この投稿の、動画は、全て、you tubeから借りて来た物です。
日本には、依然として、遊園地、動物園、水族館(public aquarium)等の遊戯施設は、多いですが、それでも、遊園地は、東京圏(東京area)では、世界有数の入園者数を誇る、東京disney resortとの競争に敗れて、関西(kansai)(大阪)大都市圏では、やはり、世界有数の入園者数を誇る、Universal Studios Japanとの競争に敗れて、また、日本全国的には、少子化等による入場者数の減少によって、全盛期よりかは(私が、子供の頃位が全盛期か。。。いや、それよりも、ずっと前?)、かなり減りました。
第二次世界大戦における、被害が大きかった、ヨーロッパの主要国と日本に対し、第二次世界大戦において、国土や産業基盤が、ほとんど、被害を受けなかった、アメリカは、第二次世界大戦後も、さらに、順調、且つ、迅速に、経済成長を続け、経済においても、文化においても、世界で圧倒的な国となりました。ちなみに、アメリカ同様に、第二次世界大戦により、国土や産業基盤が、ほとんど、被害を受けなかった、又は、全く、被害を受けなかった、スイス、オーストラリア、カナダ、北欧(北ヨーロッパ)諸国等も、第二次世界大戦後、世界で、最も、富裕な国々へと成長して行きました。
アメリカが歴史上、経済においても、文化においても、最も勢いがあったのは、第二次世界大戦後、間もなく(1940年代後期)から、アメリカが、ベトナム戦争(Vietnam War)に本格的に、介入し、ベトナム戦争(Vietnam War)が泥沼化する(ベトナム戦争(Vietnam War)が長期化し、アメリカが疲弊して来る)前までの、1960年代前半頃まで(特に、1950年代)だと思います。
元祖の(最初の)、disney landであり、最初の、Disney系の、テーマパーク(theme park)である、Disneylandが、アメリカの、Los Angels都市圏に、1955年に開業した時は、正に、アメリカが、経済においても、文化においても、歴史上、絶頂期であった(最も、勢いがあった)時であると言えるでしょう。Disneyland及び、(東京disney resortを含む)、他の、Disney系の、テーマパーク(theme park)は、開園以来、常に、時代の、最先端を行く(世界のテーマパーク(theme park)・遊園地をリード(lead)する)、世界最先端の、テーマパーク(theme park)・遊園地であり続けています。
アメリカが歴史上、経済においても、文化においても、最も勢いがあった頃(1940年代後期から、1960年代前半。特に1950年代)の、アメリカの、文化・生活様式等は、世界中の、国々に、とても、大きな影響を与えました。例えば、イタリアでは、1960年代中期から1960年代の後期にかけて、アメリカの、Western映画に影響を受けた、Spaghetti Western映画が、たくさん制作されました。
以下、奈良(nara) Dreamlandに関する説明は、wiki等を、参考にしました。
奈良(nara) Dreamlandは、奈良(nara)(関西(kansai)大都市圏(大阪、京都(kyoto)、神戸(kobe)を中心とする都市圏。東京圏に次ぐ、日本、第二の人口を有する大都市圏)に位置する中都市(中規模程度の人口を有する都市)に、1961年に開園した、Disneyland(1955年に開園)に強い影響を受けた(Disneylandを、模倣した)遊園地です(敷地面積は、約50万平方m)。
松尾 國三(matsuo kunizo)(日本の実業家。1899年生まれ)が、開園して間もない、Disneylandを訪れて、感銘を受け、Walt Disneyに、面会し、日本に、Disneylandを誘致しようとしたが、Walt Disneyは、日本進出に関して、関心を示しませんでした。
当時は、おそらく、まだ、アメリカ国内においても、最初の、Disney系の、テーマパーク(theme park)である、Disneyland(Walt Disneyが、長年の間、思い描いていた、自身の(自分の)、夢の国、魔法の王国)が開園したばかりで、Walt Disneyは、Disneylandの海外進出等、思いも寄らなかった(少しも、考えていなかった)事でしょう。また、当時は、アメリカが、歴史上、経済においても、文化においても、最も勢いがあった頃で、アメリカ国内市場が、世界において、圧倒的な規模であった事から、なおさら、海外進出には、目が行かず(おそらく、2つ目の、Disney系の、テーマパーク(theme park)を作るにしても、当然、アメリカ国内で作る事が、優先して、考えられた事でしょう)、また、仮に、海外進出を考えてみても、日本は、当時、ヨーロッパの、資本主義工業国の大国に比べたら、海外進出を検討する際の、存在感としては、小さな物であった事でしょう。日本は、当時、まだ、第二次世界大戦において、壊滅的な被害を受けて敗戦をしてから、10年程しか経っておらず、急速に経済は成長し、第二次世界大戦直後の荒廃から立ち直り(第二次世界大戦直後の混乱は、一段落し)、経済は、急速に復興しつつあったものの(経済は、復興途上にあったものの)、日本は、依然として、南欧諸国(イタリア、スペイン、ポルトガル(Portugal)、ギリシア(Greece))等と供に、資本主義工業国(若しくは、資本主義的な工業国。第二次世界大戦後は、西側先進工業国)の中では、最も貧しく後進的なグループ(group)に属しており、世界における存在感も、(市場として魅力的な)西側先進工業国の中における存在感においても、イギリス、ドイツ(当時は西ドイツ)、フランスに比べれば、小さな物でした。
