アーノルド· J· Toynbee(イギリス史学の世界的権威)
第2次大戦に対して, 日本人は日本理器のためだと言うよりも, むしろ戦争によって利益を得た国々だ
だから,
偉い歴史を残したと言わなければ中
なる.
その国々とは日本が掲げた短命である大東亜共栄圏に含まれていた国々だ.

●孫文(中国革命
リーダー·近代中国のお父さん) 1919年, ベルサイユ強化会議で, 日本は 5 大国の一員として席に座った.日本はアジア問題の発表者だった.違う
アジア諸国は, 日本をアジアの 「代表」として認めてその提案に耳を傾けた. 白人でできることは日本人にもできる.人間は肌の色で違うが知能に違いはない. (この時, 常任理事国である日本は世界で初めに 「人種差別撤廃条項」を申し立てた. 日本が戦争を始めた理由は, フィリピンを含んだ東洋へのアメリカの進出を, いくら日本が恐怖に感じたのかを理解しなければ
分からないだろう. また 1941年に, アメリカが日本へのすべての石油資源の供給を切った時の日本が感じた深刻なことも無視することができない
のだ.(※インドネシアに遺伝があって, 日本は
自活の道を要求してアジアに進出しなければならなかった) 20 世紀初頭のアジア情勢.日本の隣国は中国, ロシア,アメリカ,
イギリス, フランス, オランダ. 日本は欧米帝国のデザートになる危機を迎えていた
アジアには
強い日本があるから, 白人はアジアのどんな人種もバカにすることができない.
日本が列強になったことは大和民族に権威を持って来たことだけではなくて, アジア全民族の地位を
高めた.
それは時代を先取した画期的な
提案だったが, アメリカの反対に否決になる.
日本はアメリカが反対した事を議事録に記録するように(ように)と指示.
アメリカの黒人社会は怒って, 暴動が起きた.これ
事件が大東亜戦争の糸口になる.)
http://www.youtube.com/watch?v=L7KN5h8YHrE
●デイリー·メールだ(イギリス)

●ヘミルトン·フイッシュ(米上院議員)
日本は, フイリピン及びその以外モックウングであるアメリカの領土に対しても, 野心を持たなかった.
そうだが, 一つの国家として
日本はその工業, 商業航行及び海軍のための石油なしに存立できなかった.
すごい平和愛好家である受賞の近衛工作は, ワシントンやホノルルへ来ても良いからルージュベルト大統領と会談したければ 繰り返して望んでいた.
彼は, 戦争を避けるためには, 米国側の条件に暫定協定の形態で同意する意思がいたが, ルージュベルトは, 日本 受賞との対話を拒否した.
●オリバー·リットルトン(イギリス補修当たり内閣·生産上, 1944年)
アメリカが戦争に追われたと言うことは, 歴史を歪曲することもひどい.
アメリカが執拗に日本を挑発したので日本は
真珠湾攻撃を仕方なく決断したのだ.
http://en.wikipedia.org/wiki/Yellow_Peril
●アラムシャ(インドネシア副首相)
うちのインドネシア人はオランダの鎖を切って独立するように(ように) ,350年間に何度や闘いを試みたがオランダの スパイ網と強靭な無力と苛酷な法律によって圧倒されて壊滅になってしまった.
それを日本軍が渡来するやいなや, オランダの鎖を切ってくれた.
インドネシア人が歓喜日感謝感激したことは
当然だ.

●シャピ(マレーシア外務大臣)
日本はどんな悪事をしたと言おうか.
大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍はすごかった.
わずか 3ヶ月にシンガポールを陷落させて, 私たちには
絶対に勝つことができないと思ったイギリスを屈服させたのだ.
私はまだ若かったが, その時は信義軍隊行ったことだと思った.
日本は
負けたがイギリスはまた取り返しすることができずにマレーシアは独立したのだ.

●レイリンク(極東国際軍事裁判オランダ代表 判事)
日本は西洋帝国の植民地を解放した罪によって処罰されたが, その 4
半世紀や経過する前に,
1960年(昭和 35年)に UNが植民地を保有することを不法行為だと宣言して,
その後, 国連総会が
植民地の保有を犯罪として規定さえした.
●インドネシア祖国防衛義勇軍の曲
アジアはいよいよ立ち上がった自分を捨てて全力をつくす
連合国を壊滅させるためなら生命は惜しくない
進行して進行して義勇軍
アジアとインドネシアの英雄
きれいな東洋に幸せを
古いアジアは不幸につらがって激しい圧制に何世紀
大日本は勇ましく立ち上がって, アジアをいかして私たちを守る
進行して進行して義勇軍
アジアとインドネシアの英雄
きれいな東洋に幸せを

初インドネシア国旗をあげることを助ける日本病.左側でスカルノ大統領, ハッタ副統領
●マハティール(マレーシア受賞)
日本の戦争責任を問えば, それより以前, 盗賊的な支配と収奪を続いた欧米の宗主国の責任はどうに なるか.

