日本の、三大自動車会社(トヨタ(toyota)、日産(nissan)、本田(honda))に関して、投稿のコメント欄の、投稿の補足説明を参照して下さい。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、女性に、結構合わせているようでいて、その一方において、実は、女性に結構、自分の趣味に付き合って貰って来てもいます。今の彼女も含み、相手の女性は、それはそれで、私色に染まって、私の影響を受けて、私と共に、楽しんで来てくれました(楽しんでくれてます)。」
以下、基本的に(参考の投稿を足す等しています)、2009年の11月後半に行った投稿の再掲で、2009年の10月の後半に、当時、交際していた女性(以下、彼女と書きます)と、平塚(hiratsuka)市美術館で、その時、行われていた、日産(nissan)の自動車のデザイン(design)の歴史の展覧会(exhibition)を見て来た時の物です(投稿文は、2009年の11月後半の投稿を前提としています)。
以下、「以下、以下の投稿の続きです。」と言う文までは、前回の投稿と重複します。
先月(10月)の後半に、東京近郊の海沿いのresort地、湘南(syonan)をdriveして来た時の物です。
東京近郊の、茅ヶ崎(chigasaki)、江ノ島(enoshima)(藤沢(fujisawa))、(以下は、三浦(miura)(半島)areaとして、湘南(syonan)には、含めない考え方もあるが、私は、湘南(syonan)に含めて考えている。このへんは、地元の人も、結構大雑把だと思う)、鎌倉(kamakura)、逗子(zushi)、葉山(hayama)、横須賀(yokosuka)(西海岸の一部)等から成る、湘南(syonan)は、東京都心部方面から見て、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)である、大きな港町)の向こう側(反対側)に隣接するareaであり、東京areaに暮らす人々にとって、最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach
reort)地となっています。湘南(syonan)は、海岸線で見ると30km位ある様な気がしますが、大磯(ooiso)、二宮(ninomiya)辺りまで含めると、(海岸線で見ると)50km近くある様な気がします。大磯(ooiso)(第2次世界大戦前は、海沿いの保養地・別荘地としての湘南(syonan)の中心地であった)と、その西側に隣接する二宮(ninomiya)は、イメージとしての湘南(syonan)の中心地が江ノ島(enoshima)辺りに移ってしまった現在においては、何となく、湘南(syonan)の西の先にある、気候温暖な海沿いの保養地と言ったイメージです。
湘南(syonan)の平塚(hiratsuka)市にある、公営(平塚(hiratsuka)市が運営)の美術館、平塚(hiratsuka)市美術館(中々規模の大きな、立派な美術館です)で、日産(nissan)の自動車のデザイン(design)の歴史の展覧会(exhibition)を見て来ました。
日産(nissan)自動車(1911年創業。1931年に乗用車の生産開始)は、横浜・湘南(syonan)等を有する神奈川(kanagawa)県(東京圏(東京area)の南部に位置する)を拠点とする自動車会社で、日本の大規模な自動車会社の一つであると共に、日本の大規模な自動車会社の中でも、特に大きな、三大自動車会社(トヨタ(toyota)、日産(nissan)、本田(honda))の内の一つです。三大自動車会社の中でも、名古屋(nagoya)(東京、大阪に次ぐ、日本、第三の都市圏人口)を有する愛知(aichi)県を拠点とするトヨタ(toyota)が抜きん出ていて(日本最大の自動車会社で有ると共に、世界最大級の自動車会社)、日産(nissan)と本田(honda)は、トヨタ(toyota)に次ぐ、日本で2番目に大きな自動車会社の地位を争う関係にあります。日本の自動車会社の主要な市場は、日本とアメリカですが、アメリカでは、日産(nissan)よりも、本田(honda)の方が、brand力も上で、存在感もありますが、日本では、本田(honda)よりも、日産(nissan)の方が、伝統的に、brand力も上で、存在感もある様な気がします。自動車販売台数も、アメリカでは、本田(honda)>日産(nissan)ですが、日本では、伝統的に、日産(nissan)>本田(honda)となっています。日産(nissan)自動車は、1980年代までは、トヨタ(toyota)と共に、日本の2大自動車会社でしたが(本田(honda)は、三菱(mitsubishi)、マツダ(Mazda)と共に、日本で3番目に大きな自動車会社の地位を争う会社に過ぎなかった)、1990年代以降、経営が悪化、1990年代末には、経営危機に陥り、フランスの自動車会社(ヨーロッパ有数の自動車会社)、ルノー(Renault)と資本提携を結び(実質的にルノー(Renault)に救済された形)、ルノー(Renault)と共に、Renault–Nissan
Allianceを形成する事になりました。
以下、以下の投稿の続きです。この展覧会(exhibition)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)も参照して下さい。
平塚美術館 日産デザイン展他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3879401?&sfl=membername&stx=nnemon2
写真以下。この展覧会(exhibition)の展示例の続き。
この展覧会(exhibition)では、自動車のデザイン(design)についての展示だけではなく、第二次世界大戦後の、日本の工業製品のデザイン(design)の歩み(発展)についての、ちょっとした展示もありました。
写真以下7枚は、その例です。なお、例に出した工業製品の展示品(写真以下7枚の展示品)の説明文に関しては、展覧会における説明書きを参考にしています
。
National
DX-350 1953年。第2回、新日本工業デザインコンクール(design
contest)特選2席。松下(matsushita)電気産業(現、Panasonic株式会社。1918年創業。日本の、大規模な電気製品会社の一つ。以前は、自社製品をNational又はPanasonicのbrand名で販売していたが、現在は、Panasonicに統一)。
松下
幸之助(matsushita
konosuke)(下の補足説明を参照)は、電気・電子工業製品におけるデザイン(design)の重要性を予見し、社内に早くからデザイン(design)部門を設置しました。日本の伝統的なデザイン(design)を意識した、このラジオ(radio)のデザイン(design)では、桂(katsura)離宮(rikyu)(下の補足説明を参照)の建物の、雨戸や障子がイメージされ、左右非対称のデザイン(design)は、以後、多くのラジオ(radio)に引き継がれています。
松下 幸之助(matsushita konosuke):1894年生まれ。1989年に亡くなる。松下(matsushita)電気産業(現、Panasonic株式会社)の創始者。経営学に関心が高い人・経営学研究者の間では、世界的に有名な経営者。
桂(katsura)離宮(rikyu):17世紀に、京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった都市であり、日本の、伝統文化の中心都市)の西部に建てられた皇族(天皇の一族)の別荘。ちなみに、Panasonic株式会社は、京都(kyoto)に近い大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市。日本の商業の中心都市)発祥の会社であり、大阪に本社を置く、大阪を拠点としている会社。
桂(katsura)離宮(rikyu)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
桂離宮→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3858254/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2

