( -∇-) エンジョイからの転載はこれでおしまい。
( -∇-) 北条泰時について、何度か話題にしているが、これが最後である。
( -∇-) 1232年に定めた日本初の固有法・成文法である『御成敗式目』は民法的な条文も多い。だから、当然、民事的な訴訟が幕府に持ち込まれ、執権である北条泰時が裁いた。
( -∇-) 『沙石集』にはこんな話がある。
九州のある兄弟が土地の相続を争った。
その父親は貧乏で所領を売ってしまった。兄はこれを買い戻して父に渡した。そして幕府で仕事をしたこともあった。ところが父はこの所領を弟に譲り、兄は所領なしになってしまった。
式目によると所有権と親権は絶対である。幕府といえども私有財産である土地に干渉しないことが原則である。そして、その土地を相続するのは父親が指名した子である。当時の法律の専門家によると「幕府への奉公は他人のこと、子としての奉公は孝であるから、父親がそう認めた以上、その決定は絶対である」という。
だから、「法治」国家である以上は、泰時といえども何もできない。
泰時はこの兄がかわいそうに思い、自分の家に住まわせて衣食を与え、(相続人なしとか、犯罪による没収とかで)領主のない所領がでたら、その所領を与えようと思っていた。九州に父親の所領より大きな、領主なしの所領が出たので、泰時はこれを兄に与えた。兄は、新しい土地に着いたら、苦労を掛けた妻を、いたわってやりたいと言うので、泰時は感心して、馬と鞍を与えた。
( -∇-) 孝を尽くしたのに、親に見捨てられた兄を救った泰時の美談である。
『沙石集』では、泰時を「万人の父母であり、道理の人だ」と絶賛している。
山本七平はこれについて、こう述べている。(翻訳を考慮して文を一部、省略、変更)
法的にはあくまで弟の方が正しいのである。だが、たとえ法的には正しくても「何か正しくない」ものを人々はそこに感じ、それを正した泰時を道理の人だと褒めた。この「道理」とは何か。それは功績には賞罰がありそれが地位に転化すること、それが「道理」なのである。
この兄は父の所領を取り戻してやった。その上に鎌倉に奉公している。この功績に報償がなく、従って地位にも転化せず、その所領は合法的に弟の物になってしまった。これを不合理だと人々を考えた。しかし法は曲げられない。そこで法を曲げずにこの不合理を正したが故に泰時は理想の政治家とされ「万人の父母」とされたのである。
( -∇-) 鎌倉時代の道理に対する感覚は平安時代よりもずっと、現代に近いね。平安時代の話を読むと、共感よりもむしろ違和感の方が大きい。
( -∇-) 父親のために所領を買い戻した当人がその土地を相続できずに、所領なしになってしまうのは不合理だと私も思う。
(・_・?) なぜこの父親は、この兄に譲らなかったのか?
(`□´) この父親は何を考えているのか?
( -∇-) 私もそう考えてしまう。おそらく、約780年前も人々も同じように思ったのだろうし、泰時もそう思ったのだろう。
( -∇-) そのような沙汰(判決)を積み重ねて、泰時は日本の秩序意識を作り上げていった。泰時の取り組みこそ、後の「日本的法秩序」の起源なのである。
( -∇-) 「日本的な道理」の元祖である北条泰時に、皆さんも、注目しようね。
( -∇-) b