以下、5月の後半に行った「東京造形大学他」と言う投稿の再掲です。
以下、新建築工芸学院(新・建築・工芸・学院)に関しては、wikiを参考にしました。
新建築工芸学院(新・建築・工芸・学院)は、1932年に設立され1938年に廃校になった、東京都心にあった、建築・工芸・デザイン(design)等の学校(一時期、演劇科も存在していた)で、日本のBauhausと呼ばれた学校です。
新建築工芸学院(新・建築・工芸・学院)は、1930年に、ウクライナ(Ukraine)の、ハルキウ(Kharkiv)(ウクライナ(Ukraine)で第二の人口を有する都市)劇場の、建築国際設計競技に(斬新な舞台機構等を用いた設計案により)4位に入選する等した(ちなみに、この、建築国際設計競技では、ヴァルター・グロピウス(Walter
Gropius)(1883年生まれ。1969年に亡くなる。ドイツ出身の建築家。1919年にBauhausを創立。ル・コルビュジエ(Le
Corbusier)、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)、ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies
van der Rohe)と共に、世界の歴史上、最も有名な建築家の一人)は、8位でした)、川喜田 煉七郎(kawakita
renshichiro)(1902年生まれ。1975年に亡くなる。日本の、建築家・店舗デザイナー(designer)・インテリア(内装)デザイナー(designer)・デザイン(design)教育者・啓蒙家)により、1932年に設立されました。
新建築工芸学院(新・建築・工芸・学院)は、水谷
武彦(mizutani takehiko)(1898年生まれ。1969年に亡くなる。Bauhausを卒業した、日本の、美術教育者)、山脇
巌(yamawaki iwao)(1898年生まれ。1987年に亡くなる。日本の建築家・写真家。山脇 道子(yamawaki
michiko)(後述します)とは見合いにより結婚し、山脇(yamawaki)家(山脇 道子(yamawaki
michiko)の実家)の婿養子(養子)となる。Bauhausを卒業)、山脇 道子(yamawaki
michiko)(1910年生まれ。茶道(Japanese tea
ceremony)(日本の伝統的な、お茶を振る舞う行為・儀式・作法)の先生の家に生まれる(父親は、茶道(Japanese tea
ceremony)の先生)。2000年に亡くなる。日本の、女性、テキスタイル(textile)artist・デザイナー(designer)。Bauhausを卒業。山脇
巌(yamawaki iwao)の妻)、土浦 亀城(tsuchiura
kameki)(1897年生まれ。1996年に亡くなる。1920年代中期から活躍していた、日本の建築家)、橋本 徹郎(hashimoto
tetsuro)(1900年生まれ。1959年に亡くなる。1920年代後半から活躍していた、日本の、グラフィックデザイナー(graphic
designer)・デザイナー(designer)・画家)等が講師として参加しました。
参考に、適当に検索して出て来たsiteの中から、東京都心部の北東部の千駄木(sendagi)area(静かで落ち着いた住宅地)にある、1925年に建てられた(山脇
道子(yamawaki michiko)が14歳から15歳の頃に建てられた)、山脇 道子(yamawaki michiko)の実家の建物→
https://tatemono-ouendan.org/page008.html
参考に、適当に検索して出て来たsiteの中から、婦人之友(婦人の友)(1903年に創刊された、120年以上の歴史を有する、日本の、主婦・大人の女性向けの雑誌)の、1935年9月号の記事より、私の街(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地)の周辺の静かで落ち着いた住宅地にあった、1935年に建てられた、山脇
巌(yamawaki iwao)・山脇 道子(yamawaki
michiko)夫妻(当時、2人共、新建築工芸学院(新・建築・工芸・学院)の講師をしていた)の家(設計は、山脇 巌(yamawaki
iwao))→
https://sukimodern.exblog.jp/29326610/
山脇 巌(yamawaki iwao)・山脇 道子(yamawaki michiko)夫妻の家は、当時としては、最先端の、現代的な住宅でした。
参考に、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)で紹介している、1935年頃の(すぐ上でリンクを付けたsiteの、山脇
