以下の投稿内容に関する補足説明として、ホテルokura(Hotel Okura)の建物の本館の建て替えは、2019年に完了しました。ホテルokura(Hotel Okura)は、新しい建物になってから訪れていませんが、2019年に完成した、新しい建物の、ロビー(lobby)は、1962年に建てられた、旧ホテルokura(Hotel Okura)の建物の本館のロビー(lobby)の内装を、出来るだけ忠実に再現している様です。
帝国ホテル(Imperial Hotel)は、比較的最近(去年)、現在の建物を、新しい建物に建て替える計画を発表しました。建て替えの工事は、2024年頃に始まり、新しい建物は、2030年以降に完成する予定である様です。
動画は、借り物。1923年に完成した、Frank Lloyd Wright設計の、帝国ホテル(Imperial Hotel)の、2代目の建物(現在の建物への建て替えの為、1967年に閉館となり、1968年に、取り壊された)を再現した物。
現代日本様式に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。
現代日本様式(建築・インテリア史)前編→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3398845/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
エリエル・サーリネン(Eliel Saarinen)展他(関連投稿)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3403385/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
1962年に建てられた、旧ホテルokuraの建物の本館のロビー(lobby)に関しては、この投稿の一番下でリンクを付けた投稿、「現代日本様式(建築・インテリア史)後編」を参照して下さい。

以下、2015年に行った投稿から抜粋して来た物です。投稿文は、2015年の投稿を前提としています。
東京を代表する、高級ホテル群は、日本国内資本の、古くからの、東京を代表する高級ホテル群と、外国資本系(世界規模のホテル資本系)の、(比較的、新しい)、新しい、東京を代表する、高級ホテル群に分かれますが、古くからの、東京を代表する高級ホテル群の中で、取り分け(特に、)有名なのが、帝国ホテル(Imperial Hotel)、ホテルokura(Hotel Okura)、ホテルnew otani(Hotel New Otani)の、三つです。
帝国ホテル(Imperial Hotel)は、1890年に開業した、東京都心部でも、中心的な地域でも、さらに、中心的な地域に位置する、高級ホテルです。東京を代表する高級ホテルの一つであると共に、第二次世界大戦前からの、東京を代表する高級ホテルであり、東京を代表する高級ホテルの中でも代表的なホテルです(東京を代表する高級ホテルを、一つ挙げるとしたら、歴史と伝統を含めて、やはり、帝国ホテルでしょう)。
参考に、帝国ホテルは、1890年に開業しましたが、ロンドン(London)の、Claridge‘sは、1800年代の前半に開業、The Savoyは、1889年に開業、The Ritz, Londonは、1906年に開業、パリ(Paris)の、Le Meuriceは、1835年に開業、Hotel Ritz(Hotel Ritz Paris)は、1898年に開業、Le Bristol Parisは、1925年に開業、ニューヨーク(New York)の、Waldorf Astoriaは、1893年に開業(帝国ホテルよりも、数年、歴史が浅い)、Plaza Hotelは、1907年に開業、シンガポール(Singapore)の、Raffles Hotelは、1887年に開業(開業は、帝国ホテルよりも、3年程、早いが、本格的なホテルとしての営業開始は、1899年と、帝国ホテル(1890年の開業時から、本格的なホテルとして営業を開始)よりも、9年程、遅い。ちなみに、帝国ホテルも、Raffles Hotelも、同時期に、アジアに開業したホテルで、現在も、それぞれの国(都市)を代表する、高級ホテルとして営業を続けているホテルですが、当時、西洋の植民地であった、シンガポール(Singapore)に建てられたRaffles Hotelと、独立国家の日本において、純粋な国内資本により建てられた、帝国ホテルは、その成り立ち(歴史的な性質)は異なります)、香港(Hong Kong)の、The Peninsulaは、1928年に開業しました(The Peninsulaも、Raffles Hotelと同様、帝国ホテルとは、その成り立ち(歴史的な性質)は異なります)。