日本が全ことで植民地支配から解放されて近代化が招来になった.
●ジャマル·蟻(インドネシア·タイムズ会長)
出たらめだ.針小棒大だ.一人の軍人に一人の慰安婦があったと言うことか.
どうしてインドネシアの良い所を
照らさない?
こんなプログラム, 両国の友好にどんな助けもならない.
私たちには, 日本売渡(罵倒)体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある.
「お金をください」?? 私たちは 360年間,
我が国を支配したオランダにも要求しない.
●ドイツの歴史教科書
日本のナショナリストや軍国主義者は, 黄色人種を白人の支配から解放するために戦争を遂行したと主張した.この中で 自らの利益を隠しているが, 真実もある.
ベトナムやインドネシア, インドなど, ヨーロッパ帝国に支配されていた植民地帝国の国民による独立運動は, 日本(初戦)の 勝利によって加速された.そして日本はヨーロッパの植民地支配層を追い出して, このような支配層の特権を大きく害することができた だからだ.
●ルイス·マウントバッテン大将(イギリス軍東南アジア総司令部
司令官)
不敗を誇った日本軍も半年の死闘に衣服やグドドコでなって, 支持することは不屈の精神力 だけだった.
日本軍はインパールに対して, 結局負けたが, そこには何なのかが残った.
それは史学の権威 Toynbeeが適切に喝破したとおりだ.
●ウォー·累(ミャンマー外務大臣, 1943年 8月 1 独立
演説)
歴史は, 高いアイデアリズムと目的の高潔さに作動した国が, 抑圧された民衆の解放と福祉のために生命と財産を犠牲限り 例を一つ位見なければならない.
そして日本は人類の歴史上, 初めてこの歴史的役目を果すように(ように) 運命だったように
見える.

ミャンマーから国家最高の勲章が授与された日本病と未亡人
●ヤダの後(引導国民軍大尉)
現在の引導があることは日本のおかげさまで, それは, 言語で表現することができない
位です.
立派な日本は引導を解放するのに, できるだけの軍事援助を提供しました.
何十万人にも果たす日本軍将兵が, 引導国民軍の戦友としてモドピと汗と涙を流してくれました.
引導国民軍は
日本帝国陸軍が引導の大義のために支払った崇高な犠牲を, 永久に忘れないです.
引導の独立は日本陸軍によって招来になりました.
ここに両国の縁をいっそうもっともっと強くできるのを祈ります.

日本期と引導国旗を持った英雄上(引導)
●ラマン(引導
国民軍大領)
ミャンマー, インドネシア, フィリピン等の東アジア帝国の植民地支配は一掃なって順順に独立することができた のは日本が育てた自由への炎によることだ仕事を特に記録して 置かなければならない.

●ノンティックク(マレーシア上院議員)
私たちは, マレー半島を進撃して行く日本軍に歓呼の声をあげました.
負けて逃げて行くイギリス軍を見た時に今まで
感じた時がない興奮を感じました.
そこにマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地にしなくて将来のそれぞれの国の独立と発展のため, それぞれの 民族の国語を普及させて青少年の教育を実施してくれました.

●パク・チョル柱(韓国, 韓国-日本文化研究所)
大東亜戦争で日本は負けたと言うが, 敗戦国はむしろイギリスを始まりにする植民地を持った欧米諸国だった.彼らはこれ 戦争によって植民地をなく限りではないか.
戦争に勝ったのか負けたかは, 戦争目的を果したのかによって 決まる, と言うことはクラウゼビットの戦争論だ.日本は戦闘に負けて戦争目的を果した.
日本こそ勝ったことで, 日本の戦争こそ, ”神聖な戦争”引き継いだ.
どの人は敗戦によって日本の国土が破壊されたと言うが, このような事は早く回復することイッドンではないか.
2百
数十万人の戦死者は確かに帰って来ないが, しかし彼らは英霊として靖国神社や護国ジェントルマンに永遠に暮して, 国民尊崇対象が
なる.

●Bernard Millot(フランス·従軍ジャーナリスト)
これら日本の英雄たちは, この世界に偉い純粋を現わした.彼らは 1000年の遠い過去から今日に, 人間がもう忘れて 捨てた, 人間は偉くなければならないと言う仕事を思い浮かぶことができてくれたのだ.( 「神風」)
●ククリト·プラスチックモード(タイ戦 受賞)
日本おかげさまでアジアの帝国は皆独立した.
日本だと言うママは難産して母体を害したが生まれた子供はのびやかにさせている.
今日の, アジア帝国民がアメリカやイギリスと対等に話ができることは一体誰の おかげさま様か?
それは 「自分を犠牲してアジアを救助した」日本だと言うママがあったからだ.
12月 8日は私たちに, この重大な思想を現わしてくれたママが一身をかけて重大決意された日だ.
もっと 8月 15日は私たちの重要なママが病気になった日だ.私たちはこの 2ゲイルを忘れてはいけない