巌(yamawaki iwao)・山脇 道子(yamawaki
michiko)夫妻の家と、丁度、同時代の)、東京の、小さい(小学生から幼稚園位の)子供が2人いる、若い夫婦(夫は、会社員。妻は、専業主婦)の、一部西洋式を取り入れた日本伝統式の、借家(借りている一戸建て住宅)の一部を復元した物(こうした世帯向けの、比較的手頃な家賃の借家(貸す・借りる事を前提とした一戸建て住宅)は、購入する事を前提とした一戸建て住宅よりも、広さや質の面等で、劣っていました)と、すぐ上でリンクを付けたsiteの、山脇
巌(yamawaki iwao)・山脇 道子(yamawaki michiko)夫妻の家を比較してみて下さい。
新宿歴史博物館他 2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3882859/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、おまけ。以下(下でリンクを付けた投稿)、参考に、山脇
巌(yamawaki iwao)・山脇 道子(yamawaki
michiko)夫妻の家があった、私の街(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地)の周辺の静かで落ち着いた住宅地にある、1929年に建てられた、かつての、日本の貴族の邸宅。
95年前の貴族の邸宅他5→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3799522/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
95年前の貴族の邸宅他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3798922/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
95年前の貴族の邸宅他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3798921/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
95年前の貴族の邸宅他4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3798920/page/8?&sfl=membername&stx=nnemon2
新建築工芸学院(新・建築・工芸・学院)の卒業生は、後に、建築以外の分野で著名となった人物が多く、桑沢
洋子(kuwasawa yoko)(1910年生まれ。1977年に亡くなる。日本の、女性、ファッションデザイナー(fashion
designer))も、その内の一人です。
桑沢 洋子(kuwasawa yoko)は、女子美術大学(女子・美術大学)(下の補足説明を参照)を卒業後、新建築工芸学院(新・建築・工芸・学院)を卒業しました。
女子美術大学(女子・美術大学):1900年創立の、日本の、私立の、女子(学生が女性だけの)、美術大学。本部のキャンパス(校舎)は、杉並(suginami)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区の一つ)にある。日本の、名門(有名な)美術大学の一つで、日本の私立の美術大学の中で、最も、歴史が古い大学。

写真は、借り物(写真の作者:kuwasawa)。桑沢(kuwasawa)デザイン(design)研究所。以下、桑沢(kuwasawa)デザイン(design)研究所に関しては、wikiを参考にしました。桑沢(kuwasawa)デザイン(design)研究所は、東京都心の西部にある、1954年に、桑沢 洋子(kuwasawa yoko)によって設立された、日本の、デザイン(design)の専門学校で、日本で、最初の、本格的な、現代(現代的な)デザイン(design)専門の、専門学校です。開校当時より、実務活動に携わるデザイナー(designer)や教育者、芸術家等が講義を担当し、当時としては画期的な実践教育であるとされました。以来、半世紀以上にわたり、日本における、デザイン(design)教育のパイオニア(先駆者)的な機関として、日本国内及び日本国外の、様々な分野で活躍するデザイナー(designer)やクリエイター(作家・artist等)を輩出して来ています。
