
真央、緊急帰国も悲痛…最愛の母死去/フィギュア
2011.12.10 05:05
フィギュアスケート女子の浅田真央選手(21)=中京大=の母、匡子(きょうこ)さんが9日早朝、肝硬変のため名古屋市内の病院で死去したと浅田選手のマネジメント会社が同日、発表した。48歳だった。容体急変の連絡を受けた浅田選手はグランプリ(GP)ファイナル(カナダ・ケベック)を欠場。この日夕、成田空港に帰国したが、死去に間に合わなかった。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う予定。
浅田選手は現地時間8日早朝、匡子さんの容体が急変したとの連絡を受けた。同行した佐藤信夫コーチ(69)によると「朝に電話で起こされ、出発まで30分ということだったので顔も洗わず出てきた」と慌ただしい帰国だった。
9日夕に成田空港へ到着したときはニット帽を目深にかぶり、マスクをつけて伏し目がち。報道陣の問い掛けに無言のまま一礼し、自宅のある名古屋市内へ向かった。
マネジメント会社によると、匡子さんは今夏から肝硬変が悪化し、入退院を繰り返していたという。そして9日早朝、浅田選手の到着を待たずして名古屋市内の病院で息を引き取った。
匡子さんは体調を崩すまで、浅田選手を毎日のように車でスケート場へ送迎していた。バレエの経験を生かし、技術的なアドバイスも送った。練習環境に恵まれない期間は氷を求めて各地のリンクを転々。移動の合間に仮眠できるように、車内に布団も積んでいた。
コーチ不在の間は拠点の中京大のリンクで練習を見守った。試合にも付き添ったが、「演技は見ていられない」と試合当日はホテルで朗報を待った。昨年のバンクーバー冬季五輪も現地のホテルでテレビ画面を見つめていた。浅田選手は金●児(韓国)に敗れたが、銀メダルを誰に見せたいかと問われると「お母さんです」と答えた。
だが、昨季から応援に駆けつける姿がなくなった。浅田選手は昨オフに自動車教習所に通い免許を取得。今季は乗用車を運転し、練習に通うようになっていた。
成田空港で別れた佐藤コーチは一報を受け「言葉にならない。まだまだ動揺する年齢だから心配でかわいそう。二人三脚でここまできたのでショックは大きいと思う。一日も早く乗り越えてお母さまの情熱、遺志を継いでほしい」と話した。
(紙面から)

( 真央とお母さん )
山田元コーチ、真央の母は「頑張り屋さん」
2011.12.10 00:38
フィギュアスケート女子の浅田真央選手(中京大)の母、匡子さんが9日早朝、肝硬変のため名古屋市内の病院で死去したとマネジメント会社が同日、発表した。48歳だった。
母匡子さんは体調を崩すまでは、浅田選手を幼少期から毎日のようにスケート場へ車で送迎していた。練習環境に恵まれなかった期間は氷を求めて各地のリンクを5カ所も転々とし、移動の合間に仮眠できるように車内に布団も積んでいた。世界に飛躍したグランプリ東海クラブ時代に指導した山田満知子コーチは「ママは頑張り屋さんだった」と話す。
コーチが不在の間は拠点の中京大のリンクで練習を見守り、練習後はマッサージを買って出るなど献身的だった。国内外の試合にも付き添って開催地に足を運んだが「演技は見ていられない」と試合当日はホテルで朗報を待った。昨年のバンクーバー冬季五輪も現地のホテルでテレビ画面を見つめていた。
しかし、昨季から応援に駆けつける姿がなくなった。浅田選手は昨季オフに自動車教習所に通って免許を取得。母を頼らず、今季は乗用車を運転して中京大での練習に通うようになっていた。
五輪で金メダルを逃し、悔しさから涙が止まらない浅田選手に「応援してくれた方々がいる。いつまでも泣いていては駄目」と諭したのは匡子さん。競技生活に全身全霊をささげてきた浅田選手をじっと支えていた。(共同)
コストナーらも真央気遣う/フィギュア
2011.12.9 13:36
フィギュアスケート・GPファイナル(9日開幕、カナダ・ケベック)母親の病状が急変したため、8日に急きょ欠場を決めた浅田をライバル選手たちも気遣った。
2010年欧州選手権女王のコストナー(イタリア)は「私が真央でも同じように帰国する。とても悲しい」と沈んだ声で話し、昨季のGPファイナル覇者のシズニー(米国)は「彼女は素晴らしい競争相手。とても心配」と硬い表情だった。(共同)
( 左から浅田真央・安藤美姫・浅田舞 )