シネ8-T。1956年。Canon(1933年創業。日本の、大規模な、カメラ、事務機器会社の一つ)。
Canonが、初めて販売した8mm映画カメラ。内部の機械部品をデザイン(design)し、その上で、コンパクト(compact)な外観が包み込む、本格的なデザイン(design)となっています。1958年、グッドデザイン(Good
design)商品選定商品(下の補足説明を参照)。後年の同社製品、IXY DV等に、その形が受け継がれています。
グッドデザイン(Good
design)賞(旧グッドデザイン(Good
design)商品選定制度):1957年に、日本の、通商産業省(現、経済産業省)によって創立された、工業製品等のデザイン(design)を評価し、優れたデザイン(design)の物に賞を与える制度。

Nikon SP。1957年。Nikon(1917年創業。日本の、大規模な、カメラ・光学機器会社の一つ)。
カメラ(camera)産業は、(第二次世界大戦前からの高い技術力を活用出来た)造船産業、時計産業等と共に、第二次世界大戦後、早い時期から日本の重要な産業となり、1950年代にかけて、欧米諸国(ヨーロッパ及びアメリカ)を中心とした海外に販路を延ばしました。このカメラは、日本国内外(日本国内及び日本国外)の多くのカメラマン(cameraman、photographer)に愛用され、1958年のブリュッセル(Brussels)万国博覧会(Expo
58)(第二次世界大戦後初の主要な万国博覧会(Expo))で、高い評価を得ました。数年後、日本のカメラ(camera)産業は、生産台数、金額共に、西ドイツ(West
Germany)を抜いています。

トランジスタラジオ(Transistor radio)TR-610。1958年。Sony(1946年創業。日本の、大規模な、電気製品・エンターテインメント(media)会社の一つ。東京に本社を置く、東京を拠点とする会社)。
Sony製品の中でも、人気が高く、また、Sonyの最初の主要な輸出製品となりました。小型化した本体、丸型スピーカー(speaker)が前面に、音量調節等は、側面に纏まられ、後部のスタンド(stand)は、持ち手になり、持ち運び出来る様にデザイン(design)されています。1958年、グッドデザイン(Good
design)商品選定商品。

