日本国憲法の特色
これら個々の規定・条項にも増して重視されるのは、憲法が国家の基本的な秩序を定めた最高規範であるということから、その背後にある、国のあり方についての理念である。これを「主義」「原理」「原則」などと表¥現することもある。日本国憲法では、この理念の中心に「個人として尊重」(13条)、「個人の尊厳」(24条)という個人の尊厳の原理(個人主義ともいう)を置く見解が一般的である(異説もある)。個人の尊厳の原理は、人間の人格不可侵の原則とも言う。個人の価値を裁定するのは人間や社会ではなく、一人一人の個人は人間として最大限の尊重を受けるという考え方である。ここに、利己主義や、放縦な他害行為を容認するという考え方とは厳しく区別されねばならない。
濫用
濫用(らんよう)とは濫(みだ)りに用いること。特に権利、権限の行使について用いられ、ある権限を与えられた者が、その権限を本来の目的とは異なることに用いることをさすことが多い。権限外の行為は権限踰越。
なお「濫」の字は当用漢字・常用漢字であり、「乱」に書き換えるのは1954年の当用漢字補正資料(あくまでも国語審議会の試案であり実際の内閣告示などではない)に基づいたものである。当用漢字・常用漢字であるのにもかかわらず書き換えられることが多いのは日本新聞協会が加盟社に対し「1954年4月1日から一斉にこれを採用する」としたことも影響していると考えられる。(参考:「新聞協会報」1954年3月22日)
憲法
憲法第12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民はこれを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と規定する。
公共の福祉
公共の福祉(こうきょうのふくし)とは、人権相互の矛盾衝突を調整するために認められる衡平の原理のことをいう(一元的内在制約説・通説)。もっとも、日常の用語としては、
「公共の」(public)=「個人のではない一般の」(not private)、
「福祉」(welfare)=「幸福」(happiness)
すなわち「社会一般の利益」を指すものとして用いられることが多い。
公共の福祉の意味
公共の福祉の意味については、古くは争いがあった。
一元的外在制約説
当初は、人権の外にある社会全体の利益を指す用語として用いられ、公共の福祉を理由として人権を制約することが判例上広く認められていた。これは一元的外在制約説(もっぱら人権の外部に「公共の福祉」なる概念が存在し、あらゆる人権保障に制約を加えることができる、という意味)と呼ばれ、現在では全く支持されていない[要出典]。なぜならば「公共の福祉」を根拠にいかなる人権も制限可能¥であるならば、明治憲法で保障されていた「留保付きの」人権保障と全く同じ運用が可能¥になってしまう。これでは個人の自由を最高の保護法益とする日本国憲法とまったく相容れなくなる。
二元的内在外在制約説
公共の福祉により制約が認められる人権は、経済的自由権(22条と29条)と社会権に限られ、12条、13条は訓示的規定に過ぎない。左記の権利以外は憲法的制約はなく、それぞれの社会・文化関係から自律的に制約されるのみとする説。
一元的内在制約説(通説)
通説である[要出典]一元的内在制約説は、公共の福祉を「人権相互の矛盾を調整するために認められる実質的公平の原理」と解する。例えば、憲法上保障される表¥現の自由は、同じく憲法上、幸福追求権の一種として保障されると解されているプライバシーの権利と衝突する。このような事態が生じる場合に両者の調整を図るための概念が「公共の福祉」であり、公共の福祉は単に「社会全体の利益」を指すものではないと理解するのである。
もっとも、このような理解に対しては、いかなる場合にいかなる程度の人権の制約が可能¥であるのか明らかでなく、結局「社会全体の利益」と理解した場合と同程度の不明確さが残るとの批判がある。このため、一元的内在制約説を人権制約に関する具体的な違憲審査基準の規準として準則化したものとして、比較衡量論や二重の基準 (double standard) の理論が提唱されている。なお、公共の福祉による人権制約は法令によってのみ行われ、法令による規制が合理的であるかどうかは違憲立法審査によって行われる。法令以外によっての公共の福祉による人権制約は許されず、契約書や約款・就業規則等の規定が公共の福祉の根拠となることはない。なぜなら民法の「公序良俗に反する契約は無効」とは全く異なる概念であるからだ。
公共の福祉の内容
公共の福祉については、「自由国家的公共の福祉」と「社会国家的公共の福祉」があるとするのが通説。
自由国家的公共の福祉
自由国家的公共の福祉は、形式的公平・内在的制約・消極目的規制ともいわれ、
「各個人の基本的人権の共存を維持するという観点での公平 であって、具体的には、「国民の健康・安全に対する弊害を除去」を目的とする制約」と解するのが多数説であるが、
「他人の権利を害さないことと、基本的憲法秩序を害さないこと」を目的とする制約 と解する有力説(芦部)もある。
そして、自由国家的公共の福祉は、内心の自由を除くすべての人権に妥当するとされる。
社会国家的公共の福祉
社会国家的公共の福祉は、実質的公平・政策的制約・積極目的規制ともいわれ、
形式的公平に伴う弊害を除去し、人々の「社会・経済水準の向上」を図るという観点での公平 と解するのが通説である。例えば、弱者保護や社会経済全体の調和ある発展のための規制である。
社会国家的公共の福祉は、経済的自由権と社会権に妥当する とする説や、経済的自由権にのみ妥当する とする説が有力である。積極目的規制は形式的公平を害するおそれがあるから限定的でなければならないからである。
消極目的規制の事例
これらの通説によれば、精神的自由権等の重要な人権には、自由国家的公共の福祉すなわち消極目的規制のみが可能¥である。
消極目的規制の代表¥例としては、集会の自由を制限する凶器準備集合罪の規定や、表¥現の自由(集団示威行進)を制限する公安条例の規定(集団示威行進の許可制)がある。一般に人権制限には、制限目的の合理性と制限手段の合理性が必要とされるが、集会の自由や表¥現の自由にも消極目的規制は可能¥であり、消極目的規制とは 国民の健康・安全に対する弊害除去を目的とする制約 と解する多数説でも、これらの場合は国民の安全が害されるおそれがある場合であるから制限目的は合理的といえる。
その他の例としては、選挙運動の制限・名誉毀損罪・わいせつ文書頒布罪等がある。選挙運動の制限は公正な選挙実現のためであり、名誉毀損罪は個人の名誉権の保護のためであり、わいせつ文書頒布罪は社会道徳性の確保のためである。これらは表¥現の自由を制限するものであり、公共の福祉論では消極目的規制のみが可能¥であるが、消極目的規制とは国民の健康・安全に対する弊害除去を目的とする制約と解する多数説では、なぜこれらの事例が国民の健康・安全の問題なのか、これらの制限目的の合理性をいかに基礎づけるか、という点には問題がありうる。(この他にも法廷での写真撮影禁止など、消極目的規制に関する多数説では説明困難な場合が数多くあるが、現在の憲法学がこの点について沈黙していることが憲法学の理解を困難にしている。)
特殊事例
憲法学が一応正面から論じてはいるが、公共の福祉との関係などの理論構¥成が不明確な事例として、在監関係・公務員関係・未成年者の人権制限・国立大学学生がある。
例えば、公務員の政治活動の制限の根拠については、憲法は「官吏に関する事務を掌理する」73