甲府(kofu)は、山梨(yamanashi)県(日本の中部地方に位置する県の一つ。東京圏の西部に隣接している)の中心部にある、人口18万人程の、中都市(中規模程度の人口の都市)で、山梨(yamanashi)県の県庁所在地(capital)であると共に、山梨(yamanashi)県で最大の人口を有する都市となっています。山梨(yamanashi)県は、個人的に、甲府(kofu)都市圏と、そこから広がる(それを取り囲む)、豊かな自然と田舎によって構成されている県と言った感じの印象を受けます。山梨(yamanashi)県は、甲府(kofu)都市圏を中心とした、葡萄等の果物とwineの主要な産地となっています。山梨(yamanashi)県は、葡萄・桃等の果物の、日本における主要な産地の一つとなっていますが、山梨(yamanashi)県の中央部の甲府(kofu)盆地(甲府(kofu)都市圏)を中心として、非常に多くのワイン(wine)醸造所(ワイン(wine)製造所)とワイン(wine)会社があり、日本のワイン(wine)の主要な産地の一つであると共に、おそらく、日本最大のワイン(wine)の産地となっています(山梨(yamanashi)県には、90以上の、ワイン(wine)醸造所・ワイン(wine)会社があります)。
甲府(kofu)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
甲府城跡他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3967032?&sfl=membername&stx=nnemon2
大月(ootsuki)は、山梨(yamanashi)県の東部に位置する、人口2万人程の、山の間にある小都市です。大月(ootsuki)は、山梨(yamanashi)県の都市の中で、最も、東京圏に近い都市であり、大月(ootsuki)は、東京都心部から西に80km程の距離の場所にあります。ちなみに、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)においても、現在においても、東京から甲府(kofu)に行く場合、通常、大月(ootsuki)を経由して行く事になりますが、大月(ootsuki)は、甲府(kofu)都市圏とも、東京(東京の西部郊外)とも、山で、隔たっており、現在は、大月(ootsuki)と、両地域との間は、鉄道・自動車(高速道路(motorway))共、トンネル(tunnel)で繋がっていますが、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)においては、大月(ootsuki)から、甲府(kofu)に行くにも、東京に行くにも、山(山道)を越えて行かなければいけませんでした。いやぁ、現代は、便利な世の中になりましたね(私は、いつの時代の人間だと言った感じですがw)。
猿(saru)橋は、大月(ootsuki)にある、個性的な橋で、観光名所となっています。
以下、大月(ootsuki)にある、個性的な橋、猿(saru)橋に関しては、wikiを参考にしました。
最初に(初代の)、猿(saru)橋が、架橋された年代は不明だが、地元の伝説によると、百済(Paekche・Baekje)在住を経て、610年頃、日本に移民して来た、イラン系の渡来人の、志羅呼(shirako)と言う造園師が、猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造ったと言う伝説がある。猿(saru)橋の名前は、この伝説に由来する。
猿(saru)橋は、15世紀の、複数の記録に登場している。猿(saru)橋は、1520年に架け替えが行われた記録があり、1533年にも焼失し、1540年にも、再び、架け替えられている。
猿(saru)橋は、1676年以降にも、橋の架け替えの記録が残り、少なくとも1756年からは類似した形式の橋である。
日本で、この様な構造の橋は、猿(saru)橋に限られなかったが、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)には、この様な構造の橋の中で、猿(saru)橋が、最も有名であった。
歌川広重(utagawa hiroshige)(1797年生まれ。1858年に亡くなる)は、日本の、代表的な、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家の一人です。
参考に、Japonismeとは、19世紀中期から20世紀初頭にかけて(特に、19世紀の後半に)、フランスを中心とした、西洋の国々(ヨーロッパ及び北米)で、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)等の日本文化が流行すると共に、当時の(近代の)ヨーロッパを中心とした西洋の芸術・工芸に強い影響を与えた現象の事を言います。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
Japonisme他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3806140/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
六十余州名所図会(Famous Views of the Sixty-odd Provinces)(1853年から1856年)は、歌川広重(utagawa hiroshige)の晩年の作品で、日本全国の、69の名所を描いた作品です。

写真は、借り物。六十余州名所図会(Famous Views of the Sixty-odd Provinces)より。大月(ootsuki)の、猿(saru)橋を描いた作品(1853年)。
現在の、猿(saru)橋は、1984年に架け替えられた物で、安全性を、徹底的に考慮し、H鋼に木の板を取り付け、岸の基盤をコンクリートで固め、部材を鋼に変えて、1851年の、猿(saru)橋の姿を復元した物です。

写真は、借り物(写真の作者:江戸村のとくぞう)。現在の、猿(saru)橋(一番手前の橋)。ちなみに、一番奥の橋は、1973年に架けられた橋で、真ん中の橋は、1912年に架けられた、水力発電所用の、水路橋です。