ちなみに、帝国ホテルは、我が家から、近くて、基本的に、宿泊する意味がありませんが(また、そもそも、私の様な者が、日常的な感覚で、宿泊出来る様なclassのホテルでは、全くありませんが)、個人的に、今よりも、羽振りが良かった時に(今よりも、お金を稼いでいた時に)、クリスマス(Christmas)時期、バレンタイン(Valentine‘s Day)時期等の、カップル(couple)にとって、ちょっと、特別な時期の宿泊として、一度だけ、宿泊した事があります。

写真以下13枚。帝国ホテルの、2代目の建物。1923年に完成。帝国ホテルの、2代目の建物は、歴史上、世界的に、最も有名な建築家の一人である、Frank Lloyd Wright(ちなみに、Frank Lloyd Wrightの、住宅建築のデザイン(design)は、日本の、近代、及び、現代の、(特に、中流層から富裕層向けの)、住宅建築のデザイン(design)に、大きな影響を与えています)による設計です。帝国ホテルの、2代目の建物は、現在の(三代目の)、帝国ホテルの建物に建替えられる為に、1967年に閉館となり、1968年に、取り壊されました。もし、この建物が残っていたとしたら、Frank Lloyd Wrightの、現存する、最大規模の代表作として、建物自体が、観光名所となっていた事でしょう。
帝国ホテルの、2代目の建物が建てられた、1920年代当時においては、帝国ホテルは、日本国内外の、上流階級(金持ち)、及び、限られた富裕層のみが利用する事を想定していた、高級ホテルで、(現代の基準から見れば)、帝国ホテルは、ホテルの敷地、及び、建物の規模に比べて、客室数は、少なくなっていました。したがって、第二次世界大戦後の、世界的な、経済状況下における、東京の様な、巨大都市における、日本国内外の、増大する、ビジネスマン(businessman)達の、宿泊需要に応える事は、(時代遅れであり、低層の建築物で、敷地の割に、客室数が少ない)2代目の建物(1923年完成)では、とても無理な状況にあったのでしょう(仮に、帝国ホテルが、東京の都心部でも、別の場所にあったのならば、第二次世界大戦後も、2代目の建物のまま、都市型の、高級リゾート(resort)ホテルとして、生き残る方法もあったのかもしれませんが、(ホテルokura東京も、ホテルnew otaniも、東京都心の、一等地にありますが)、第二次世界大戦前に開業した、帝国ホテルは、ホテルokura東京や、ホテルnew otaniよりも、さらに、一等地にあり、東京都心部でも、中心的な地域でも、さらに、中心的な地域に位置しています)。
帝国ホテルの、2代目の建物が、現在の(三代目の)、建物に建て替えられる為に、取り壊されてしまった事は、とても惜しいですが、この様な(上述した様な)、状況を考えると、仕方がなかったのかなとも思います。なお、帝国ホテルの、2代目の建物の、極一部(中央玄関の部分)は、日本国内の、別の場所に移築されて、保存・展示されています。
写真以下13枚は、借り物写真。おそらく、1920年代から1930年代頃(ほとんどが、(帝国ホテルの、2代目の建物の)、1923年の、完成当時)に撮影された物だと思います。
写真以下13枚。帝国ホテルの、2代目の建物(1923年完成。設計は、Frank Lloyd Wright)の、外観。当時、西洋(特に、ヨーロッパ)の、古典的な西洋式の(古典的なヨーロッパ式の)、重厚なデザイン(design)・装飾の、高級ホテルに対抗して?、帝国ホテルは、新しい建物の設計を、Frank Lloyd Wright(下の補足説明参照〉に依頼したと言う、(帝国ホテルの)視点が、興味深いです。帝国ホテルの、2代目の建物が、仮に、現存していたとしたら、Frank Lloyd Wrightの、現存する、最大規模の代表作として、建物自体が、観光名所となっていた事でしょう。
