以下、8月17日の、23時06分に、「伝統文化」掲示板に行った投稿です。
穴子寿司の歴史他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3562072?&sfl=membername&stx=nnemon2
カスタードプリン(crème caramel)の歴史他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3555753?&sfl=membername&stx=nnemon2
万延元年遣米使節は、1860年に、日米修好通商条約の批准書交換の為に、徳川(tokugawa)幕府(下の補足説明を参照)から、アメリカに派遣された使節団です。
徳川(tokugawa)幕府:江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、東京(当時は、江戸(edo)と呼ばれていた)を拠点に、日本全国の地方領主達の長(leader)として、日本を実質的に統治していた、徳川(tokugawa)将軍(shogun)家による政府。


写真は、借り物。写真中央、新見 正興(shinmi masaoki)。新見 正興(shinmi masaoki)は、前述の通り、万延元年遣米使節の正使(代表・団長)を務めました。
新見
正興(shinmi
masaoki)は、徳川(tokugawa)幕府側の侍(samurai)であった為、明治(meiji)維新(1860年代後期に、徳川(tokugawa)幕府による政治は終了した)により没落し、1869年に、病気により、48歳で亡くなりました。新見
正興(shinmi
masaoki)は、正妻(正式な妻)との間に、3人の娘がいましたが、次女と三女は、芸者(geisha)として売られてしまいました。
芸者(geisha)として売られた、新見
正興(shinmi masaoki)の三女は、後述する、柳原 白蓮(yanagihara byakuren)の母です。したがって、新見
正興(shinmi masaoki)は、後述する、柳原 白蓮(yanagihara byakuren)の、母方の祖父です。
以下、基本的に、前に行った投稿から抜粋して来た物です。

写真は、借り物。この写真は、日本の写真家が、アメリカの出版社の依頼を受けて、1897年から1898年に撮影した、日本の風景・風俗・人々の写真の一枚であるようです。この写真が撮影された19世紀の終わり頃は、まだ、日本が近代化・工業化を始めて、それ程経っていない時期で、近代化前の江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の雰囲気が、まだ強く残っていた時期です。写真の少女達は、間違っていたら、申し訳ありませんが、おそらく、当時の(19世紀の終わり頃の)、義務教育を終えたばかりの9歳位から、10代の初め位の(13歳位の)、舞妓(maiko)の少女達です。ちなみに、近代化前の、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)においても、一般的に、若い年齢層の、舞妓(maiko)は、9歳から13歳位であったようです(比較的、若い年齢で、舞妓(maiko)として就職する場合、9歳から13歳位で、舞妓(maiko)として就職した様です)。
ちなみに、日本の義務教育は、19世紀後期から1900年までは、(現在で言う)小学校3年生、又は、(現在で言う)小学校4年生まで(義務教育の終了時の年齢は、9歳から10歳)、1900年から1907年までは、(現在で言う)小学校4年生まで(義務教育の終了時の年齢は、10歳)、1907年から1947年までは、(現在で言う)小学校6年生まで(義務教育の終了時の年齢は、12歳)、1947年からは、中学校まで(義務教育の終了時の年齢は、15歳)となっています。
第二次世界大戦後は(1947年以降は)、義務教育が、中学校まで(義務教育の終了時の年齢は、15歳)となった事に伴い、舞妓(maiko)は、少なくとも、中学校卒業以上でないと(15歳以上でないと)なれなくなりました。
現代は、事情は異なりますが、第二次世界大戦前において、舞妓(maiko)(後に、芸者(geisha)になる)になる、少女・若い女性達は、一般的に、農村の小作人(低所得者層(lower
class)の農民)や、都市の低賃金肉体労働者(都市における、低所得者層(lower class))等の、低所得者層(lower
class)の家庭(元々は、裕福であったが、没落して(倒産・破産等して)、借金を抱えた家等も含む)、又は、庶民の家庭出身の、少女・若い女性達でした。第二次世界大戦前の、日本は、貧富の格差が激しい階級社会であり、農村の小作人(低所得者層(lower
class)の農民)や、都市の低賃金肉体労働者(都市における、低所得者層(lower class))等の、低所得者層(lower
class)の生活は、実に悲惨なものでした。また、庶民(working
class)も、物質的には、現在とは、比較にならない位、貧しく暮らしていました。

写真は、借り物(写真の作者:Japanexperterna)。芸者(geisha)。芸者(geisha)は、舞踊等で、客をもてなす、日本の、古くからある、伝統的な職業の、女性です。外国では、混同される事もあるが、遊女(yuujyo)(日本の、伝統的な、売春婦)とは、あくまで、区別されます。遊女(yuujyo)は、売春婦であるのに対し、芸者(geisha)は、宴会(party)の席等で、客をもてなす、日本の、伝統的な職業の、女性(愛人関係等、客と、男女(男と女)の関係等になる事はあるが、それは、芸者(geisha)としての職業の範囲外での話)です。
以下の4人の人物の説明は、wiki等を参考にしています。

