ういろう(uirou)は、餅に似た、日本伝統菓子(一般的に、すあま(suama)(日本の伝統菓子の一つ)よりも、弾力は、少ない)です。個人的に、ういろう(uiro)は、大好物で、日本伝統菓子のみならず、全ての、お菓子の中で、最も好きな、お菓子の一つです(すあま(suama)も好きですが、すあま(suama)よりも、より好きです)。
ういろう(uirou)は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)には、既に、日本各地に製法が広まり、日本各地で、製造・販売が行われるようになっていた様です(wikiより)。ういろう(uirou)は、名古屋(nagoya)(日本の中部地方で最大の人口を有する都市。東京、大阪に次いで、日本で3番目の都市圏人口を有する都市)で、伝統的に、よく食べられている、お菓子であり、日本で、ういろう(uirou)と言えば、一般的には、名古屋(nagoya)の伝統菓子として、認識されていると思います。ちなみに、私は、もちろん、名古屋(nagoya)の、ういろう(uiro)も好きです。
ういろう(uirou)は、子供の頃は、今程、食べる機会がありませんでしたが(私は、東京中心部(東京23区)生まれ、東京中心部(東京23区)育ちですが(実家は、我が家の近所)、ういろう(uiro)は、東京中心部(東京23区)では、昔から、一般的な、お菓子ではない)、子供の頃から、好きでした。
以下、外郎(uirou)家、外郎(uirou)(1368年創業の、日本の、小田原(odawara)の、薬店(薬会社)・和菓子(日本伝統菓子)店(和菓子(日本伝統菓子)会社)の歴史に関しては、以下のsiteを参考にしました→
http://www.uirou.co.jp/uiroutoha.html
https://chienotomoshibi.jp/intro/uirou/
外郎(uirou)の創業者(外郎(uirou)家の初代当主)は、元々、中国の、元(Yuan dynasty)(1271年から1368年)の時代に、既に、1400年程続いていた、中国の、浙江省(Zhejiang)の、公家(皇族・政府に仕える、貴族・上級官僚)の家系の当時の当主で、元(Yuan dynasty)の皇帝・政府に、医療分野・外交分野の役職で仕えていましたが、1368年に、元(Yuan dynasty)が明(Ming dynasty)に滅ぼされると、(1368年に)、明(Ming dynasty)の皇帝・政府に仕える事を恥じて、日本の、博多(hakata)(現在の、福岡(fukuoka)(九州(kyusyu)(日本の南部)の北部に位置する大都市・九州(kyusyu)の中心都市))に移住をし、日本人となりました。
外郎(uirou)家の初代当主は、医療(医術)・中国古代の占いの方法に詳しかった為、その人柄を慕って、足利 義満(ashikaga yoshimitisu)(当時の、日本の将軍(日本全国の侍(samurai)達の長(leader)。日本の実質的な統治者)は、外郎(uirou)家の初代当主を、再三(何度も)、京都(日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった。日本の、伝統文化の中心都市)に招きましたが、外郎(uirou)家の初代当主は、遂に、京都に移り住む事はせず、崇福(soufuku)寺(1240年創建の福岡(fukuoka)の仏教の寺)の僧侶の許に行き、僧侶となりました。
代わりに、外郎(uirou)家の初代当主の息子(外郎(uirou)家の2代目の当主)が、足利 義満(ashikaga yoshimitisu)の招きに応じて、京都に移り住みました。
足利 義満(ashikaga yoshimitisu)(1369年生まれ。1395年に亡くなる)は、外郎(uirou)家の2代目の当主に、京都の、自分の邸宅及び幕府(足利 義満(ashikaga yoshimitisu)による政府で、当時の日本の実質的な政府)の傍ら(近く)に、邸宅を与えて、医療・調薬(薬の調合)や外国からの使節の接待の顧問としました。外郎(uirou)家の2代目の当主は、政府(日本政府)の命令で、中国(明(Ming))の実家に戻り、薬の処方を持ち帰り、外郎(uirou)家の薬は、当時の、日本の上流階級の間で、評判となりました(この時、製造されていた透頂香(tonchinkou)と言う薬(薬の名前は、当時の日本の天皇が名付けた)は、現在も、製造・販売され続けています)→
http://www.uirou.co.jp/kashi1.html
外郎(uirou)の薬は、日本で存続する(現在も製造・販売され続けている)薬の製品の中で、最古の(最も、古い)製品となっています。
また、外郎(uirou)家の2代目の当主は、日本政府の、外国からの使節の接待役を務めていた時に、自ら接待に用いる菓子を考案し、この菓子が評判となり、お菓子の、ういろう(uirou)と呼ばれました(現在の、外郎(uirou)の、ういろう(uirou)(日本伝統菓子)の起源)。
1504年に、外郎(uirou)家の5代目の当主は、北条 早雲(houjyou souun)(当時、小田原(odawara)を統治していた、日本の地方領主。当時の、日本の有力な地方領主の一人)に、招かれて、小田原(odawara)に移り住み、以後、外郎(uirou)家は、小田原(odawara)(下の補足説明を参照)で、代々、現在に至るまで、薬と菓子を、製造し続けています。
現在の、外郎(uirou)の社長は、25代目(外郎(uirou)家の25代目の当主)となっています→
https://chienotomoshibi.jp/intro/uirou/
江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に描かれた、小田原(odawara)の、外郎(uirou)家の建物→
http://www.uirou.co.jp/siryo1.html
近代(19世紀後期から1930年代頃)に撮影された、小田原(odawara)の、外郎(uirou)家(外郎(uirou)の本店)の建物→
http://www.uirou.co.jp/
現在の、外郎(uirou)(1368年創業の、日本の、小田原(odawara)の、薬店(薬会社)・和菓子(日本伝統菓子)店(和菓子(日本伝統菓子)会社)の本店の建物→
http://www.uirou.co.jp/kaisya.html
小田原(odawara):小田原(odawara)は、神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の南西部にある中都市(中規模程度の人口の都市)で、城下町(歴史的に、地方領主の城(castle)を中心に発展した都市(町))であり、また、箱根(hakone)(下の補足説明を参照)の観光の拠点ともなっている中都市(中規模程度の人口の都市)です。
