インターネットを楽しむ条件とは、何か?
簡単である。それぞれがネットに接続をしたらよいだけである。
但し、「パソ¥コンと暇さえあれば」という甘ったれた条件だけでは、
ここで遊ぶ資格はない。
この時点で、タイトルである条件から資格に論点が摩り替えられています。
しかも文末に至るまで条件という言葉はでてきません。
学生ならば、勉学に支障が無いように配慮する事。
趣味の為に本業である学業を疎かにしない事である。
学校や両親を安心させて自らの義務を貫徹した上で、
初めてインターネットで遊ぶ資格が生まれる。
社会人も同様だ。
本業である仕事を疎かにしない事。
「手待ち時間・休憩時間だから当然の権利」と自己主張するだけでは子供である。
職場に迷惑の掛からない配慮をした上でインターネットで遊ぶべきである。
家族へ心配を掛けてはならない。
「趣味に没頭する暇があったら、嫁を探して結婚しなさい」と親を怒らせては失格だ。
近所生活・家族生活などの社会生活を全うした上で、初めて遊ぶ資格が生まれる。
消防団活動・清掃活動などの近所付き合いを疎かにして趣味に傾倒するのは言語道断である。
年齢相応の社会責任を放棄しての権利主張は、客観的に見て受け入れられないのだ。
上記は、あくまでこの文章を書いた人の考え方を押し付けるもので主観的である。
例えば、職場に迷惑をかけていない状況下かどうかは、職場が判断することであり、
この文章を書いた人物が判断すべき事ではない。
同じように、近所付合いが疎かかどうかを、その対象者であろう人物と全くの他人である
この文章を書いた人物が判断すべき事ではない。
何事も、義務を果たしてから権利を主張するべきである。
やるべき事をやってから、やりたい事をやる。
社会の鉄則である。
年齢的に必要な社会活動から逃避して、
自分のやりたい事だけで人生を過ごしている姿はニートそのものだ。
いかに収入があろうと、いかに安定した職業に従事していようと、社会的価値が無い人物である。
人生哲学は、各個人の自由である。
しかし、自分が社会に背を向けた生き方を選択したのだから、あらゆる非難を背負わなければならない。
いや、その理屈はオカシイ。
全くの他人が義務を果たしているかどうかは、この文章を書いた人物が確認できる事ではない。
同様に、社会的活動から逃避しているかどうかも、確認できないのが普通である。
他者の行状を確認できないであろう、この文章を書いた人物が、
他者のことを社会的な価値がないと一方的に決め付け、かつ、あらゆる非難をする権利はない。
「自分の時間だから、インターネットだろうが好きに使うのは自由だ」
税金を支払っていれば、何をしても構¥わないという無責任な主張と変わらない。
このような人間が社会信用を構¥築できないことは、言うまでもないだろう。
結局タイトルである「インターネットを楽しむ条件」はどういう事か示しておらず、
【自分の時間だから、インターネットだろうが好きに使うのは自由だ】という主張と
【税金を支払っていれば、何をしても構¥わない】という主張が変わらないというのは、
あまりにも論理が飛躍しており、
【このような人間が社会信用を構¥築できないことは、言うまでもない】という主張も
結局のところ、この文章を書いた人物の一方的な考え方を述べているだけである。
とりあえず、赤ペン先生してみました。