以下、基本的に、2016年の1月の前半に行った投稿の再掲で、2015年の9月の下旬に、彼女(私の今の彼女)と、私の母を連れて(私と、彼女と、私の母の3人で)、湯河原(yugawara)の温泉旅館に一泊して来た時の物です。
以下、「以下、1888年創業の温泉旅館他前編からの続きです。。。」と言う文までは、前回の投稿の投稿文と重複するので、前回の投稿を、ご覧になられた方は、飛ばして下さい。
少し前の事ですが、去年の9月の下旬、彼女と、私の母を連れて(私と、彼女と、私の母の3人で)、湯河原(yugawara)の温泉旅館に一泊して来た時の物です(母と旅行したのは、この時、とても久しぶりでした)。
湯河原(yugawara)は、東京圏の南部を占める神奈川(kanagawa)県の南西端に位置する、歴史の古い温泉保養地です。 湯河原(yugawara)は、万葉集(manyousyu。8世紀頃に編集された、歌集(詩集)。7世紀から8世紀半ば頃までに詠まれた、歌(詩)が、 収められている)の中の歌(詩)にも登場する、東京に近い、歴史の古い温泉保養地です。湯河原(yugawara)は、第2次世界大戦前から、作家等の著名人に愛されて来ました。湯河原(yugawara)は、ビーチ(beach)を有する、海沿いの保養地でも有りますが、温泉地は、主として、緑の多い、 山の方に広がっています。 湯河原(yugawara)には、個人的に、お気に入りの温泉旅館がある事等もあり(湯河原(yugawara)で、お気に入りの温泉旅館に関しては、前に、kjでアップ(upload)した事があります)、よく訪れます。
ちなみに、この時の、少し前には、彼女と、彼女の母を連れて(私と、彼女と、彼女の母の3人で)、湯河原(yugawara)の、山翠楼(sansuirou)→http://www.sansuirou.co.jp/
と言う、高級classの温泉旅館に一泊して来ました(彼女の母を連れて、一泊以上の旅行したのは、その時が、初めてでした)。ちなみに、山翠楼(sansuirou)は、彼女(私の今の彼女)と二人で宿泊した事もあり、今までで、2回宿泊した事があります。
ちなみに、この、私が、私の母と、彼女を連れて(私と、私の母と、彼女の3人で)、湯河原(yugawara)の、伊藤屋(itouya)と言う歴史のある高級温泉旅館に宿泊して来た時の旅行も、私が、彼女と、彼女の母を連れて(私と、彼女と、彼女の母の3人で)、湯河原(yugawara)の、山翠楼(sansuirou)に宿泊した時の旅行も、旅館の宿泊費等、旅行の、お金は、全員分、私が、支払っています。
以下、1888年創業の温泉旅館前編からの続きです。。。
1888年創業の温泉旅館他前編は、以下です。この時宿泊した温泉旅館に関して、詳しくは、以下の(すぐ下でリンクを付けた)、前回の投稿を参照して下さい。
1888年創業の温泉旅館他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3754970?&sfl=membername&stx=nnemon2
この時、私達が宿泊した温泉旅館は、1888年創業の温泉旅館で(伊藤屋(itouya)と言う温泉旅館です)、(前回の投稿で、少し紹介した)藤田屋(fujitaya)(1882年創業)と共に、湯河原(yugawara)を代表する、歴史のある(現在も営業を続けている温泉旅館の中では。。)、高級温泉旅館となっています(ちなみに、湯河原 (yugawara)には、歴史の、比較的、新しい温泉旅館で、この二つの温泉旅館よりも、高級な温泉旅館が、結構あります。。。)。この温泉旅館は、客室数が、全部で、10室強の、小規模な、温泉旅館です。私達(私と彼女)も、私の母も、この温泉旅館に宿泊したのは、この時が、初めてでした。
