参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、両親とも、酒に強くて酒飲みでw、遺伝により、酒は強いです(私は、酒が強く、酒をいくら飲んでも、顔色が、全く、変わらないタイプです)。酒は、基本、どんなに飲んでも酒に飲まれる事はありませんw
それは、ウイスキーをストレートでボトル1本を超えて、比較的短時間で飲めば、時間差で後から腰は抜けますが(学生の頃の話w)、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わりません。
日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎なんでも行けますが、私は、お酒の飲み方は、本来的には、ウイスキーの様な、濃いお酒を、ロックで、チビリチビリと飲むのが好きです。
ちなみに、彼女は、お酒が弱いです。」
以下、基本的に、2016年の10月に行った投稿の再掲で(投稿文は、2016年の10月の投稿を前提としています)、2016年の4月の上旬に、彼女(私の今の彼女)と、桜の花の時期に、小金井(koganei)公園(後述します)等に、遊びに行って、過ごして来た時の物です。
4月の上旬、個人的に休みであった日(以下、この日と書きます)、桜の花の時期に、近場で、休日を過ごした時の物です。
この日、我が家で食べた、朝食は、普段、働いている日に食べている朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と、基本的に同じでした。
桜の花は、おそらく、日本人に、最も親しまれている花であり、菊(皇室(天皇家)の紋章(emblem)となっている花)と共に、日本の実質的な国家となっている花です(日本には、法定上の国花は、ありませんが、桜の花は、(菊と共に)慣習上の国花として、昔から、国民達に親しまれて来ました)。日本には、所々に、桜の木が植えられており、春には、日本各地で、所々で、桜の花が咲きます。
この日は、東京の西部郊外の( 東京都心部から近くもなければ、遠くもない、中間位の距離にある、東京の西部郊外に位置している)、広い公園、小金井(koganei)公園で、彼女と、桜の、花見(hanami)をしました。
花見(hanami)は、野外で、桜の花を見ながら、酒を飲んだり、食事をしたりする事です。花見(hanami)は、伝統的に、桜の花の時期の、日本人の娯楽となっています。小金井(koganei)公園は、東京で、桜の花見(hanami)の場所として人気がある公園の一つです。小金井(koganei)公園で、花見(hanami)を楽しむ人々は、主に、東京の西部郊外に暮らす人々です。
小金井(koganei)公園は、東京都心部から、公共交通で行く場合は、東京都心部の新宿駅(東京都心部の西部に位置する。駅周辺は、東京のビジネス(business)の中心地区の一つであると共に、東京最大級の繁華街の一つ)から、武蔵(musashi)小金井(koganei)駅まで、通勤電車(電車)で、25分から30分程度、武蔵(musashi)小金井(koganei)駅から、小金井(koganei)公園まで、バス(bus)で、5分から10分程度です。
武蔵(musashi)小金井(koganei)駅周辺の、大衆的なマートで、花見(hanami)用の、飲み物と食べ物を買ってから、バス(bus)で、小金井(koganei)公園へ行きました。
東京の西部郊外は、基本的に、東京都心に通勤する人々が、多く暮らす、静かで、落ち着いた住宅地となっていますが、小金井(koganei)公園の周辺も、静かで、落ち着いた住宅地となっています。小金井(koganei)公園に隣接して、1937年に開業した、ゴルフ場(golf
course)があります。ちなみに、日本は、最盛期に比べて、ゴルフ場(golf
course)の数は、かなり減って来てはいますが、依然として(最新の(2015年の)統計によれば)、アメリカ、イギリスに次いで、世界で3番目に、
ゴルフ場(golf course)が、たくさんある国で(日本の、ゴルフ場(golf
course)の数は、イギリスの85%位)、日本のゴルフ場(golf