写真は、借り物(写真の作者:Nyao148)。東京造形大学(東京・造形(zokei)大学)。東京造形大学(東京・造形(zokei)大学)は、1966年に、桑沢 洋子(kuwasawa yoko)が開校した、八王子(hachiouji)(東京都心部から遠い、東京の西部郊外に位置する)にある、日本の、私立の、美術大学で、日本の、名門(有名な)美術大学の一つです。東京造形大学(東京・造形(zokei)大学)は、日本で初めて「造形」という名称を冠した(「造形」という名称が付いた)、美術大学です。
以上、5月の後半に行った「東京造形大学他」と言う投稿の再掲でした。
前述の通り、婦人之友(婦人の友)は、1903年に創刊された、122年の歴史を有する(婦人之友(婦人の友)は、現在も発行され続けています)、日本の、主婦・大人の女性向けの雑誌です。婦人之友(婦人の友)は、1903年に設立された、婦人之友(婦人の友)を発行する、122年の歴史を有する、日本の出版会社、婦人之友(婦人の友)社によって発行されています。婦人之友(婦人の友)は、現在も発行され続けている、日本の、主婦・大人の女性向けの雑誌の中で、最古の(最も古い)雑誌となっています。
日本では、雑誌のジャンル(種類)の多様化と細分化・社会の変化による昔に比べた主婦向けの雑誌の需要の減少等に伴い、後述する、日本の、四大婦人雑誌(四大、主婦・大人の女性向けの雑誌)、日本の、第二次世界大戦後の、四大婦人雑誌(四大、主婦・大人の女性向けの雑誌)の内、現在も発行され続けているのは、「婦人画報」(婦人(fujin)画報(gahou))と、「婦人公論」(婦人(fujin)公論(kouron))のみとなっています。
日本では、かつて、「婦人画報」(婦人(fujin)画報(gahou))(1905年から発行されている、120年の歴史の、日本の、主婦・大人の女性向けの雑誌。現在も発行され続けている、日本の、主婦・大人の女性向けの雑誌の中で、(前述した)婦人之友(婦人の友)に次いで、2番目に、古い雑誌)、「婦人公論」(婦人(fujin)公論(kouron))(1916年から発行されている、109年の歴史の、日本の、主婦・大人の女性向けの雑誌。現在も発行され続けている、日本の、主婦・大人の女性向けの雑誌の中で、婦人之友(婦人の友)、「婦人画報」(婦人(fujin)画報(gahou))に次いで、3番目に、古い雑誌)、「主婦の友」(1917年から2008年まで発行されていた、日本の、主婦・大人の女性向けの雑誌。2008年に休刊)、「婦人倶楽部」(婦人club)(1920年から1988年まで発行されていた、日本の、主婦・大人の女性向けの雑誌。1988年に終刊)が、四大婦人雑誌(四大、主婦・大人の女性向けの雑誌)と言われていました。
また、日本では、かつて、「主婦の友」、「婦人倶楽部」(婦人club)、「婦人生活」(1947年から1986年まで発行されていた、日本の、主婦・大人の女性向けの雑誌。1986年に休刊)、「主婦と生活」(1948年から1993年まで発行されていた、日本の、主婦・大人の女性向けの雑誌。1993年に休刊)が、日本の、第二次世界大戦後の、四大婦人雑誌(四大、主婦・大人の女性向けの雑誌)と言われていました。
さらに、日本では、かつて、「主婦の友」、「主婦と生活」、「婦人倶楽部」(婦人club)、が、三大婦人雑誌(三大、主婦・大人の女性向けの雑誌)とも言われていました。
「主婦の友」は、前述の通り、1917年から2008年まで発行されていた、日本の、主婦・大人の女性向けの雑誌(2008年に休刊)で、「婦人倶楽部」(婦人club)と共に、日本の、四大婦人雑誌(四大、主婦・大人の女性向けの雑誌)、第二次世界大戦後の、四大婦人雑誌(四大、主婦・大人の女性向けの雑誌)、三大婦人雑誌(三大、主婦・大人の女性向けの雑誌)、何れにも、含まれていた雑誌です。
「主婦の友」は、1916年創業の、日本の出版社、「主婦の友」社により、発行されていましたが、前述の通り、日本の、雑誌のジャンル(種類)の多様化と細分化・社会の変化による昔に比べた主婦向けの雑誌の需要の減少等に伴い、2008年に休刊しました。
「主婦の友」社は、現在、不定期で発行されている「主婦の友」の特別号を除けば、主婦向けの、総合雑誌は発行していない様です。
現在、「主婦の友」社は、女性向けのファッション(fashion)雑誌を複数発行している他、料理、健康、妊娠・出産、育児、インテリア(内装)、園芸・ガーデニング(gardening)、生活情報等に関する雑誌・書籍を、発行・出版しています(wikiを参考にしました)。
5以上の大学及び、多くの専門学校、予備校(大学受験準備学校)が集まる、神田(kanda)・御茶ノ水(ochanomizu)area(東京都心部の中でも中心的な地域の北部に位置する)は、古くからの学生街であると共に、東京最大の学生街となっています。神田(kanda)・御茶ノ水(ochanomizu)areaは、世界最大の書店(本屋)街・古本屋(古書店・古本店)街である神保町(jinboucho)、sports用品店街である小川町(ogawamachi)、楽器店街である御茶ノ水(ochanomizu)と言った、個性的な街を有しています。