ちなみに、日本は、第一次世界大戦(1914年から1918年)が終る頃には、名実供に、工業国且つ世界の大国(列強)の一つとなりましたが(日本は、第一次世界大戦後は、戦勝国且つ資本主義工業国且つ大国として、イギリス、フランス、イタリアと供に、国際連盟(League of nations)の発足時の常任理事国となりました)、その一方で、日本と、(日本よりも遥かに前から、強力に工業化やインフラ(infrastructure)整備を推し進めていた)イギリス、ドイツ、アメリカ等との差は、ずっと大きく、また、日本は、途中、第二次世界大戦において、各産業が壊滅的な損害を被った事等もあって、(日本は)、1960年代初め頃まで(特に1950年代頃まで)は、南欧諸国(イタリア、スペイン、ポルトガル(Portugal)、ギリシア(Greece))等と供に、資本主義工業国(若しくは、資本主義的な工業国。第二次世界大戦後は、西側先進工業国)の中では、最も貧しく後進的なグループ(group)に属していました。
しかしながら、松尾 國三(matsuo kunizo)は、諦めず、今度は、技術者を連れて、Walt Disneyを再度訪問、Walt Disneyは、松尾 國三(matsuo kunizo)が、本気である(真剣である・真面目に、Disneylandに近い水準の遊園地の建設を考えている)事を認め(松尾 國三(matsuo kunizo)の熱意・情熱に感銘を受け)、Disneylandのノウハウ(建設・運営手法)を、無償で、提供し、遊園地の建設の際も、Disneyland側から技術者も、無償で、派遣する事にしました。
しかしながら、遊園地の建設当初から、自身の(自分の)遊園地を、名称も含めてDisneylandにしたい(アメリカの、Disneylandの姉妹遊園地にしたい)、松尾 國三(matsuo kunizo)と、あくまで、日本人が、日本独自の、テーマパーク(theme park)・遊園地を建設する事に、アイデア(発想)・技術の協力を行っているだけであると言う、Disney側の認識に、ずれがあり(すれ違いがあり)、また、建設の、最終段階において、松尾 國三(matsuo kunizo)とDisney側は、 建設中の遊園地を、Disneylandの姉妹遊園地にする事に関しての交渉を行ったが、契約の金額に関して、合意が成立せず、結局、松尾 國三(matsuo kunizo)は、自身の(自分の)遊園地に、Disneylandの名前は付けず、又、自身の(自分の)遊園地に、Disney キャラクター(character)は、一切使用せず、さらに、Disneyに対して、遊園地の、建設に関する、アイデア(発想)・技術の協力の、相当の(十分な)、料金を支払う事で、契約が落ち着きました(この契約交渉の結果は、Disney側にとって、後味の悪い物であり(気分があまり良くない物であり)、Disney側の、松尾 國三(matsuo kunizo)及び、日本(日本人)と、ビジネス(business)をする事に関しての、印象を悪くしたと言う話しもあります)。
この様な経緯から、結局、松尾 國三(matsuo kunizo)の遊園地は、Disneyとは関係がない、Disneyland(1955年に開園)に強い影響を受けた(Disneylandを、模倣した)遊園地、奈良(nara) Dreamland(敷地面積は、約50万平方m)として、1961年に開園をしました。
以下2つの動画。1961年の開園当時の(おそらく、1961年の、開園初年度の)、奈良(nara) Dreamland。私は、奈良(nara) Dreamlandに訪れた事がないので、詳しい事は、分かりませんが、奈良(nara) Dreamlandは、開園の歴史的な経緯から、大略的には(全体的・基本的には)、Disneylandに、とても類似した遊園地であるが、細部においては、独自の部分も、かなりあった遊園地の様です。
奈良(nara) Dreamlandは、1983年の、東京disney land(下の補足説明参照)の開業に伴う、日本全国からの、入園者数の減少(それは、本物が開業したら、皆、本物の方に行きたがるw)、又、関西(kansai)大都市圏内においては、とても強力な競争相手である、Universal Studios Japan(2001年開業)の、開業による、関西(kansai)大都市圏内からの、入園者数の減少、日本の少子化による、子供自体の減少による、入園者数の減少と言う、おそらく、3つの大きな要因による、入園者数の、大幅な減少により、2006年に閉園しました(2001年に、Universal Studios Japanが開業してから、5年後の、2006年に閉園している事から、やはり、Universal Studios Japanの開業が、最後の、大きな打撃となった様です)。