Frank Lloyd Wright:説明は、wikiを参考にしました。1867年生まれ、1959年に亡くなる。アメリカの建築家。歴史上、世界的に、最も有名な建築家の一人。Frank Lloyd Wrightは、ヨーロッパの建築様式の模倣が全盛であった、19世紀末から20世紀初めのアメリカにおいて、アメリカの郊外住宅に、新しい建築様式を打ち出しました。ちなみに、Frank Lloyd Wrightは、日本の伝統的な芸術作品(特に、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆版画))の、熱心なコレクター(collector)であったと共に、アメリカでは、建築家としてだけでなく、日本の伝統的な芸術作品(特に、浮世絵(ukiyoe))の、ディーラー(dealer)としても活躍していました(Frank Lloyd Wrightは、アメリカでは、住宅の設計の依頼を受けると、依頼主の住宅を設計すると同時に、(設計した)住宅に飾る、日本の伝統的な芸術作品を依頼主に販売していました)。



写真以下8枚。帝国ホテルの、2代目の建物の、内部の例。




帝国ホテルの、2代目の建物は、前述の通り、現在の(三代目の)、帝国ホテルの建物に建替えられる為に、(東京夏季Olympics(1964年)が開催されてから、しばらく経った)、1967年に閉館となり、1968年に、取り壊されました。
写真以下2枚(写真は、借り物)。帝国ホテルの、現在の建物(帝国ホテルの、三代目の建物)。帝国ホテルの、現在の建物(帝国ホテルの、三代目の建物)は、基本的に、1970年に建てられた物です。ちなみに、帝国ホテルには、帝国ホテルの、2代目の建物の、デザイン(design)・装飾をイメージした、最上級classの客室、Frank Lloyd Wright suiteと言う客室(客室の、広さ214平方m)もあります。帝国ホテルは、ホテルokura(Hotel Okura)と異なり、今の所、(1970年に建てられた)現在の建物を、建て替える予定はない様です。
写真の作者:↑PON(ウエポン)
写真の作者:Kakidai
最近の新聞の広告より。。。帝国ホテル、今年で、開業125周年の広告。
以下、ホテルokura(Hotel Okura)についての、説明は、wiki等を参考にしました。
ホテルokura(Hotel Okura)は、大倉(okura)家(第二次世界大戦以前の、日本の、中規模、財閥(第二次世界大戦以前の日本の15大財閥の一つ)家)の当主であり、貴族(男爵)(実業家系の貴族。ちなみに、間違っていたら、申し訳ありませんが、おそらく、近代日本においては、実業家系の貴族(国への経済的な貢献により、貴族の地位が与えられた、実業家の家)は、どんなに財産があっても、基本的に、男爵(貴族の中では、一番、低い地位)止まりでした)でもあった、大倉 喜七郎(okura kishichiro)(1882年生まれ。1963年に亡くなる。自動車レース(car racing)等、日本、屈指の趣味人として知られた)により設立された、ホテルです。
大倉 喜七郎(okura kishichiro)の父であり、先代の大倉(okura)家の当主である、大倉 喜八郎(okura kihachiro)(1837年生まれ。1928年に亡くなる。実業家・貴族(男爵(実業家系の貴族))は、帝国ホテル(Imperial Hotel)(1890年開業)の設立に、大きく関わった人物の一人であり、その事から、大倉(okura)家(大倉(okura)財閥。近代日本の中規模財閥の一つ。第二次世界大戦以前の日本の15大財閥の一つであった)は、帝国ホテルの経営を行っていましたが、1922年、大倉 喜七郎(okura kishichiro)は、父である、大倉 喜八郎(okura kihachiro)の後を継いで、帝国ホテルの会長に就任し、また、1924年に、大倉(okura)財閥の当主に就任しました。
