More moms going down, to ensure grades go up
「母は、息子の成績を落とさないためにフェラチオをする」http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/431.html
新聞記事
http://livedoor.blogimg.jp/akaikeita/imgs/5/7/570d3649.jpg
赤松啓介氏の『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』(ちくま学芸文庫)
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/611.html
● 男の「筆下し」
ムラでは十三歳にフンドシ祝い。初めて白布またはアカネのフンドシをする。このときオバとか、年上の娘か ら性交を教えてもらう。十五歳になると若衆入りで、すべての男が年上の女や娘から性交を教えてもらう。いまの若い男どもは、夜這いですらウソなどと教えら れ、結婚まで童貞が理想と教えられかわいそうだ。
つまり、ムラでは十三か、十五になると公式に性交教育を受け、後は夜這いで鍛錬した。ただ
十三、十五というのは公式の儀礼で、その人たちによって違うからが十にもなると女や娘たちが性交を教えるのもある。私は十から教えられ、十一で射精、十
二、十三ぐらいになってフロや泳ぎで他の同年の仲間と比較、太くて大きいのにびっくりした。
(p54)
夜這いの盛んな時代
ではオトコもオンナも初交が早い者も多かった。もう共同風呂をやっている家の子供であると、フロから出てくると次に入るオバハンが待っていて、お前もうチ
ンポ大けなったやいか、見せてみい、とつかまえて、つかんでしごいてくれた。チンポむかれて、痛い、痛いと泣くと、ようむかんと嫁はんもらわれへんぜえ、
とまたむいて、しごいてくれた。
(p58)
若衆入りすると一人前の村人として認め、土木工事や農作業などに出ても一人前の賃金を払った。また女との交際、女遊び、夜這いも公認された。また結婚もできる。悪いことをすれば大人なみに処罰されるし、責任もとらされる。
(中略)
ムラにはたいてい神社、寺院があり、他に仏堂や庵寺(尼寺)のあるのも多い。この独立の仏堂や庵寺はムラ境とか、墓地の端に多く、ムラの住居地域からは離れている。
新入りの若衆を多くの地方では「日の出」という。その日の出たちを夜、六時頃から仏堂に集める。ムラでは人数だけの後家を集めるが、足りないと四十ぐらいの嬶がクジとか、順廻りで出る。
(中略)
だいたい夕食が終ってから堂へ集まり、人数が揃うと堂を閉めてしまう。冬だから堂内は真っ暗くなり、僅かに本尊の前の大ろうそくだけが輝く。その前で後家さんたち五名、若衆五名がクジを引く。クジの決め方はいろいろでムラによっても、その年の人数でも変わる。
(中略)
た
だし当たった女と若衆が一年間、ずっと関係するかどうかは、お互いの好みによるわけで、決められていない。人数が少ないとジャンケンやヒモを引いたりして
決める。しかし、これだと母子を避けたり、好きな子をとったり、インチキできるそうだ。イヤ、そんなことは絶対にしないと堅い後家さんもある。しかし、だ
いたい後家さんも、新入りの若衆もわかっているのだから、あの後家さんならええとか、あの若い衆が欲しいなどと思うのは当然だろう。
(中略)
とにかく堂が閉められ、組合せが決まるとならんで般若心経を二回唱える。後家さんたちが当たった若衆に暗唱できるよう教育する。
(中略)
御詠歌がすむと、お前らは外で小便して来い、ようしぼって出すんやぞ、と若衆たちを追い出す。
(中略)
若
衆を追い出すと女たちは掃除をして、フトンを敷く。五組ぐらいで満員である。すむと若衆たちを呼び入れて組になってネヤに入る。たいてい南、無、阿、弥、
陀の順にするようだ。入ると女が男を抱きよせてやる。オバハンのとこ、柿の木ありまっか。あるぜ。この間に女は帯をといて下半身を裸になる。よう実なり
まっか。よう、なるぜ。サア、見てんか。いうてもなかなか手を出さないそうだ。そこで男の手をひっぱってお乳をにぎらせたり、さすらせたり、吸わせたり、
女は教育に忙しい。すでに女の経験があるかどうかすぐわかる。男はわしが上がってちぎってもええか。サア、はよ上がってちぎってと、チンポをにぎって上が