この温泉旅館の食事は、夕食、朝食、共に、基本的に、一つの客室に2人以下で宿泊の場合は、部屋出し(食堂(dining room)で食べるのでは無く、ホテルのroom serviceの様に、部屋まで料理が運ばれて来て、部屋で料理を食べる形式。もっとも、基本的に、料理が、一度に運ばれて来るroom serviceと異なり、料理は、夕食の場合、基本的に、一皿ずつ、出来立ての物が、運ばれて来る)、3人以上で宿泊の場合は、(それぞれの客室専用 の)、個室の、食堂(dining room)での食事となる様です。この時は、3人での宿泊であった為、夕食、朝食、共に、専用の、個室の食堂(dining room)での食事となりました。
写真以下24枚。この温泉旅館で食べた、この時の初日の夕食等。
写真以下22枚。この温泉旅館で食べた、この時の初日の夕食。この他、ご飯(rice)が出ます。ちなみに、この夕食時は、飲み物は、主に、日本酒を飲みました。湯河原(yugawara)の温泉旅館は、湯河原(yugawara)の周辺の漁港で、水揚げされた、新鮮な、魚介類(seafood)を使った料理を、売り(自慢)としている、旅館が多いです。この温泉旅館の料理は、洗練された、高級な、日本料理と言うよりも、どちらかと言えば、庶民的・大衆的 な温泉旅館や民宿(下の補足説明参照)の、素朴な、日本料理の、それぞれの料理の素材の質が、とても高い版と言った感じでした。この温泉旅館の、こうした 点も、古くから、この温泉旅館が、多くの、(長期滞在の)作家(小説家)や、少なからぬ、良い家柄の人々等に、愛されて来た理由なのかもしれません(洗練 された料理は、毎日、続けて食べていると、飽きると思います)。
民宿:旅館よりも、簡易な宿泊施設で、一般的に、旅館よりも、規模が小さく、風呂等の施設が簡素で、宿泊料金が安い。海沿いや、離島に多く、一般的に家族 経営であり、副業で営んでいる場合も多い(海沿いや、離島で、漁師の家庭が、民宿も営んでいる場合が、多いかな。。。)。庶民的な宿泊施設だが、料理は、 料理の質の低い旅館よりも、むしろ良い場合もある。
写真以下3枚。刺身の、盛り合わせ(三人分)。
写真以下19枚は、全て、一人、一皿ずつ(写真は、一人分)です。
前菜。
写真右側は、食前酒の、柚子酒。
魚(ムツ)の、煮物。
写真以下2枚。 鮑の、焼き物。
サーモン(salmon)の、焼き物。
写真以下2枚。 炊き合わせ。
写真以下2枚。蕎麦。
写真以下2枚。 酢の物(秋刀魚の酢の物)と、漬物。
写真以下2枚。揚げ物(海老の、練り物等の、天麩羅)。
松茸(matsutake。香りの良い、高級な茸)の、土瓶蒸し(お吸い物)。
デザート(dessert)。
写真以下4枚。この翌日(この時の、2日目。以下、この日と書きます)、この温泉旅館で食べた、この日の朝食。全て、一人、一皿ずつ(写真は、一人分)です。これと、あと、ご飯(rice)が、朝食の内容です。
鰤(魚)大根。朝食に、美味しい鰤(魚)大根が出ると、何だか、嬉しくなります。
この日も、前日(この時の初日)に、引き続き、天気は悪く、基本的に、雨でした。この日は、旅館を、チェックアウト(checkout)した後、そのまま、 旅館の駐車場に、自動車を置かせて貰って、散歩がてら(散歩をしながら)、旅館から近い、湯河原(yugawara)町立美術館を訪れました。湯河原 (yugawara)町立美術館は、湯河原(yugawara)町が運営する、公立の美術館です。湯河原(yugawara)町立美術館の、コレクション (collection)の中心は、湯河原(yugawara)に縁のある画家(主として、近代画家)の作品、及び、平松 礼二(hiramatsu reiji)の作品を中心とした、日本の近代画となっています。
写真以下12枚。湯河原(yugawara)町立美術館の庭園と建物。湯河原(yugawara)町立美術館の敷地と建物は、かつての、天野屋(anamoya)(下の補足説明参照〉の、敷地(庭園)の一部と、建物の一つを改装した物となっています。
