先々月(6月)の第4日曜日(以下、この日と書きます)に、前日に我が家に泊まった彼女と、この時、菊池寛実記念 智(kikuchikanjitsukinen tomo)美術館で行われていた、1940年代中期・後期(第二次世界大戦後、間もなく)から1960年代初めにかけての、現代陶芸と現代artの融合を試みた、日本の陶芸家達の作品の、展覧会(exhibition)を見て来た時の物です。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
この日は、前日に我が家に泊まった彼女と、夜更かしをし、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を食べた後、出掛けました。
この日は、地下鉄で、菊池寛実記念 智(kikuchikanjitsukinen tomo)美術館に行きました。ちなみに、我が家は、東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置しています。
菊池寛実記念 智(kikuchikanjitsukinen tomo)美術館は、東京都心部でも、中心的な地域の南西部に位置しています。
以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。この時、見て来た、展覧会(exhibition)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
菊池美術館・50年代陶芸展他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3836519?&sfl=membername&stx=nnemon2
菊池寛実記念 智(kikuchikanjitsukinen tomo)美術館(以下、略して、菊池(kikuchi)美術館と書きます)に関しては、すぐ上でリンクを付けた前回の投稿と共に、投稿のコメント欄の、投稿の補足説明を参照して下さい。
ちなみに、この日の天気は、曇り、時々雨と言った感じでした。
写真以下4枚。菊池(kikuchi)美術館の敷地(かつての、菊池(kikuchi)家の、東京の、メイン(main)の邸宅の敷地)内に残る、かつての、菊池(kikuchi)家の、東京の、メイン(main)の邸宅の、主な建物の内、西洋式の住宅の建物(1926年に建てられた物)。
菊池(kikuchi)美術館の敷地は、(おそらく)、かつての、菊池(kikuchi)家の、東京の、メイン(main)の邸宅の敷地です。敷地面積は、1,000坪(約3,300平方m)位かな。。。第二次世界大戦前の、日本の、お金持ち(第二次世界大戦前の、日本は、現在の、日本よりも、貧富の格差が、大きかったです)の、メイン(main)の邸宅の敷地としては、狭いですが、東京の一等地(東京都心部でも、中心的な地域)に位置しています。この敷地は、菊池(kikuchi)家の、東京の、メイン(main)の邸宅となる前は、日本の、煙草商人の邸宅の敷地であった様です。菊池(kikuchi)家の、東京の、メイン(main)の邸宅の敷地には、かつては、主な建物は、日本伝統式の邸宅の建物(邸宅のメイン(main)の建物。おそらく、煙草商人が建てた邸宅の建物を、引き継いだ)と、1926年に建てられた、西洋式の住宅の建物があり(この様に、邸宅の敷地内に、日本式の住宅の建物と、西洋式の住宅の建物を、別々に、設ける事は、第二次世界大戦前の、日本の、お金持ちの邸宅では、割と、有り勝ちでした)、日本伝統式の邸宅の建物(邸宅のメイン(main)の建物)は、美術館を建設する際に?、取り壊され、現在は、その跡に、菊池(kikuchi)美術館の建物が建っており、西洋式の住宅の建物の方は、残されています。
ちなみに、菊池(kikuchi)美術館の、敷地内には、日本庭園があり、その、日本庭園は、煙草商人の邸宅であった時からの物であり、100年以上の歴史がある様です(菊池(kikuchi)美術館の、レストランは、その日本庭園を見ながら、食事をする事が出来ます。ちなみに、美術館の入場料を支払わないで、菊池(kikuchi)美術館のレストランだけ利用する事が出来ます)。
ちなみに、菊池(kikuchi)美術館は、土曜日・日曜日・休日でも、空いていて、落ち着いて、ゆったりと、作品を鑑賞出来る、穴場の美術館です。この日は、日曜日で、しかも、(この時、見て来た)展覧会(exhibition)の最終日でしたが(私も彼女も、出足が遅いw)、空いていて、落ち着いて、ゆったりと作品を鑑賞する事が出来ました。
写真以下14枚。菊池(kikuchi)美術館で展覧会(exhibition)を見た帰りにて。
菊池(kikuchi)美術館の周辺の風景。
写真以下6枚。菊池(kikuchi)美術館の周辺にある、ホテルokura(Hotel Okura)(東京を代表する高級ホテルの一つ。1962年の開業)。
写真以下2枚。建て替えられた、ホテルokura(Hotel
Okura)の建物。ホテルokura(Hotel
Okura)の建物の建て替えは、2019年に完了しました。2019年に完成した、新しい建物の、ロビー(lobby)は、1962年に建てられた、旧(かつての)ホテルokura(Hotel
Okura)の建物の本館のロビー(lobby)の内装を、出来るだけ忠実に再現しています。ホテルの、1962年に建てられた、旧(かつての)ホテルokura(Hotel