箱根(hakone):東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置します)は、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地です(箱根(hakone)は、日本有数の温泉地となっています)。
外郎(uirou)(1368年創業の、小田原(odawara)の、薬店(薬会社)・和菓子(日本伝統菓子)店(和菓子(日本伝統菓子)会社)の、ういろう(uirou)(日本の伝統菓子)。頂き物。下さった方は、私が、ういろう(uirou)(日本の伝統菓子)が好きな事を知っていて、下さいました(有難い)。外郎(uirou)の、ういろう(uirou)は、基本的な物は、白砂糖、抹茶(green tea)、小豆、黒砂糖の4種類がありますが、基本的な、ういろう(uirou)の内、白砂糖の、ういろう(uirou)(写真左)と、抹茶(green tea)の、ういろう(uirou)(写真右)です。
参考のsite(写真左、白砂糖の、ういろう(uirou)、写真真ん中、抹茶(green tea)の、ういろう(uirou))→
https://www.kanagawa-kankou.or.jp/?p=we-page-single-entry&spot=300680
https://www.tabiulala.com/odahako/spot036/
以下、「」内。外郎(uirou)の、ういろう(uirou)(お菓子)の製品の説明書きより。。。
「お菓子の、ういろう(uirou)は、厳選した原料から造られる独特の風味ある蒸菓子であります。人工甘味料や色素等不自然なものは、一切添加しておりません。古くから伝わる素朴な自然の持ち味を生かして造られています。」
以下、おまけ。
先週の水曜日(以下、この日と書きます)は、自宅(我が家)に持ち込んだ仕事と、職場(事務所)に顔を出しての仕事の併用と言った感じでした。
ちなみに、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅と、(東京都心部の)私の職場(事務所)の最寄り駅は、地下鉄で4駅(運賃は、初乗り運賃(168円(約1,680won))、我が家の玄関から職場(事務所)の玄関まで(通勤時間は)、30分位です。ちなみに、この日は、車で、出勤しました(事務所に出ました)。
この日は、元々、彼女は、我が家で夕食を食べる予定はありませんでしたが、この前日の彼女とのスカイプの会話の中で(彼女は、1週間の内、1日から3日位、我が家に泊まっていますが、彼女が、我が家に泊まらない日は、基本的に、夜に、1時間程、(我が家の隣の区の彼女の一人暮らしのマンションの)彼女とスカイプで話しています)、彼女は、急遽、この日、我が家で、夕食を食べる事となり、この日の夕食は、彼女と我が家で食べました。
この日の夕食の、メニュー(menu)は、彼女は、魚系の物で、私にお任せと言う事で、この日の夕食の、メイン(main)料理は、鰤しゃぶ(鰤(魚)の、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu))にしました(後述しますが、厳密には、イナダの、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)にしました)。
彼女と我が家で食べた、この日の夕食の、メイン(main)料理の、鰤(魚)の、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)(厳密には、イナダの、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu))の具の魚で、国産の(日本産の)、新鮮な、イナダの刺身用(この日、私が、車で、仕事の取引先を訪れたついでに(仕事の取引先を訪れた帰りに)、取引先の周辺のマートで買って来た物)。美味しかったです(彼女も、美味しいと言って食べていました)。鰤(魚)と、イナダは、実質的に、同じ魚です。イナダは、鰤の若魚です。鰤は、代表的な、出世魚です。出世魚とは、成長と共に、呼び名が変わる魚で、日本で、伝統的に、縁起が良い魚とされています。鰤(魚)の、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu)(厳密には、イナダの、しゃぶしゃぶ(shabu-shabu))の具は、この他、野菜と茸にしました。ちなみに、私も、彼女も、野菜も、よく食べています。
以下、参考の投稿。
鰤大根(富山県の伝統料理)他→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3481632?&sfl=membername&stx=nnemon2
ちなみに、この日の夕食時は、私は、飲み物は、お酒は、日本酒を飲みました。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、両親とも、酒に強くて酒飲みでw、遺伝により、酒は強いです(私は、酒が強く、酒をいくら飲んでも、顔色が、全く、変わらないタイプです)。酒は、基本、どんなに飲んでも酒に飲まれる事はありませんw それは、ウイスキーをストレートでボトル1本を超えて、比較的短時間で飲めば、時間差で後から腰は抜けますが(学生の頃の話w)、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わりません。
日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎なんでも行けますが、私は、お酒の飲み方は、本来的には、ウイスキーの様な、濃いお酒を、ロックで、チビリチビリと飲むのが好きです。
ちなみに、彼女は、お酒が弱いです。」
この日は、彼女は、我が家に泊まらず、夕食後、彼女を、歩いて、我が家の最寄り駅まで、送りました(この日は、夕食時に、お酒を飲んだ為、車で、彼女を、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の隣の区の彼女の一人暮らしのマンションに送りませんでした)。
以下、最近の投稿。
The Yeomen Warders(ロンドン塔の衛兵隊)他→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3500462?&sfl=membername&stx=nnemon2
セルニック(sernik)(ポーランド伝統のケーキ)の話等→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3500461?&sfl=membername&stx=nnemon2