非常に個人的なことを書くことをお許しください。
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父が亡くなった。80歳だった。私は死に目に会えなかった。
同居していた母と弟が救急車を呼んだが、既に心肺停止状態で手遅れだった。
最近の父は介護が必要な状態で、数日前に介護ベッドを入れたばかりだった。私はいずれ遠くない時期にこのような日が来ることを覚悟していたが、それにしても余りに急な変化だった。死因は「心不全」という。
その日は未明に弟から「父、危篤」の携帯メールが届いた。このとき携帯は枕元にあったが、眠っていて気がつかなかった。しばらくして携帯が振動音を発し、ディスプレイに
「父、永眠」
の文字が浮かび上がった。これが父の最後の消息となった。私にとってはあっけない最後だった。
私はすぐには泣かなかった。病院に着いて死顔を見ても涙は落ちなかった。死顔は安らかで、まるで眠っているようだった。頬を触るとまだ暖かった。妹が病院に到着して、わっと泣いたときは少し涙した。
私が最初に泣いたのは、会葬御礼の挨拶原稿を書いているときだった。
私は喪主の母に代わり、遺族を代表して会葬者にお礼を述べることになっていた。父の人となりを書いていくにつれ、自分が子供だった頃の思い出が徐々に蘇ってきて泣けてきた。
私は本番の挨拶のときは泣くまいと心に決め、直前までは冷静でいた(そのつもりだった)。しかし、原稿を読み上げた途端、私の声はかすれ、自分のものでないようだった。
棺に花をたくさん入れ、顔だけを覗かせている状態で蓋を閉じた。いよいよ火葬炉に入れる直前、制服を着た火葬の係りの人が制帽を取って深々とお辞儀をしてくれた。そのとき私は思わずこみ上げてしまった。
葬儀の手配から始まって戸籍の変更、生命保険の解約、49日の手配など、これらの面倒な手続きは弟がほとんどやってくれた。でも私の目には父の死を忘れたいために、一心不乱にやっているように見えた。
私も弟も今週から職場に復帰した。あれから2週間。もう随分前のような気がした。
来月の49日に納骨するまでの間、父の骨壷は実家の和室に置いてある。母は隣の自分の寝室にひとりで寝るのを嫌がった。母の心の中では父の死に対してまだ葛藤があるようだ。そのため、会社を休んでいる間は私や弟が隣室に寝てあげた。
今日相続の打合せのために実家で弟と会ったが、今でもそれは続いているという。
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『Danny Boy』(アイルランド民謡) http://www.youtube.com/watch?v=CmZy7FMOT_g