course)の数は、カナダ、オーストラリアを上回り、ドイツの約3.2倍、(経済成長が著しい)中国の5倍以上、イタリアの8倍以上、ロシア
(Russia)の10倍以上、ブラジルの19倍以上あり、アジア・ロシア(Russia)・中東(Middle
East)地域にある、全てのゴルフ場(golf course)の、約半分(約50%)が、日本にあります。もっとも、アメリカのゴルフ場(golf
course)の数は、日本の6倍以上です(まあ、アメリカは、物質文明の化け物の様な物ですw
ちなみに、スキー場に関しては、アメリカのスキー場の数は、おそらく、日本と、だいたい、同じ位で、日本は、アメリカと並び、世界で最も、スキー場が、
たくさんある国です。また、ゴルフ場(golf course)の数は、日本は、イギリスに負けますが(日本の、ゴルフ場(golf
course)の数は、イギリスの85%位)、スキー場の数は、日本が、イギリスの、40倍以上となっている様ですw)。ちなみに、私の両親は(彼女の両親も)、ゴルフ(golf)を趣味としていますが、私は、ゴルフ(golf)は、興味がなく、ゴルフ(golf)はしません。
写真以下13枚。小金井(koganei)公園で、花見(hanami)を楽しみました。この日は、天気が悪かったです(天気は、雨が、降りそうな、曇りでした)。前述の通り、花見(hanami)は、野外で、桜の花を見ながら、酒を飲んだり、食事をしたりする事です。花見(hanami)は、伝統的に、桜の花の時期の、日本人の娯楽となっています。小金井(koganei)公園は、多くの、桜の木があり、東京で、桜の花見(hanami)の場所として人気がある公園の一つです。小金井(koganei)公園で、花見(hanami)を楽しむ人々は、主に、東京の西部郊外に暮らす人々です。この時、小金井(koganei)公園の桜の花は、丁度、見頃でした。桜の花の見頃の時期は、(気候状況等によって)、年によって、少し、異なりますし、また、同じ、東京圏内においても、場所によって、少しずつ異なります。
この時、花見(hanami)で、飲んだ、飲み物の一つ。日本産の、白の、
sparkling wine
(武蔵(musashi)小金井(koganei)駅周辺の、大衆的なマートで、買った物)。彼女は、アルコール(alcohol)は、体質的に苦手なのですが、この時、この、sparkling
wineは、少し、飲みました。この時、私は、この他、飲み物は、日本酒等を、飲みました。
写真以下2枚。この時の、花見(hanami)で、食べた物(二人分)。何れも、武蔵(musashi)小金井(koganei)駅周辺の、大衆的なマートで、買った物で、この日の、昼食も、兼ねています。この他、この、花見(hanami)の時は、(同じく、小金井(koganei)駅周辺の、大衆的なマートで、買った)、お菓子を食べました。
サーモン(salmon)を中心とした寿司と、牛肉の寿司。
蛸焼き(takoyaki)と、豚カツ(tonkatsu)サンドイッチ(sandwich)。
花見(hanami)を楽しんだ後は、小金井(koganei)公園の敷地内にある、江戸(edo)東京建物園を訪れました。江戸(edo)東京建物園は、1993年に開館した、東京都(主に、東京中心部(東京23区)及び、東京の西部郊外・近郊から成る地方自治体。日本の47の都道府県(prefecture)の一つ)が運営する、公立の、博物館の一つで、第2次世界大戦前の(一部、例外があり)、東京中心部及び、東京郊外の、住宅や店舗等の建物が、移築、保存されている、野外博物館です。この野外博物館に移築、保存されている建物は、少なくとも、第2次世界大戦直前の1940年まで、建物本来の用途で、実際に使用されていた事でしょう。また、第2次世界大戦後も、日本では、戦後間も無い1950年代初めくらいまでは、新しい建物よりも、主として第2次世界大戦前に建てられた建物を、そのまま使用していました。したがって、この博物館の建物は、1930年代から1950年代頃までの、東京(中心部及び郊外)の住宅、お店(店舗)、農家(農民の家)等の建物の姿と考えて良いでしょう。この野外博物館に保存されている建物は、全般的に、宮崎
駿(miyazaki
