この日は、遅い朝食兼昼食を食べた後、彼女と、我が家から、散歩がてら(散歩を兼ねて)歩いて、私の街(渋谷(shibuya)区(東京都心部の西部に位置する区)の中北部area(静かで落ち着いた住宅地となっています))の南西の隣街(目黒(meguro)区(東京中心部(東京23区)の南西部に位置する区)の最北部area。やはり静かで落ち着いた住宅地となっています)にある、現在は、小規模な公園として、一般に公開されている、かつての貴族の邸宅(以下、この邸宅と書きます)に、桜の花を見に行って来ました。
金沢(kanazawa)(人口46万人程。石川(ishikawa)県の中部に位置する)は、石川(ishikawa)県で、最大の人口を有する都市、且つ、中心都市で、北陸地方(日本の中部地方の北西部)の中心都市ともなっています。金沢(kanazawa)は、封建制時代(19世紀半ば以前)に、日本で、最も、有力、且つ、裕福な、地方領主の家の一つ(前田(maeda)家(近代以降は、貴族階級に組み入れられ、貴族(侯爵)となる))に統治されていた事から、古くから、文化や、工芸、(今は、どうか分かりませんが、少なくとも、昔は)財力が、豊かな都市と言うイメージがあります。
以下、参考の投稿。
加賀象嵌(金沢の伝統工芸)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3733504/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2
この邸宅(現在は、小規模な公園として、一般に公開されている)は、1929年に建てられた、かつての、前田(maeda)家の、新しい、東京のメイン(main)の邸宅です(敷地面積40,396平方m(約12,000坪))。ちなみに、前田(maeda)家の邸宅(前田(maeda)家の、新しい、東京のメイン(main)の邸宅)であった頃の敷地面積は、4万坪(約132,000平方m)程あった様です。
封建制時代には、日本全国には、たくさんの地方領主の城(castle)がありました。しかしながら、明治(meiji)時代(1868年から1912年)に入ると、出来るだけ効率良く、迅速に、日本を近代的な国家にする事を目指す、新中央政府にとっては、(無駄に多い、維持費のかかる、前近代的な建物が、広大な敷地内に建っている)封建時代の象徴的な建物である、城(castle)は、必要の無い物(無用の長物)となります。これによって、19世紀末に、日本全国の、多くの城(castle)の、ほとんどの建物が取り壊され、かつての地方領主達の城(castle)の敷地は、他の用途の土地に転用されました(もっとも、地方領主としての地位を失うと共に、封建制時代の城(castle)等を失ったものの、多くの地方領主達は、貴族階級に組み入れられ、近代社会(19世紀末から第2次世界大戦後、間も無くまで)においても、日本の上流階級としての地位と富は、維持しました。
前田(maeda)家が拠点としていた、金沢(kanazawa)にある金沢(kanazawa)城(castle)も例外ではなく、19世紀後期に、城(castle)が廃止となり、城(castle)の建物の、ほとんどが、取り壊されました(なお、前田(maeda)家は、近代以降は、金沢(kanazawa)城(castle)を失いましたが、貴族階級に組み入れられ、侯爵となりました)。
かつての、金沢(kanazawa)城(castle)の中心部分は、現在は、史跡・公園として、一般に開放されています。
金沢(kanazawa)城(castle)の中心部分の建物の復元図→
https://8787pc.com/金沢城.html
ちなみに、金沢(kanazawa)城(castle)は、天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)を持たない城(castle)でした(厳密には、1602年に落雷により、天守閣(tensyukaku)の建物が焼失した後、再建されなかった)。
前述の通り、金沢(kanazawa)は、封建制時代(19世紀半ば以前)に、前田(maeda)家(日本で、最も、有力、且つ、裕福な、地方領主の家の一つ)に統治されていた事から、古くから、文化や、工芸、(今は、どうか分かりませんが、少なくとも、昔は)財力が、豊かな都市と言うイメージがありますが、前田(maeda)家自体は、見栄よりも、実利を重んじる家風だったのかもしれません。
江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)において、徳川(tokugawa)将軍(shogun)家(東京を拠点に、日本全国の地方領主達の長(leader)として、日本を実質的に統治していた家)の政策により、日本全国の地方領主達は、1年ごとに、それぞれの拠点としていた地方・地域の地元の城(castle)と東京に、交互に暮らさなければならなかった為、それぞれ、東京に、複数の別邸(別荘)を所有していました。
前田(maeda)家も、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)において、東京に、複数の別邸(別荘)を所有していました。