写真は、借り物。(おそらく、関東大震災(1923年に東京areaを襲った巨大地震。東京都心部等が、非常に大きな被害を受けた)で、先代の本社の建物が被害を受け使えなくなった為に)、1925年に、神田(kanda)・御茶ノ水(ochanomizu)areaに、新しく建てられた、「主婦の友」社の本社ビル。写真は、1960年頃の物。
写真以下2枚(写真は、借り物)。(1987年に、1925年に建てられた「主婦の友」社の本社ビルを建て替える際に)、1925年に建てられた「主婦の友」社の本社ビルの外観を復元する形で、1987年に、高層ビルに建て替えられた、「主婦の友」社の本社ビル。日本の、近代建築の再生保存の先駆的な例となりました(wikiを参考にしました)。この建物は、神田(kanda)・御茶ノ水(ochanomizu)areaに、キャンパス(campus)の一部を有する、日本大学(1889年創立の、東京に本部があり、東京圏を拠点とした、日本の、私立の大学。日本で、最大の大学。東京圏を中心に、全部で、20程の、キャンパス(campus)がある)が、2002年に、「主婦の友」社から土地と共に購入し、現在は、日本大学の、理工学部の図書館の建物として使われています(現在は、「主婦の友」社の本社は、東京都心部の別の場所にあります)。

写真の作者:663highland

以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考に、私の前の投稿より、日本の、近代建築の再生保存の例(第一(daiichi)生命保険(1905年創業。日本の、大規模、生命保険会社の一つで、日本の4大、生命保険会社の一つ)の、現在の本社の建物。第一(daiichi)生命保険の、先代の本社の建物(1938年に完成)の外観(外観の全てではない)を保存する形で(前面)、1993年に、21階建ての、新しい高層ビル(後方)(高さ、約115m)が建てられた)を含む投稿。
国際ビル(歴史的建造物)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3864673/page/10?&sfl=membername&stx=nnemon2
岡田
時彦(okada
tokihiko)(1903年生まれ。1934年に、病気(結核)により、30歳の若さで亡くなる。1920年に、デビュー(debut))は、1920年代から1930年代初めにかけて活躍していた、日本の俳優で、日本の、無声映画時代を代表する二枚目(ハンサム)俳優でした(wikiを参考にしました)。
写真以下2枚(写真は、借り物)。岡田 時彦(okada tokihiko)。

「お嬢さん」(1930年の日本の映画)より。写真左側の男性。
岡田 茉莉子(okada mariko)(1933年生まれ。1950年代初め頃から2000年代頃にかけて活躍していた、日本の女優)は、前述した、岡田 時彦(okada tokihiko)の、一人娘(一人だけの子供)です。
岡田
茉莉子(okada mariko)は、後述する、「妻二人」(1967年の、日本の映画)において、若尾 文子(wakao
ayako)と共に、主演女優であり、「妻二人」(1967年の、日本の映画)において、雨宮 順子(amamiya
jyunko)の役を演じています。
「妻二人」は、1967年の、日本の映画で、Patrick Quentin(下の補足説明を参照)の小説、「二人の妻を持つ男(The Man with Two Wives)」(1955年)を原作とした映画です。
Patrick
Quentin:以下、Patrick Quentinに関しては、wikiを参考にしました。Hugh Callingham Wheeler
、Richard Wilson Webb、 Martha Mott Kelley、Mary Louise White
Aswellの、4人の、アメリカの作家が、探偵小説を執筆する際に用いた、ペンネーム(pen
name)。その作品の多くは、共にイギリス出身で後にアメリカに渡ったRichard Wilson WebbとHugh Callingham
Wheelerの合作、又は、Hugh Callingham Wheeler単独の執筆である。Patrick Quentinは、「Puzzle
fo・r Pilgrims」(1947年)で、1949年の、フランスのフランス推理小説大賞(Grand Prix de Littérature
Policière)(フランス語作品部門と翻訳作品部門がある)の翻訳作品部門賞を受賞し、短編小説集の「The Ordeal of Mrs.
