【卑弥呼いずこに(上)】「日本国家史の画期的成果」橿原考古学研究所総務企画部長、寺澤薫さん
2009.11.13 19:42
「纒向遺跡の調査地辺りに卑弥呼がいた可能性は高い」と語る寺澤薫さん=奈良県橿原市(川西健士郎撮影)
「女王の都するところ」と魏志倭人伝に記された邪馬台国。幻の王国をめぐる所在地論争は、江戸時代以来続く究極の古代史ロマンだ。畿内か、九州か-。纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で卑弥呼の居館だった可能性のある大型建物跡の出土を受け、3人の研究者がそれぞれの立場から熱く語る。
--長年にわたって纒向の調査に携わり、大型建物跡が発見された今回の調査地が遺跡の中枢だと主張してこられた
今回の場所は昭和53年に一部を調査し、遺物や地形から、纒向の最初の中心地と考えた。30年たってようやく証明されたという感慨がある。ただ、見つかった建物の機能については今の状況では分からない。内郭にあたる東半分や外郭域の構造が分かれば、それぞれの建物の機能や宮室の実態も明らかになるだろう。今後の調査を大いに期待したい。
--調査成果の注目点は
建物の規模もさることながら、4棟の建物が東西方向の中軸線に沿って配置されていたことが極めて重要。こうした構造は、おそらく飛鳥時代(7世紀)まで例がないだろう。
内郭、外郭の二重構造があったらしく、今回の建物は地形などから内郭の西半分にあたると推測される。この時代における祭祀(さいし)や政治的な中枢部分であることは確実だ。
--卑弥呼の宮殿として問題ないか
纒向遺跡はヤマト王権の最初の都宮、卑弥呼が現れた後の新しい倭国の大王都だと主張してきた。大型建物跡はヤマト王権、倭国の大王都の宮殿跡である可能性が高い。卑弥呼が調査した辺りにいた可能性は高い。ただし、卑弥呼は「倭国の女王」であって「邪馬台国の女王」ではないということをきちんと認識する必要がある。
--というと
邪馬台国とは、おそらく弥生時代の大和盆地東南部にあった「ヤマト」国で、倭国を構成する連合国の一つ。魏志倭人伝によると「女王の都するところ」であり“場所”でしかない。現代でいえば、卑弥呼は東京都知事ではなく首相だったということ。
政治的な談合の中で、おそらく東国を意識した地理的な理由で、倭国の中心地がヤマトに選ばれたと考えている。卑弥呼は「共立」されたのであり、もともと邪馬台国関係者かどうかわからないというのが正しい理解だ。
--今回の発見の学術的な意義は
日本国家の形成の問題は、これまで7世紀の飛鳥の宮々を一つの起点としてとらえられてきたが、今回の成果で、3世紀の纒向遺跡の段階まで広げて考える必要が出てきたことは確実だ。その意味では、日本の国家形成史上での画期的な成果だと思う。(川西健士郎)
ギリシャやペルシャの神話は
遺跡で証明されたりするのに
日本の古代史は明確じゃないねえ^^