東京disney land:アメリカ国外で、最初の、disneyの本格的なテーマパーク(theme park)として、1983年に開園。これにより、東京圏は、アメリカの、カリフォルニア(California)のLos Angeles.圏、フロリダ(Florida)のOrland圏に次ぎ、世界で3番目に、disneyの本格的なテーマパーク(theme park)を有する地域となりました。
1964年には、横浜(東京圏で、東京中心部(東京23区)に次ぐ、第二の人口を有する都市。神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の中心都市)の、南西部郊外(東京都心部から遠い、東京の南部郊外)に、奈良(nara) Dreamlandの姉妹遊園地である、横浜Dreamlandが開業しました(1964年の開業時の、敷地面積は、約132万平方m)。ちなみに、横浜Dreamlandの観覧車(Ferris wheel)(高さ75m)は、1964年の完成当時、世界最大の、観覧車(Ferris wheel)でした。
ホテルエンパイア(Hotel Empire)(私は、宿泊した事がありません)は、1965年に、横浜Dreamlandの、敷地内に開業した、高さ93m、21階建ての、高層ビルの、高級ホテルであり、1965年の開業当時において、日本で、最も高い建物のホテルであると共に、おそらく、アジアで、最も高い建物のホテルでした。
参考投稿。3年前程の投稿ですが、東京の都心部にあるkeio plazaホテル(1971年完成。高さは、178m。完成、当時、アジアで最も高いビルであったと共に、日本で、最初、また、アジアでも最初の、高さ100m以上の超高層ホテル)→
http://www.kjclub.com/kr/exchange/photo/read.php?uid=12070&fid=12070&thread=1000000&idx=1&page=16&tname=exc_board_24&number=578&f=a.name&word=jlemon
ホテルエンパイア(Hotel Empire)は、、「現代日本様式」のデザイン(design)の(「現代日本様式」を、第二次世界大戦後において、表現した建物と言った感じの)、デザインホテル(design hotel)です。
「現代日本様式」に関しては、以下の3つの投稿を、参照して下さい→
http://www.kjclub.com/kr/exchange/photo/read.php?uid=3867&fid=3867&thread=1000000&idx=1&page=4&tname=exc_board_16&number=268&f=a.name&word=jlemon
http://www.kjclub.com/kr/exchange/photo/read.php?tname=exc_board_16&uid=3868&fid=3868&thread=1000000&idx=1&page=4&number=269&f=a.name&word=jlemon
http://www.kjclub.com/kr/exchange/photo/read.php?uid=12525&fid=12525&thread=1000000&idx=1&page=12&tname=exc_board_24&number=635&f=a.name&word=jlemon
1965年の、開業当時の、ホテルエンパイア(Hotel Empire)。
ホテルエンパイア(Hotel Empire)は、運営する遊園地(奈良(nara) Dreamland・横浜Dreamland)の、入園者数の減少や(1983年の、東京disney landの開業に伴う、競争力の低下や、少子化による子供自体の減少を原因とする)、日本の、バブル経済(economic bubble)の崩壊による、日本dream観光(奈良(nara) Dreamland、横浜Dreamland、ホテルエンパイア(Hotel Empire)等を経営していた、日本の会社)の経営の悪化等により、1995年に、閉館(営業を終了)しました。
また、横浜Dreamlandも、東京disney landの開業に伴う、競争力の低下や、少子化による子供自体の減少を原因とする、入園者数の減少により、2002年に閉園しました(ちなみに、横浜Dreamlandが閉園した、前年の、2001年に、同じ、東京圏内において、東京disney seaが、開業しています)。

写真は、借り物(写真の作者:Lover of Romance)。現在の、ホテルエンパイア(Hotel Empire)の建物。ホテルエンパイア(Hotel Empire)の建物(1965年完成)は、内外装に改装が施されて(特に、内装に、大きな改装が施されて)、現在は、横浜薬科大学(Yokohama University of Pharmacy)(下の補足説明参照)の、建物の一つ(横浜薬科大学(Yokohama University of Pharmacy)の、図書館(library)の建物)として使われています。
横浜薬科大学(Yokohama University of Pharmacy):横浜Dreamlandの跡地に、開校した、日本の、規模の大きな、私立の、薬科大学(薬剤師(pharmacist)、薬に関する研究者を、養成する大学)。