Snow」(1961年)で、1963年の、アメリカ探偵作家クラブ(Mystery Writers of America)の、Edgar
Awardsの特別賞を受賞していますが、何故か、アメリカ本国よりも、日本の方が、人気及び知名度が高い様で、日本では、翻訳が進み、近年も新訳(新しく翻訳)・再発(再発売)が行われていますが、アメリカ本国では、ほとんどの作品が入手困難となっている様です。なお、1966年にRichard
Wilson Webbが亡くなった後、Hugh Callingham Wheelerが探偵小説を執筆する事はなくなりますが、Hugh
Callingham Wheelerは、後にミュージカル作家として大成し、トニー賞(Tony Awards)の脚本部門を複数回受賞しています。
現在、「妻二人」(1967年の、日本の映画)が、you tubeで、期間限定で(5月30日の20時から6月13日の19時59分まで)、公式で、公開中です。
「妻二人」(1967年の、日本の映画)の、あらすじに関しては、後述します。
「妻二人」(1967年の、日本の映画)において、永井
道子(nagai
michiko)の父が経営する、大手(大規模)婦人(主婦・大人の女性向けの雑誌)雑誌社の「主婦の世界」社は、おそらく、前述した、「主婦の友」社なんかをモデル(model)にしていると思います。

写真は、借り物。現在、you tubeで、期間限定で、公式で、公開中の、「妻二人」(1967年の、日本の映画)のサムネイル画像。サムネイル画像は、「妻二人」(1967年の、日本の映画)の主演の、2人の女優で、左側が、永井 道子(nagai michiko)を演じる、若尾 文子(wakao ayako)(下の補足説明を参照)、右側が、雨宮 順子(amamiya jyunko)の役を演じる、岡田 茉莉子(okada mariko)。
若尾 文子(wakao
ayako):1933年生まれ。1950年代初めから2010年代前半頃にかけて(特に、1950年代初めから1980年代頃にかけて)、活躍していた、日本の女優。1950年代初めから1960年代までは、映画女優として活躍、1970年代初め以降は(TVドラマの女優としては、1960年代後期頃から活躍し始めた)、主に、TVドラマの女優として活躍した。安定感のある演技と共に、着物(日本の伝統衣装)が似合う、クセの少ない(個性の少ない)、さっぱりとした、日本美人(日本的な美人)である事から、映画の役として、扱い易く?、日本の、各、映画監督達に人気が高かったと共に、日本の、巨匠の、映画監督達に気に入られ、1950年代から1960年代にかけて、日本を代表する映画女優(日本の映画を代表する女優)の一人として活躍しました。
現在、「you tubeで、期間限定で(5月30日の20時から6月13日の19時59分まで)、公式で、公開中の、「妻二人」(1967年の、日本の映画)(フル映画)→
https://youtu.be/GIUMvmFN9bQ?si=usWdkyLvfd_Qlyvy
「妻二人」(1967年の、日本の映画)は、先週の土曜日の夜、彼女と、我が家のテレビで見てみました。全体的に、暗い雰囲気と、暗い内容の、恋愛映画・人間ドラマ映画(人間関係を描く映画)でした。1960年代の映画なので、男尊女卑的な所とか(例えば、当時の、「主婦の友」社が、実際にそうであったのかは、分かりませんが、「妻二人」(1967年の、日本の映画)の、「主婦の世界」社は、社長が、会社の、重役(executive)達と部長達を集めて会議を開く場面があるのですが、女性向けの雑誌の出版社であるにもかかわらず、重役(executive)達と部長達が、(社長の娘である永井
道子(nagai
michiko)以外)、全員、男性であるとか)、現代の価値観とは合わない部分がありました。ちなみに、「妻二人」(1967年の、日本の映画)の「主婦の世界」社の方針・標語は、日本の主婦の幸福を増進する事を目的として、「清く(純粋で)・明るく・美しい」家庭と社会を築く事にありますが、(「妻二人」(1967年の、日本の映画)の「主婦の世界」社がモデル(model)にしたであろう)実際の「主婦の友」社の方針・標語は、「主婦の友」社の雑誌の読者の為に「親切・安心・丁寧」な雑誌を作る事である様で、「妻二人」(1967年の、日本の映画)の、「主婦の世界」社とは、全く異なる様です。