Okura)の建物の本館のロビー(lobby)の内装を、出来るだけ忠実に再現すると言う選択は、(ホテルの経営的に良かったのかどうかは分かりませんが)、私、個人的には(私の個人的な希望的には)、良かったと思います→
https://theokuratokyo.jp/
ホテルokura(Hotel Okura)に関して、投稿のコメント欄の、投稿文の補足を参照して下さい。
1962年に建てられた、旧(かつての)ホテルokura(Hotel Okura)の建物の本館のロビー(lobby)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
現代日本様式(建築・インテリア史)後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758711/page/14?&sfl=membername&stx=nnemon2
ホテルokura(Hotel
Okura)は、大倉(okura)家(第二次世界大戦以前の、日本の、中規模、財閥(第二次世界大戦以前の日本の15大財閥家の一つ)の家であり、貴族(男爵)(実業家系の貴族)の家。ちなみに、間違っていたら、申し訳ありませんが、おそらく、近代日本においては、実業家系の貴族(国への経済的な貢献により、貴族の地位が与えられた、実業家の家)は、どんなに財産があっても、基本的に、男爵(貴族の中では、一番、低い地位)止まりでした)の邸宅の跡地に建っています。
旧(かつての)ホテルokura(敷地面積、約36,300平方m(約11,000坪))の建物は、本館と別館から構成されていました(本館の建物と別館の建物は、通路で繋がっていました)。旧(かつての)ホテルokuraの本館の建物(1962年に完成。ホテルokuraの開業時からの建物)は、かつての、大倉(okura)家の、本邸(mainの邸宅)の敷地(敷地面積、7,000坪(約23,000平方m)から8,000坪(26,000平方m)位?)に建っており、本館に隣接していた、別館の建物(1973年完成)は、(wikiによると)、かつての、日本航空(JAL)(1951年設立。全日本空輸(ANA)(1952年設立)と共に、日本の二大航空会社となっている)の創業者の本邸(mainの邸宅)の敷地(敷地面積、3,000坪(約10,000平方m)から4,000坪(約13,000平方m)位?)に建っていました(旧(かつての)ホテルokuraの、全体の敷地面積は、約36,300平方m(約11,000坪)でしたが、本館と新館の敷地面積の比率については、推定)。ちなみに、地図を見ると、かつての、大倉(okura)家の、本邸(mainの邸宅)の敷地の面積は、旧(かつての)ホテルokuraの本館の敷地面積(敷地面積、7,000坪(約23,000平方m)から8,000坪(26,000平方m)位?)よりも広く、10,000坪(約33,000平方m)位あったかもしれません。
前述の通り、ホテルokura(Hotel
Okura)の本館の建物(元の建物は、1962年に建てられた)は、2019年に建て替えが完了し、ホテルokura(Hotel
Okura)の別館は、2020年に営業を終了し、建物(1973年に建てられた物)は、2020年の、東京夏季Olympics(コロナの影響により2021年に開催された)の関係者用の施設として活用された後に、解体されました(別館の跡地は、再開発で、今後、新しい、超高層ビルが建設される予定の様です)。
写真以下4枚。大倉(okura)集古館。大倉(okura)集古館は、大倉(okura)家の、日本及び(日本以外の)東洋(アジア)の、古い、美術品・工芸品のコレクション(collection)を収蔵・展示する為に、大倉(okura)家が、1917年に、大倉(okura)家の邸宅の敷地の一角に開館した、小規模な、私営の美術館です。現在の建物は、1927年に建てられた物です(最初の建物は、関東大震災(1923年に東京areaを襲った巨大地震。東京圏(特に、東京中心部、東京圏西部、東京圏南部が、非常に大きな被害を受けた)により、失われました)。
この時は、まだ始まっていませんでしたが(始まる数日前)、現在(6月25日から8月12日まで)、大倉(okura)集古館では、大成(taisei)建設(下の補足説明を参照)の、世界有数の、Le Corbusier(歴史上、世界的に、最も有名な建築家の一人)の、美術作品(Le Corbusierは、元々、画家から出発し、建築家として活動をはじめた後も画家としての制作活動を続けており、数多くの、美術作品を残した、artistでもありました。説明は、wiki及び、大倉(okura)集古館のsiteから借りて来ました)のコレクション(collection)の中から、Le Corbusierの絵画作品を中心とした、展覧会(exhibition)が開催されています。
大成(taisei)建設:日本の大規模建設会社の一つで、日本の、5大建設会社の一つ。以下、大成(taisei)建設に関して、wikiより。第二次世界大戦前の、大倉(okura)財閥の流れを汲む会社の一つであるが、日本の、5大建設会社の中では、唯一の、非同族会社である。第二次世界大戦後は、財閥解体の危機に際し、旧来の社員だけで会社の存続を図るため、社員持株制度を基に資本・経営・組合を一対とした協同組合的な発想によって、社員投票による役員選出や社員株主制度を導入した。そうした背景から、社員の会社という雰囲気が強いと言われている。また、現場に与えられる権限が比較的強いとされる。