天野屋(ananoya):かつて、湯河原(yugawara)に存在していた(既に、廃業した)、1877年創業の、温泉旅館。湯河原 (yugawara)を代表する、歴史のある高級旅館の一つであり、夏目 漱石(natsume souseki)(1867年生まれ、1916年に亡くなる。日本の有名な、小説家)、(韓国では、悪名が高い)伊藤 博文(itou hirobumi)(1841年生まれ。1909年に亡くなる。日本の有名な政治家)等、各界の、著名人が、お気に入りの温泉旅館としていた温泉旅館の様 です。ちなみに、京都を代表する、(初期の)、近代、日本伝統画家、竹内 栖鳳(takeuchi seihou。1864年生まれ。1942年に亡くなる。日本の有名な、近代、日本伝統画家。1890年代から1930年代に活躍)は、天野屋 (anamoya)を気に入り、天野屋(anamoya)の敷地内に、アトリエ(作品制作の作業場)を建てました。
写真以下5枚。湯河原(yugawara)町立美術館の建物。湯河原(yugawara)町立美術館の建物は、かつての、天野屋(ananoya)の建物の一つで、1958年に建てられた(確か。。。)、西洋式の建物を改装した物です。
写真以下2枚。湯河原(yugawara)町立美術館の、チケット(ticket)。
湯河原(yugawara)町立美術館の、基本的な、パンフレット(leaflet)。
湯河原(yugawara)町立美術館の、コレクション(collection)の中心は、湯河原(yugawara)に縁のある画家(主として、近代画家)の作品、及び、平松 礼二(hiramatsu reiji)の作品を中心とした、日本の近代画となっており、平松 礼二(hiramatsu reiji)(下の、補足説明参照)の作品の充実したコレクション(collection)を有する事が、特徴の(個性の)美術館となっています。
平松 礼二(hiramatsu reiji):1941年生まれ。1960年代頃から活躍している、日本の、有名な、近代・現代、日本伝統画家。東京の南部近郊(神奈川 (kanagawa)県)の、鎌倉(kamakura)在住。また、軽井沢(karuizawa)(長野(nagano)県の、群馬(gunma)県(東 京圏の北西端に位置する県)に接する地域に位置する。東京圏周辺を代表する、別荘地・避暑地)に、別荘兼アトリエ(作品制作の作業場)を有する。
写真以下5枚。湯河原(yugawara)町立美術館の、コレクション(collection)の内、平松 礼二(hiramatsu reiji)の作品例。湯河原(yugawara)町立美術館の、パンフレット(leaflet)より。。。
「夢富士」
この時、湯河原(yugawara)町立美術館では、湯河原(yugawara)町と交流のある、青梅(oume)市(下の補足説明参照)の、青梅 (oume)市立美術館(下の補足説明参照)の収蔵品(collection)の、展覧会(exhibition)が行われていました。ちなみに、私も、 彼女も、青梅(oume)市立美術館は訪れた事がありません(また、私の母も、少なくとも、この時は、青梅(oume)市立美術館は訪れた事がありません でした)
青梅(oume)市:東京の、中北西部近郊に位置する中小都市。青梅(oume)は、郊外に御岳(mitake)山(東京近郊の、気軽な、ハイキング (hiking)場所として、人気の山)等を擁する等、豊かな自然を有する都市です。ちなみに、竹内 栖鳳(takeuchi seihou)は、青梅(oume)市にも、アトリエ(作品制作の作業場)を設けていた様です。
青梅(oume)市立美術館:青梅(oume)市が運営する、公営の美術館。(青梅(oume)市に縁のある画家の作品を中心とした)日本の近代の絵画を 中心とした、幅の広いコレクション(collection)を有し、特に、日本の近代美術の、とても充実したコレクション(collection)を有し ている様です。また、小島 善太郎(kojima zentaro)(1892年生まれ。1984年に亡くなる。1910年代後期頃から活躍していた、日本の、近代画家(西洋画家))の作品の充実したコレ クション(collection)を有する事が、特徴の(個性の)美術館の様です。