「妻二人」(1967年の、日本の映画)の、映画自体の、個人的な評価は、原作の小説と、どれ位、同じなのか、どれ位、違うのか、よく分かりませんが(原作の小説は読んでいません)、話が良く練られていて、見応えがあり、傑作と言う程の映画ではありませんが、良作の映画(良い映画)(恋愛映画として見ても、中々、良作の映画(良い映画))と言った感想でした。雨宮
順子(amamiya jyunko)の役を演じる、岡田 茉莉子(okada mariko)の、演技が良かったです。
以下、「妻二人」(1967年の、日本の映画)の、あらすじです(基本的に、wikiから抜粋して来た物)。東京を舞台とした映画です。前述の通り、「妻二人」(1967年の、日本の映画)において、永井 道子(nagai michiko)の父が経営する、大手(大規模)婦人(主婦・大人の女性向けの雑誌)雑誌社の「主婦の世界」社は、おそらく、前述した、「主婦の友」社なんかをモデル(model)にしていると思います。
柴田
健二(shibata kenzo)は、作家(小説家)を目指しており、事務職の会社員である恋人(彼女)の、雨宮 順子(amamiya
jyunko)(岡田 茉莉子(okada mariko)が演じる)が生活を支えていた。柴田 健二(shibata kenzo)は、雨宮
順子(amamiya jyunko)に自身の(自分の)母親の形見である指輪をプレゼントした。雨宮 順子(amamiya
jyunko)は、父親の幼馴染であった、大手(大規模)婦人(主婦・大人の女性向け)雑誌社(「主婦の世界」社)の社長(以下、社長と書きます。妻は、既に、10年前に、病気により?亡くなっている)に柴田
健二(shibata kenzo)の小説を送った。
小説が採用される事はなかったが、社長の娘で社長の秘書を務める永井
道子(nagai michiko)(若尾 文子(wakao ayako)が演じる)の意見により、柴田 健二(shibata
kenzo)は、「主婦の世界」社の雑誌の編集者として雇われることになった。柴田 健二(shibata kenzo)は永井 道子(nagai
michiko)と親しくなり、雨宮 順子(amamiya jyunko)は柴田 健二(shibata
kenzo)の愛が自分に向いていないことを知ると、柴田 健二(shibata
kenzo)と別れて大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)へと去っていった。
柴田 健二(shibata kenzo)と永井 道子(nagai michiko)が結婚して数年後、永井 道子(nagai michiko)は、「主婦の世界」社の、事業部の部長に、柴田 健二(shibata kenzo)は、事業部の副部長となっていた。
ある夜、柴田
健二(shibata kenzo)は、たまたま入ったバー(bar)で雨宮 順子(amamiya jyunko)と再会する。雨宮
順子(amamiya jyunko)は、最近になって大阪から戻って来て、このバー(bar)で働き始めたと言う。風邪で体調の悪い雨宮
順子(amamiya jyunko)を柴田 健二(shibata kenzo)はアパートまで送って行くことにした。雨宮 順子(amamiya
jyunko)には、今の恋人、小林 章太郎(kobayashi syoutaro)がいる事を知るが、雨宮 順子(amamiya
jyunko)の首の包帯の下に絞められた痕を見て、雨宮 順子(amamiya jyunko)が小林 章太郎(kobayashi
syoutaro)から暴力を振るわれている事(現在の基準で言えば、小林 章太郎(kobayashi
syoutaro)は、この時点において、完全に、犯罪で逮捕されているレベル(水準)です)を知った柴田 健二(shibata
kenzo)は、泥酔して(酒に酔って)帰ってきて雨宮 順子(amamiya jyunko)の名を叫ぶ小林 章太郎(kobayashi
syoutaro)を、殴る等して、叩きのめしてアパートを後にした。
翌日、柴田 健二(shibata
kenzo)は再びアパートを訪れ、小林 章太郎(kobayashi syoutaro)も、また作家(小説家)を目指している事を知る。雨宮
順子(amamiya jyunko)は、小林 章太郎(kobayashi syoutaro)の書いた原稿を、柴田 健二(shibata
kenzo)に託す。雨宮 順子(amamiya jyunko)は、柴田 健二(shibata kenzo)に、小林 章太郎(kobayashi