トランジステレビ(Transistor Television)8-301。1960年。Sony。
軽くて電池でも動くので、自動車内や屋外に持ち運ぶ事が可能。ギラつきを軽減する為に画面の上方に覆いが付けられています。1961年、ミラノ(Milan)トリエンナーレ(Triennale)、金賞受賞。
上のテレビ(TV)は、家庭の居間(living
room)に置かれる様なテレビ(TV)ではありませんが、日本で、家庭の居間(living
room)に置かれ、家族全員で見る様なテレビ(TV)が、庶民の家庭にも普及したのは、1950年代末の事です。日本では、1953年にTVの放送が開始されましたが(Color放送は、1960年、放送開始)、1950年代半ばまでは、まだTVは、贅沢品でした(日本は、1950年代から1960年代にかけて、(第二次世界大戦後間も無くの荒廃からの)急速な経済復興と急速な経済成長を果たしましたが、1950年代半ば頃は、戦争直後の貧しさのピーク(peak)は、既に過ぎ去っていたものの、まだ、戦後の大量生産・大量消費社会の夜明けを待つ頃でした)。1950年代半ばから後半にかけて、名古屋(nagoya。日本第3の都市圏人口を有する都市)の名古屋テレビ塔(nagoya
TV
tower。1954年完成。高さ180m)を皮切りに、札幌(sapporo。北海道(hokkaido)(日本の最北端の地方)最大の都市)の、さっぽろテレビ塔(sapporo
TV
tower。1957年完成。高さ147m)、東京の東京tower(1958年完成、高さ約333m)と、来るべき、TVの大衆化時代に備えて、日本の大都市で、次々と大規模なTV
towerが建てらました(これ等のTV
towerは、何れも展望台を有しており、今でも、それぞれの都市を象徴する建物の一つとなっています)。もっとも、1956年に完成した、大阪の2代目通天閣(tsutenkaku)は、TV
towerでは無く、純粋に観光用ですし(ちなみに、大阪(日本第2の都市圏人口を有する都市)areaでは、郊外の山の上にTV電波等の送信所を建てる事が出来ました)、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町)のマリンタワー(Marine
Tower
。1961年完成)、神戸(kobe。大阪を中心とする関西(kansai)areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町)のポートタワー(Port
Tower。1963年完成)も、TV towerでは無い、展望台付きのtowerであり、1950年代から1960年代の初めにかけては、(TV
towerに限らず)、全般的に、日本の大都市で、超高層タワー(tower)の建設ブーム(boom)だったと言えると思います。
いずれにしても、日本では、急速な経済成長と相俟って、1950年代後半に、地方局を含めて、多くの新たなTV放送局が、開局し、1959年の、日本の天皇家の皇太子の御成婚(結婚式)(TV中継された)が、TVが、庶民の家庭の居間(living
room)にまで普及する、大きな、きっかけとなりました。自動車で言えば、日本の自動車史上、重要な1台の一つとされる?、SUBARU
360(一般大衆向け乗用車として、本格的に開発された、軽自動車。当時の日本乗用車技術全般からすれば、傑作車)が、1958年に販売が開始されています。この様に、1950年代後半は、(1960年代へと続く)日本の戦後の大量生産・大量消費社会の、夜明けであったと言えるでしょう。
写真以下2枚。AIBO ERS-111。1999年。Sony。
当初、日本とアメリカで、500体限定で発売された、犬型のエンターテインメント(entertainment)ロボット(robot)です。電気製品大国(まあ、近年は、韓国が電気製品大国として台頭が著しいですが)、ロボット(robot)大国(下の補足説明を参照)としての日本のイメージを発信しました。
ロボット(robot)大国:日本は、世界最高水準のロボット(robot)技術を有すると共に、世界最大の産業用ロボット(robot)生産国です(日本は年間約10万台程度の産業用ロボット(robot)を生産しており、これは世界中で生産される産業用ロボット(robot)の70%に匹敵します。
また、全世界で約80万台の産業用ロボットが稼動していますが、その内約40%、35万台が日本で使われています。wikiより)。


写真以下。再び、日産(nissan)の自動車のデザイン(design)の展示に戻ります。
日産(nissan)、(スカイライン(SKYLINE))GT-R(1969年に初代がdebut)は、決してエレガント(elegant)なスポーツカー(sports
car)ではありませんが、世界top-class(世界最高水準)の性能を持つ、日産(nissan)が誇るスポーツカー(sports
car)です。
写真以下2枚。R-34型、GT-R。1999年。



R-34型、GT-Rのデザイン(design)スケッチ(sketch)。

ガンダム(Gundam)は、1979年から1980年にかけて、TV放映された、TVアニメシリーズ(TV anime series)です。写真は、ガンダム(Gundam)の主人公のアムロ・レイ(Amuro Ray)が操縦する、モビルスーツ(mobile suit。人型ロボット(robot)型の兵器)です。要は、世界的に人気の有るポップカルチャー(pop culture)である、日本のアニメ(Anime)の要素を自動車のデザイン(design)に取り入れて行きますよ。GT-Rのデザイン(design)にも、その様な要素が取り入れられていますよと言う展示です。

日産(nissan)、GT-R、R-35型。2007年。現行のGT-Rです。2001年の東京モーターショー(TOKYO
Motor Show)で、同車のコンセプトカー(concept vehicle)が、展示され、このコンセプトカー(concept
vehicle)からデザイン(design)を、それ程大きく変える事無く、2007年に発売が開始されました。

日産(nissan)、GT-R、R-35型の模型。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続きます。次回は、この展覧会(exhibition)の中から、日産(nissan)の小型車のデザイン(design)、日産(nissan)が考える未来の自動車のデザイン(design)等について見て行きたいと思います。
平塚美術館 日産デザイン展他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3879399?&sfl=membername&stx=nnemon2