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▲ちょっとした正解

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前スレ
▲ちょっとした疑問
▲ちょっとした解答
前スレで、李東暉の韓国軍解散時の逮捕について考察してみましたが、どうやら妥当な結論を得られたようなので報告。

結論だけを言うと、
「韓国軍解散時に逮捕はされたが、結局釈放された。」
です。

詳しく言うと、江華島の鎮衛隊分遣隊の前隊長であったため、江華島で起きた反乱に関与してたんじゃないか?という容疑で逮捕され取調べを受けたが、結局、関与は認められず、お咎めなしで釈放されたというわけです。
隆煕元(1907)年8月15日付の『大韓毎日申報』では、彼が8月13日に逮捕されたことを報じていました。

●리氏被促 江華郡普昌学校長리東暉씨有何事件인지再昨日警視務庁에被促되얏다더라

釈放されたのは12月2日です。


隆煕元(1907)年12月4日付『皇城新聞』
●権李蒙放 江華郡普昌学校長李東暉前郡守権国顕両氏가警視庁에多月被囚고얏다가再昨日에無事蒙放고얏더라


隆煕元(1907)年12月7日付『大韓毎日申報』
  ▲李東暉姜윤희両氏가警視庁애無罪被捉は얏다머니日前에李氏는教育上에熱心며姜씨李東暉와李儁와相知与否를一問고倶為放釈얏다니(後略)

警察側は姜という人物に李東暉と李儁の関係を訊いていたようなので、ハーグ密使事件との関係についても取調べを受けたんでしょうかね。

ともかく、このように逮捕はされましたが、軍法に触れるような事件の現行犯というわけでもなく、軍法上の裁判を受けて裁かれるものでもなかったので、韓国軍解散時に円満退職扱いの解職で問題なしってことだったんだなぁと。ええ、これで疑問はすっかり解けました。

あ、李東暉と李東基を同一人物としたのは姜徳相っぽい。



姜徳相『朝鮮独立運動の群像』(青木書店 1984)
すでにのべたように、かれは一九〇七年七月旧韓国軍の解散当日まで現役の陸軍参領(少佐)として江華鎮衛隊の幹部であった。かれのひたむきな啓蒙運動への参画は軍幹部の任務と並行したものであったが、それと同時に火花のように散ったもう一つの愛国の激闘、義兵闘争にも参加したとみられる。みられるというのは参加したたしかな証拠をだすことができないからであるが、日本軍の記録『朝鮮暴徒討伐誌』(朝鮮駐箚軍司令部編、一九一三年)は軍隊解散当時の「江華分遣隊ハ比較的軍紀整ヒ気概ヲ有セリ」と他の鎮衛隊より志気の高い部隊だったことを特記している。この鎮衛隊が解散命令を峻拒して反乱を起こしたのである。『梅泉野録』(黄玹著)は反乱の状況を次のように書きとめている。
(中略)
 反乱軍の蹶起に一挙一動を監視されていた李東輝が直接指揮するのは困難だったろう。
 しかし江華の兵士たちが、長年李東輝らの薫陶をうけて勇敢で愛国的気概をもった部隊になったことを考えるとなんらかの連絡があったとしても不思議ではない。「暴徒の首魁李東基(輝)は昨日京城に於て逮捕す、目下軍隊と協力敗兵及暴民捜索中、同島の秩序は漸次恢復せらる」(一九〇七年八月十四日、丸山警視、国分秘書官宛電文、金正明編『朝鮮独立運動・第一巻』二一ページ)との日帝資料がある。かれの逮捕の理由は江華鎮衛隊の延基羽、金東秀らと江華島伝燈寺で義兵組織の謀議をおこなったというのである。かれがいかに無関係を主張しても、日帝はかれを反乱事件の黒幕とみて仁川沖の大舞衣島に配流した。(後略)
確かに『朝鮮独立運動・第一巻』21ページにはこういう史料があります。


『朝鮮独立運動Ⅰ 民族主義運動編』(金正明 原書房 1967)
28 江華島の韓国軍兵士等日本軍隊討伐の件
  明治四十年八月十四日午前十一時    京城発
            午後 〇時五七分 馬関着
 国分秘書官                 丸山警視
 江華島の残兵及暴民は去る十日の夜我か軍隊の攻撃を受け忽ち四散したり人民は避乱して家にあらず邦人の被害は軍人五名の外理事庁巡査一戦死他未詳同島郡守斬殺せられ一進会支部長重傷を負ふ外国宣教師は我か警察の手に保護せられて異状なし暴徒の首魁李東基は昨日京城に於て逮捕す目下軍隊と協力敗兵及暴民捜索中同島の秩序は漸次恢復せらる

李東暉も李東基も、同じ13日に逮捕されていますが、だからといって同一人物とは速断し難い。可能性は高い、という程度に留めるのが妥当なところですかねぇ。あと、大舞衣島に流罪になったのは2年後、別件での話です。姜は1907年の逮捕と1909年の処分をごちゃまぜにしてるってことです。それが故意にやったことなのかそうではないのかについては知る由はありませんが。

xiaoke★史料整理中

   

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▲약간의 정답

전 스레
▲약간의 의문
▲약간의 해답
전 스레로, 이동휘의 한국군 해산시의 체포에 대해 고찰해 보았습니다만, 아무래도 타당한 결론을 얻을 수 있던 것 같아서 보고.

결론만을 말하면,
「한국군 해산시에 체포는 되었지만, 결국 석방되었다.」
입니다.

자세하게 말하면, 강화도의 진위대분견대의 앞대장이었기 때문에, 강화도에서 일어난 반란에 관여하고 있었던 것이 아닌가?그렇다고 한 용의로 체포되어 조사를 받았지만, 결국, 관여는 인정되지 않고, 비난해 없이 석방되었다고 하는 것입니다.
륭희원(1907) 연 8월 15 일자의 「대한 매일 신보」에서는, 그가 8월 13일에 체포된 것을 알리고 있었습니다.

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