-私レーション-
歴史の真実さえそっぽを向いて来た日本.
しかし日本が独島をあきらめて韓国領土で認めた歴史的事実もある. すぐ 1965年に 結んだ日韓基本條約
日本との関係を回復するための韓日基本会談.
当時この交渉は国内におびただしい反発の中に進行されていた.
日本官僚として最初で韓国を訪問した酸っぱいが帳付け.
彼は日本に朝鮮侵略を深く反省して公式謝った.これとして基本条約を合議するのに成功した.
ところで独島問題がはみでた.
日本が不意に紛争解決に関する協定を一つ結ばなくちゃいけない.
提案文書をご覧になるから独島を含んだだから竹島を含んだ韓日両国の間のすべての紛争は
外交経路を通じて平和的に解決する. これが中 になる時はオトッゲオトッゲする.
なんかこのような式で安易出たんです.
条約の主要懸案たちは合意された状態.
部属協定を作る過程ではみでた突発変数だった.
当時状況をもうちょっと詳らかにのぞき見るために日本外務省外交史料官を捜した.
当時協定過程をうかがうことができる文書たちは最近まで非公開だった.
この間一番弁護士協会の努力で法院は文書の一部公開を言い付けた.
これは 65年度日韓基本條約のその時文書たちなのに
これが日本がこれを公開する時日本に不利な部分たちは泥ぬりをしたという証拠です.
日本側韓日基本会談議事録(1965.4.3)
申合せ事項に署名した後佐藤総理はイ・ドンウォン外務省長官エッセ韓日間に議論しなければならないことは独島問題だけ残った.と言った.
公開された資料は独島問題が何より熱いじゃがいもだったことを言ってくれている.
当時に日本側首席代表だったウシバせりふが私たち側首席代表である
金同調せりふに申し入れたんです. 金同調せりふは一言のもとにこれは
ある状況下でも受けることもできない問題で全然私たちとしては扱うことができない問題だ.
日本側韓日基本会談議事録(1965.4.13)
金同調せりふがウシバ審議官に言った.
独島という文具を会談条約文に入れることと独島を国際司法裁判所に回付しようという内容を入れることは絶対に不可能だ.
我が方交渉代表だった金同調せりふは独島問題を交渉テーブルに乗せること自体を拒否した.
¥"独島を含んだ¥"すべての紛争だと言った のは絶対受ける事ができない. そうだから ¥"独島を含んだ¥"という
その表現を削除しなさいと言ったんです. ところで日本はそれを削除できない
独島問題を含めた請求権,業,文化祭返還など国内に反対デモは下がらなかった.
デモがあったのがまた民族感情の反発があったのが韓日外交にたくさん助けになりました.
それで私が当時に野党リーダーだった尹普善先生私が安国洞自宅に尋ねました.
明日からはもうちょっと格好よくてひどい韓日会談反対デモをしてください. して逆に私がお願いをしました.
そして母校である延世大にも尋ねたんです. その時延世大がデモが起こって大騒ぎだった時
むしろ行って激励をして来た事があります.
会談は韓国と日本を行き交いながら続いた.
結論は易しく出なかった.
日本側は独島が紛争地域なのを交換公文書に明示しようとした.
そして独島を含んだすべての紛争を自分たちに有利な方法で解決しようとした.
日本補でずっと削除しなさいと言う主張をしたがその済まそうぞ立場(入場)は背水の陣を敷いたんです.
もしこの問題が解決にならなければ私たちは協定署名しない. 条約署名しない.
我が方も退くことができない状況がであった.
会談決裂まで予想された.
結局最終判断が下ろされた.
二つの時経ってした三時近くなったかギムドングフィ条約課長が急に電話をして来たんです.
あ, これ解決になったと言う赤ちゃんです. どのようにしたか問って見るから
日本側で受賞に報告をしました. すると受賞がそれではその文書を持って来なさいと真書
佐藤首相がその文書を報告, 争点が何というガール報告を受けたから, ¥"独島を含んだ¥"という
その句節を日本受賞が消してしまったはずです. 日本総理が消したんです. 実務者たちもそれができなくて
日本外相もできないことを総理がしたことです.
文具は再調整された.
独島という単語は完全にパジョで紛争発生の時両国政府の合意を通じて調整するのを明示した.
仲栽してからは他に調整というのは法的にはこのような調整に入ると言っても
独島の仕事をした領土になるというそういう法的な根拠が一つもないのです.
現在独島を支配していることが韓国だからその状況を転換させることができるどんな法的な根拠も
ここには用意されていないです. それでこのような内容を見ても
当時 65年度日韓基本條約を通じて日本は事実上独島をあきらめたと言えるのです.
日本政府が独島領有権を事実上あきらめながら 1965年韓日基本会談は成事になった.
日本に対する屈辱外交という批判もあるが少なくとも独島問題において位は論難により明らかなピリオドを付けたのだ.
我が国の外交家成した大きな成果だった.
しかしまだ日本はこういうした歴史と真実を否定している.
日本側の意図はその時そうだったようです. まずこれを争点化しよう. 独島領有権問題に対して
韓日の間に紛争があって私たちはいないという立場だからそれをなるべくなら
事実化しようという目的があったようで
1965年 6月22日付け朝日新聞は日本に国際司法裁判所提訴主張が韓国の反対に受け入れられなかったことを指摘した.
何日の後読売新聞も取材記事を出した.
会談実務者たちに独島問題の本質を無視するのではないかと計算したし,
ここに実務者たちは見る人々の解釈に任せて以後状況に期待をかけるという曖昧な言葉で論争を回避した.
独島問題に対する放棄が事実上日本政府に立場(入場)だったことを見せてくれるもう一つの記録がある.
当時日本内閣を導いていた佐藤受賞が日本国会で発言した議事録.
それは独島が日本領土だと確かな立場(入場)ではないと解釈することもできる
おびただしい問題発言でした. そのものの出た理由は事実上
(独島を)あきらめたから言うものがないんです.
野党議員だけではなく日本国民も怒った.
しかし韓日基本条約は日本国会で批准されたし条約としてその效力は今までつながってイッだ.
もし独島問題に対して合意ができなければ韓日協定全体に対する批准が
日本国会ですごく難しくなる. 日本政府の立場も難しくなる.
ところでぴったり国会批准になったんです. そうしてだ, グレッウルなら終わった話ですよ.
これは論難の余地がない.
韓日両国の公式文書で確認される独島に対する歴史的真実.誰も不正できない両国間の約束だ.
(日本は)今まで妥協して譲歩して来ました.
その言葉は独島をあきらめたという意味ではないですか?
いいえ. ところで私たち世代はそれをそのまま受け継ぐことはできません.
(法的根拠,論理が支えるの...今は 1965年日韓基本條約そのまま受け継ぐことができないと抑止を書く....)
独島が懸案問題で日韓基本條約に上がることができなかったということは独島に対しては
韓日の間に領土問題は存在しないという事実を日本が公式的に同意したんです.
したがって日本政府は独島に対する領有権を主張することもできなくて
また国際司法裁判所に持って行くよりムォハヌンニすることは日韓基本條約違反で
日韓基本條約によれば成立されることができない話です.
































