しかしながら、それぞれ、連合国軍最高司令官総司令部(Supreme Commander of the Allied Powers)(第二次世界大戦の、日本の敗戦に伴い、日本において占領政策を実施した連合国軍の機関。1952年、日本の、完全な、主権の回復により、活動を停止)の政策である、財閥の解体(財閥の廃止)、公職追放(第二次世界大戦以前の日本の体制下において、政治・経済・軍事等の分野で、重要な地位に就いていた者達の、(重要な職務への)就職が、第二次世界大戦直後の、一時期、禁止された)、貴族制度の廃止により、大倉 喜七郎(okura kishichiro)は、第二次世界大戦後、多くの財産を失うと共に、帝国ホテルの会長の地位も失い(帝国ホテルの経営から、離れざるを得なくなり)、さらに、貴族としての地位も失いました。
大倉 喜七郎(okura kishichiro)は、公職追放の解除後、帝国ホテルの社長への就任(帝国ホテルの経営への復帰)を、切望しましたが(強く望みましたが)、適わず、ホテル経営の未練から、最晩年に、自身の邸宅(大倉(okura)家の邸宅)の敷地の跡に、ホテルokura(Hotel Okura)を建て、1962年に開業しました(大倉 喜七郎(okura kishichiro)は、ホテルokura(Hotel Okura)の開業の翌年の、1963年に亡くなりました)。
ホテルokura(Hotel Okura)は、大倉 喜七郎(okura kishichiro)が、近代日本の最後の男爵(貴族)の一人であったと言う意地により、又、近代日本の貴族の精神を、(後の時代に至るまで)証明する為に(ちなみに、大倉 喜七郎(okura kishichiro)が当てはまるかどうかは、分かりませんが、日本の、金持ちは、一般的に、伝統的に、中国や中東の金持ちと違って、派手さよりも、風流さを好み(割と地味で)、見える所よりも、見えない所に、お金をかけるイメージがあります)、(最晩年に)、自身の邸宅(大倉(okura)家の邸宅)の敷地の跡に、「帝国ホテルを超えるホテル」を目指して、開業したホテルです(ちなみに、帝国ホテルは、大倉 喜七郎(okura kishichiro)の父である、大倉 喜八郎(okura kihachiro)が設立し、大倉 喜七郎(okura kishichiro)が、発展させたホテルです)。ちなみに、個人的には、ホテルokura(Hotel Okura)は、とても良いホテルであると思うものの、帝国ホテルを、あらゆる面において、超える事は、出来ていないと思います。
ホテルokura(敷地面積、約36,300平方m(約11,000坪))の建物は、本館と別館から成ります(本館の建物と別館の建物は、通路で繋がっています)。本館の建物(1962年に完成。ホテルokuraの開業時からの建物)は、かつての、大倉(okura)家の、本邸(mainの邸宅)の敷地(敷地面積、7,000坪(約23,000平方m)から8,000坪(26,000平方m)位?)に建っており、本館に隣接する、別館の建物(1973年完成)は、(wikiによると)、かつての、日本航空(JAL)(1951年設立。全日本空輸(ANA)(1952年設立)と共に、日本の二大航空会社となっている)の創業者の本邸(mainの邸宅)の敷地(敷地面積、3,000坪(約10,000平方m)から4,000坪(約13,000平方m)位?)に建っています(ホテルokuraの、全体の敷地面積は、約36,300平方m(約11,000坪)だが、本館と新館の敷地面積の比率については、推定)。ちなみに、地図を見ると、かつての、大倉(okura)家の、本邸(mainの邸宅)の敷地の面積は、現在の、ホテルokuraの本館の敷地面積(敷地面積、7,000坪(約23,000平方m)から8,000坪(26,000平方m)位?)よりも広く、10,000坪(約33,000平方m)位あったかもしれません。
大倉 喜七郎(okura kishichiro)は、Frank Lloyd Wrightが設計した、帝国ホテルの2代目の建物(帝国ホテルの2代目の建物は、ホテルokuraの開業時(1962年)は、まだ、現役でした)に対して、ホテルokuraの建物のデザイン(design)を、「現代日本様式」にした点が、興味深いです。