写真以下2枚。ANA Intercontinentalホテル東京(後述します)の周辺の風景。
写真以下5枚。ANA Intercontinentalホテル東京。 ANA Intercontinentalホテル東京は、菊池(kikuchi)美術館から、歩いて10分弱(10分かからない)位です。
ANA
Intercontinentalホテル東京は、東京都心部でも、中心的な地域の南西部に位置する、高級ホテルです(超高級ホテルと言う程のホテルでは、全くなく、まあ、東京の、普通の(標準的な)、高級ホテルの一つと言った感じです)。ANA
Intercontinentalホテル東京は、1986年に、全日空(ANA)ホテル東京として開業し(現在の建物も、開業時から変わっていない(地上37階建ての、超高層ビルで、1986年に建てられた物))、2007年に、資本提携により、Intercontinental系列のホテルとなりました。ANA
Intercontinentalホテル東京は、Intercontinental系列のホテルであると同時に、全日空(ANA)ホテル(下の補足説明参照)の、フラッグシップ(flagship)ホテル的な(チェーン(chain)を代表するホテル的な)、ホテルでもあります。
全日空(ANA)ホテル:全日本空輸(ANA)(日本航空(JAL)と共に、日本の二大航空会社となっている)系列の、ホテルのチェーン(chain)。
地下鉄を利用する場合、ANA Intercontinentalホテル東京は、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の玄関から、30分から40分位です(実質、地下鉄に乗っている時間は、10分から15分程度)。ANA Intercontinentalホテル東京は、レストランを利用する等していますが、そもそも、我が家から、近過ぎて、基本的に、宿泊する意味がない事から、長年、宿泊した事がなかったのですが、一昨年の夏に、初めて、宿泊してみました(駐車場無料の、屋外プール(swimming pool)付きの(滞在中(チェックイン15時からチェックアウト(11時)後の15時まで)、屋外プール(swimming pool)、何度でも利用可能(昼のプールとナイトプール両方利用可能)の宿泊プランで、前日に、我が家に泊まった彼女と、遅い朝食兼昼食を食べた後、彼女と、車で、出掛けて宿泊しました。夕食は、ナイトプールで食べました)。
写真以下4枚。ANA Intercontinentalホテル東京の外観。
ANA Intercontinentalホテル東京の、ロビー(lobby)。
ANA Intercontinentalホテル東京に入っている、Pierre Gagnaire(フランスの有名なchef)の、パン・ケーキ(cake)店で、この日の夕食の、デザート(dessert)の、ケーキ(cake)を買って帰りました。
私も彼女も、ANA
Intercontinentalホテル東京の、Pierre
Gagnaireの、パン・ケーキ(cake)店は、ホールケーキ(大きなケーキ(cake))しか予約出来なく、小さなケーキ(cake)は、予約出来ないのかなと思っていたのですが、試しに、前日に電話してみたら、小さなケーキ(cake)でも、予約・取り置きが可能との事で、彼女の、お目当ての、ケーキ(cake)を、予め、電話で、お店に、予約・取り置いて貰い、安心して、菊池(kikuchi)美術館で、展覧会(exhibition)を見た後、ケーキ(cake)を受け取って、地下鉄で帰って来ました。
彼女と我が家で食べた、この日の夕食の、メイン(main)料理は、ステーキ(beef
steak)にしました。ステーキ(beef
steak)は、量よりも質と言った感じで、国産(日本産)の、黒毛和牛(日本原産の高級牛肉)の、ヒレ肉(fillet)の、ステーキ(beefsteak)肉を、少量、焼いて、1枚ずつ食べました。
ちなみに、この日の夕食時は、私は、飲み物は、お酒は、赤ワイン(wine)を飲みました。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、両親とも、酒に強くて酒飲みでw、遺伝により、酒は強いです(私は、酒が強く、酒をいくら飲んでも、顔色が、全く、変わらないタイプです)。酒は、基本、どんなに飲んでも酒に飲まれる事はありませんw
それは、ウイスキーをストレートでボトル1本を超えて、比較的短時間で飲めば、時間差で後から腰は抜けますが(学生の頃の話w)、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わりません。
日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎なんでも行けますが、私は、お酒の飲み方は、本来的には、ウイスキーの様な、濃いお酒を、ロックで、チビリチビリと飲むのが好きです。
ちなみに、彼女は、お酒が弱いです。」
写真以下7枚。この日の夕食の、デザート(dessert)で、この日、帰りに、ANA
Intercontinentalホテル東京に入っている、Pierre