本郷(hongo)area(現在の東京都心部の中北東部)にあった、前田(maeda)家の、東京の別邸(別荘)の一つ(敷地面積約10万坪(約33万平方m)あった)の敷地の大部分は、明治(meiji)維新(19世紀後期)以後、東京大学(下の補足説明を参照)の、メイン(main)のキャンパス(campus)となり、残った、約12,600坪(約41,650平方m)の敷地が、近代における、前田(maeda)家の、東京の、メイン(main)の邸宅の敷地となりました。
東京大学:東京都心部の中でも、比較的中心部に近い北部(やや北東寄り)の本郷(hongo)areaにメイン(main)のキャンパス(campus)がある、東京大学(日本の国立の大学の一つ。旧(かつての)東京帝国大学。1877年設立。起源は、1684年まで遡る)は、京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった都市であり、日本の、伝統文化の中心都市)にある京都(kyoto)大学(日本の、国立の大学の一つ。旧(かつての)京都(kyoto)帝国大学。1869年創立)と共に、日本を代表する大学(日本の一流大学の間でも頂点に位置する大学)で、韓国で言えば、ソウル大学の様な感じです。
ちなみに、日本は、アメリカ・ヨーロッパ以外の国で、最も、多く、ノーベル賞(Nobel Prize)の受賞者を輩出している国ですが(日本人25人、日本出身の日本系アメリカ人3人、日本出身のイギリス系日本人1人。日本出身のイギリス系日本人1人を除き、全て、日本の大学を卒業している)、東京大学は、日本(及びアジア)で、最も、多く、ノーベル賞(Nobel Prize)の受賞者を輩出している大学で、9人の(日本人7人、日本出身の日本系アメリカ人2人)の、ノーベル賞(Nobel Prize)の受賞者を輩出しており、京都(kyoto)大学は、日本(及びアジア)で、2番目に、多く、ノーベル賞(Nobel Prize)の受賞者を輩出している大学で、8人(何れも、日本人)の、ノーベル賞(Nobel Prize)の受賞者を輩出している大学です。ちなみに、日本で、3番目に多く、ノーベル賞(Nobel Prize)の受賞者を輩出している大学は、名古屋(nagoya)大学(下の補足説明を参照)で、3人(何れも、日本人)の、ノーベル賞(Nobel Prize)の受賞者を輩出しています。
名古屋(nagoya)大学:名古屋(nagoya)(東京、大阪に次ぐ、日本第三の都市圏人口を有する都市)にある、日本の、国立の大学。旧(かつての)、名古屋(nagoya)帝国大学。
前田(maeda)家は、東京大学の、本郷(hongo)のキャンパス(campus)(東京大学の、メイン(main)のキャンパス(campus))の敷地の拡張の為、前田(maeda)家の、本郷(hongo)の、東京の、メイン(main)の邸宅の敷地を、東京大学に譲り、東京の、メイン(main)の邸宅を、本郷(hongo)area(現在の東京都心部の中北東部)から、私の街の周辺(私の街(渋谷(shibuya)区(現在の東京都心部の西部に位置する区)の中北部area)の南西の隣街(目黒(meguro)区(現在の東京中心部(東京23区)の南西部に位置する区)の最北部area)に移し、1929年に引っ越しを完了しました。
ちなみに、この邸宅(1929年に建てられた、前田(maeda)家の、新しい邸宅)の周辺には、東京大学の主要なキャンパス(campus)の一つである、東京大学の、駒場(komaba)キャンパス(campus)があります。
前述の通り、この邸宅(現在は、小規模な公園として、一般に公開されている)は、1929年に建てられた、かつての、前田(maeda)家の、新しい、東京のメイン(main)の邸宅です(敷地面積40,396平方m(約12,000坪))。ちなみに、前田(maeda)家の邸宅(前田(maeda)家の、新しい、東京のメイン(main)の邸宅)であった頃の敷地面積は、4万坪(約132,000平方m)程あった様です。
以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。この邸宅の、桜の花に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
95年前の貴族の邸宅他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3798940?&sfl=membername&stx=nnemon2
ちなみに、前田(maeda)家は、この邸宅(東京のメイン(main)の邸宅)の他、複数の立派な別荘を保有していました。
ちなみに、この邸宅の建物の外観の写真は、この邸宅の庭園の桜の花を見ながら散歩する前、この邸宅の庭園の桜の花を見ながら散歩した後、この邸宅の建物の内部を見学した後、(この邸宅の建物の内部を見学した後)、再び、この邸宅の庭園の桜の花を見ながら散歩した後に撮影していますが、桜の花の時期は、空気中の水分が多く、晴れていても、薄っすらと曇りみたいな日が多く、この邸宅に到着した時は、雲が多い天気だったのですが、この邸宅(現在は、公園となっている)の桜の花を見ながら、散歩している内に、だんだんと、スッキリと晴れた天気になって行きました。
