教皇ベネディクト十六世の「自然法国際学会」参加者へのあいさつ
2007年2月12日
より
現代の倫理学や法哲学においては、法実証主義の基準が大きく広まっています。
その結果、立法行為はしばしば異なる利害の間の妥協となっています。
すなわちそれは、
社会的連帯に基づくさまざまな義務と対立する私的な利害ないし意向を法に造り変えることをめざします。
このような状況において、次のことを思い起こすのは適切です。
すなわち、
国内法の次元であれ、
国際法の次元であれ、
あらゆる法体系は、
究極的に、
人間そのものに記された倫理的なメッセージである自然法に根ざしていることからその合法性を引き出すということです。
結局のところ、
自然法は、権力の濫用やイデオロギー操作による欺瞞に対する唯一の有効な防御です。
人間の心に記された自然法についての知識は、道徳的良心の成長とともに増大します。
ですから、すべての人の、特に公的な責任を有する人の第一の務めは、
道徳的良心の成長を促すことです。
道徳的良心の成長は根本的なものです。
それなしに他のすべての成長は本来のものとならないからです。
自然法とは、事物の自然本性から導き出される法の総称である。
1.普遍性:自然法は時代と場所に関係なく妥当する。
2.不変性:自然法は人為によって変更されえない。
3.合理性:自然法は理性的存在者が自己の理性を用いることによって認識されえる。
だそうだ。(wiki)
上のあいさつと整合すると
※理性的存在者が自己の理性≒道徳的良心
これを【良心】と言う記号に置きえるならば、
国内法、国際法<<自然法<【良心】(※により認識しなければ自然法は存在できないから)
もしくは
国内法、国際法<<自然法 x 【良心】
何はともあれ、
国内法や国際法で【良心】を隷属する事は出来ないわけだ。
【良心】<世俗の法 にはならないのが常識のようだ。