ホテルokuraの、本館の建物は、建て替えの為、もうすぐ(今年の8月末に)閉館となります(新しい建物は、2019年に完成の予定です)。前述の通り、ホテルokuraの、本館の建物は、1960年代の、(日本の伝統的なデザイン(design)を取り入れた)日本の現代建築の、代表的な建築と言える物である事から、ホテルokuraの本館の建物の、建て替えに伴う取り壊しについては、日本国内外の、少なからぬ、建築家・デザイナー(designer)、ホテルokuraを愛して来た、著名人・ビジネスマン(businessman)・金持ち・富裕層等から、取り壊しを惜しむ声、取り壊しに反対する声があるようです。私も、個人的に、日本の建築史(建築の歴史)的に、価値が高い、ホテルokuraの本館の建物が取り壊されてしまうのは、惜しいと思いますが、一方において、ホテルの競争力の維持の為には、仕方ないのかなとも思います(前述の通り、ホテルokuraの開業時(1962年)と違って、ホテルokuraの周囲には、超高層ビル・高層ビルが増え、ホテルokuraの建物は、現在は、ホテルokuraの開業時と違って、あまりに、目立たない(地味な)存在となっています)。
ホテルokuraにも、多様な飲食店があるものの、ホテルokuraは、帝国ホテル、ホテルokura(Hotel Okura)、ホテルnew otani(Hotel New Otani)の中では、飲食店の数が、最も、少ないです。ホテルokuraには、日本料理系のレストランが3つ、西洋料理系のレストランが3つ、中国料理レストランが2つ、カフェ(cafe)が1つ、バー(bar)が、3つあります。ホテルokuraは、古くから、帝国ホテルと共に、日本の、フランス料理・西洋料理界を、リードして来た(先導して来た)(日本の、フランス料理・西洋料理界の手本となって来た)存在です。
写真以下5枚。ホテルokuraの、飲食店の例。
写真以下3枚。オーキッドルーム(Orchid Room)。ホテルokuraの本館にある西洋料理レストランで、ホテルokuraを代表するレストランです。内装のデザイン(design)は、ホテルokuraの、本館の、ロビー(lobby)と共通性のある物となっています。オーキッドルーム(Orchid Room)は、利用した事があります。ちなみに、オーキッドルーム(Orchid Room)は、ホテルokuraの本館の建物の建替えに伴い、(おそらく1962年の開業時から、ほとんど変わっていない)現在の内装の物は、失われる事になります。
ホテルokuraの、パンフレット(leaflet)より。。。
ホテルokuraの、情報パンフレット(booklet)より。。。
ホテルokuraの、パンフレット(leaflet)より。。。写真下側、左から、ホテルokuraの、フランス料理レストラン(この日、私達が利用したレストラン。別館にあります)、中国料理レストランの一つ(本館にあります)、日本料理レストラン(本館にあります)、鉄板焼き(teppanyaki)レストラン(ステーキ(beef steak)レストラン)(本館にあります)。
写真以下2枚。ホテルokuraの別館の建物。1973年に完成した物です。ホテルokuraの、本館の建物同様、設計は、谷口 吉郎(taniguchi yoshiro )等、複数の、当時の、日本の、著名な建築家達が行いました。ホテルokuraの別館の建物の外観及び内装は、1962年に完成した、ホテルokuraの本館の建物に準じた物となっています(1962年に完成した、ホテルokuraの本館の建物に合わせた物となっています)。ホテルokuraの、本館の建物の建て替え期間中は、ホテルokuraは、少し、手狭になりますが、(ホテルokuraの)本館の建物の飲食店・施設等の一部を、(ホテルokuraの)別館に移して、(ホテルokuraの)別館のみで営業を行う事となります。なお、本館の建物の建て替え工事が終わった後は、引き続き、(1973年に完成した、ホテルokuraの)別館の建物が、建て替えられる可能性は、高いと思います。
写真右側の建物。ホテルokuraの別館の建物。写真で見える感じよりも、実際は、大きな建物です。
ホテルokuraの別館の内装例。
以上、2015年に行った投稿から抜粋して来た物でした。
ホテルokuraについて詳しくは、以下の投稿を、参照して下さい。
現代日本様式(建築・インテリア史)後編→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3398846/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2