
写真は、借り物。 相州七里浜。1830年代前半に出版された、葛飾 北斎(katsushika hokusai)(下の補足説明を参照)の、富士山を描いた、版画集、「富嶽三十六景」の作品の一つで、鎌倉(kamakura)の海から眺めた、富士山を描いた作品です。
葛飾 北斎(katsushika hokusai):1760年生まれ。1849年に亡くなる。18世紀後期から19世紀半ばに亡くなる近くまで活躍した、日本の、有名な、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家。
NHKの大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」が始まり(ちなみに、私は、NHKの大河ドラマは興味がなく見ていません)、鎌倉(kamakura)の観光客が、相対的に、増えるのかな(個人的には、あまり増えて欲しくありませんw)。ちなみに、我が家の近所の私の実家の私の父はNHKの大河ドラマ好きです(私の母は、大河ドラマは、興味ない様です)。
以下、おまけ。基本的に、2010年の11月の下旬に行った、「鳩サブレー(鳩sable)他」と言う投稿です(当時、交際していた女性と、山口(yamaguchi)県に小旅行に行って来た話を含む)。
写真以下3枚。昨日仕事から帰って来て食べた甘い物。頂き物の鳩サブレー(鳩sable)。鳩サブレー(鳩sable)は、19世紀末創業の鎌倉(kamakura)(下の補足説明参照)の菓子屋さん(基本的には、和菓子(日本伝統菓子)屋さん)、豊島屋(toshimaya)が、製造・販売する、100年程の歴史を有する、鳥の鳩の形をした西洋菓子(cookie、biscuit)です。鳩サブレー(鳩sable)は、遠足(学校の日帰りの小旅行)等で、鎌倉(kamakura)に来る、小学生・中学生・高校生達が、よく買って行く、鎌倉(kamakura)で、最も人気の高い菓子の一つです。鳩サブレー(鳩sable)は、バター(butter)を、たっぷり使っていて、美味しいです。私は、鳩サブレー(鳩sable)は、子供の頃から好きなのですが、もう自分では、あまり買わないです(私は、鎌倉(kamakura)が好きで、鎌倉(kamakura)を、よく散歩するのですが、鎌倉(kamakura)に、よく遊びに行く様になってからは、それ程、買わなくなった。。。)。
鎌倉(kamakura):東京近郊にある、鎌倉(kamakura)は、中世(1185年から1333年まで)に、日本の政治の中心地であった中都市(中規模程度の人口を有する都市)であり、中世以来の歴史を有する、寺や神社(shrine)が、数多くあります。その為、鎌倉(kamakura)は、東京近郊の主要な観光地の一つとなっています。



以下は、おまけ。。。
写真以下4枚。私の職場(事務所)近くの通りの銀杏並木。先週の木曜日に撮影。今が、丁度、紅葉の見頃時期です。我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)からも、結構近いので(我が家の最寄駅と、事務所の最寄駅は、地下鉄で4駅(初乗り運賃)、我が家の玄関から事務所の玄関まで、約30分)、紅葉の時期には、この並木道を、仕事の休憩時間に、息抜きに散歩したり、休日に散歩したりしています。ここの銀杏並木は、東京都心部の並木の中で、(木の大きさと言う面で)最大級だと思います(写真の中の自動車と比較すれば、その大きさが分かると思います)。また、この通りの並木は、歩道の両側に、各2列ずつ、合計4列となっていて厚みがあります。




写真以下3枚。先週の木曜日の昼食。お気に入りで、昼食で、よく利用する、職場(事務所)近くのカジュアル(casual)な雰囲気のフランス料理レストランで食べた物。これにパンが付きます。

マッシュルーム(mushroom)のポタージュ(potage)。

メイン(main)料理。ホロホロ鶏(Helmeted Guineafowl)のコンフィ(confit)。ホロホロ鶏のコンフィは、この店の得意メニュー(menu)の一つと言った感じです。

小さなデザート(dessert)。チョコレートcake。
少し前の事になりますが、7月の始めに、主に、山口(yamaguchi)県に、2泊3日で、小旅行に行って来て、門司(moji)港、秋芳洞(akiyoshido)、秋吉台(akiyoshidai)、萩(hagi)等を観て来ました(門司(moji)港は、初めて、秋芳洞(akiyoshido)、秋吉台(akiyoshidai)、萩(hagi)は、久々の訪問となりました)。飛行機(行きも帰りも北九州(kitakyusyu)空港を利用)とレンタカー(rent-a-car)で旅行しました。
写真以下5枚。この時、私達が、萩(hagi)(下の補足説明参照)で宿泊した旅館。武家屋敷(侍(samurai)の邸宅)の敷地跡に建つ、敷地面積3,000坪(約9,900平方m)の日本旅館です。日本旅館なのですが(部屋、食事は、完全に日本旅館と言った感じ。男女別の共同温泉風呂を有しています)、立派なイギリス式庭園(English garden)も有する他、かなり西洋の要素が取り入れられた、個性的な旅館でした。
萩(hagi):山口(yamaguchi)県北部に有る小都市。古い建物が多く残り、山口(yamaguchi)県を代表する観光都市であると共に、日本を代表する観光都市の一つともなっている。





写真以下6枚。今回は、萩(hagi)城(castle)跡は、観る予定は無かったのですが、最終日、二人共、早く眼が覚めたので、ついでに、朝食前に、旅館近くの、萩(hagi)城(castle)跡及び、その周辺を散歩。萩(hagi)城(castle)は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、現在の山口(yamaguchi)県に相当する地域を統治していた地方領主、毛利(mouri)家の城(castle)です。

写真は、借り物。萩(hagi)城(castle)の天守閣(tensyukaku)(城(castle)を象徴する建物)の古写真。封建制時代には、日本全国には、たくさんの地方領主の城(castle)がありました。しかしながら、明治(meiji)時代(1868年から1912年)に入ると、出来るだけ効率良く、迅速に、日本を近代的な国家にする事を目指す、新中央政府にとっては、(無駄に多い、維持費のかかる、前近代的な建物が、広大な敷地内に建っている、)封建時代の象徴的な建物である、城(castle)は、必要の無い物(無用の長物)となります。これによって、政府の方針により、19世紀末に、日本全国の、多くの城(castle)の、ほとんどの建物が取り壊され、かつての地方領主達の城(castle)の広大な敷地は、他の用途の土地に転用されました(もっとも、地方領主としての地位を失うと供に、封建制時代の城(castle)と庭園を失ったものの、多くの地方領主達は、貴族階級に組み入れられ、近代社会(19世紀末から第2次世界大戦後、間も無くまで)においても、日本の上流階級としての地位と富は、維持しました)。萩(hagi)城(castle)も、例外ではなく、明治(meiji)時代(1868年から1912年)の初めに、建物が取り壊され、現在は、萩(hagi)城(castle)跡として、ほとんど石垣(stone wall)だけが残る形となっています。せめて、写真の天守閣(tensyukaku)だけでも、取り壊されずに現存していたら、姫路(himeji)城(castle)や松本(matsumoto)城(castle)等と並ぶ観光名所となったはずなのに、惜しいですね。





最終日は、行き(秋吉台(akiyoshidai)経由)と違って、山口(yamaguchi)県北部及び西部の海沿いを廻って、空港へ帰りました(山口(yamaguchi)県北部及び西部の海沿いは、大学生の頃、貧乏一人旅行(国内backpacking)で、1度、列車で、ほとんど通過したのみだった)。