hayao)(1941年生まれ。日本の世界的に有名な、アニメーション(animation)作家・アニメーション映画(animated
film)監督)及び、Studio Ghibli(宮崎 駿(miyazaki
hayao)が設立した、アニメーション(animation)制作会社(film studio))の作品の世界観に通じる物があるので、宮崎
駿(miyazaki hayao)、及び、Studio Ghibliのアニメが好きな韓国の方には、お勧めの、東京areaの、観光場所の一つです。
写真以下。江戸(edo)東京建物園の、展示物の例。この時、撮影した写真と、(かなり古い写真ですが)、前に、enjoyで、アップ(upload)した写真を、再利用した写真が、混合しています。
写真以下、江戸(edo)東京建物園に、移築・保存されている、古い、住宅の建物の例です。
写真以下3枚。これは、江戸(edo)東京建物園の、展示物の中では、例外的に、第二次世界大戦後に、建てられた建物で、1952年に建てられた建物で(建物の、一部は、19世紀後期に建てられた建物の一部を、移築した物です)、第二次世界大戦後に、没落した、日本の、財閥の当主(1992年、97歳で亡くなる。貴族(男爵)でもあった)が、第二次世界大戦後に、夫婦二人で(おそらく。。。)、(第二次世界大戦前に比べれば)質素に、暮らす為に建てた、東京中心部の、高級住宅地にあった、住宅の建物です(おそらく、この財閥の当主は(妻の方が、先に亡くなる)、1992年、97歳で亡くなるまで、この住宅に暮らしていたと思われます)。この財閥の、当主は、自動車愛好家(自動車が、とても、好きな人物)としても知られ、第二次世界大戦前は(没落する前は)、Bentley、Hispano-Suiza、、Bugatti、Lancia等、ヨーロッパの、高級自動車・スポーツカー(sports
car)を、多く所有し、没落した後の、第二次世界大戦後も、90歳代になっても、Bentleyを、自ら(自分で)、運転していた様です(wikiより。。。)。
ちなみに、第2次世界大戦後、貴族、資本家、地主等の、日本の上流階級は、貴族制度の廃止、財閥の解体、地主や広い土地を持っている者に、従来よりも不利益となる制度改革等により、かなりの土地と財産を処分せざるを得なくなり、(以前の様に贅沢な暮らしが出来なくなり)、没落しました。このようにして、上流階級が、以前のように贅沢な暮らしが出来なくなった一方で、農村の小作人達は、東京・大阪・名古屋(nagoya)等の大都市や、地方都市に流入し、日本の都市化(urbanization)を引き起こすとともに、工場労働者や、サラリーマン(会社員)として、新しい都市庶民層を形成するようになりました。農村には、比較的、裕福な、自作農民が残った一方で、高度経済成長による大量生産・大量消費時代の到来により、都市庶民層の消費生活水準は、飛躍的に向上しました。このように、上流階級の没落と小作人の消滅、田舎の農民・都市庶民層の生活の向上の結果(また、第二次世界大戦後、第二次世界大戦前に比べて、大衆・庶民の、税金の負担が、軽減され、高所得者の、税金の負担が、とても、大きくなった事の影響も、大きいと思います)、日本は1970年代から1980年代には、西側先進国で、最も平等な国とまでいわれるようになりました。しかしながら、現在は、アメリカ型の競争社会になりつつ有り、再び、日本で貧富の格差が拡大しつつあります。第二次世界大戦前の日本は、当時のヨーロッパと同様、階級社会により、大きな貧富の格差が存在しましたが(第二次世界大戦前の、日本の、農村の小作人や都市の低賃金肉体労働者等の低所得者層の生活は実に悲惨なものでした)、現在の日本は、アメリカ型の競争社会により、貧富の格差が、拡大しつつあります。イギリスやフランスは、現在でも、階級社会により、階級や学歴により、かなりの収入格差がありますが、第二次世界大戦後の、西ヨーロッパの国々は、手厚い福祉により、階級による収入格差による、生活水準格差を縮める努力をして来ており、そうした努力は、一定の成果を収めて来た様に思います。ちなみに、日本の、福祉は、アメリカと、西ヨーロッパの中間にあり、全般的に見て、アメリカよりは充実していますが、西ヨーロッパと比べると、相対的に、充実していません(個人の税金の負担も、アメリカよりは大きいが、ヨーロッパよりは、小さい)。日本は、現在、お金持ちの、お金は、さらに増え、新しい(新興の)富裕層が増える、一方で、生活が苦しい、貧困層の人々が、増加していると言う問題があるものの、依然として、日本の国民の、大部分(富裕層・中流層(middle
