世界史における、日本の役割。
民族主義というパンドラの箱を開けたのは、実は日本ではないかという話。
日露戦争(1904〜1905)における日本の勝利は、アジアの民族主義者たちに強烈なインパクトを与えた。
19世紀までの時代の流れは欧米列強による、世界の分割支配であった。 インド、中国も含めて、そのような分割の構¥図が完成に近づいた最終局面で日本が台頭した。
日本は、自国の存続の為に、欧米列強に学び、彼らの水準に追いつこうとしただけなのかもしれない。
日本は欧米列強の仲間入りを果たそうとして、彼らの帝国主義的な海外進出と同じような行動を取り、清国、そして帝政ロシアとぶつかった。
しかし、日露戦争で大国ロシアにアジアの小国が勝利したということは事実であるから、離れた位置でアジア人や有色人種が見れば、時代の趨勢にたいするアジアの反撃成功と評価することも可能¥であり、 アラブやインド、中国など世界中の民族主義者の活動が激化した。
その結果、多民族世界帝国の最も弱い部分であったバルカン半島で火の手が上がり、地獄の第一次世界大戦へと連鎖反応してしまった。 そしてこれにより、欧米列強による世界の分割支配、という構¥図が転換を迫られたのであり、第二次世界大戦を経て崩壊した。
第一次世界大戦後の新たな秩序構¥築のための国際会議でアメリカのウィルソ¥ン大統領は民族自決を新しい世界の潮流として認知した。 朝鮮での3.1運動、中国での5.4運動は、このウィルソ¥ンの呼びかけに対する、各地で頻発した反応の一部である。
これを日本の立場で考えると、日本自身が発生させた波(あるいは反射した波)が 15年かかって世界を一周して自らに戻ってきたことになる。
しかし、日本は最後に成立した帝国主義国として、まさに興隆の只中であり、中国と朝鮮の民族主義と正面から対決する以外の進路を編み出すことは出来なかった。
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このような、連動し合う、大きな構¥造は、どのような時代でも、(これからも)見られる現象であろう。 しかし、構¥造の内部にいる場合、我われが賢明な選択することは簡単ではない。