Gagnaire(フランスの有名なchef)の、パン・ケーキ(cake)店で買って来た、ケーキ(cake)。何れも、彼女が選んだ物で、何れも、2人で分けて食べました。何れも、期間(季節)限定販売の、ケーキ(cake)で、苺系の、ケーキ(cake)です。
写真以下3枚。キューブストロベリー。
以下、「」内。このケーキ(cake)の説明。ANA Intercontinentalホテル東京のsiteより。
「ストロベリームースの中に、チョコレートスポンジでサンドした野苺のコンフィチュールを入れて、ストロベリー風味のチョコレートでコーティングしました。」
写真以下2枚。ストロベリー(苺)とルビーチョコレート(ruby chocolate)のヴェリーヌ。
以下、「」内。このケーキ(cake)の説明。ANA Intercontinentalホテル東京のsiteより。
「ルビーチョコレートのパンナコッタ、ストロベリーソース、フレッシュストロベリー、ホイップクリーム、チョコレートを重ねて仕上げました。」
以下、参考の投稿。
菊池寛実記念 智美術館他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3836517?&sfl=membername&stx=nnemon2
エクレア(eclair)(フランスの伝統菓子)の歴史他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3836516?&sfl=membername&stx=nnemon2
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。
「お茶は、我が家には、少なくとも、常時、紅茶、(少なくとも複数の種類の)ハーブティー(herbal
tea)、緑茶を買い置いています。紅茶は、常時、少なくとも、数種類買い置いていますが、中でも、アールグレイ(Earl Grey
tea)は、必ず、買い置いています(私も、彼女も、アールグレイ(Earl Grey tea)が、好きです)。」
写真以下2枚。おまけ。この日の夕食の食後の、お茶菓子。
この時、これ全部食べた訳ではありませんがw、Mon Loire(神戸(kobe)(日本の西部に位置する大都市)の、高級チョコレート(chocolate)店・会社。東京圏にも進出)のチョコレート(chocolate)。
Mon Loireの、チョコレート(chocolate)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
日本橋高島屋(歴史のある文化財デパート)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3519350/page/35?&sfl=membername&stx=nnemon2
焼き、甘栗。
この日も、彼女は、我が家に泊まりました。
写真以下。おまけ。この時、菊池(kikuchi)美術館に置いてあった、チラシ(lealet)の中から。。。
写真以下3枚。益子(mashiko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)にある町で、陶芸で、有名な町)にある、陶芸に関する美術館、益子(mashiko)陶芸美術(益子(mashiko)町が運営する、公立の美術館)で、現在開催中の、イギリスの、ロンドンの、現代、陶芸の、展覧会(exhibition)(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)の、チラシ(lealet)。
ちなみに、益子(mashiko)陶芸美術館の敷地内には、濱田
庄司(hamada
syouji)(1894年生まれ。1978年に亡くなる。益子(mashiko)を拠点としていた、日本の、有名な陶芸家)が、かつて、暮らしていた家の一つで、濱田
庄司(hamada
syouji)が、1930年に購入した、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の後期に建てられた、日本伝統式の住宅の建物が移築・展示されています→
http://www.mashiko-museum.jp/facilities/hamada/index.html
ちなみに、イギリスの、近代・現代の陶芸は、日本の影響を、強く受けています。
バーナード・リーチ(Bernard
Leach)(1887年生まれ。1979年に亡くなる)は、イギリスの、studio
pottery(個人の作家が、自分の工房で、陶芸の全ての工程を行う様な陶芸)の父と言われている、イギリスの有名な陶芸家・陶芸の教育者です。バーナード・リーチ(Bernard
Leach)は、度々(よく)、日本を訪れ、日本で、陶芸を学び、1920年に、イギリスで、濱田 庄司(hamada
syouji)と共に、日本の伝統的な、陶芸の、登窯(陶磁器を制作する為の窯)を築き、陶芸の拠点としました。
以下、「」内。この展覧会(exhibition)に関して、基本的に、益子(mashiko)陶芸美術館のsiteより。。。ちなみに、益子(mashiko)陶芸美術館は、イギリスの陶芸作品の、充実した、コレクション(collection)も有しています。
