入れたいところにぴたっとくっついて、そこにキャス9を誘導する。これが画期的だ」
キャス9を使った研究の最前線にいる東京大学大学院理学系研究科(東京都文京区)の濡木理(ぬれきおさむ)教授は、そう説明する。標的となるDNAの配列を認識するRNAを人工的に作り出すことで、マッチさせる。配列さえ正しく変えれば、どこへでもハサミを運んでくれるし、そうしたRNAを作るのは難しくないという。
濡木教授によると、両端からハサミを入れて切断された欠陥部分は、つぶれる(ノックアウト)。また、切断した欠陥部分と同じ配列のDNAが近くにあると、切断したものに代わって自動的に組み込まれる(ノックイン)。欠陥部分と同じ配列の正常なものを人工的に作り、キャス9とガイドRNAといったゲノム編集の道具と一緒に体に入れると、切断された欠陥部分と自動的に入れ替わるというから驚きだ。こうした技術を医療で応用し、欠陥を矯正することで、遺伝性疾患の根本治療につなげようとしているのがゲノム編集なのだ。
キャス9やガイドRNAといったゲノム編集の道具一式を自動的に臓器に運ぶデリバリー技術の研究も進んでいる。特定の臓器に感染しやすいウイルスで、病原体のないものを使うという。そのウイルスの中にゲノム編集の道具や人工的に作った正常遺伝子などを入れ、静脈注射すると、ウイルスが感染しやすい臓器に自動的に運んでくれる。臓器に運ばれたキャス9はガイドRNAによって標的に導かれ、自動的に欠陥部分を切断するという流れだ。
濡木教授によると、肝臓や脳神経、筋肉へは、高い確率で運んでくれるデリバリーウイルスが研究されているが、その他の臓器は今後の課題。特定のデリバリーウイルスがない臓器の場合、カテーテルなどを使ってゲノム編集の道具を入れることになるという。
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