韓国の皆さんは一人旅をしたことがありますか? 国内でも海外でも結構¥です。
私は独身時代、よく一人で旅をしました。一人だと寂しくないかって? 多分韓国の人たちはそのように思うでしょう。最近、日本の大学教授で韓国人の朴さんという人が書いた「韓国人を愛せますか?」という本を読みましたが、第1章のタイトルが「一人にしないで」でした。これは韓国人の性格の1つを表¥した言葉です。
この中で韓国人は、日本人が一人で食事する姿を見て、友だちがいない可哀想な人だ、という印象を持つようです。私もその意見を否定しません。大勢の人間が集まる都会で、一人だけポツンと下を向いて食事をしている姿はいかにも寂し気です(但し、韓国人はお互い親しければ、例え男同士でもあっても手をつないだり、同じベッドで眠ったりする、と本には書かれているのですが、本当ですか?さすがにこれは周囲の人たちに大きな誤解を与えると思いますよ。少なくとも日本ではgayと勘違いされます)。
しかし、多くの人間の中の自分1人と、誰もいない自然の中の自分1人では全く違う心象風景になります。少なくとも私にとってはそうです。
私にとって自然とは、亜熱帯の沖縄でした。沖縄の島という島はほとんど行ったといってよいでしょう。私は、夏季休暇を取り、一人でダイビング(但しスキン)用具一式と小さな手帳を携えて沖縄に飛び立ち、安くて小人数の民宿(※)によく泊まりました。
※一般家庭が許可を取って運営している宿
沖縄は極彩色の島です。空はどこまでも青く、砂浜は眩しすぎる程の白さを持ち、海は青と緑の見事なグラデュエーションを織り成しています。花も魚も派手な色をして、自分を主張しています。沖縄の自然は、私の心を沸き立たせます。
私が旅した当時は、真夏でもビーチは疎らで、私一人しかいないということがよくありました。
確かに、自分1人で自然に相対していると、心が締め付けられるような寂しさがあります。しかし、私の様々な思いに自然は全く頓着することなく、素知らぬ顔で通り過ぎていきます。それが私にとって何よりも心休まるものでした。他人に対する余計な心遣いから開放され、何をしても自然は見守ってくれるという感じがしてくるのです。太陽が雲間に隠れたり、暖かい風がそっと顔を撫でたり、波が打ち返す音だったり。私はこれら自然の動きをなすがままに、飽かずに味わっていました。
海に潜れば誰でもわかることですが、太陽光線が海底に向かって真っ直ぐ差し込んでいます。それは、奥底には何があるのだろうかと語りかけ、私を沈降へと誘い込んでゆくかのようです。しかし、海の中のちりが太陽光線に反射しキラキラと光っている様に、途中で心が奪われたりもします。私の吐き出す小さな泡以外は、深として静かであり、より一層寂しさを募らせますが、不思議な安心感があります。
夜、食事をすませると、焼酎の泡盛とグラスを持って民宿の洗濯物干し場に向かいます。私はそこに腰を下ろし、月の青い光を体一杯に浴びます。庭の白いサンゴ砂が、青を薄く塗ったような色になっています。飲み疲れたので体を横たえると、満天の星々が視界一杯に飛び込んでくる。暫く眺めていると、流れ星が天空をさぁーと横切ったりします。私は、それまで流れ星があんなに明るいものだとは知りませんでした。
酔いが程好く回り、昼間の疲れも手伝ってうとうととしてきます。彼方では波の音が、静かにリズム良く、そしてやさしく私の耳に語りかけてくる。そのうちに、遠くから老人が沖縄三味線を引きながら低い声で、沖縄民謡を歌うのが聞こえてきます。民謡の非常にゆっくりとしたリズムがますます私を桃源郷に誘っていく。
私は気のついたときに、この夢のような一夜を、必死に思い出しながら、手帳に書き留めます。あたかも体の中に、私の自然を永遠に封じ込めようとするかのように。この一瞬こそは多分二度と来ない。だから心に刻み付けるのだと。私にとっては、今から20年以上前の事ですが、今でもはっきりと思い起こすことができます。
感受性が鋭くなる若いときにこそ一人旅をすべきです。家庭を持ったら二度と味わえない。その時はぜひ何か書き留めるものを持って行きましょう。それは、あなたが一瞬かもしれないが、自然とともに生きた証しになるのだから。
いのち短し 恋せよ乙女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを
(黒澤明「生きる」の「ゴンドラの唄」より)
はじめて立ち上げます。
恥ずかしい文章を作ってしまいました。でもたまには、こういうものも好いでしょ?