東京近郊の、茅ヶ崎(chigasaki)、江ノ島(enoshima)(藤沢(fujisawa))、(以下は、三浦(miura)(半島)areaとして、湘南(syonan)には、含めない考え方もあるが、私は、湘南(syonan)に含めて考えている。このへんは、地元の人も、結構大雑把だと思う)、鎌倉(kamakura)、逗子(zushi)、葉山(hayama)、横須賀(yokosuka)(西海岸の一部)等から成る、湘南(syonan)(東京圏の南部を占める神奈川(kanagawa)県の南部に位置する)は、東京都心部方面から見て、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)である、大きな港町)の向こう側(反対側)に隣接するareaであり、東京areaに暮らす人々にとって、最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach resort)地となっています。湘南(syonan)は、海岸線で見ると30km位ある様な気がしますが、大磯(ooiso)、二宮(ninomiya)辺りまで含めると、(海岸線で見ると)50km近くある様な気がします。
湘南(syonan)areaの平塚(hiratsuka)市にある、平塚(hiratsuka)市博物館は、1976年に開館した、平塚(hiratsuka)市が運営する、公立の博物館です。平塚(hiratsuka)市美術館は、平塚(hiratsuka)市博物館の美術部門が独立し、1991年に開館した美術館です。
平塚(hiratsuka)市美術館は、湘南(syonan)areaにある美術館の一つで(湘南(syonan)areaの平塚(hiratsuka)市にある)、平塚(hiratsuka)市が運営する、公立の美術館です。日本には、非常に多くの、私営美術館・博物館に加えて、国や地方自治体が運営する、公立の美術館・博物館が、非常に多くありますが、平塚(hiratsuka)市美術館は、その様な、公立の美術館の内の一つです。
平塚(hiratsuka)市美術館は、日本の、近代及び現代の、幅の広い、美術作品をコレクション(collection)の中心とし、特に、日本の、近代及び現代の絵画のコレクション(collection)が充実している美術館です。
平塚(hiratsuka)市美術館の、特徴のあるコレクション(collection)として、鳥海 青児(cyoukai seiji)(下の補足説明を参照)の絵画作品の、おそらく、世界で最も充実したコレクション(collection)があります。
鳥海 青児(cyoukai seiji):1902年、平塚(hiratsuka)生まれ。1972年に亡くなる。1910年代後期頃より活動を行い、1920年代中期頃から活躍した、日本の、近代・現代、西洋画家。
写真は、借り物(写真の作者:Dddeco)。平塚(hiratsuka)市美術館。中々、規模の大きな、立派な美術館です。
以下、新建築工芸学院(新・建築・工芸・学院)に関しては、wikiを参考にしました。
新建築工芸学院(新・建築・工芸・学院)は、1932年に設立され1938年に廃校になった、東京都心にあった、建築・工芸・デザイン(design)等の学校(一時期、演劇科も存在していた)で、日本のBauhausと呼ばれた学校です。
新建築工芸学院(新・建築・工芸・学院)は、1930年に、ウクライナ(Ukraine)の、ハルキウ(Kharkiv)(ウクライナ(Ukraine)で第二の人口を有する都市)劇場の、建築国際設計競技に(斬新な舞台機構等を用いた設計案により)4位に入選する等した(ちなみに、この、建築国際設計競技では、ヴァルター・グロピウス(Walter Gropius)(1883年生まれ。1969年に亡くなる。ドイツ出身の建築家。1919年にBauhausを創立。ル・コルビュジエ(Le Corbusier)、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)、ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe)と共に、世界の歴史上、最も有名な建築家の一人)は、8位でした)、川喜田 煉七郎(kawakita renshichiro)(1902年生まれ。1975年に亡くなる。日本の、建築家・店舗デザイナー(designer)・インテリア(内装)デザイナー(designer)・デザイン(design)教育者・啓蒙家)により、1932年に設立されました。