この邸宅には、前田(maeda)家の16代目の当主、前田 利為(maeda toshinari)侯爵と、その妻、4人の子供(娘が3人と息子が1人)の、6人家族が暮らしていました(もちろん、使用人を、雇っていましたが)。
この邸宅の、メイン(main)の建物は、1929年に建てれらた、西洋式の邸宅の建物と、1930年に建てられた、日本伝統式の建物から成り、両方共、現存し、一般に公開されています。この邸宅の、メイン(main)の建物の内、1929年に建てれらた、西洋式の邸宅の建物は、普段、前田(maeda)家の家族が暮らす建物として建てられ(主に、前田(maeda)家の家族が暮らし)、1930年に建てられた、日本伝統式の建物は、主に、外国からの客を、もてなす為と、前田(maeda)家の、四季折々の(それぞれの季節の)、行事を行う為に建てられました。
写真以下51枚。この邸宅の、メイン(main)の建物の内、1929年に建てれらた、西洋式の邸宅の建物。普段、前田(maeda)家の16代目の当主、前田
利為(maeda
toshinari)侯爵と、その妻、4人の子供(娘が3人と息子が1人)の、6人家族が暮らしていた邸宅の建物です(もちろん、使用人を、雇っていましたが)。床面積(延床面積)は、1,000坪近く(約2,930平方m)あります。設計は、高橋
貞太郎(takahashi
teitarou)(1892年生まれ。1970年に亡くなる。1920年代から1970年に亡くなる近くまで活躍していた、日本の建築家)が手掛けました。西洋の伝統的なデザイン(design)の建築でありながら、機能性を重視し、当時、最新の技術を駆使した設計が施されました。
写真以下2枚の、写真左側は、この邸宅の、西洋式の邸宅の建物と日本伝統式の建物を結ぶ廊下の一部です。
この邸宅の、西洋式の邸宅の建物と日本伝統式の建物を結ぶ廊下の一部。
写真以下8枚。この邸宅の、メイン(main)の建物の内、1930年に完成した、日本伝統式の建物です。主に、外国からの客を、もてなす為と、前田(maeda)家の、四季折々の(それぞれの季節の)、行事を行う為に建てられました。普段、前田(maeda)家の家族が暮らしていた、西洋式の邸宅の建物(1929年)と、廊下で繋がっています(ちなみに、西洋式の邸宅の建物と日本伝統式の建物を結ぶ廊下の部分も、現存していますが、内部は、非公開となっています)。日本伝統式の建物の内部も、一般に公開されていますが、公開時間が、夕方5時までと思っていたら、午後3時半最終入館の午後4時までで、この日は、西洋式の邸宅の建物の内部は見学しましたが、日本伝統式の建物の内部は、時間がなく見学出来ませんでした。日本伝統式の建物の内部に関しては、また、機会があれば紹介したいと思います。
この邸宅には、かつては(かつて、この邸宅の敷地内には)、邸宅のメイン(main)の建物(1929年に完成した西洋式の邸宅の建物と1930年に完成した日本伝統式の建物)の他、事務所の建物、前田(maeda)家の祖先を祀る建物、温室(greenhouse)、厩舎(馬小屋・horse stable)、自動車の車庫の建物、日本伝統式の茶室(tea house)(敷地内に現存している日本伝統式の茶室(tea house)よりも、大きな茶室(tea house))等がありました。
写真以下。この邸宅(現在は、公園として、一般に公開されている)の隣接地(おそらく、かつては、この邸宅の敷地の一部であった)にある、前田(maeda)家の文化財・美術品・工芸品・歴史的な資料・蔵書(書物)を管理・保存する財団(1926年設立)の建物(1928年に完成)です。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
95年前の貴族の邸宅他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3798938?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、関連投稿・参考の投稿。
旧岩崎東京本邸他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3784953/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
旧岩崎東京本邸他後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3784952/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
旧朝香宮(asakanomiya)邸(東京都庭園美術館)前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3735149/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2
旧朝香宮(asakanomiya)邸(東京都庭園美術館)後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3735148/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2