syoutaro)が、(柴田 健二(shibata kenzo)の)代替であることを認め、原稿を読んだ柴田 健二(shibata
kenzo)は、小林 章太郎(kobayashi syoutaro)に才能があること認めた。
数日後、小林
章太郎(kobayashi syoutaro)は、「主婦の世界」社を訪れ、柴田 健二(shibata
kenzo)は「主婦の世界」社の本社ビルの食堂で小林 章太郎(kobayashi syoutaro)と話をする。そこへ、永井 道子(nagai
michiko)とは、そりが合わない(保守的で完璧主義者・潔癖主義者な永井 道子(nagai michiko)に対する反発・反抗心から、永井
道子(nagai michiko)とは、性格・考え方・意見が合わなく、仲が良くない)、(永井 道子(nagai michiko)の)妹の永井
利恵(nagai rie)が現れ、柴田 健二(shibata kenzo)は友人として小林 章太郎(kobayashi
syoutaro)を紹介する。小林 章太郎(kobayashi syoutaro)と永井 利恵(nagai rie)は急速に接近し、やがて永井
利恵(nagai rie)は小林 章太郎(kobayashi syoutaro)と結婚すると言い出した。
永井 道子(nagai
michiko) は、小林 章太郎(kobayashi syoutaro)に、うさん臭さ(怪しさ)を感じ取り、小林 章太郎(kobayashi
syoutaro)に永井 利恵(nagai rie)と別れるように詰め寄るが、小林 章太郎(kobayashi syoutaro)は、雨宮
順子(amamiya jyunko)の存在、永井 道子(nagai
michiko)が「主婦の世界」社の事業として推進する障害児救済基金を、「主婦の世界」社の会計係が横領している事、さらに会計係の妻が社長(永井
道子(nagai michiko)と永井 利恵(nagai
rie)の父)の愛人である事など、「主婦の世界」社のイメージを傷つける、また潔癖な永井 道子(nagai
michiko)にとって許しがたいスキャンダルを暴露し、夜にもう一度会って話をつけようと永井 道子(nagai michiko)に告げて去った。
雨宮
順子(amamiya jyunko)の住むアパートに戻った小林 章太郎(kobayashi syoutaro)は、雨宮 順子(amamiya
jyunko)から指輪と護身用の拳銃を奪うと(拳銃が安易に登場する点が、アメリカの小説を原作とした映画らしいです。ちなみに、日本では、拳銃等の銃の所持は、警察、自衛隊(軍隊)、狩猟を職業又は趣味とする者(銃を所持するには特別な許可が必要)等、特殊な場合を除き、違法となっています)、雨宮
順子(amamiya jyunko)をアパートから追い出した。雨宮 順子(amamiya jyunko)は深夜になって柴田
健二(shibata
kenzo)に会いに行き、金の無心をする(お金の援助を頼む)。安い(チープな)ホテルにでも泊まって母親の実家のある仙台(sendai)(日本の東北地方で唯一の大都市、且つ、日本の東北地方の中心都市。大都市としては、人口は、少ない)に行くと言う雨宮
順子(amamiya jyunko)だったが、柴田 健二(shibata kenzo)は、雨宮 順子(amamiya
jyunko)を抱き寄せる。そこを、永井 道子(nagai michiko)と柴田 健二(shibata
kenzo)夫妻が暮らす、マンション(アパート)に住み込みの、高齢者の女中(maid)(長い間、永井(nagai)家の女中(maid)として働いて来た女性)に目撃される。
永井
道子(nagai michiko)は、柴田 健二(shibata
kenzo)には大阪出張と告げていたが、手切れ金として100万円の小切手を持って雨宮 順子(amamiya
jyunko)のアパートへ行った。しかし、小林 章太郎(kobayashi syoutaro)は、永井 利恵(nagai
rie)と結婚する意志を曲げないどころか、永井 道子(nagai michiko)を押し倒してレイプ(強姦)しようとする。永井 道子(nagai
michiko)は小林 章太郎(kobayashi syoutaro)が上着のポケットに入れていた拳銃を取り出し、小林
章太郎(kobayashi syoutaro)を撃った。
翌朝、柴田 健二(shibata