写真以下4枚。この時、湯河 原(yugawara)町立美術館で行われていた、青梅(oume)市立美術館の収蔵品(collection)の、展覧会(exhibition)の、 展示作品例。この展覧会(exhibition)の、チラシ(leaflet)より。。。全て、日本の、芸術家(画家)・工芸家の作品です。
「矢車菊」。牛田 けい村(ushida keison)(1890年生まれ。1976年に亡くなる。1910年代頃から活躍していた、日本の、近代、日本伝統画家)作。
左上から時計回りに。。。 「編み物」(1927年)。小島 善太郎(kojima zentaro)(1892年生まれ。1984年に亡くなる。1910年代後期頃から活躍していた、日本の、近代画家)作。 「静物」。川口 軌外(kawaguchi kigai)(1892年生まれ。1966年に亡くなる。1910年代後期頃から活躍していた、日本の、近代画家)作。 「婦女之図(ものおもひ)」(1897年から1906年頃)。上村 松園(1875年生まれ、1949年に亡くなる。1890年代から1940年代に活躍した、日本の有名な、女性、近代、日本伝統画家)作。「花うり」 (1921年)。山田 敬中(yamada keicyu)(1868年生まれ。1934年に亡くなる。19世紀後期頃から活躍していた、日本の、近代、日本伝統画家)作。
左上から、時計回りに。。。「羽村の富士」。大下 藤次郎(oshita tojiro)(1870年生まれ。1911年に亡くなる。日本の、近代画家)作。 「霜白釉釉描色絵金彩華と虫壷」。藤本 能道(fujimoto yoshimichi)(1919年生まれ。1992年に亡くなる。1940年代中期頃から活躍していた、日本の有名な、陶芸家)作。「花‘78」。丹阿 弥 丹波子(tanami niwako)(1927年生まれ。1960年代頃から活躍している、日本の、女性、近代・現代、版画家)作。 「瓢箪の花」(1940年)。安田 靫彦(yasuda yukihiko)(1884年生まれ。1978年に亡くなる。1900年代後期頃から活躍。日本の有名な、近代、日本伝統画家)作。
湯河原(yugawara)町立美術館を訪れた後は、湯河原(yugawara)の市街地に移動し、湯河原(yugawara)の市街地の、公共駐車場に、 自動車を置き、お土産等の買い物をした後、前から、ちょっと気になっていた、蕎麦食堂で、この日の昼食を食べました(湯河原(yugawara)で、お気 に入りの、蕎麦食堂が、やっていたら、そこで食べるはずでしたが、その蕎麦食堂(湯河原(yugawara)で、お気に入りの、蕎麦食堂)は、この日は、 休みであった事から、前から、ちょっと気になっていて、利用した事がなかった、蕎麦食堂で、この日の昼食を食べました)。
この日昼食を食べた、湯河原(yugawara)の蕎麦食堂で、私が食べた物。カツ丼(豚カツ(tonkatsu)丼)と、蕎麦の、組み合わせメニュー (menu)。ちなみに、彼女と、私の母は、この時、この蕎麦食堂で、天丼(天麩羅丼)と、蕎麦の、組み合わせメニュー(menu)を食べました。この蕎麦食堂、蕎麦は、あまり、美味しくありませんでした(湯河原(yugawara)で、お気に入りの、蕎麦食堂の、蕎麦の方が、ずっと美味しいです)。蕎麦食堂ですが、むしろ、カツ丼(豚カツ(tonkatsu)丼)(写真、左側)の方が、美味しかったですw
蕎麦食堂で、昼食を食べた後は、この日は、天気が悪かったですし(基本的に、雨でした)、両親の、湘南(syonan) areaの、別荘に向かい、両親の、湘南(syonan) areaの、別荘で、のんびりと過ごしました(ちなみに、この時、父は、出張中でした)。両親は、東京都心部の我が家 の近所の実家(元々、母方の祖父母の家。母方の祖父母共亡くなり、現在は、両親が引き継いで暮らしている。ちなみに、母は、一人っ子です)に暮らしているのですが、18年程前に、湘南(syonan)area に、父が仕事を引退したら暮らす為の別荘(別荘とは言っても、典型的な別荘ではなく、普通の一戸建て住宅です)を購入しました。