写真は、借り物。松方
正義(matsukata
masayoshi)。1835年生まれ。1924年に亡くなる。身長は、172cmと、当時の、男性としては、比較的、長身であった。日本の、有名な、政治家・貴族(公爵)(鹿児島(kagoshima)県(九州(kyusyu)(日本の南部)の南部に位置する県)の、侍(samurai)系の貴族)。松方
正義(matsukata masayoshi)も、伊藤 博文(itou hirobumi)に負けず劣らず(と言うか、伊藤 博文(itou
hirobumi)に勝る程の)、非常に、女好き(女が好き)として知られ、伊藤 博文(itou
hirobumi)とは、女好き(女が好き)と言う、共通の性格から、話が合い、私生活においても、よく交流していた様です。松方
正義(matsukata masayoshi)は、妻以外の、子供も含めて、26人の子供(男の子15人、女の子11人)がいて(最後の子供は、松方
正義(matsukata
masayoshi)が、69歳の時に、愛人(妻以外に、交際している女性)との間に出来た子供)、少なくとも、金銭面においては、全ての、子供の面倒を、しっかりと見ていた様です(全ての、子供の世話を、しっかりとしていた様です)。松方
正義(matsukata
masayoshi)は、或る日、天皇から、何人、子供がいるのかと尋ねられたが、咄嗟に(すぐに)、思い出せず、「後日調査の上、御報告申し上げます(調査をしてから、後日、報告します)」と答えたと言う逸話(anecdote)が残っています。

写真は、借り物。柳原
前光(yanagiwara
sakimitsu)。1850年生まれ。1894年に亡くなる。日本の貴族(侯爵)。大正(taisho)天皇(日本の、第123代の天皇。1879年生まれ。1926年に亡くなる)の、伯父。伊藤
博文(itou hirobumi)と、愛人(妻以外に交際する女性)として、当時、16歳であった、芸者(geisha)を奪い合い、結局、柳原
前光(yanagiwara sakimitsu)が勝ち、その、芸者(geisha)と交際する事になった。

写真は、借り物。柳原
白蓮(yanagihara
byakuren)。1885年生まれ。1967年に亡くなる。東洋英和(toyoeiwa)女学院(1884年創立の、日本の、私立の、女子小学校・女子中学校・女子高校(生徒が、女性だけの、小学校・中学校・高校)・女子大学(生徒が、女性だけの大学))を、卒業。日本の、女性、歌人(日本の、伝統的な詩(poetry)の、詩人)。前述の通り、柳原
前光(yanagiwara sakimitsu)と、伊藤 博文(itou
hirobumi)は、愛人(妻以外に交際する女性)として、当時、16歳であった、芸者(geisha)を奪い合い、結局、柳原
前光(yanagiwara sakimitsu)が勝ち、その、芸者(geisha)と交際する事になったのですが、その芸者(geisha)と、柳原
前光(yanagiwara sakimitsu)の間に生まれた娘が、柳原 白蓮(yanagihara byakuren)です。