らせ、内へ入れさせる。
書くとこんなになるが、初めての男だと、いろいろ手間がかかるらしい。女の方も初めての男を喜ぶのもあるし、イヤが
あるのもあるそうで、なかなかうまいこと当たらんらしい。隣は激しくピストンしているのに一向に、立たんのもあって、こんなのに当たると困るそうだ。お隣
の情況に気をとられるのもあり、アホ、横見てんと気入れんか、と叱ったり、大変らしい。
(中略)
ともかく第一工程が終わると一休みして、
お茶になる。それから第二工程に入り、いろいろと高級技術の伝授になった。だいたい後家さんだからチャンスをやるらしい。最も困るのはインポで、後から自
宅へ通わせたのもあるそうだ。マジメな子供だと、母親が心配していろいろ試験管に頼むのもあり、うまくすむとヤレヤレというのもあるらしい。
(p63―66)
筆おろし(ふでおろし)と水揚げ(みずあげ
http://miracle-jiyoudan.com/fudeorosi_mizuage.html
太平洋戦争(第二次大戦)敗戦(見得で終戦と表現する事あり)の数年間後位まで、日本の農漁村の村落部に於いて「筆おろし(ふでおろし)と水揚げ(みずあげ)」と言う性習俗があった。
これは村の大人が、年頃に成った若者に性行為を実施で教える「性教育」で、男性の場合を「筆おろし(ふでおろし)」、女性の場合を「水揚げ(みずあげ)」と称した。
現代社会では通用しないかも知れないが、昔在った共生村社会の性習俗にも当時としては充分に納得できる合理的な理由が在った。
つまり世の中なんてそんなもので、当時の社会に実在した性習俗に、当時なりの合理的な理由が無い事など、まったく在り得ない。
しかしこうした村落部の共生村社会は、戦後流れ込んで来た欧米型個人主義と昭和三十年代中頃に始まった若者の大都会への集団就職(しゅうだんしゅしょく)に拠って消滅して行った。
「筆下し」の役は、若後家さんや出戻りのお姉さんに限らない村も在った。
都合良く独り身の女性が何時も居るとは限らないからで、その相手は、後家、嬶(かかあ)、娘、尼僧と様々で、くじ引きなどで決められる事が多かった為、場合によっては実の母親や肉親がその相手になる事もあった。
夜這いうちの田舎は、昭和の10年代前半までは、若衆組による夜這いの差配が残っていたらしい。もう既に死んだ大叔父に聞いたことがあるのだが
・娘にも拒否権がある(理由:疲れた、病気、生理、嫌いな奴、結婚が決まった)
・若衆組の頭(年長者)がある程度、差配して、好きな者同士をなるべく組み合わせる、外れ者が出ないようにするなどしたらしい。あんまりにもセックスできない者がいて、その者が荒れるとなんにしても喧嘩等が増えて、共同の農作業ができなくなる、若い者の労力は大事なので、きちんと考えたらしい。地主の娘などにはだれも夜這いしないので、地主が若衆組に大根とか酒を差し入れて、そろそろ行ってやってくれというような話もあったそうだ。
・未婚の男女だけでなくて、既婚の男女に対する夜這いもあった。おおらかなもので、もっと昔(たぶん、明治期とか江戸期)は、自分の嫁が隣家の夫と寝ていたら、じゃあオレが隣の家の嫁とやってくるわというノリだったらしい。
・1日の仕事が終わると、夕刻に三叉路や橋のたもとに集まり、歌を歌いながらその日の相手を決めるような風習もあったそうである。現在と同じく歌い手がモテるらしい。
・他の村から来た嫁など、夫のモノというより家のモノという感覚で、夫、義父、叔父、甥っ子などと、コソコソとではあったがごく普通にセックスしたらしい。優先権は夫にあった。生まれた子どもは、だれの子どもか厳密には分からないが、これまた家の子ということで近所に住む親戚一同皆で育てるノリである。
・近親相姦も多く、あの家は近親相姦で子どもが生まれる家とか噂される家があった。ただすこし差別的に扱われたらしい。
・戦争がキツくなってからは、在郷軍人に不謹慎とかいわれて、だんだんなくなった。そもそも昭和18年から21年ぐらいにかけては、村に若い男性がほとんどいない状態だったらしい。戦後も時々、夜這いをするやつがいたが、戦前のように誰かが調整したりすることはなくなる。
大叔父がいうには「若い者は、時々はやらんと暴れるから、やらせた方が男女ともに良い、戦後、暴走族や学校が荒れたのは、夜這いがなくなったから」だそうである。