kenzo)は、社長からの電話で起こされる。小林 章太郎(kobayashi syoutaro)の死体が発見されたのだった。昨夜、永井
利恵(nagai rie)は、小林 章太郎(kobayashi syoutaro)との結婚を許可させるために既成事実を作ろうと小林
章太郎(kobayashi syoutaro)のアパートに泊まっており、永井 利恵(nagai
rie)に容疑がかかるのを恐れた社長は、犯行時刻に、永井 利恵(nagai rie)と柴田 健二(shibata
kenzo)が、一緒にいたことにするよう指示した。警察は犯行現場に残されていた指輪と拳銃の所有者である雨宮 順子(amamiya
jyunko)を容疑者として仙台(sendai)で逮捕する。雨宮 順子(amamiya jyunko)と柴田 健二(shibata
kenzo)の過去も調査済であった警察に柴田 健二(shibata kenzo)は呼び出され、警察署で柴田 健二(shibata
kenzo)と雨宮 順子(amamiya jyunko)は、あたかも2年ぶりに会ったかのように対面した。永井 道子(nagai
michiko)も別途、雨宮 順子(amamiya jyunko)に面会するために警察を訪れ、柴田 健二(shibata
kenzo)を愛しているのかと尋ねた。雨宮 順子(amamiya jyunko)は、「一生一度の恋でした」と答えた。
柴田
健二(shibata kenzo)は悩んだ末に、雨宮 順子(amamiya
jyunko)のアリバイ、犯行時刻には、自分と一緒にいたことを警察に証言する事を決め、先立って永井 道子(nagai
michiko)に話し、嘘が嫌いな永井 道子(nagai michiko)に、ふさわしい男であろうとする為であると説明した。しかし、警察では柴田
健二(shibata kenzo)と雨宮 順子(amamiya
jyunko)が、かつて、恋仲だったことから(交際していた事から)、証言の信用性に疑問を投げかけた。柴田 健二(shibata
kenzo)と雨宮 順子(amamiya jyunko)が、一緒にいた所を目撃した、女中(maid)も、社長に買収されており、事件の夜に雨宮
順子(amamiya jyunko)を見た事を否定するが、自身の証言を変えず、永井 利恵(nagai
rie)とのアリバイを否定する事になった柴田 健二(shibata kenzo)は、社長から激怒され、クビを宣言される。
雨宮
順子(amamiya jyunko)の為に柴田 健二(shibata kenzo)は真犯人を探す。永井 利恵(nagai
rie)から、「主婦の世界」社の会計係の妻が社長の愛人であった事から、障害児救済基金の横領を聞いた柴田 健二(shibata
kenzo)は会計係夫妻の住むマンション(アパート)へ行って問いただすが、犯行時刻には社長と会計係の妻は、情事を繰り広げており、それを会計係が見ていたという事だけだった。柴田
健二(shibata kenzo)は帰宅して、永井 道子(nagai michiko)を問いただし、あの夜、永井 道子(nagai
michiko)は大阪から飛行機で、東京にとんぼ返りして小林 章太郎(kobayashi syoutaro)会い、小林
章太郎(kobayashi syoutaro)を殺した後に深夜の飛行機で、また大阪に行った事を告白される。自分自身が嘘を重ねていた永井
道子(nagai michiko)は、窓から飛び降りて死のう(自殺しよう)とするが、柴田 健二(shibata kenzo)に止められる。柴田
健二(shibata kenzo)は、永井 道子(nagai michiko)に、「正当防衛だから罪は軽い」と言い、永井 道子(nagai
michiko)は柴田 健二(shibata kenzo)に伴われて警察に自首した。
柴田 健二(shibata
kenzo)と釈放された雨宮 順子(amamiya jyunko)は警察署の階段で言葉を交わした。自分を愛してくれていて嬉しさを告げる雨宮
順子(amamiya jyunko)に、柴田 健二(shibata kenzo)は永井 道子(nagai
michiko)と生きていかなければならないと答え、「一生一度の恋の終りだな(一生一度の恋の終りだね)。」と告げた。毅然と警察署を去り行く雨宮
順子(amamiya jyunko)の背中を見送ると、柴田 健二(shibata kenzo)は、警察署の階段を再び登って行く。