その頃人種改良計画がありました
1872年(明治5年)、高杉晋作の義弟である南貞助が海外遊学中に日本人種改良論者になり、やがて英国女性のライザ・ピットマンと「日英混血児を得る」ことを目的に結婚をした事例がある[27]。ライザが日本での生活に馴染めず、人種改良のための結婚生活は失敗に終わったという。
1884年(明治17年)、『時事新報』社説記者の高橋義雄は『日本人種改良論』を出版し、日本人と西洋人の雑婚(国際結婚)により優れた子孫を残し日本人種を改良できると主張した
日経新聞
9/8の日経、「日曜に考える」欄に、明治時代に一部で唱えられていた「人種改良論」についての記載があったが、その内容がなかなか衝撃的だった。
西洋への過度の憧れをいだき英語の習得につとめたというのは想像ができたが、さらに、英語を国語にしようという論まであったとは。。。
日本と西洋との格差は文明・科学だけではなく、人間個々人の知力・体格の差でもあり、日本人は大きく劣っていると考えれられた。
ならば、日本人は西洋人と「雑婚」(国際結婚)し、心身強壮で知力も優れた子孫を残し、民族として改良すればいいという「人種改良論」が主張された。
「日本人改良論」は1884(明治17)年に高橋義雄によって著されたものであるが、高橋は福沢諭吉の影響を受けていたという。
衝撃的な内容の人種改良論と福沢諭吉
福沢といえば、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という平等の理念を掲げたことで有名だが、実際のところは、平等が理想ではあるけれど現実には人間の優劣はすでに先天に定まっているものという優生思想的考えを持っていた。
体質の弱くして愚かなる者には結婚を禁じるか、避妊させて繁殖を防ぐべきだと記してさえいたというのは驚くべき事実だった。
行き過ぎた欧化熱はその反動として、国粋主義という新たな「熱病」を産むことになる。「優等」「劣等」という民族観は「第1位は西洋だが、自分たちは第2位」という卑屈な自己意識となり、他のアジア諸国など非西洋への蔑視感情につながっていく
「劣等アジア人種」の品種改良計画
Q アメリカの大統領だったルーズベルトは日本人について人種改良論を唱えていますが、
それはどういうことなんですか?
F.ルーズベルトは徹底した人種差別主義者でした。
その人種差別のなかでも日本人が大嫌いでした。
彼はこう述べています。
「アジア人を白人と交配させて、アジア人の人種改良をすべきだ。しかし、日本人にはそんなことをしないで日本列島の中に隔離して滅びるのを待つ方がよい」
ですから、彼が「日本人改良論」を唱えたというのは間違いです。
彼が唱えたのは「日本人撲滅論」です。
何故こんなにも日本が嫌いだったかと言うと、ルーズベルト家はアヘンを中国に輸出して儲けていたのを、日本に邪魔されたからだ、という説があります。
ハル・ノートを日本に突きつけたフランクリン・ルーズベルトはオランダ出身で、「有色人種への差別が格別に強かった」と、ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した英国のロナルド・キャンベル公使は本国に書き送っている。キャンベルが、この会談の席上、ルーズベルトから打ち明けられたのが「劣等アジア人種」の品種改良計画だった。
「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」
ハル・ノートは、まさにルーズベルトがキャンベルに語った内容そのものである。日本人を支那大陸から追い払い、「元の島々に封じ込め、衰退させよう」との狙いだった。