昭和10(1935)年に就役してから、7年で太平洋に散ることとなります。

同型艦の 最上(Mogami)、鈴谷(Suzuya)、熊野(Kumano)とで仲良く(?)第7戦隊として南方で開戦から従事することになります。
素人目に分かり易くしてくれたのか、煙突部分に2本線が三隅(Mikuma)、3本線が鈴谷(Suzuya)、1本が熊野(Kumano)にようですが、間違ってたらごめんなさい。。。
鈴谷・熊野は煙突に違いが有るとか微妙な所に差があるようです。

(1939年 函館の三隅(Mikuma))
(1939年土佐沖の三隅(Mikuma))

(煙突部分 1938年)

(第七戦隊の写真 最上(Mogami) 三隅(Mikuma) 熊野(Kumano)
1938年 伊勢湾にて)
そして最期の海 ミッドウェイに向かいました。
ミッドウェイ・・・ 多くの空母が沈んだ海戦ですが、艦船が沈んで居る頃、補助任務についていた第七戦隊に指令がきます。「ミッドウェイ島を砲撃せよ!」
しかしながら、急な任務過ぎたために緊急の反転指令が出る事になります。
合流地点に向かう隊は、米潜水艦を発見・回避に移りますが、指示がごたついて4艦の動きが錯綜して、最上(Mogami)が、三隅(Mikuma)に衝突してしまうのでした。(潜水艦は、魚雷も撃たず逃走(?))
ぶつかった2艦とも動くことはできたが、何とか進む程度でした。
そこに潜水艦からの連絡を受けた米軍偵察機が、上空で その姿を見つけました。
米軍機動艦隊からの攻撃機が襲来し、多数の艦が爆撃を受け、三隅(Mikuma)も「推定20発の爆撃」を受けて機関室停止、航行不能となりました。

(左舷は崩れ、火災状態の三隅(Mikuma)魚雷保管庫付近が誘爆しているようです。)
(有名な、爆撃された三隅の写真です。まともに動く砲が無いように見えます。)

(傾いたまま、乗員がいなくなった後の三隅(Mikuma))
三隅(Mikuma)の最後について、日本軍も米軍も沈没する姿を見た者はおらず、人知れずひっそりといなくなったようです。
ここから日本海軍は、下り坂を転がるように・・・・・