新建築工芸学院(新・建築・工芸・学院)は、水谷 武彦(mizutani takehiko)(1898年生まれ。1969年に亡くなる。Bauhausを卒業した、日本の、美術教育者)、山脇 巌(yamawaki iwao)(1898年生まれ。1987年に亡くなる。日本の建築家・写真家。山脇 道子(yamawaki michiko)(後述します)とは見合いにより結婚し、山脇(yamawaki)家(山脇 道子(yamawaki michiko)の実家)の婿養子(養子)となる。Bauhausを卒業)、山脇 道子(yamawaki michiko)(1910年生まれ。茶道(Japanese tea ceremony)(日本の伝統的な、お茶を振る舞う行為・儀式・作法)の先生の家に生まれる(父親は、茶道(Japanese tea ceremony)の先生)。2000年に亡くなる。日本の、女性、テキスタイル(textile)artist・デザイナー(designer)。Bauhausを卒業。山脇 巌(yamawaki iwao)の妻)、土浦 亀城(tsuchiura kameki)(1897年生まれ。1996年に亡くなる。1920年代中期から活躍していた、日本の建築家)、橋本 徹郎(hashimoto tetsuro)(1900年生まれ。1959年に亡くなる。1920年代後半から活躍していた、日本の、グラフィックデザイナー(graphic designer)・デザイナー(designer)・画家)等が講師として参加しました。
参考に、適当に検索して出て来たsiteの中から、東京都心部の北東部の千駄木(sendagi)area(静かで落ち着いた住宅地)にある、1925年に建てられた(山脇 道子(yamawaki michiko)が14歳から15歳の頃に建てられた)、山脇 道子(yamawaki michiko)の実家の建物→
https://tatemono-ouendan.org/page008.html
参考に、適当に検索して出て来たsiteの中から、婦人之友(婦人の友)(1903年に創刊された、120年以上の歴史を有する、日本の、主婦・大人の女性向けの雑誌)の、1935年9月号の記事より、私の街(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地)の周辺の静かで落ち着いた住宅地にあった、1935年に建てられた、山脇 巌(yamawaki iwao)・山脇 道子(yamawaki michiko)夫妻(当時、2人共、新建築工芸学院(新・建築・工芸・学院)の講師をしていた)の家(設計は、山脇 巌(yamawaki iwao))→
https://sukimodern.exblog.jp/29326610/
山脇 巌(yamawaki iwao)・山脇 道子(yamawaki michiko)夫妻の家は、当時としては、最先端の、現代的な住宅でした。
参考に、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)で紹介している、1935年頃の(すぐ上でリンクを付けたsiteの、山脇 巌(yamawaki iwao)・山脇 道子(yamawaki michiko)夫妻の家と、丁度、同時代の)、東京の、小さい(小学生から幼稚園位の)子供が2人いる、若い夫婦(夫は、会社員。妻は、専業主婦)の、一部西洋式を取り入れた日本伝統式の、借家(借りている一戸建て住宅)の一部を復元した物(こうした世帯向けの、比較的手頃な家賃の借家(貸す・借りる事を前提とした一戸建て住宅)は、購入する事を前提とした一戸建て住宅よりも、広さや質の面等で、劣っていました)と、すぐ上でリンクを付けたsiteの、山脇 巌(yamawaki iwao)・山脇 道子(yamawaki michiko)夫妻の家を比較してみて下さい。
新宿歴史博物館他 2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3882859/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、おまけ。以下(下でリンクを付けた投稿)、参考に、山脇 巌(yamawaki iwao)・山脇 道子(yamawaki michiko)夫妻の家があった、私の街(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地)の周辺の静かで落ち着いた住宅地にある、1929年に建てられた、かつての、日本の貴族の邸宅。
95年前の貴族の邸宅他5→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3799522/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
95年前の貴族の邸宅他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3798922/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
95年前の貴族の邸宅他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3798921/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