class)・大衆層・庶民層((一般的な生活が苦しい、貧困層以外の)相対的な貧困層を含む。相対的な貧困層に含まれていても、(福祉・生活保護等も、含めて)、多くの人々は、一般的な生活が苦しいと言う程ではないと思います))は、世界的に見れば、かなり裕福な生活をしていると思います(もちろん、貧困の問題に関しては、経済政策・福祉政策等で、解決しなければならない問題であると思います)。
写真で見えるのは、この住宅の建物の一部で、かなり大きな住宅の建物です(また、住宅の敷地も、広かった様です)。第二次世界大戦後に(1952年に)、建てられた建物とは言っても、第二次世界大戦前(1930年代以前)に建てられた、日本の、中上流層(upper-middle
class)の、(一部、西洋式を取り入れた)、日本伝統式の住宅の建物の、雰囲気を、よく持つ、住宅の建物です。第二次世界大戦後、没落したとは言っても、(もちろん、第二次世界大戦後は、没落し、広大な敷地を有する、大きな邸宅を含む、第二次世界大戦前の、ほとんどの財産を失い、第二次世界大戦前とは、比べものにならない位、相対的には、貧しくなったものの)、第二次世界大戦後も、富裕層の生活は、維持していた様です。
写真以下2枚。この住宅の建物の内部の例。
写真以下2枚。日本の、総理大臣(prime minister)も務めた(1921年から1922年に務めた)、日本の政治家(1854年生まれ。1936年に亡くなる)の、1902年に建てられた、東京中心部にあった、住宅の建物の(住宅の、敷地は、広かった様です)、主要部分を移築した物です。日本伝統式の、住宅の建物です。
写真以下6枚。当時、日本で活躍していた、ドイツ人の建築家が、自分の家として、1910年に建てた建物で、新宿区(東京中心部(東京23区)の西部)にあった住宅の建物です(この建築家の、活躍の割には、小規模な住宅の建物で、この建築家は、質素な(必要以上に贅沢はしない)生活方針であったのかもしれません)。第二次世界大戦前の、日本の、中流階級(middle
class)の、西洋式の住宅の建物と言った感じの建物です。この住宅は、何度か所有者が変わり、1956年には、三島 海雲(mishima
kaiun)(下の補足説明参照)が、夫婦の2人で(おそらく。。。)、静かに、晩年を過ごす家として購入し、70代の終わりから、1974年に、96歳で亡くなるまで、この家で暮らしていた様です。実業家の家の建物としては(特に、三島
海雲(mishima kaiun)程の、実業家の家の建物としては)、非常に、小規模な(非常に、小ぢんまりとした)住宅の建物ですが、三島
海雲(mishima kaiun)は、晩年においては、質素な(必要以上に贅沢はしない)生活方針であったのかもしれません(もっとも、三島
海雲(mishima
kaiun)は、この、東京の家以外に、立派な別荘を保有していたのかもしれませんが。。。)。なお、この家は、1999年まで、現地(新宿区)で、住宅の建物として使われていました(三島
海雲(mishima kaiun)の夫妻が、亡くなった後(三島 海雲(mishima kaiun)は、96歳で、亡くなりました)、今度は、三島
海雲(mishima kaiun)の、子供の夫妻が、この家を、引き継いで、夫婦、2人で、静かに、晩年を過ごしていたのかな。。。?)。
三島
海雲(mishima
kaiun):日本の、発明家(製品開発者)・実業家。1878年生まれ。1974年に亡くなる。CALPIS(飲み物)(下の補足説明参照)の発明者であり、世界で、初めて、乳酸菌飲料の、大量生産に成功。CALPIS(日本の、大規模、飲み物(soft
drink)会社の一つ。1917年設立。代表的な、製品は、CALPIS)の、創業者。
CALPIS(飲み物):1919年に発売開始。日本の、甘い、乳製品系飲料。基本的には、ヨーグルト(yogurt)系のソフトドリンク(soft