父が、半分、定年退職状態 になってからは(父は、会社員です)、両親は、基本的に、一週間の内の、半分を、東京都心部の我が家(東京都心部の西部に静かで落ち着いた住宅地に位置します)の近所の実家(元々、母方の祖父母の家。私の母にとっ ては、元々両親の家。ちなみに、母は、一人っ子です)、もう半分を、保養と気分転換に、湘南(syonan)areaの別荘で過ごしています。今の所、都会での生活が捨て難く(まあ、湘南(syonan)areaも、自動車生活圏で見れば、十分都会だと思いますが)、東京都心部の家(我が家の近所の私の実家)及び近所(私の街)に愛着がある(特に、母にとっては、生まれ育った家と街なので。。。)事等から、両親は、父が完全に定年退職しても、基本的に、一週間の内の半分を、東京都心部の家(我が家の近所の私の実家)、もう半分を、気分転換に、湘南(syonan)areaの別荘で過ごすと言う生活は、続け るつもりだそうです。
東京近郊の、茅ヶ崎(chigasaki)、江ノ島 (enoshima)(藤沢(fujisawa))、(以下は、三浦(miura)(半島)areaとして、湘南(syonan)には、含めない考え方も あるが、私は、湘南(syonan)に含めて考えている。このへんは、地元の人も、結構大雑把だと思う)、鎌倉(kamakura)、逗子 (zushi)、葉山(hayama)、横須賀(yokosuka)(西海岸の一部)等から成る、湘南(syonan)(東京圏の南部を占める神奈川 (kanagawa)県の南部に位置する)は、東京都心部方面から見て、横浜 (東京areaの海の玄関口(gateway)である、大きな港町)の向こう側(反対側)に隣接するareaであり、東京areaに暮らす人々にとって、 最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach resort)地となっています。湘南(syonan)は、海岸線で見ると30km位ある様な気がしますが、大磯(ooiso)、二宮 (ninomiya)辺りまで含めると、(海岸線で見ると)50km近くある様な気がします。
写真以下2枚。この時、両親の、湘南(syonan)areaの、別荘で、おやつとして食べた、ケーキ(cake)。個人的に、大船(ofuna)(下の補足説明参照) で、お気に入りの、ケーキ(cake)・パン・西洋菓子店のケーキ(cake)です。私の母が食べた、西洋梨のショートケーキ(日本式 shortcake)、彼女が食べた、キャラメル(caramel)系のケーキ(cake)、私が食べた、モンブラン(Mont Blanc)。この、ケーキ(cake)・パン・西洋菓子店のケーキ(cake)は、美味しいです。
大船(ofuna):(電車の)鎌倉(kamakura)駅周辺と共に、鎌倉(kamakura)市の、2大繁華街となっている。ちなみに、大船(ofuna)は、個人的に、仕事の用事で、よく訪れます。
この日の夕食は、母は、予め、予定されていた、別荘周辺の(母の)友人達と、別荘周辺の、イタリア料理レストランで、夕食会(別荘周辺の、イタリア料理レス トランで、友人達と食べました)、 私達(私と彼女)は、(湘南(syonan)areaに近い)横浜郊外の、お気に入りの、焼肉食堂で、夕食を食べてから、東京都心部に帰りました。
写真以下。この焼肉食堂(湘南(syonan)areaに近い)横浜郊外の、お気に入りの、焼肉食堂)で食べた、この日の夕食。この時、この他、ご飯 (rice)、サラダ(salad)、カクテキ(大根のキムチ)等を食べました。ご飯(rice)以外は、全て、二人で分けて食べました。
和牛(日本原産の高級牛肉)、盛り合わせ。サーロイン(sirloin)、ザブトン(肩ロース(肩loin)の芯の部分)、極上(非常に質が高い)カルビ
(galbi)。
高品質な、豚肉の、ロース(loin)。
写真以下2枚。和牛(日本原産の高級牛肉)、ロース(loin)。この時、この他、肉類は、和牛(日本原産の高級牛肉)、ロース(loin)と、和牛(日本原産の高級牛肉)、カ ルビ(galbi)を、一皿ずつ、追加で頼んで、食べました。