95年前の貴族の邸宅他4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3798920/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
新建築工芸学院(新・建築・工芸・学院)の卒業生は、後に、建築以外の分野で著名となった人物が多く、桑沢 洋子(kuwasawa yoko)(1910年生まれ。1977年に亡くなる。日本の、女性、ファッションデザイナー(fashion designer))も、その内の一人です。
桑沢 洋子(kuwasawa yoko)は、女子美術大学(女子・美術大学)(下の補足説明を参照)を卒業後、新建築工芸学院(新・建築・工芸・学院)を卒業しました。
女子美術大学(女子・美術大学):1900年創立の、日本の、私立の、女子(学生が女性だけの)、美術大学。本部のキャンパス(校舎)は、杉並(suginami)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区の一つ)にある。日本の、名門(有名な)美術大学の一つで、日本の私立の美術大学の中で、最も、歴史が古い大学。

写真は、借り物(写真の作者:kuwasawa)。桑沢(kuwasawa)デザイン(design)研究所。以下、桑沢(kuwasawa)デザイン(design)研究所に関しては、wikiを参考にしました。桑沢(kuwasawa)デザイン(design)研究所は、東京都心の西部にある、1954年に、桑沢 洋子(kuwasawa yoko)によって設立された、日本の、デザイン(design)の専門学校で、日本で、最初の、本格的な、現代(現代的な)デザイン(design)専門の、専門学校です。開校当時より、実務活動に携わるデザイナー(designer)や教育者、芸術家等が講義を担当し、当時としては画期的な実践教育であるとされました。以来、半世紀以上にわたり、日本における、デザイン(design)教育のパイオニア(先駆者)的な機関として、日本国内及び日本国外の、様々な分野で活躍するデザイナー(designer)やクリエイター(作家・artist等)を輩出して来ています。
写真は、借り物(写真の作者:Nyao148)。東京造形大学(東京・造形(zokei)大学)。東京造形大学(東京・造形(zokei)大学)は、1966年に、桑沢 洋子(kuwasawa yoko)が開校した、八王子(hachiouji)(東京都心部から遠い、東京の西部郊外に位置する)にある、日本の、私立の、美術大学で、日本の、名門(有名な)美術大学の一つです。東京造形大学(東京・造形(zokei)大学)は、日本で初めて「造形」という名称を冠した(「造形」という名称が付いた)、美術大学です。
宮川 慶子(miyagawa keiko)(1991年、横浜(神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県。平塚(hiratsuka)市も属する)の中心都市で、東京圏で、東京中心部(東京23区)に次いで、第二の人口を有する都市)生まれ。2014年、東京造形大学(東京・造形(zokei)大学)を卒業、2016年、東京造形大学(東京・造形(zokei)大学)大学院を卒業)は、2014年頃から活躍している、横浜と東京を拠点に活動している、日本の、若手、女性、現代美術artistです。
https://youtu.be/_cxaYhnIzVg?si=yvZwqdNu5WDy_jwN
動画は、借り物。you tubeで、適当に、「平塚市美術館」(平塚(hiratsuka)市美術館)で検索して出て来た動画の中から、2020年の12月12日から2021年4月4日にかけて、平塚(hiratsuka)市美術館で開催されていた、宮川 慶子(miyagawa keiko)の作品の展覧会(exhibition)(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)の展示作品の中から、2つの作品について、宮川 慶子(miyagawa keiko)自身が解説する動画。前半に紹介する一つ目の作品は、個人的に、あまり個性がなく、今一つだと思いますが、後半に紹介する2つ目の作品は、個人的に良いと思います。
平塚(hiratsuka)市美術館の公式siteより、この展覧会(exhibition)の展示作品例(全て、宮川 慶子(miyagawa keiko)の作品)→
https://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/20162006_00013.html
この展覧会(exhibition)、知らなくて(その存在を認知していなくて)、訪れませんでしたが、中々、面白そう(良さそう)な展覧会(exhibition)だった様ですね。