「ヨーロッパの中で陶芸大国として、名高い(有名な)イギリス。中でも、首都ロンドンでは多くの陶芸家が活躍し、人気を博しています。オーストリア(Austria)出身のルーシー・リー(Lucie
Rie)(有名な陶芸家。1902年生まれ。1995年に亡くなる。バーナード・リーチ(Bernard
Leach)の影響を強く受けた)やドイツ出身のハンス・コパー(Hans
Coper)(有名な陶芸家。1920年生まれ。1981年に亡くなる)等から始まり、現在では、ジュリアン・ステア(Julian
Stair)(1955年生まれ。イギリスの陶芸家で、現代イギリスを代表する陶芸家の一人)やジェニファー・リー(Jennifer
Lee)(1956年生まれ。スコットランド(Scotland)生まれの陶芸家。現代イギリスを代表する陶芸家の一人)といった活躍中の陶芸家も数多くいます。」
この展覧会(exhibition)の展示作品例(作者名は、省略)。左から、1974年頃の作品、1974年頃の作品、1962年頃の作品。
この展覧会(exhibition)の展示作品例(作者名は、省略)。上側、左から、2020年の作品、2014年の作品、1958年頃の作品。真ん中、左から、1955年頃の作品、2014年の作品、1958年頃の作品。下側、左から、1954年頃の作品、2013年の作品、1972年頃の作品。
写真以下4枚。東京都心の、六本木ヒルズ(roppongi
hills)の、森(mori)towerの展望台で、5月24日から6月30日まで開催されていた、「花とゆめ(花と夢)」(1974年創刊の、日本の、少女向けの、漫画雑誌)の、創刊50周年記念の、展覧会(exhibition)の、チラシ(lealet)。
六本木ヒルズ(roppongi hills)の、森(mori)towerの展望台については、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
東京都心散歩前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3751038/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2
東京都心散歩後編(すぐ上でリンクを付けた投稿の関連投稿)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3751037/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2
宮本 三郎(miyamoto saburo)(1905年生まれ。1974年に亡くなる)は、1930年代から活躍していた、日本の、近代、画家(西洋画家)です。
宮本
三郎(miyamoto
saburo)記念美術館は、世田谷(setagaya)区(東京中心部(東京23区)の西端に位置する区)が運営する公立の美術館の一つで、宮本
三郎(miyamoto saburo)に関する美術館です(小規模な美術館で、かつての、宮本 三郎(miyamoto
saburo)の家の敷地に建っています。宮本 三郎(miyamoto
saburo)は、1935年から1974年に亡くなるまで、世田谷(setagaya)区に暮らしていました)。ちなみに、宮本
三郎(miyamoto saburo)に関する美術館は、宮本 三郎(miyamoto saburo)記念美術館の他、宮本 三郎(miyamoto
saburo)の出身地の、石川(ishikawa)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の、中都市(中規模程度の人口を有する都市)、小松(komatsu)市にある、小松(komatsu)市、宮本
三郎(miyamoto saburo)美術館(小松(komatsu)市が運営する公立の美術館の一つ)があります。
写真以下3枚。宮本 三郎(miyamoto saburo)記念美術館の、チラシ(lealet)より。。。何れも、宮本 三郎(miyamoto saburo)の作品です。
1974年の作品。
右上から、時計回りに。1945年から1948年頃の作品。1961年の作品。1962年の作品。1961年頃の作品。1952年から1953年頃の作品。1965年の作品。
写真以下。福田(fukuda)美術館(下の補足説明を参照)と、その近隣の美術館、嵯峨嵐山文華館(sagaarashiyama
bunkakan)で、4月19日から7月1日まで、共同開催されていた、女性を描いた、江戸(edo)時代から近代の、日本伝統画の、展覧会(exhibition)のチラシ(lealet)。
福田(fukuda)美術館:福田
吉孝(fukuda
yoshitaka)(1947年生まれ。京都(kyoto)出身の、金融関係の実業家)が収集した、絵画作品の、コレクション(collection)を公開する為に、比較的最近(2019年に)、京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった都市であり、日本の、伝統文化の中心都市)の郊外に、オープン(open)した、私営の美術館。江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)から近代(19世紀後期から1930年代)の、日本伝統画の、充実した、コレクション(collection)を有する。