写真は、借り物。伊藤
博文(itou
hirobumi)。1841年生まれ。1909年に亡くなる。日本の、有名な、政治家。貴族(公爵)(山口(yamaguchi)県(日本の西部に位置する県)の、侍(samurai)系の貴族)。
以下、伊藤 博文(itou hiribumi)に関する説明は、wiki等を、参考にしました。
伊藤 博文(itou hirobumi)は、韓国の方は、ご存じの通り、歴史的な経緯等から、韓国では、悪名が高い人物です(悪い意味で、有名な人物です)。
以下、おそらく、韓国では、あまり知られていない、日本国内における、伊藤 博文(itou hirobumi)について、少し、紹介したいと思います。
伊藤
博文(itou
hirobumi)は、女性の、教育に、とても熱心で、「女子教育奨励会創立委員会」を創設し、日本の、女性の教育の、推進に、熱心に取り組みました。東京女学館(1888年に開校。東京にある、私立の、女子小学校・女子中学校・女子高校(生徒が、女性だけの、小学校・中学校・高校)・女子大学(生徒が、女性だけの大学)。学生数の、減少により、大学は、2016年に閉鎖)を、自ら、創立すると共に、他の、日本の、私立の、女子大学(生徒が、女性だけの大学)を、創立しようとする人々も、熱心に支援しました。
伊藤
博文(itou
hirobumi)は、私生活においては、非常に、女好き(女が、好き)として有名で、非常に、たくさんの愛人(妻以外に、交際している女性)がいた様です(愛人(妻以外に、交際している女性)は、数え切れない程いた様です)。40度の熱が出て、うなされていた時(意識が薄らいでいた時)も、両側に、二人の、芸者(geisha)を、付き添わせていた様です。
伊藤
博文(itou hirobumi)の、女好き(女性が好きな事)は、当時から非常に有名であり、伊藤 博文(itou
hirobumi)は、女性と、よく遊ぶことから「箒(ほうき)」(女が掃いて捨てる程いたため)と言う、あだ名がつけられました。伊藤 博文(itou
hirobumi)は、地方に行った際には、それぞれの地方の、一流の芸者(geisha)ではなく、二流・三流の、芸者(geisha)を、よく指名していたと言われます。これは、伊藤
博文(itou
hirobumi)の、「その土地々々(それぞれの土地・それぞれの地方・地域)の一流の芸者(geisha)は、地元の有力者が後ろ盾にいる。そういう人間と揉め事を起こさないようにするには、一流ではない芸者(geisha)を指名する必要がある」と言う論理による物です。
ちなみに、私の、父方の祖父は、地方の有力者と、その地方の有力者と、愛人関係であった(その地方の有力者の、妻以外に交際している女性であった)、地方の芸者(geisha)(一応、地元では、美人で、評判であった(有名であった)芸者(geisha)の様ですw)との間に生まれた、私生児(結婚関係の無い者の間に生まれた子供)です(私の父方の祖父は、養子(adopted
child)に出されました)。
以上、基本的に、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
前述した、万延元年遣米使節(1860年に、日米修好通商条約の批准書交換の為に、徳川(tokugawa)幕府から、アメリカに派遣された使節団)は、初めて、アイスクリーム(ice cream )を食べた日本人達(アメリカに上陸した時の、アメリカの迎船、フィラデルフィア号の中で、アイスクリーム(ice cream)の、もてなしを受けた)と言われています。
ちなみに、日本国内で、最初に、アイスクリーム(ice cream )が製造・販売が開始されたのは、1869年の事です。
参考のsite→
https://www.icecream.or.jp/iceworld/history/japan/
我が家では、ハーゲンダッツ(haagen-dazs)のアイスクリーム(ice
cream)は、常時、買い置いていますが(ちなみに、我が家の食べ物は、彼女も食べる事が前提となっています)、私も、彼女も、マートやコンビニで売られている、チープな(安い)、アイスクリーム(ice
cream)も食べます。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「日本は、大手(大規模)菓子会社の、大量生産の、安い、お菓子でも、水準は高いので、こうした、お菓子は、こうした、お菓子で、美味しいです。」
すぐ、上の、「」内の話は、アイスクリーム(ice cream)等にも、当てはまります。
先日、彼女と、コンビニで買い物をした際に、買って来た(私の街の、セブンイレブン(7-Eleven)とファミリーマート(FamilyMart)、2軒のコンビニで買いました)、アイスクリーム(ice cream)等。彼女を主体に、彼女と選んだ物です。全て、2個ずつ(一人、一個ずつ分)買いました。
写真以下。おまけ。今日、車で、彼女と遊びに出掛けて来た(一泊して来ました)帰りに、信濃屋(shinanoya)(下の補足説明を参照)のマートに回って、食料品の買い物をした際に、買って来た物の中から。。。
信濃屋(shinanoya):東京を中心に、マートと、酒の販売店を、展開する、チェーン(chain)。マートは、世田谷(setagaya)区(下の補足説明を参照)に、3店舗。
世田谷(setagaya)区:私が暮らす渋谷(shibuya)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)の西部に隣接する区。世田谷(setagaya)区は、東京中心部(東京23区)の西端に位置する区で、東京の23の区の中で、最大級の面積を有すると共に、最大の人口を有しています。世田谷(setagaya)区は、基本的に、東京の都心部に通勤する人々が暮らす、静かで落ち着いた住宅地となっています。
明日の朝食では使う予定はありませんが、オーストラリア産の、有機(organic)、パンケーキ(pancake)粉。これに(容器に)、牛乳を入れて作ります。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「我が家の、普段の、朝食(又は(休みの日の)遅い朝食兼昼食)は、パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt)と言った内容となっていますが、彼女が、我が家に泊まった際に、朝食(又は(休みの日の)遅い朝食兼昼食)において、パンの代わりに、又は、パンとシリアル(cereal)の代わりに、フレンチトースト(French
toast)又は、パンケーキ(pancake)を作って食べる事もありますが、朝食(又は(休みの日の)遅い朝食兼昼食)において、パンの代わりに、又は、パンとシリアル(cereal)の代わりに、フレンチトースト(French
toast)又は、パンケーキ(pancake)を作って食べた際も、投稿文においては、通常、略して、朝食(又は(休みの日の)遅い朝食兼昼食)は、普段の朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と同じでしたと書いています。」
以下、参考の投稿。
新巻鮭(日本の伝統的な保存食)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3493000/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
写真左、とろとろ、マンゴープリン(mango
pudding)。写真右、木苺(raspberry)のゼリー(jelly)とココナッツ(coconut)の、パンナコッタ(panna
cotta)。何れも、彼女と選んだ物。明日の朝食で(今日は、彼女は、我が家に泊まります)、彼女と食べる予定です(何れも、2人で分けて食べる予定です)。