drink)と言った味ですが、独特の濃厚な味と、清涼感のある、後味があります。ちなみに、カルピス(calpis)と、1935年から販売されている、乳製品系飲料、ヤクルト(yakult)(カルピス(calpis)とは、また、かなり違った、色と風味)は、日本が生んだ、2大、近代(大量生産)・大衆ソフトドリンク(soft
drink)と言えるかもしれません。。。
写真以下5枚。この住宅の建物の内部の例。
この住宅の建物の、内部の一部は、現在は、cafeとなっています。
写真以下6枚。会社の、支配人(manager)・部長等を務めていた、ジャーナリスト(journalist)出身の、日本の、businessmanが、子供が独立した後、夫婦2人で、質素に、静かに暮らす為に、当時、日本の有望な(将来の活躍が期待される)、若手建築家であった、堀口 捨己(horiguchi sutemi)(1895年生まれ。1984年に亡くなる。主として、1920年代から1960年代にかけて、活躍していた、日本の、現代、建築家)に、設計を依頼して、東京中心部の、静かで、落ち着いた住宅地に、1925年に建てた、住宅の建物です。小規模で(小ぢんまりとしていて)、質素な住宅の建物ですが、よく見ると、伝統と、現代が、融合した、とても、お洒落な(とても、stylishな)、住宅の建物であると言う事が、分かると思います。

これは、おまけ。。。写真は、借り物で、上の住宅を設計した、堀口
捨己(horiguchi
sutemi)(1895年生まれ。1984年に亡くなる。主として、1920年代から1960年代にかけて、活躍していた、日本の、現代、建築家)が、上の住宅と、同時期に設計した、東京の北部郊外(埼玉(saitama)県)の、日本の、個人の、別荘の建物です(1926年に完成。火事により、焼失し、現存はしていない様です)。お洒落(stylish)ですね。
写真以下4枚。田園調布(denen
cyoufu)に、1925年に建てられた西洋式の住宅の建物です。田園調布(denen
cyoufu)(東京中心部(東京23区)の南部に位置する)は、現在は、東京で、最も有名な高級住宅地の一つとなっていますが、元々は、1920年代から1930年代に、東京郊外(当時)に開発された、中流階級(middle
class)や新興金持ちの向けの、郊外の新興住宅地の一つで、この住宅が建てられた、1920年代から1930年代当時は、高級住宅地ではなく、中流階級(middle
class)向けの、新興住宅地でした。
日本の西洋式住宅は、西洋式住宅に日本伝統式の住宅を併設して建てる場合や、家の敷地内に、日本伝統式住宅と西洋式住宅の両方を建てる場合(第2次世界大戦前の日本の富裕層に多く見られた住宅形式)の西洋式住宅等を除けば、一般的に、少なくとも一部屋は、日本伝統式の畳の部屋となっています。この家は、(西洋式住宅に日本伝統式の住宅を併設して建てる場合や、家の敷地内に、日本伝統式住宅と西洋式住宅の両方を建てる場合の西洋式住宅等以外の)日本の西洋式住宅としては、珍しく、全部の部屋が西洋式の部屋となっています。この家は、ゆとりのある庭を持つ、一戸建て住宅であった様ですが、家の建物が建てられている部分の面積は小さく、しかも、2階建てでは無い平屋建て(1階建て)なので、生活するのに必要な部屋以外に、日本伝統式の部屋を設ける住宅床面積の余裕がありません。

写真以下2枚。この家の、内部の例。

この部屋は書斎(library)?

居間(living room)。この他、この住宅には、食堂(dining room)、台所(kitchen)、寝室(bed room)が一つあります。寝室(bed room)が一つしか無い事から、子供が無い、若い夫婦、若しくは、子供が独立した、年を取った夫婦が、二人で、暮らしていた家だと思われます。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
小金井公園で花見他後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3934495?&sfl=membername&stx=nnemon2